179

 夢の中で。
 《――》。
 誰かに、呼ばれたような気がした。

「……リダン様、シェリダン様」
 目を開けるとまず視界に飛び込んできたのは、全く同じ二つの顔。金髪に緑の瞳の美しいその二人が心配そうにこちらを覗き込んでいたので、天井など見えない。
「……ローラ……エチエンヌ……」
「シェリダン様!」
 シェリダンの意識が覚めたと見るや、二人はその首筋に飛びついてきた。病み上がりの身体には結構な負担なのだが、二人もそろそろそんな気を遣っていられなくなったらしい。
「シェリダン様! シェリダン様! ご無事で良かった!」
「良かった!」
 見た目は十一、十二歳の子どもにしか見えないが、これでこの二人も今年で十五だ。けれどエチエンヌもローラも今この時だけは、まるでシェリダンと出会った頃の幼い子どもにでも戻ってしまったように、幼い口調でただ良かったと繰り返す。
 二人は瞳に涙まで浮かべて感極まっている。きらきらとした生命力に溢れたその頬が上気し、触れた肌が暖かい。その感覚に、何故か違和感を覚える。
「お前たち……どうし……」
 双子人形の小姓と侍女が側にいることはわかったが、起き抜けのシェリダン自身まだあまり事態を把握できてはいない。どこかぼんやりとした頭で簡単に思い出そうとして、彼は口元に手を当てて俯いた。
「陛下」
 軽いノックの音と共に、部屋の扉が開いてリチャードが入ってくる。彼だけならまだしもその後に続いた人物を見て、シェリダンは一気に昏倒する前の自分たちがこれ以上ない非常事態に置かれていたことを思い出した。
「アンリ王子」
「目覚めたんだな、シェリダン王」
 硬い顔つきの青年を見て、シェリダンはこれが好ましい状態でもないのだと気づかされた。寝台の上に上半身を起こして、ぐるりと部屋の中を見回す。エヴェルシードの王城で使っていたような天蓋付の寝台ではなく、極普通の寝台。普通とは言ってもそれは王族基準の普通であり、使われている木は滅多にとれない高級素材だ。部屋に並ぶ調度は無駄なものこそないが、その用途や配置を考えた構成を見ていると洗練された美的感覚と実用性の高さに知らず脱帽する。他にどう言えばいいのかわからない、ただ見事としか言いようのないその部屋だった。
 しかし、シェリダンには全く見覚えのない場所であることも事実だ。立場上建物構造や部屋の様子を探るのが得意なシェリダンは一度訪れた場所は忘れない。その彼ですら記憶のない部屋。
 ふと、気づいて窓の外を見ればそこには縹色の空が広がっている。そして地上には虹色と言っても過言ではない色とりどりの花が溢れていた。まるで寝物語に語られる楽園のよう。窓枠も精緻な細工が施されていて、さしずめ外の景色を1枚の絵に見立ててそれを窓枠と言う額縁で飾っているようだった。
 ここはいったいどこだ?
「あの後……何があったんだ?」
 あの後、とは言うもののシェリダン自身のなかでも「あの」時というものははっきりとしない。一繋がりの道筋と言うより、むしろ断片的と言った方がいいような記憶だけが残っている。
 こちらを見る深紅の眼差し。その、あまりにも冷ややかなこと。込められた憎悪。
「ロゼウスは……」
 思わず口をついて出た名前に、ぴくりとアンリが身を震わせる。
「シェリダン王、あなたは、この事態を――」
 彼がシェリダンに対し何か言いかけたところで、もう一度ノックの音が聞こえた。
「ようやく気がついたのね。役者が揃ったというべきかしら」
「っ、皇帝陛下!」
 現れたその姿に、シェリダンは純粋に驚いた。長い黒髪の巻き毛と黒曜石の瞳。豊満な肢体を隠そうとする気もないような扇情的なドレスに包んだその姿は、間違いなくこの世界の皇帝だ。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう? 別に私はあなたたちをとって喰おうというわけではないのだから」
「は? はぁ……」
 シェリダンは起きたばかりで顔も洗っていないだとかまだ寝巻きのままだとかいろいろ皇帝との対面に関する問題があるのだが、その彼女の言葉に、臨戦態勢に入る前から気が抜けた。
 彼女とはまたいろいろあった。ドラクルとエヴェルシードの森の一つで邂逅しローゼンティア王家の真実を知らされた時にも横槍を入れられたし、そもそも彼女は今回シェリダンを罠に嵌めたあのハデスの姉だ。
「そうだ、陛下、ハデスは……」
 シェリダンが覚えている限りでは、ハデスはロゼウスに戦いを仕掛けて逆に瀕死の重傷にまで追い込まれていた。虫の息だった彼を助けるためにデメテルがあの場に来て……それ以降の記憶がシェリダンにはない。
「あの子は無事よ。あれだけのことをやらかしたし、あなたたちと今顔を合わせるのもまずいだろうから別の棟に運んだけれど。傷が深かったから、まだ目も覚めてないし」
「そう……ですか」
 良かったというには今の立場はお互いあまりにも複雑だが、少なくとも彼があのまま死んだらそれを喜べるとも思えない。結局反応とも言えない反応を返したシェリダンに、次に事態を説明する役を引き受けたらしいリチャードが淡々と言葉を重ねた。
「他の方々……ミザリー姫とエリサ姫はまだ精神的な負荷が大きく休んでいますが、ロザリー姫は別室にいらっしゃいます。ユージーン侯爵もロザリー姫と一緒に。あの時、ロゼウス様の攻撃から逃れる際、デメテル皇帝陛下のお力で、私たちはここ、皇帝領へと運ばれたのです」
「皇帝領? そうか、ここが……」
 シェリダンが先程楽園のように感じた外の景色、あの穏やかさも、皇帝領ならば納得だ。
「シェリダン様、私たちはアンリ王子殿下たちと別れた後、この土地へと、皇帝領へと向かいました。はじめは始祖皇帝にも仕えたという我がリヒベルク家の縁でも頼るつもりで訪れたのですが、途中で皇帝陛下とお会いすることが叶い、このようになりました」
「このように……と、言われても、一体どうすればこんな風になるのだか、私にはよくわからないのだ」
 ローラがいる。エチエンヌがいる。リチャードがいる。久しく顔を見ていなかった部下たちの存在は心強いが、一緒にいる人物の方は問題だ。以前を思えばけっして味方とは思えない皇帝の存在はもちろん、今回の出来事は何もかもが、シェリダンの理解の範疇を超えている。
 それに、頭が冴えてくれば冴えてくるほど、胸の内では今ここにいない存在のことがちりちりを心臓を焦がす。紅い瞳。
 シェリダンは表情を引き締め、室内の一同を見回した。知らなければならないだろう。自分の、自分たちの身に降りかかった正確な事態を。
 それが、彼を取り戻す一番の近道なのだろうか。
「知っているなら教えてくれ。ロゼウスのことを」

 ◆◆◆◆◆

 打ち捨てられたラクリシオン教会。色硝子を透かして、七色の光が差し込む。シェスラートの白銀の髪が虹色に染まったが、朱に染められた体は禍々しいような色を変えることはなかった。深紅という色彩はとかく強い。
 ――好きなんだ……。
 ――拒絶したくせに……。
 ――でも好きなんだ。シェスラート。でもお前が、俺以外の人間に笑いかけるところなんて見たくない。
 廃教会で行われたのは血塗れの告白。
 ――俺は、あんたのものだって、言った……のに……。
 永遠に愛している。
 永遠に愛していた。
 ――……さ、…い。
 ――シェスラート。
 ――赦さない。
 ――ロゼ……お前は最後まで酷い男だったよ。
 ――愛してい《た》よ。

 だけど今は、誰よりも憎い。


 唐突に、忽然と、本当に何の前触れもなく彼らは消え去った。
「い、一体何が……!」
 目の前から煙のようにかき消えてしまった自分の兄妹たちと憎い敵の交ざった一行。予想外の状況に動転するジャスパーに対し、ロゼウス……シェスラートは冷静に現状を解説した。
「大地皇帝の力だ。あの女、デメテル=アケロンティス。皇帝は全知全能だからな。瞬間移動と言うやつだ」
「で、でもハデス卿のように次元を開く様子は見られませんでしたよ? それだったらもう少し予兆があるはず」
「次元移動ではなく、使ったのは座標転移だろう」
「……どう違うんですか?」
「言ってもわからないだろうから、覚えないでいい。要するに、皇帝にしか使えない力を使ったんだよ」
 ロゼウスは足下に屈みこみ、その身体を引き上げる。
「ご丁寧に、可愛い可愛い弟のウィルを置き去りに、ね」
 ロゼウスが殺した弟の身体。ウィルの亡骸だけはシェリダンたちと共に転移せず、その場に残されていた。もっとも亡骸と言っても、ロゼウスほどの力があればすぐに生き返らせることができるものだが。
 デメテルは何故彼の身体だけは置いていったのだろう。
「全知全能の皇帝だが、死人を蘇らせるような力だけはないからな。あれだけは何がなんでも例外だ」
「ここですぐに生き返らせないのですか?」
「場所を移動する。どうせあの様子じゃすぐに奴らがまたここへ戻ってくることもないだろ。待機するなら、せめて雨風を凌げる屋根のある場所の方がいいだろう?」
 そう言ってロゼウスの身体を使うシェスラートはウィルの身体を抱き上げ、歩き出した。国境の森からローゼンティア側へと近づいていく。
「今のこの国に入るのは危険ではないかと」
「俺たち吸血鬼の容姿では、どこの国にいったってどうせ同じじゃないか。まさかエヴェルシードに留まるわけにもいかないし。それに心配しなくていい。別にどこかの街や村を訪れるわけじゃない」
 もうすぐだ、というシェスラートの言葉に半信半疑ながらジャスパーが彼の後をついていくと、やがて森の一角が開けて崩れかけた建物が現れた。
「ここは?」
「教会だ。大昔のな」
 その建築物の様式はジャスパーには見覚えがなかった。古い時代の建物というのを通り越して、もはや遺跡の部類だ。今にも崩れそうな石積み。
「ここは……」
 先程と同じ問を思わず繰り返しながら扉などとうに腐食して入り口だけとなったその四角い空間をくぐる。中身は確かに教会らしく、かろうじて正面に描かれた十字架と、祭壇があるのがわかる。中央の祭壇へと向かう道の脇には礼拝用の席が並んでいて、窓には割れた虹色の硝子がはまっていた。
 ここに入るにいたって、シェスラートがほんの少しだけ魔術を使ったのがジャスパーにもわかった。ほとんど石の崩れた外観だけで何も残っていなかったこの廃教会に、十字架や硝子を今彼が再現したのだ。
 ローゼンティア国内から出ることのない吸血鬼の王族は自国の地理に強いのだが、ジャスパーはこんな場所は知らない。恐らくこれまで誰も足を踏み入れたことはなかったのだろう。人が足を踏み入れない建築物は、過ぎる年月のままにただ荒れるだけだからだ。
 それにしてもシェスラートが多少の魔術を使うまでのこの建物は廃墟の名を冠するに相応しかった。硝子を窓枠にはめてみた今の状態でも廃墟と呼んで差し支えはない。
 シェスラートが望んだのは元から廃墟であったこの場所ということだろうか。一体この教会はなんなのだろう?
 疑問に思うジャスパーを気にも留めず、寝台替わりの祭壇に抱えてきたウィルを横たえながらシェスラートは追憶する。
 三千年の昔、この場所で起こった出来事を。

 ◆◆◆◆◆

 皇帝デメテルの力によって、シェリダンたち一行は世界の果てにある皇帝領薔薇大陸へと連れてこられた。
 イスカリオット伯爵ジュダの裏切りによって彼の兵にエヴェルシード王城を襲撃され、シェリダンが異母妹カミラに玉座を奪われてはや数ヶ月。
 シェリダンは王城襲撃の際に離れ離れとなった腹心の部下たち、ローラ、エチエンヌの双子人形とリチャードの三人とようやく再会した。しかも当初ローゼンティア王族のアンリたちと行動を共にしていた彼らは、船旅における事情から彼らと別れた後、皇帝領を目指したのだという。
 だから今、シェリダンたちがこの場にいるわけだ。驚いたことに、三人は皇帝デメテルを動かすことに成功したのである。
 世界を統べる支配者。全知全能の力を持つと言われる皇帝陛下を味方にできれば、怖いものなどない。
「まぁ、私は正確にはあなたたちの味方ではないけれどね」
 とはいえ、デメテル本人は早々にそれを否定した。
 豪奢な年代ものの調度が並ぶ、皇帝の宮城の一室だ。そこに、彼女の能力によってこの場に連れてこられた一行、シェリダン、クルス、ロザリー、アンリ、ローラ、エチエンヌ、リチャード、そして皇帝デメテル自身が雁首を並べている。
 ミザリーとエリサはさすがにこれまでの疲労と心労がたたり、まだ起き上がれないのだという。ロゼウスに瀕死の重傷を負わされたハデスも、傷自体はデメテルに治療されたがまだ目を覚ましてはいない。魔術で傷を治す事はできても、それまでに蓄積された痛みや疲労まで取り除く事はできないのだ。
 しかしそれ以外の面々は、こうして皇帝と顔を合わせていた。窓の外は、これまでの殺伐とした戦いとは裏腹に明るい。ローゼンティアやエヴェルシードは大陸のどちらかと言えば北方寄りに位置する国なので、短い夏の間でも、太陽の煌きは弱かった。
 常に薄曇の灰色の空が広がるローゼンティアよりの国境にいた彼らにとって、当然のような空の青さが眩しい。ローゼンティアよりはまだマシとはいえ、エヴェルシードの青も落ち着いた青だ。皇帝領の虹色の花畑を照らす金色の日差しには敵わない。
 ただ、室内で交わされる話題は決して明るいものではなかったのだが。
「もともと私たちが皇帝領に辿り着いた時も、皇帝陛下がご自分から姿を現してくださったので」
 ローラはそう説明する。皇帝の協力が得られたというのはどうやら彼らの思い違いで、デメテルは自分の目的のために動いているらしい。
「陛下。あなたの目的は?」
 現皇帝デメテルと帝国宰相ハデス。その仲が「微妙」であることは、ハデスの友人であるシェリダンが誰よりも知っている。けれどデメテルは、ハデスを助けにあの場所に来た。そして事のついでかも知れないが、シェリダンたちまで助けてくれた。
 しかし、現在はほとんど一方的に宣戦布告されたと言ってもいいような状態だが、シェリダンとハデスは決定的に敵対している。その両者をまとめて助けたデメテルの意図とは何なのか。
「目的?」
 カチャリ、と白い陶器に金の縁取りをされているカップを置いて、デメテルは小首を傾げた。見た目はついつい妖艶な女性と言いたくなるデメテルだが、実際にはその外見はまだ十八歳の少女と変わらない。それが彼女が皇帝に即位して身体の成長を止めた歳だからだ。
 ふとした瞬間に思いがけず若い様子を見せるデメテルが、何を言おうかと考える風情になる。
「そうねぇ……私の目的はただ一つだけれど、それをそのまま説明するとやっぱりよくわからないことになりそうね。でもねぇ」
「……陛下?」
「とりあえず、私の目的はハデスを助けることよ?」
 エヴェルシードとローゼンティアの国境でのロゼウスとの争い。しかし、その理由はまだわからない。
 そして、ハデスがロゼウスの命を狙うわけも、シェリダンを罠に嵌めたわけもわからない。
「ハデスを助ける? それは、あの場限りのことですか?」
 デメテルの言い回しは絶妙に核心を捉えさえない。「とりあえず」というのは、どういった意味での「とりあえず」なのか。
「それも含むわ。だって、私の大事な大事な弟だもの」
 全てを煙にまくにっこりとした笑みを浮かべた彼女をしばし見定めるように真剣に見つめてから、シェリダンは口を開いた。
「皇帝陛下」
「なぁに?」
 デメテルの思惑は、やはり知れない。ハデスを助けると言いつつ、その彼女こそハデスの敵か? 味方か?
 だがそれを判断するにはまず、シェリダン自身が現在の状況を把握する必要があった。
 ロゼウスのこと、ハデスのこと、ドラクルのこと。
 そして皇帝のことと、次期皇帝などと呼ばれていたロゼウスのこと。
 ハデスやサライの言葉の中で出てきた「シェスラート」という名前。
 そこまで考えてシェリダンはふと気づいた。
「……サライは?」
「へ?」
「あ!」
 そういえば、彼女がいない。あの銀髪に紫の瞳の美少女が。
「え? やだ何? あの場にまだ生きている味方がいたの? 死人の王子様は私の力じゃどうしようもないから置き去りにしてきちゃったけど」
「死人の王子?」
「ウィル……のことですか」
「ええ。そう。私じゃ死人を生き返らせることはできないからね。ロゼウス=ローゼンティアに生き返らせる気があるなら、そちらに任せた方がいいでしょう。死んだままで放置されたなら、それまでよ」
 デメテルはやはり味方とは言いがたい。あっさりと残酷な言葉を吐いて、彼女は口を閉じる。ローゼンティア王族であるアンリやロザリーは表情を険しくしたが、シェリダンは違った。
「死者か……ならば、サライのことは放っておこう。あれも一応は死者のようだしな」
「そういえばサライさんのことも、まだ何一つ解決してませんね……」
 古代の巫女姫を名乗る彼女の事はとりあえず放っておいて、シェリダンたちは話を進めることにした。
「皇帝陛下。教えていただきたい。私たちに、いや、ロゼウスの周囲で、今何が起こっているのか」
 多少反則的だと言えなくもないが、これが多分すべての真実への近道だ。
 皇帝は全てを知っている。
「……長い話になるわよ」
 デメテルは溜め息をついて、そして。
 意を決した様子で語り始めた。


180

「まずは現状を確認しましょうか。当座の問題は切羽詰ってはいても解決できる可能性はあるわ。けれどあなたたちには、恐らくその戦いの最後までつきまとう問題がある。そうでしょう」
 典雅な室内にお茶の支度を整え、けれどその味を楽しむためでなくデメテルは話を始めた。熱いうちであれば芳醇な香りと上品な甘さを堪能できる高級な茶葉が、ただ話し疲れて乾いた喉を機械的に潤すためだけに消費されていく。
「今のところは問題となるものが多すぎてどれとも言いがたいのですが」
 皇帝相手ともなれば平素よりは丁寧な口調で、けれどその意志の強さは変わらず、シェリダンが言葉を返した。この場にいるのは元エヴェルシード王である彼の他にもローゼンティア第二王子でありローゼンティア側では最年長のアンリなどもいるが、主導権を握っているのはシェリダンの方だった。あまり我の強くない、穏やかな性質をしている王子は、十歳近くも年下の、元は敵である隣国の王に話の主体を譲る。
「では、言葉を変えましょうか。あなたたちがその人生をかけて付き合わなければならない最大の問題は、ローゼンティアの王位継承問題だと」
 一方デメテルはどういった判断の下でか、はじめからシェリダン相手にだけ話をしているような節があった。他の面々は彼女にとってはシェリダンのオマケのようなもので、ほとんどどうでもいい存在らしい。
 それは、話題がシェリダン自身とはさして関わりがなく思われる、隣国ローゼンティアの王位継承問題だとしても変わらない。
「ローゼンティア……ドラクル王のことですか」
「ええ。そうよ。正確には、ドラクル=ヴラディスラフとロゼウス=ローゼンティアのことに関してね。あなたはその二人の運命に、蜘蛛の巣にかかる蝶もそこまで無防備じゃないわよーってぐらい、見事に引っかかってしまったんだから」
「……」
 もったいぶった思わせぶりな言い方がどうというより、途中に挟まれたあからさまであって何か違うような比喩にシェリダンは一言物申したくなったのだが、相手は皇帝。しかも有益な情報を握っている世界最強の権力者となれば、うっかり機嫌を損ねるわけにもいかない。
 もともとシェリダンは彼女の弟であるハデスの敵であるわけだし。しかし、そのハデスとデメテルは不仲だというから、敵の敵は味方と言う心境なのかもしれないが。
 いや、とそこまで考えてシェリダンはふと目を細めた。
 違う。何かが噛み合わない。歯車が間違っているような気がする。そんな不格好な歯車では、推測が上手く一つの流れとなって機械を動かすに至らない。
 一体何が間違っているのか、しかしそれにシェリダンが思い至る前に、デメテルは話を続けた。
「ドラクル王が前ローゼンティア王ブラムスの実子ではないってことは知ったのよね」
「はい」
「……ええ」
 シェリダンに続き、項垂れたロザリーが悄然とした様子で頷く。そんな彼女をエチエンヌがそっと机の上に握った手を自分の手で包むようにして慰めているのを横目で見ながら、シェリダンは話の続きを待った。
「そう。ならこれはどこまで知っている話かしら。ロゼウス王子が十七年間兄と信じていたドラクル王に虐待され続けていたってことは」
 一見先程の話題と何の脈絡もなく続けられた彼女の言葉の、シェリダンとアンリは内容そのものに反応する。
「!」
「私は話を聞きました。本人から」
 アンリが青褪める横で、シェリダンは平然と話す。
「本人って、ロゼウス王子の方? そっちの王子様も、何か知っているようね」
「お、俺は……」
 なかなか受け入れがたいことではあるが、アンリもそのことを知っている。しかしはっきりと「虐待」とされた言葉に、竦んでしまうのも事実だった。
 アンリの立場もなかなかに複雑だ。ローゼンティア第二王子にして第二王位継承者……だとこれまで信じられてきた。しかし突然の隣国の侵略から日常が一変し、今では兄と弟までが敵に回ってしまったのだから。
 そして例えそれがなくとも、エヴェルシードによるローゼンティア侵略がなかったとしても、それでも充分にアンリの立場は複雑だっただろう。
 ドラクルはアンリにとって、文武両道才色兼備な理想の兄であった。しかしいつからか彼は狂い始め、表沙汰にはできないようなことに手を染め始めた。
 ロゼウスに手を出しているのも、アンリは割りと初期の頃から知っていたのだ。けれど、止めることができなかった。第二王妃であるアンリの母は彼を王位につけたいがためにドラクルを敵視していて、ことあるごとに王太子である彼への攻撃を仕掛けた。そんな理由があるのも含まれて、ドラクルに対してもロゼウスに対してもアンリは心のどこかで負い目が消えない。
 しかし今は、彼の個人的な感情を話している場合でもない。
 シェリダンが彼の知っている「ロゼウス」についてをその声で綴る。交わした会話の数々を、書物になど書きとめずとも彼ははっきりと覚えている。
「私の目に映るロゼウスはどこかつかみどころのない性格でした。しっかりしているように見えて、奥底まで踏み込むとふわふわとしていて地に足がついていない。考えなしともまた違う、彼がそういう風であることを自分で選ばざるを得なかったのが、そのドラクルからの虐待であると知りました」
 兄からの様々な陵辱の数々を、その場その場の甘い言葉を信じて愛情として受けとめたがっていたロゼウス。彼は頭は悪くない。本能的にわかっていたのだろう。自分さえ我慢すれば、全てが上手くいくと。複雑な立場に立っていたドラクルには、その負の感情を受けとめる器が必要だったのだ。
 自分と同じように。
 シェリダンは目を伏せる。他でもない彼自身も、自らの凝り固まった憎しみとどす黒い欲望、焦げるような苛立ちと掬っても掬っても果てなく湧き出る哀しみをぶつける対象としてロゼウスを欲したからだ。どうもロゼウスはそう言った輩に求められる傾向があるらしい。
 ドラクルの素性の全てをまだ明かされたわけではないが、あのエヴェルシードの深い森で、病んだような闇の中彼の語る言葉を聞いて、シェリダンにはなんとなくだがその思いがわかってしまった。
 報われないのに追い求め続けるのは辛いのだろう? それが本来当然与えられるべきものなら尚更。
「ローゼンティア前国王ブラムスは、その双子の弟であるフィリップ=ヴラディスラフ大公と確執を抱えていた。ここまでならよくある王家の闇ですむのだけれど、まずかったのは王弟だけでなく、王妃たちのそれぞれまでもが国王に対して不実だったこと」
 デメテルのその言葉にアンリとロザリーは思わず俯いてしまった。ローゼンティアの三人の王妃は、皆大なり小なり国王であるブラムスを裏切っているらしい。いや、国王であることがどうのというよりも、夫を裏切るのは妻としてどうだろうかと二人は思わず恥じてしまう。
 しかもその夫を裏切る行為の根底にあるのは、結局は権力争いだ。第一王妃クローディアも第二王妃マチルダも、結局は王の寵愛を受けて権力が欲しかっただけだ。ロザリーの母親はそのどちらでもなく第三王妃で貞節と呼ばれたアグネスだが、実際彼女もどうだったのか、今となってはわからない。
デメテルの説明は続く。
「ローゼンティアの玉座を巡って、王弟は王の妃を奪うことを企んだ。妃たちもそれに乗った。十数年の間は確かにそれでよかった。けれど事態は後になって露見する」
 ドラクルは望んで王弟の子に生まれたわけではない。
 しかし、ブラムス王にとってはそれが間違いなく裏切りだったのだという。愛していたはずの息子は、息子ではなかったのだから。
「王はね、ドラクルを虐待していたらしいわよ」
「あ……」
「自らのことでない罪を、そうしてドラクルは一人責められ続けた。その責め苦の重さがやがて国を滅ぼすほどにまで」
 理由もなく狂気に走る生き物などいない。
 シェリダンは苦虫を噛み潰した。
「さて、そこで、自分の責任でもないのに生まれたことを、その存在そのものを咎められ続けた王子はどうしたでしょう」
「復讐に走った」
「そうよ。彼は彼の考えうる、最も皮肉な復讐へと走ったの。すなわち、いつか自分の玉座を奪うことになる真の王太子、それまで弟だと信じてきた王子ロゼウスに、自分が父王にされたことをまた繰り返すこと」
 それが、ロゼウスがドラクルにされたという数々の虐待に繋がる。
「そしてもう一つは、自らが奪われた王位継承権を取り戻す……つまり、ローゼンティアをその手にすること」
 ドラクルに落ち度などない。彼は好き好んで王弟が王妃と密通した際にできた子どもとして生まれたわけではない。
 だが、王はそう見なかった。
「生まれを理由にその咎めを受けるには、彼は有能で純粋過ぎたのかもしれないわね。これが単に権力欲だけで生きる無能者だったなら問題は簡単に済んだのだけれど、生憎とドラクルはそのどちらでもなかった」
 権力への固執と言うよりも王子として、王の子としての存在そのものに拘った彼がとる道はローゼンティアを手に入れること。
 無能ではないドラクルだが、行き過ぎた純粋さは狂気に程近い。誰よりも民の幸福にこだわった男だからこそ、全てを成す際にドラクルからは、民を気遣う心も消えていた。
 その結果があのエヴェルシードとの同盟だ。
「父親への復讐を果たし、ローゼンティアを手に入れる。そのためにドラクル王子はエヴェルシードと手を組んだ。シェリダン王、あなたを上手く利用してね」
 シェリダンは唇を噛み締める。不愉快だがそれは紛うことなき事実だった。シェリダンの持つエヴェルシードの兵力を利用するために、ドラクルはヴラディスラフ大公と自らの名と身分を偽ってシェリダンを騙したのだ。 
 あっさりとそれに乗せられた自分が情けない。
「けれど、その策略こそが逆にドラクル王の仇ともなったわ。エヴェルシード王、あなたがロゼウス王子をローゼンティアから奪ったことで、ドラクル王の計画は狂い始めた」
「あの男の復讐は、ロゼウスがいなければ完成しないものだからですか」
「ええ。そうよ。だからいつまでもロゼウス王子を追いかけ続けるの。彼が欲しいのはただの玉座ではなく、復讐の貫徹。それには、ロゼウス王子がいなくては意味がない」
 ロゼウス自身も選んで王の子に生まれてきたわけではないとはいえ、その存在故にドラクルが玉座を追われたのも事実だった。憎むにはもっとも手っ取り早い相手で、彼をずたずたに引き裂いてこそドラクルの復讐は完成する。
「馬鹿馬鹿しい。言っておくが、私はローゼンティアを侵略したことも、ロゼウスを攫ったことも悪いとは思っていない」
「お前!」
 シェリダンの言葉に、アンリがいきり立つ。慌ててクルスとロザリーが二人の間に割って入った。
「アンリ兄様!」
「シェリダン様!」
 妹に宥められて、アンリは渋々ともとの席につく。しかしシェリダンは涼しい顔のままだ。
「むしろ貴様らの国の事情に我国を巻き込むなと言ったところだ」
「何だと……いきなりの友好条約を破って攻め入ってきたような国が!」
「だから、やめてってばアンリ! シェリダンも! 今はそんな話してる場合じゃないでしょ!」
 これまでは表面上とはいえ何とかやってきたものだが、ここにきて何かが剥がれ始めた。アンリの態度が荒れているのは先程デメテルに振られた話題のせいもあるのだが、そのことには誰も気づかなかった。
 彼らの争いを別に宥める気配もなく、デメテルがシェリダンの言葉の後を引き継ぐ。
「それは確かにそうね」
 引き継いで、そして容赦なく落とす。
「まぁ、私たちが巻き込まれたのはローゼンティアだけでなくエヴェルシード、というよりもエヴェルシード王シェリダン、あなたのせいという面もあるのだけれど」
「な、私が?」
「ええ。あなた自身は気づいていないでしょうけれどね」
 ふぅ、とデメテルはこれ見よがしな溜め息をついて見せるが、シェリダンにはいまいち何のことだかわからない。ハデスのことだろうか。いや、だがどちらかと言えば、シェリダンとハデスの関わりはハデスの方からシェリダンに近づいてきた面が多い。
 真実はそうではなく、そしてそれに触れもしないまま、デメテルははなしを続けていく。
「もう一つ重大な問題を忘れているわ。確かにローゼンティアを簒奪したドラクル王は問題だけれど、けれどそれ以上に問題な人物があの国にはいるでしょう?」
 そうして彼女は、指を二本立ててみせる。
「一人は次代の選定者。ジャスパー=ライマ=ローゼンティア」
 出てきた名前に、集った面々は一度顔を引き締めて皇帝の言葉へと注目する。アンリやロザリーたち家族の者にとっては突然性格が変わってしまったように思えるジャスパー。シェリダンやローラたちにとっては、ほとんど気違いのような面しか見せてない妖しい存在。
 そしてもう一人、とデメテルはついにその名を口にする。
「薔薇の皇帝ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア。この世界に混沌を生み出す、全ての争いの元凶よ」

 ◆◆◆◆◆

 世の中には、どうあっても災いを招く宿命というものがあるらしい。
 例えば「傾国の美女」という言葉がある。国を傾けるほどの美女ということだが、これはなまじ笑い話や舌打ち程度ではすまない大惨事を引き起こす可能性のある存在を示すこともある。
 かつて、ある国にとんでもない美貌を持った女がいたらしい。その女を世界のほとんどの国の王が愛し、あまつさえ彼女をとりあって戦争を起こし幾つもの国が滅びたという伝説だ。
 本人が望むと望まざるとに関わらず、世界に某かの波紋を引きさざるを得ない存在というものは存在する。本来の傾国の美女とはそういうものだ。たかだか一国の王に取り入り媚びて財を使わせる程度の妾など話にもならない程度の、残酷な美を持つ女。
 その話はひとまずおいておくとして、傾国の美女ならずとも他者の運命に関わる存在と言うものはいた。
 ロゼウスは恐らく「それ」なのだろうとデメテルは言う。
「あなたたちはまだ知らないかも知れないから、一つ教えてあげる」
「?」
「セルヴォルファスは滅びたわ」
「!?」
「何ッ!」
 デメテルの言葉に、アンリもシェリダンもその顔にまざまざと驚愕の色を浮かべた。
 セルヴォルファスと言えば、人狼ワーウルフの治める魔族の国。そんな国が簡単に滅びるはずは……。
「本当よ。滅ぼしたのはエヴェルシード。シェリダン王、あなたの妹である現女王カミラを唆したのは、我が弟ハデス」
「カミラと、ハデスが」
「ええ。そして」
 デメテルは一度言葉を切って、室内の全員を見渡してから再び口を開く。
「滅ぼしたのはエヴェルシードだけれど、間接的な崩壊の原因はその王ヴィルヘルムの心を惑わして殺したロゼウス王子」
「ロゼウスが?」
「だが、彼を攫ったのはそのヴィルヘルムだ。自業自得だろう」
「ええ。そうね。そうとも言えるわ。けれど、ヴィルヘルム王はその昔ロゼウス王子と逢っていて、彼の存在を欲したのもそのせい。セルヴォルファス王の暴挙とロゼウス王子は、決して無関係ではないのよ」
 デメテルは一口お茶で喉を潤す。彼女が黙ると、再び語り始めるまで途端に部屋の中が静かになる。
「ロゼウス王子の宿命は『荊の墓標』」
「いばらの……はかじるし?」
「ええ。彼の意志とは関係なく、出会う相手に死と破滅をもたらす。それがあの王子の宿命よ」
 ヴィルヘルムは有能とは言いがたがったが、本来ならセルヴォルファス最後の王族として努めていた彼はそんなにも早く短慮に国を崩壊に導くような人物ではない。そしてドラクルもまた然り。
「ロゼウス王子が醜悪で愚劣な無能王子だったならば、ドラクル王もここまで憎しみを育てなかったでしょう。さっさと彼を殺してでも玉座を奪い、全てを明るみに出されても自分が王位に相応しいことを主張するぐらいのことはするわ」
 それが受け入れられそうなほどに、ドラクルは本来有能なのだそう。
 けれどそれを、ロゼウスは完全に上回るとも言う。
「傾国の美女ならぬ美少年ね。誰も彼もがロゼウス王子に夢中になっていく……ああ、夢中とは少し違うかも知れないわね。人によってはあの美貌と魂の形に、逆に嫌な感じを覚える者もいるらしいから。ハデスが実際そうだしね」
 デメテルの言葉に、何故かクルスが反応した。微かに目を見開いて、居心地悪そうに視線を落とす。彼の近くに座っていたエチエンヌたちは気づいたが、シェリダンはついにそれに気づく事はなかった。
「しかも、彼は次の皇帝」
 デメテルのその言葉には、誰もが反応する。
「皇帝は人を愛してはいけないのよ。愛は人を狂わせるから。だからこそ皇帝は、愛する者を生き返らせることができない」
「……皇帝」
 ロゼウスが、次の皇帝。
「本当なのですか、それは」
「ええ。私が嘘を言ってどうするのよ。それに見たでしょう。あのジャスパー王子の肌にあった選定紋章印を。あれは間違いなく、この世界の支配者を選ぶ証」
 そのジャスパーが選んだロゼウス。
「何故……」
「どうしてかなんて、私も知らないわ。けれど間違いなく、ロゼウス王子は次の皇帝よ」
 呆然とする。
一国の王や王子、王女であったここにいるような面々にとってさえ、皇帝とは雲の上の存在だ。いや実際に現皇帝が目の前にいるのだが、それでも世界にただ一人神の意志によって選ばれる存在が、まさか身近な者だとは誰も思うまい。それも、もとより人格者として聖人として名の知られた人物ではなく、あのロゼウスだ。
 彼は優しいのかも知れないが、間違っても人格者ではないことはこの場にいる面々は知っている。どころか、自分の身近な者以外に対しては、案外容赦ないことも。
「それでも、皇帝なのよ。神の意志は絶対よ。その思惑など、私たち人間に知る事はできないわ」
「……皇帝なのに?」
「皇帝でも。所詮皇帝なんてただの神の代行者だしねぇ。それも政治の代行者であって、それ以外のことは一切適当」
 デメテルはさらりとそう言ってのけた。皇帝というのは全知全能の力を持つといわれるが、実際は気さくな、ただの一人の人間なのかも知れない。
 しかし彼女はそれで良いのかも知れないが、その次の皇帝の事に関しては誰もがまだ受け入れられない。
 ロゼウスが次の皇帝。
 それは彼と親しければ親しいほどに。受け入れられない事実であった。
「……ハデスは、そのことについて何を企んでいる?」
いつの間にか敬語も忘れて、シェリダンはデメテルにそう問いかけていた。デメテルも特に何も言わず、普通に答を返す。
「次の皇帝の誕生は、即ち前皇帝の死を示す。そして選定者は皇帝に殉じる運命にある。あの子が望むのは、その未来を変えることよ。だって、誰だって死にたくないでしょ?」
 あたりまえだと言うように、デメテルは肩を竦めた。
「ハデスは自分が皇帝になりたいようなことを言っていたが?」
「そうね。それもあるでしょうね。何しろあの子は私の姿を直に見ているから。私でも務まる『皇帝』が自分にはできないなんて考えたこともないでしょうね」
「それは、あなたが――」
 何か言いたげに口を開きかけて、結局シェリダンはやめた。ハデスとデメテルのことは、ここでは関係ない。自分が言ってどうなることでもあるまいと、それがシェリダンの口を閉じさせる。
「ハデスはね、人の運命が見えるの」
「知っている。だから《預言者》なのだろう」
「ええ。正確には予言なんてほとんどしたことないんだけれどね。それはあの子が見える未来をぽんぽん口にしてた頃についた綽名よ。けれど最近は見える未来を自分のために活用するハデスは、それを人に伝える事は少なくなったわ」
 どんな形であれ、未来が見える。隠密行動にはもってこいの能力だが、意外と使い勝手は悪いのだという。制限が多くて不確かだとか。
 けれど見える未来が不確かだということは、逆に言えば未来は確実ではないということだ。
 それは同時に未来を変える事ができることを意味する。
「ハデスは運命を変えたいのよ。ロゼウス王子が皇帝になる運命を。自身が死ぬ運命を」
 そして、彼女自身が説明した通り、次代皇帝ロゼウスのその存在によってすでに死を宣告されているデメテルは視線を一人へと絞った。
 ひたむきな眼差しは、シェリダンへと向けられていた。
「シェリダン=ヴラド=エヴェルシード」
 ロゼウスの宿命は、荊の墓標。
 出会う者に死と破滅をもたらすのだという。
「あなたが、彼の運命を握る鍵よ」


181

「シェリダン=ヴラド=エヴェルシード。あなたが、彼の運命を握る鍵よ」
 デメテルの言葉は、鋭くシェリダンの胸を突き刺した。
 が、それも彼女の次の台詞を聞くまでだ。
「まぁ、それはおいておいて」
「おいとくのか!」
 今更だが、相手は皇帝である。世界皇帝デメテルは、神の代行者と呼ばれる世界一の権力者である。
 その相手に、シェリダンは思わず突っ込む。あんなに思わせぶりな言い方をしておいてなんだそれは! と言いたいのだが思わず口をわなわなと震わせたまま声にならないらしい。
 そんなシェリダンをさらりと見遣って、デメテルはすぐに話を続ける。
「ええ。だってそうじゃないとまたややこしいことになるんだもの。いいから話を聞いてなさい。エヴェルシード王」
 ひらひらと手を振ってシェリダンを宥めるというよりは嗜める。デメテルはどこか、うんざりとしたような態度を見せていた。うんざり? 何にだろうか。
 どうもシェリダンは彼女と相性が悪い気がする。同じような性格である自らの配下、バートリ公爵エルジェーベトとはそうでもないような気がするのだが、デメテルとは気が合わない。こういった女性がそれほど苦手と言うわけでもないはずなのだが。
 いや……もう一人いたか、と彼は考えをなおした。直情型でひとくくりにできるロザリーやミザリーとはまた違ったタイプのローゼンティア王女、ルース。そう言えば彼女とも随分話がしづらかった……。
 自分は女難の相でも出ているのだろうか。シェリダンがふとそんな風に思ったときだった。
「あながち間違ってないわよ。それ」
 まるで心を読んだように、デメテルがはっきりと彼の方に向かってそう言った。
「!」
 ぎょっとする彼の様子を見て、ようやく彼女はシェリダンが先程の思いを口に出していないことに気づいたようだった。あらごめんなさい、と軽く謝る声には、明らかに誠意の欠片もない。
「まぁ、エヴェルシード王の女運の悪さなんて今更話題にしたところでどうなるわけでもないし。ああ、でも少しくらいは関係あるのかしらね」
「……どういう意味だ」
「今にわかるんじゃない」
 やっぱり相性が悪い。のらりくらりとかわされるどころかもはやはっきりと相手にされなくなったシェリダンは、諦めてデメテルが語る「真実」とやらに耳を傾ける。
「私がこれから話す事は、一見あなたたちには何の関係もなく思えるようなことよ」
 むかしむかし、とでも節をつけそうな口調で、彼女は話し始めた。
「この世界の成り立ちは知っているわね」
「世界……帝国のことですか?」
「そうよ。エヴェルシード貴族ユージーン候。ある一つの国を滅ぼして、とある民族が世界統一論の実践を試みて活躍していた時代」
 アケロンティス帝国世界の成り立ちは、世界に暮らすものならば誰もが知っている。シェリダンのような王族だけでなく現皇帝の名前を知らずに皇帝の存在だけを認識している平民たちでも、始皇帝の名だけは一度は聞いたことがあるはずだ。それは国の重要な祭事や式典の際に必ず唱えられる。
 始皇帝、シェスラート=エヴェルシード。
 その名の通り、彼はエヴェルシード人だ。元々は別の国を作っていた民族の、世界帝国を起こすきっかけとなった戦乱時代の中で滅んだ国の王族だったらしい。その彼が帝国を作り、今の世界の形を残した。彼が作った国の一つでもあるエヴェルシードの名は現在にまで残り、他国はその名を唱えるのを忌むのでただ単にシェスラートと呼ぶ事が多い。
 しかしそう言えばデメテルの口からシェスラートという言葉を聞いたことは少ない。こうして顔をつき合わせて話し合うまでにも話題を振ってみたことはあるが、彼女は何故か始皇帝を家名付きで呼ぶ。そこに特に意味を見出していたわけでもなかったのだが違和感があったのを、彼女は今解き明かしてくれるらしい。
「まずは世間一般に流れているお話を繰り返しましょうか? この世界の誰もが知っている物語。小さな子どもたちが、母親から寝物語に聞く昔話」
 母親。その言葉に少しだけ胸が痛んだがシェリダンは無視をした。生後すぐに母が亡くなった彼は、寝物語など聞いた覚えはない。もっとも王族である彼の生れであれば、どうせ母が生きていたとしても寝物語など聞く事はなかったであろうが。
 シェリダンにチラリと一度視線を走らせてから、デメテルは続けた。
「この世界アケロンティスは三千年前まで、今とは全く別々の国々が世界を分割して治めていた。世界が統一された一つのものであるという概念はまだなく、小さな国々は争いの火種に事欠かなかった。神を持ち出しては争い、富を奪い合っては争い」
 しかし、やがて力をつけて台頭してきた一つの国がその争いにいったんは区切りをつけた。
「黒の末裔……その頃はゼルアータ人と呼ばれていた黒髪黒瞳の魔術に優れていた一族は、彼らの国最後の王ヴァルターの苛烈な侵略政策に従って、シュルト大陸のほとんどの国を征服していった」
 デメテルは自らの黒い巻き毛の一房を弄びながら言った。何を隠そう彼女自身が、そのゼルアータ人の末裔である。
 そして、彼女と相対する蒼い髪の少年は。
「ゼルアータ人はしかしやりすぎた。他国に攻め入り富を奪うだけ奪う彼らのやり方に、いつしか虐げられてきた人々の怒りが爆発した。その蜂起した革命軍の先頭に立ったのは、彼らに一番初めに征服された民、ザリューク人」
 ザリューク人とは、今のエヴェルシード人のことである。
 あるいは戦闘能力に優れるかの種族を一番初めに征服した事がゼルアータの敗因なのかもしれない。他国に先んじてかの国に頭をたれることを、彼らはよしとするような民ではなかったのだ。もしもザリュークではない他の民族から侵略し、ザリュークが最後までそれを横目で見ている立場にいたら、もう数十年はゼルアータの栄華は続いたかもしれない。
 そんなことを、三千年後の今話しても仕方のないことだが。
「ザリューク人から沸き起こった革命軍を率いた首領の名を、ロゼッテ=エヴェルシードと言うわ」
「ちょっと待ってください!」
 そこで、これまで大人しく話を聞いていたアンリが口を挟んだ。
「革命軍を率いたのは、後の始皇帝シェスラートではないのですか? 代替わりなどはなく、彼が解放軍、革命軍を作り率いたのだと国では教わりましたが」
 確かに表向きにはそうなっている。シェリダンも帝国史の授業ではそう聞いた。しかし。
「ああ。それは嘘」
「嘘?」
「ええ。っていうのはちょっと違うかもしれないけれど、一言で言ってしまえばロゼッテという人物が後にシェスラートと名を変えたのよ」
「改名ですか」
「ええ」
 アンリの確認に頷くデメテルの声を聞きながら、シェリダンはふと思い出した。そういえば、あの地下書庫の本。名前や立場こそぼかしてはいたが、帝国成立に書いて書かれた、始祖皇帝の側近の名で記されていた本。あれに書かれていた事は。
「エヴェルシードはもう少し事情を知っているのではなくて? 何しろシェスラート=エヴェルシードの生まれた民が作った国だもの。例えば、彼の協力者の話とか」
「ああ。確か始皇帝シェスラートには彼を支えた腹心がいたという。名は、ロゼッテ=ローゼンティ、ア……」
 デメテルに促されて口にした言葉に、シェリダン自身が気づかされる。アンリやロザリーもハッとした。
 世間では始皇帝シェスラートのことばかりが尊ばれ普段は忘れられているが、何も彼は一人で世界を革命したわけではない。当然仲間がいたのだ。そのうちの一人、シェスラートの右腕とも言われる立場にいたのはローゼンティア人だと言われる。
 アンリやロザリーの、そしてここにいないロゼウスの国。
 その側近ロゼッテの名前こそが、先程デメテルが始皇帝の真の名だと口にしたものではなかったか?
 シェスラート=エヴェルシード。
 ロゼッテ=ローゼンティア。
 思い出せ。あの時ハデスはなんと言った?
 ――ただし、シェスラートと言うのは歴史に残る皇帝シェスラート=エヴェルシードのことではなく、本来彼の代わりに皇帝になるはずだったシェスラート=ローゼンティアのことだけれど。
 皇帝になるはずだったというローゼンティア人が一人。同じ名前に違う家名。これは偶然だろうか。いや、そんなはずはない。
「ロゼッテ=エヴェルシード……ロゼッテ=エヴェルシード=ザリューク。それが、現在始皇帝として呼ばれる人物の本当の名前よ。そして彼の側近だったのは、シェスラート=ローゼンティア」
 偶然でなければそれは何らかの意図をもって行われたということになる。
 だが、皇帝がその名前を他者と交換する? 何のために? 表立った歴史には記されていない真実。
 エヴェルシードという男はもともと解放軍の首領として十二分にその名を売っていたはず。確かにロゼッテというのは本来女性名で、もしかしたら理由は本人が女名前を嫌がったという些細なことかもしれない。
けれどそれだけなら、わざわざローゼンティアと名を交換する必要はない。だが。
「交換したと言うのか? お互いの名を」
「ええ」
 「ない」はずのその「必要」が、もしあるというのなら。
「――何のために?」
 それはこの世界の根幹を揺らす出来事。

「《皇帝》になるためよ」

 ◆◆◆◆◆

「どういう意味だ?」
 シェリダンは尋ね返していた。
「言葉通りの意味よ。始皇帝の座は、本来シェスラート=ローゼンティアのものだった。それを、ロゼッテ=エヴェルシードが奪ったの。けれどその時にはすでに《シェスラートが皇帝になる》という神託が広まっていたから、名前を変えたの」
「当人たちの顔は広まっていなかったのか?」
「そのようよ。二人は革命軍の二大実力者で上部の人間は知っていただろうけれど下位の民衆たちは上の人の名前なんか覚えていないわよ」
「ローゼンティアとエヴェルシードという名からするにローゼンティア人とエヴェルシード人で間違いはないと思うが、何故その二つの民族が手を結んでいる?」
「ゼルアータに対抗するために、先頭を切って蜂起したザリューク人ほどではないにしても他の民族も解放戦争に参加していたのよ。シェスラート=ローゼンティアはゼルアータ王の虜となっていたところを、ロゼッテ=エヴェルシードに助けられたの。その恩に報いるためと当時はまだ蔑視が厳しかった吸血鬼族への風当たりを弱めるために解放軍に参加したの。世界の敵であるゼルアータを倒した功労者ともなれば吸血鬼の立場も良くなるでしょうから」
「……」
「目論見は成功したかに見えた。確かにシェスラート=ローゼンティアはゼルアータとの戦争で功績をあげたわ。やりすぎるくらいにね」
 だから《皇帝》に選ばれ、
 そして《皇帝》の座を奪われた。
「ロゼッテ=エヴェルシードはシェスラート=ローゼンティアから皇位を奪うために彼を殺し、そして自らがシェスラート=エヴェルシードを名乗り始めた」
「そうよ」
 デメテルには肯定されたが、シェリダンは自らの口にした言葉に違和感を覚える。
 皇位が欲しくてもともとロゼッテと言う名だった男はシェスラート=ローゼンティアを殺した。本当に?
 もちろんシェリダンは三千年も前の始皇帝とその部下の話など見てきたようには知らない。知らないはずだ。だからもしかしたら同じ組織に所属していたはずでも二人は仲が悪かったのかもしれないと思うのだが、それでも何かおかしいと感じる。
 先程デメテルだとて「シェスラート=エヴェルシードは助けられた恩に報いるためロゼッテ=エヴェルシードの解放軍に参加した」と言っていた。では、ロゼッテ=エヴェルシードが一方的にシェスラート=ローゼンティアを嫌っていたのか。
 ――違う。
 誰かが心の奥底で叫ぶ。
 ――違う!
 必死なその声はまるで悲鳴のよう。
「ところで」
 考え込むシェリダンの思考を引き戻したのは、また先程とは調子を変えたデメテルの言葉だった。
「いちいちロゼッテ=エヴェルシードやらシェスラート=ローゼンティアって言うの面倒だから家名今度から省略するわよ。シェスラートはローゼンティア人、ロゼッテは始皇帝のエヴェルシード人の方ね。いい?」
「あ、ああ」
「で、問題はそのシェスラートの話よ。本物のシェスラート。ロゼッテに殺されて皇位を奪われた男の話」
 デメテルは室内に揃った面々を見廻して、ゆっくりと言った。
「この前のハデスの言葉を、覚えてる?」
 ――ロゼウス=ローゼンティアは、シェスラートの生まれ変わり。
「そう言えば……そんな風に言っていたけれど」
「生まれ変わりって言って、どのくらいわかるかしら?」
「ええと……生き物の魂は例え死んでも不滅で、また新しい命を得て生まれてくるんだって。それが《生まれ変わり》だって、聞いたことがあるわ」
 ロザリーが記憶を手繰り寄せるようにして答えた。何故彼女なのかと言えば、この場で唯一身分の高い女性だからだ。えてしてそう言った立場の女性は流行りの恋愛小説など読みたがるものであり、そう言った小説はこの手の話題には事欠かないらしい。
 一方、本など教科書程度しか読まない男性陣はこの手の話題には疎い。ローラは女性だがそもそも奴隷なので本などろくに読んだこともない。
「そうよ。魂は消滅せずにまた新たなる人物として生まれ変わってくる」
「ロゼウスはじゃあ、そのシェスラートの生まれ変わりって、そういうことなの?」
「ええ。彼は始皇帝ロゼッテに殺された彼の解放軍仲間の一人、シェスラート」
 生まれ変わり。輪廻転生。
 言葉はわかっても実感が伴わない。アンリが複雑な表情で口を挟む。
「いや、あの……皇帝陛下」
「何?」
「なんでいきなりそんな話になってるんです? ロゼウスがシェスラート=ローゼンティアの生まれ変わり? でも、普通生き物は前世のことを一切覚えていないはずなのでは?」
 シュルト大陸で一般的に布教されているラクリシオン教の経典には、確かにそのように書かれている。だいたい、いちいちの人生の記憶を持って生まれてくる者などいない。
 しかも、エヴェルシード王城襲撃から長く離れていて久方ぶりの再会がそのように複雑な事態であったため、シェリダンやアンリたちの中では実感がさっぱり伴わない。三千年前の人間の生まれ変わりの実感など伴っても困るが。
「いくら生き物が生まれ変わりを繰り返すとは言っても、いきなり生まれる前の人生の記憶がぽんと目覚めるわけはないでしょう」
「ええ。そうね」
「じゃあなんでロゼウスは、よりにもよってこの状況下で」
「この状況下だからじゃない?」
 デメテルが深く溜め息をついた。そしてまた少しだけ話題を変える。
 否、これまでの彼女はどれも全て、脈絡のない事態や起こったできごとを片っ端から話しているだけのように見えて、実はそのどれもが一本の線となるように繋がっているのだ。
「前世の因縁って、わかる?」
「生前の罪がそのまま引き継がれるという、ラクリシオン教の教えか?」
 今度はシェリダンが答えた。基本的に神など信じたことのないシェリダンだが、一応国王たるものとしては宗教学の知識は豊富だ。信仰心はないが。
「そうよ。因果応報。人間のしたことの報いは必ず還って来る。それが因縁というもの」
 デメテルが彼の言葉に添えて肯定した。他人を殺した人間はいつかその報いに他人に殺されるだろう。
 そして他人に殺された人間は。
「そうか……」
 一同は先程聞いた始皇帝とその部下との事情と照らし合わせ、彼女の言いたいことを理解した。
「シェスラートはロゼッテが憎いんだ……」
 ロゼウスはシェスラートの生まれ変わりなのだと言う。それ自体は恐らく珍しいことではないのだろう。生き物は皆何かの生まれ変わりなのだから。
 しかしここで、そのロゼウスの前世たるシェスラートが目覚めてしまったのが問題だ。普通はありえるはずのないことが起こった。死してなお報われることのない魂が持つ恨み、前世の因縁によって。
 シェスラートはロゼッテに復讐するために甦ってきたのだ。
「ってちょっと待った!」
「何、ロザリー姫」
「一瞬納得しかけたけど、それってやっぱりおかしいわ! どうして《今》なの!? ロゼウスがシェスラートの生まれ変わりでシェスラートが復讐のために記憶を呼び覚ましたのだとしても、この状況でそうなる必要がないじゃない! どうして十年前とか、逆に十年後とかじゃダメだったのかしら?」
 最後は首を傾げて怪訝な顔をしたロザリーとは対照的に、全ての事情を知るデメテルはごくごく冷静に答えた。
「だから《今》、《この状況下》だからでしょう?」
「どういうことですか? 皇帝陛下」
「簡単なことよ、ユージーン侯爵。ロザリー姫の言ったとおり、この状況下でこの事態が派生することには、意味があるのよ。どうして《今》でなければならないのか。それは、《今》やっと条件が揃ったからよ」
「それはロゼウス王子が、次の《皇帝》だということですか?」
 この場で新たに明かされた事実。先日のハデスたちとのやりとりからもわかる、ロゼウスの変貌。シェスラートの生まれ変わりと言うことも重要だが、あの時ハデスはどうもそれよりはロゼウスが次の皇帝だということに注目していたような気がした。
「それもあるわ。いえ、それが条件の半分よ。そしてもう一つは」
 デメテルは白い指をあげると、まっすぐにシェリダンを指差す。シェリダンは思わず彼女の示すとおり自分を指で示した。
「私?」
「ええ」
 全員が注視する中、デメテルは宣告した。
「そこに、ロゼッテ=エヴェルシードの生まれ変わりがいるからよ」
 ――へ?

 ◆◆◆◆◆

 生まれてこの方、不思議体験など何一つしたことがない。
いや、厳密に言えばまったくないと言えば嘘になるだろう。妻は女装の吸血鬼だし、かつての親友はベテラン魔術師、懐刀はもと奴隷の暗殺者で、信頼できる部下は剣豪とレズ公爵。妹に憎まれ命を狙われ挙句の果てには玉座を奪われて国を追われた。なんと世界の支配者たる皇帝の力により、瞬間移動も経験済みだ。
 これだけ濃い面々が集い、そんな毎日を送っているなら世間一般の不思議などあらかた経験していても不思議ではない。現に自分以外の周りの者たちに関しては不思議だらけだ。
 だがいざ自らがその物語の中心にいるのだと考えると、違和感を覚える。
 シェリダン=エヴェルシードはただの人間。それだけがこれまでの人生の全てだった。
 なのに。
「あなたはね、本来皇帝になるはずだったシェスラート=ローゼンティアを殺して自分が皇帝の座を奪った男、ロゼッテ=エヴェルシード、始皇帝の生まれ変わりなの」
 この世で最高の権力者が自らにかける言葉が理解できない。
 否、言葉こそ理解できるがどうもそれに対する実感がわかないのだ。始皇帝? その部下? 入れ替えられた運命? 神聖なる悲劇? 三千年前の出来事など、夢のように現実感がない。
 この生まれ変わりやら皇帝になる運命やらが、ロゼウス一人のものだったならばまだシェリダンも納得できただろう。彼の神秘的な雰囲気には、人の読み取れないものがある。いつもは自分と変わらない齢の少年なのに、ロゼウスは時折シェリダンの手の届かないような表情をする。その彼が皇帝になるべく運命を持って生まれた存在、始皇帝の生まれ変わり、と呼ばれたなら納得だ。
 だが、同じ事を自分に当てはめようとしても無理だ。
 実際に第一王位継承者の立場から昇りつめた位、王ならばまだ無茶ではない。王家に生まれたのは偶然とはいえ、世界には幾つもの国があるのだ。それに国家は当人の努力によって作ることもできる。全く想像できないことはない。
 だが皇帝となると話は別だった。神に選ばれし代行者、始皇帝の生まれ変わりが自分などと言われても、さっぱり実感がわかない。大体皇歴前の話など、もはや御伽噺のようだ。
「嘘だろう?」
「本当よ。ロゼウスの時は信じたのになんでこれは信じないのあんた」
 デメテルに呆れたように言われても、それでもまだシェリダンは納得が行かない。
「私が始皇帝の生まれ変わり?」
 語り草になるような不思議体験の一つもしたことがない、面白味のない普通の少年。
 母譲りの美貌と王の権力を引けば何も残らない、こんなつまらない人間が?
 実際そう思っているのはシェリダンだけなのだが、彼自身は他人にどう思われているかなど関係なく、本当に本気で自らをそう評価していた。
「そうよ。ロゼッテのね。だから本当に皇帝になるはずだったシェスラートに恨まれているの。そしてそのシェスラートは同じく転生者であるロゼウス王子の身体に甦っている」
「な……」
「シェリダン=エヴェルシード、あなたとロゼウス=ローゼンティアは、前世からの因縁で結ばれているわ」
 その時、シェリダンは思い出した。デメテルの力でこの皇帝領にまで連れて来られる寸前、ロゼウスが自分を見ていたあの目。酷い執着と葛藤と、言葉にできない深紅の眼差しがシェリダンを刺し貫いていた。あの眼差しのわけを。
 だが。
「これで大体のことはわかったかしら」
 一通り、自分が知りえるだけの現状の説明を果したデメテルが確認の言葉をあげる。
「……はい」
「ええ」
「まぁ」
「それなりに」
「だいたいわかりました」
「ありがとうございます」
 炎色の瞳を真ん円にしているシェリダンはおいておいて、その場にいる面々は口々に頷いた。明かされた事実の驚愕はともかく、現状にひとまずの理解は追いついた。
 あとは傾向と対策だ。と。
「ちょっと待て!」
 そこで、読めるはずの空気をあえて読まず、頷かなかった最後の一人が話を無理矢理引き戻した。
「何よシェリダン王。のんびりしてる場合じゃ……」
「って事は何か、私は、そのロゼッテとやらの代わりにロゼウスに憎まれているというわけか!?」
「正確には、あなたをロゼッテと考えるように向こうもシェスラートなんだけどね。だからどうしたの?」
「気に入らない」
「……はぁ?」
「気に入らないったら気に入らない。つまり私は、そのロゼッテの身代わりにされているわけだろう」
「……ええ、まぁ」
「気に入らない……あいつは私の――」
 まともに取り合わなければいいのに、何故かデメテルはまともにシェリダンの言葉に答を返してしまった。アンリ以外の面々は次に続く言葉が予測できたような気がして、生温く続きを待った。
「私の奴隷なのに!」
「おい!」
 突っ込み要員は唯一シェリダンの性格をまだ完全には理解していなかったアンリである。ローラ、エチエンヌ、リチャードはもちろん、ロザリー、クルスもこれに関してはおなじみだ。今は休んでいるミザリーとエリサだったらどんな反応を返すかわからないが。
「人の弟勝手に奴隷にするな!」
 こういう時は兄精神豊富なアンリは果敢にもシェリダンに食って掛かるが、相手は聞いちゃあいなかった。親指を端正な口元にあてると爪を噛みながら忌々しげに呟く。
「この私を通して、ロゼウスが前世の男を必要とするなんて不愉快だ」
「いや、だから向こうもシェスラート……」
「どこの馬の骨だか知らないが、私を当て馬にするなど」
「だからあんたの前世は始皇帝……」
「奴は私の、私だけのものなのに」
「あんた人の話聞いてる?」
 暴走するシェリダンに、仕舞いにはデメテルも匙を投げた。そこにちょうどよくエチエンヌが茶を注ぐ。
「あなたたちのご主人様はいつもこんな感じなの?」
「まぁ、大体は」
「苦労するわね……」
 これ以上言っても無駄と判断したデメテルは諦めてお茶を啜り、他の面々も、一人こんな男のもとに一時でも弟を預けてしまったことをアンリが悔いている横で一息つく。
「ロゼウスは私のものだ! 私だとて、あれ以外の者に妙な因縁で望まれてたまるか!」
「はいはい。わかりましたからシェリダン様、落ち着いて」
 エチエンヌがシェリダンを宥めに入る。一息つくにはついたが、このままでは話が進まない。何かいいきっかけはないだろうかと彼が部屋を何気なく見廻した時。
「あれ?」
 それは、窓から入り込んできたのだった。


182

 死者は連れて行けないのね。
 自分以外の、多分仲間でくくられている面々が全てその場から忽然と姿を消した時、サライはそう悟った。
 このままシェスラートとジャスパーと激突するだけの力など、今の自分にはない。彼女はそう思い、デメテルの座標転移による瞬間移動が終了する間際に二人の前から姿を消した。あたかも今の移動で他の者たちと同じく運ばれていったように。
 シェスラートが彼にはじめ与えられていた運命の通り、皇帝の座に着いたならその小細工に誤魔化されることもなかっただろう。けれど、彼は後にその名を譲って『シェスラート』となったロゼッテのようには、皇帝の全てを把握しているわけではない。ロゼウスの中に眠る王者の資質としての力を自由自在には扱えるが、それだけだ。
 どんな理由があろうとも、運命はすでに捻じ曲げられてしまったのだ。いや、単にサライが読み違えただけで、元から彼の命運はあのように定められていただけなのだろうか。
 神の予言を聞くという巫女姫サライにも、その辺りのことはわからない。初めてそれを知った時は、確かにシェスラートが皇帝だと思ったのだ。彼こそが、この世界を治めるのに相応しいと。
 けれど現実には、与えられた運命は変わってしまった。シェスラートはロゼッテに殺され、ロゼッテは彼に呪いをかけられた。その呪いを受けて、ロゼッテは皇帝となった。
 運命は何故変わってしまったのだろうか。
 皇帝となるはずだったシェスラート。皇帝となったロゼッテ。
 そして、ずっと気になり続けていることもある。
「神よ……一体、何をお考えになっているのですか」
 今の皇歴、皇帝制度はサライもその参謀の一人となって、シェスラート亡き後のロゼッテの時代に作られたもの。皇帝となったロゼッテを、サライも、ソードとフィリシア夫妻も懸命に支えた。
 けれどそれでも、ロゼッテの心の孤独は癒されなかった。何かに憑かれたようにバロック大陸にまで侵略の手を広め、最後まで抵抗したチェスアトール王の首を刎ねて見事世界統一を成し遂げたその後も、彼が恐ろしいまでの力でもって帝国世界を作り上げ纏めたのは事実だ。
 彼が帝国世界の基礎を作り上げる。それと同時に、神が選定者に選定紋章印を授けて皇帝を指名させるという儀礼の方も出来上がっていった。シェスラートがロゼッテの選定者であることは、この原理から言えば特例だ。選定者は皇帝に殉じるものだというのに、シェスラートはロゼッテに皇帝位を預けてそのまま死んでしまった。
 神聖悲劇時代の帝国成立に関する事は、文字通り秘話だ。当事者以外誰も知らないし、例え聞いたところでそれぞれの命運を決定づけた彼らの感情の流れなど理解できはしまい。
 それは厳密に言えば今と同じであり、実は全然違う別物とも言える。神が皇帝を選び出し世界を統治させるというやり方を確かに初めに世界に打ち立てたのはロゼッテ=エヴェルシードだ。しかし彼とシェスラートの関係と、今までの皇帝と選定者たちの関係は違う。
 それが、不思議でならない。神は何故そんな風に、ロゼッテが帝国を作り上げるのと同時に世界の方針を定めたのか。何故、解放軍が、いやゼルアータが行動を起こす前の初めから、そうして世界を定めていてくれなかったのか。
 初めから神が全てを決定していてくれれば、そんなことにはならなかったのだ。運命はそんなものよと決定づけられていれば、誰もあがき苦しむことなんてなかったのに。いや……。
「むしろ、それこそが狙いだったというの?」
 草木深い道を歩きいつかのように辿りながら、サライはひとりごちる。
 初めから人間たちに全てを与えはしなかった神の行い。我らは試されていたのだろうか。何をすべきだったのかと。それとも。
「私たちが、運命を選べるというの」
 明日の運命を決めるのは今日一日の行いだ。けれどその日一日の行いで世界は変わるものなのか。
 例え神がそこにいたとしても、運命は……。
 そこでハッとサライは気づいた。
「だから、ロゼッテでなければならなかったの」
 だからシェスラートの死は必要だったとでも言うのか。
「……何だかね。私もちょっと困ったものだけれど、やっぱり重ねてしまうものだし」
 これまでに何度でも同じことを考えてきたはずなのに、今日ほどするすると糸を解くように頭が働いたことはない。これは、やはりあの二人のせいなのか。
 シェスラートの生まれ変わりであるロゼウス。
 ロゼッテの生まれ変わりであるシェリダン。
 生前の、あの悲劇の前の二人をどこか思い起こさせるような二人。本質は共通するものがあるのに、表に出てくる面は正反対で。
 それを考えたとき、ちくりと何かが胸を刺した。それは得体の知れない不安のようなもの。
「まさか……」
 サライの遠い視線の先には、廃教会で休むシェスラートとジャスパーの姿があった。

 死者は連れて来れないのよ。
「だが、それでも身体だけは持ってくるべきだったな」
 シェリダンが厳しい顔をしている。他の面々も似たようなもので、皆一様に険しい表情でその紙面を覗き込んでいた。
 ヴァンピルの一部は、使い魔と呼ばれる蝙蝠を使う。ジャスパーから届けられたその使い魔蝙蝠が運んできた伝言は、いたって簡潔なものだった。

 ウィル=ローゼンティアの命が惜しければ、シェリダン=エヴェルシードを差し出せ。

 かつて始皇帝と呼ばれるはずだった男との、因縁の対決が迫っていた。

 ◆◆◆◆◆

「指示は明日ね。わかったわ。送って行ってあげるわよ」
「まだ何も言っていませんが」
 誰が何を言う前に、まずデメテルがそう言った。しかし、世界で最も優れた頭脳を持つはずの彼女の言葉も、それが一番賢い選択肢だとは思わせなかった。思わず反論しかけたシェリダンの視線を、デメテルはスイと伸ばした指先で補正する。
 ここでウィルを見捨てるならただではおかない、と。そういう顔をしたアンリに。
「……」
「どうやら選択肢はないようよ。エヴェルシード王」
「別にまだ、見捨てると口にしたわけでもありませんが」
「じゃあ助けに行くのね」
「ウィル王子がどうなろうと私の知ったことではない」
 冷たい言葉にカッとしかけたアンリを、ロザリーが飛びついて引き留める。その間にシェリダンは宣言した。
「他の誰が何を考えていようと知らないが、ロゼウスは私のものだ。私は私のものを取り戻しに行く。それだけだ」
「そのついでにまぁ、ウィル王子とかジャスパー王子も盗って来るんですよね。なんたって我らの国エヴェルシードは、『戦って奪え』の国ですから」
 シェリダンの言葉の後を、それまで大人しく話を聞いていたクルスがにっこりと引き取る。呆気にとられたアンリに向かって、この日のために反逆者と呼ばれていた侯爵は言った。
「僕たちエヴェルシードの人間は、決して他人のためになんて動きません。自分で望み、自分で選び、自分で決めます」
 エヴェルシードの前身であるザリュークの民は、暴虐の大国ゼルアータによって搾取され続けたもとは敗者の国。少しでも隙を見せれば全てが持っていかれる強者の法律がまかり通る世界の中、生きる事は戦いそのものだった。
「いつかこんなことになるような気はしてましたが、ついにロゼウス様と全面対決ですね。シェリダン様、どうします?」
「どうもこうも。ロゼウスは私のものなのだから、取り戻す。もともと奴に選択権などない。拒むなら首に縄つけてでも引きずってくるまでだ」
 もともと、やられっ放しで大人しく引き下がるような面々ではない。
 過激な台詞を吐くシェリダンと、そんな彼をにこにこと見守っているクルス、エチエンヌ、ローラ、リチャードの四人。デメテルは口を挟む気はない様子で、アンリ一人がまだ呆然とした状態だ。
「ちょっと、どうしたの兄様? 大丈夫? これ何本?」
「あ、ああ。ロー。指は二本だ」
 ロザリーに話しかけられて、彼はようやく我に帰る。我に帰ったことでようやく、自分が混乱しきっていることを知る。
「〜〜〜〜〜ったく」
「どうした? アンリ王子」
「あんたらなんでそんな堂々としてるんだよ……ロゼウスが、始皇帝候補の生まれ変わりだとか、シェリダン王、あんた自身が始皇帝の生まれ変わりだとかいろいろ言われてんのに」
「何しろ実感が湧かないからな。それに、ここでそれに悩んだところで事態が好転するわけでもないだろう。ロゼウスのことを差し引いてもカミラやドラクルや、問題は山積みなんだ。原因がわかっていることはさっさと解決するに限る」
「だからって……」
 あまりにもこれはこう……軽くないか? そんなアンリの疑問を読み取って、シェリダンは薄く笑う。
 それは穏やかな春のような微笑だった。
「!」
 軽薄そうに見えるが実直、軽いように見えて実は常識人であるアンリは、ドラクルほどの苦難もない代わりに王家の中ではそれなりに苦しんで生きてきた。今だってそうだ。先程の話を誰がどれだけ理解して意識しているのかこの様子では定かではないが、少なくともその全貌を真摯に受け止めて悩んでいるのはアンリだけのようだった。
 どうして誰も彼も、こんなに余裕の表情をしているのだろう。
「あんたたちには……怖いものとかないのか?」
 アンリにはよくわからない。相手はあのロゼウスであり、しかもあの可愛かったはずの弟は次の皇帝なのだという。更に厳密には敵は本当の彼自身ではなく、その肉体を乗っ取った前世の吸血鬼なのだとか。その吸血鬼も前世で始皇帝と因縁があった、それ以上の力を持つ存在で。
 簡単に聞いただけでも、事態はすでに彼らの手に負えないところにあるのではないか。なのに何故、シェリダンたちはこんなにもあっさりとしていられるのだろう。
「怖いものがない?」
 アンリの問に、シェリダンは不思議そうな顔をして答えた。
「怖いものだらけだ。私は」
「え……」
 皇帝とは神の代行者。対して、こちらはアンリやロザリーなどヴァンピルもいるとは言え、ほとんどがただの人間。現皇帝であるデメテルは次代皇帝であるロゼウスのことには口出しできないらしく、傍観を決め込むつもりだという。
 次の皇帝と呼ばれるだけの力を持つ存在と対峙せねばならないというのに、何故ひ弱なただの人間でしかないはずの彼らはこんなにも堂々としているのだろう。
(いや……)
 疑問を掘り進めるうちに不思議がる気持ちの根源に知らず爪を立ててしまったアンリは、そのザリリとした嫌な感覚にそれ以上考えるのを止めた。しかし、探り当ててしまった発掘物の一つはここまで来たらまた元通り埋められはしないと言わんばかりに、彼の心の表面へと浮かび上がる。
(彼らが強いんじゃない……俺が弱いんだ)
 やめろ。考えるな。
 少なくとも今はまだ、その時じゃない。
 気づいてしまったその心に暗いものを押し込めて、アンリはなんとか顔を上げた。
「……どちらにしろ、ウィルを助けなきゃいけないんだ。それにロゼウスと、ジャスパーとも話をしなきゃならない」
「そうよ、アンリ兄様」
 ロザリーがアンリの横に並び、その手を握った。彼よりも十歳年下の妹の方が、よほど強い眼差しをしている。
「もうしばらく力を借りるぞ、エヴェルシード王」
 しばらく、その言葉に果たして今の時点ですでに意味があるのかどうかも疑わしいが、アンリはそう言った。
「ああ。もともとこれは、私が売られた喧嘩だしな」
「ウィルは俺たちが助け出す。ロゼウスだって俺の弟だ」
「ウィル王子とジャスパーに関しては知らないが、ロゼウスのご指名は私だ」
 とりあえずそんな形で、アンリとシェリダンのこの場での静かな対決はいったん閉幕となったようだ。
「話は纏まったところで、じゃあ明日移動するのね。今日はもう解散しましょう」
 デメテルがそう言った。
「そういえば皇帝陛下、少し気になっていたのですが」
「何? まだ何かあるの?」
 これでようやく終わり……いや、明日を思えばむしろこれからが始まりにすぎないのだが、とにかく頭を疲れさせるだけの話し合いなど終わりだと一同が安堵しかけたところで、これまで無害な無表情で部屋の隅に控えていたリチャードが声をあげた。
「あの魔術での移動のことなのですが。確か皇帝にしか使えない方法があるのだと仰っていませんでしたか?」
「ああ。そんなことも言ったかしらね」
「どういうことだか、少し伺ってもよろしいでしょうか。いずれは皇帝になるというロゼウス様の相手をするにも、情報は多いに越した事はないと思うのですが……」
「まだ必要はないと思うわよ? とりあえず、私は明日は死なないわ。そのぐらいはわかっているもの。そして私が死なない限りロゼウスは皇帝にはなれない。まだ皇帝の力は使えない。むしろその方が厄介だと言えるかも……」
「どういう意味でしょう?」
「皇帝は万能ってよく言われるでしょ? でも、あなたたち聞いたことがある? 皇帝が死人を甦らせたって話」
「そういえば……」
 全知全能の力を持つという皇帝のはずなのに、死者を蘇らせることができるとは一度も聞いたことがない。
「皇帝の力っていうのは、一言で言えば『真理を知る』こと」
「真理?」
「ええ。そう。つまり、この世って言うのは定められた熱量が常に保存されている世界であり、皇帝はその熱量を計算することによって人が《奇跡》と呼ぶ様々な現象を引き起こすことができるのよ。だからこの計算ができえるものが皇帝と呼ばれるの」
「?」
 デメテルの言葉に、思わず室内の彼らは一様に疑問符を浮かべて口を噤んだ。彼女が何を言っているのか、さっぱりわからない。
「ん〜〜どう言えばいいのかしら。だから……この前あんたたちをこの皇帝領に連れてきたっていうのも、厳密には連れて来たわけじゃないのよね。ハデスみたいに直接空間を移動したわけじゃなくて、私がすでに把握していたあんたたちの命とか意志とか身体とかそういう熱量の存在する座標をあの場所からこっちに一瞬で書き換えた、というのが正しいのよ」
「何が何やらさっぱりです……」
 彼女の言葉に追いつけず、彼らはすでに理解を諦めた。もともとたいして期待していなかった様子のデメテルも、そこで説明を放棄する。
「真理ってのは神様のようなものなのよ。人間の手には絶対に入らない。だから、皇帝は万能でありながらその力を制限されるの。皇帝は全ての計算式を知っているだけの人間で、私にもできないことはあるから……とにかく、ロゼウス王子の戦闘力だとかそういうことに関しては、あなたたちが知るそのままだってこと」
 最後の方はもう説明する方も聞く方も相互理解を諦めているのでぐだぐだになってしまったが、とりあえず彼女の言葉によって、まだ皇帝でないロゼウスはいきなり彼らの誰も知らないような変則的な攻撃を仕掛けてくることはないことだけはわかった。
 だから、体術、剣術、魔術と言った……予測できる範囲ないでならどんな変則的なことも仕掛けてくるだろうと思えるのが悲しいところだが。
「他に何か質問は?」
「皇帝陛下、あの―――」
「なぁに? シェリダン王」
 一つだけデメテルに聞こうとしたことがあり、シェリダンは思わず声をあげかけた。しかし、いざその黒い瞳に出会うとなると、何故か言葉が出てこなかった。
「いいえ……何でもありません」
「そう? じゃあ、今日はもう明日に備えて休みなさい。あんたたちがロゼウスをなんとかできないと、ハデスがまたあの子に関わって困るのよ」
 情報源として利用されながらも、そちらはそちらでシェリダンたちを利用する気満々のデメテルの言葉を合図に、一同は今度こそ本当に解散する。
 しかし、シェリダンの心には、一欠けらの何かが突き刺さっていた。それが何なのかまでは、まだ今のシェリダンにはうまく言葉という形にできない。
「ロゼウス……」
 知らず零れた名が、不安の只中にある。
よくない感じがする。戦場に出る前のこういった予感は存外当たるものだという経験が尚更シェリダンの焦燥を募らせる。
 胸の奥に引っかかっている不吉な言葉。

 ――皇帝は死者を蘇らせることができない。

 そして吸血鬼は、死者を蘇らせることができる。