055

 で、場所を移り、身内だけが取り残されたわけで。
「どういうことよ!」
「わっ」
 まだ全員が部屋のそこかしこに立ったまま。
 ミザリーは弟の頬を思いっきりはたいた後、ロゼウスの耳を掴んで引っ張った。ロゼウスが何か喚くけれど、聞こえない振りをする。
「あなたはいつから女になったの! ロゼウス!」
「ね、姉様、痛っ、痛い痛い――!」
 そりゃあヴァンピルの力を遺憾なく発揮しているのだ、痛いだろう。ミザリーは他人事のようにそう言った。
「予想外の性格ですね」
「私は納得した。これでこそ、このロゼウスの姉で、あのロザリーの姉だろう」
 二人のエヴェルシード人はそのやりとりを見ながらこそこそと何か言っているが、ミザリーにはしっかり聞こえている。もう一人得体の知れない黒髪黒瞳の少年がいるが、エルジェーベトのもとにも何度か前触れもなく訪れたことのある彼は、こちらのやりとりに一切関与する気はなさそうに気儘に傍観者を決め込んでいた。
「ど、う、い、う、こ、と、よ!」
「だ、だから、国民虐殺と引き換えに俺がシェリダンの妻に……」
「はぁ?」
 ぎりぎりと引っ張った両耳に力を込めながら問えば、意味不明な答が返る。これだからこの第四王子は。
「エヴェルシード王」
「何用だ、ローゼンティア第三王女」
「このお馬鹿さんに聞いても脈絡のある答えは返って来ないので、あなたに直接伺います。これは一体どう言う事? 何故エヴェルシードの人質となったと風の噂で聞いた我が国の第四王子が、女装して私の目の前にいるのかしら」
「簡単なことだ。私はそれが欲しかった。ついでに、鬱陶しい見合い話を蹴りつけるための口実が欲しかった」
「陛下、オブラートに包むって言葉知ってますか?」
 隣に立つ長い髪の青年が諫めるが、歳若い少年の方は全然動じもしない。
 彼こそがエヴェルシード王シェリダン。今年で十七歳になる、侵略者の王。
 彼女たちの国を滅ぼした男。
 とても美しい少年。ロゼウスと同じくらいに……
「男を花嫁にしたくて、女装させて王妃だと名乗らせているわけ? 随分イカレた王様ね」
 自分たちの国に攻め込んできた時点でわかっていた性格についての印象を率直に告げれば、皮肉な微笑が返る。
「そちらこそ、その美しさにも増して素晴らしい性格だ」
「余計なお世話よ」
 ええ、どうせ私は外見しか取り柄がないわ。ミザリーは鼻を鳴らす。その取り柄ですら役にも立たず、性格がわかった時点で離れていく輩が多い。
「あなたたちのせいで、計画が台無しよ」
「計画?」
 耳から手を離した途端、ロゼウスが彼女の前から逃げた。シェリダンの背後に回り、その背中を盾のようにして顔だけを覗かせる。
「……何をやってるんだ、お前は」
「ロゼウス! あなたはどうして、そんな男と馴れ合っているのよ! 私たちの国を滅ぼした相手なのよ!」
「……王子という身分を取っ払って俺個人に関して言わせてもらえば、シェリダンもミザリー姉様も危険度は変わらな……」
「何ですって?」
「い、いえ。何でもありません!」
 完璧にシェリダンの背後に隠れたロゼウスは、ミザリーの眼差しを避けるように彼にしがみついて顔を押し付けている。
「見かけの割に威勢のいいお姫様ですね」
「……クルスを連れてこなくて良かったな。この前といい今回といい、精神的な負担が大きすぎる」
「人を獰猛な珍獣みたいに言わないでくれる!」
「獰猛な珍獣に失礼な。貴様などただのヒステリー女だ」
「誰のせいで、私がヒステリックにならざるをえないと思ってるのよ!」
 エヴェルシード王の見た目だけは綺麗なその顔を睨みながら、ミザリーは足を踏み鳴らす。
「ああもう、ヴァンピルの王妃と言うから、てっきりロザリー辺りが来るものと思っていたのに、どうしてあんたなのよ、ロゼウス!」
「ど、どうしてと言われても」
「連れて来た方がよかったか? ロザリーの方を」
「一緒にいるの!?」
「今は王城にいる。一ヶ月ほど前に単身王都に乗り込んできたのを発見した」
「じゃあロザリーのことも知っているのね!? どうして同じ顔なのにロゼウスの方をわざわざ女装させて妻になんかしているのよ!」
 そう言えば先程、彼女がこの性格だからこそロゼウスとロザリーの姉で納得だと彼は言っていた。
「私は同性愛者だ。男にしか欲情しない」
「この変態!」
「ほっとけ」
「あはははは。やりとりが全然実のないものになってるよ、陛下、殿下」
 ハデスの一言に、ミザリーとシェリダンは同時にぴたりと口を噤む。口を開きあぐねている二人に代わり、ジュダが問題提起の役割を果した。
「聞いてもいいですか? 計画とは何のことです? もしやそれは、もう一人この公爵領にいるはずのローゼンティア王家の方と関係があるのですか。ああ、その前に私は」
「聞いてないわよ誰もあんたの素性なんか」
「ね、姉様」
「ロゼウス! あんたは黙ってらっしゃい!」
「は、はいいぃ」
 名乗りを挙げようとしたイスカリオット伯爵ジュダを無視したミザリーにロゼウスの咎めるような声が飛んだが、そんなものはどうでもいい。
「ま、いいわ。質問には答えてあげる。その通りよ。計画と言うのは、バートリ公爵との取引のこと。王家の者の身柄と引き換えにミカエラを助けようと思ったのだけれど……あんたじゃだめよ、ロゼウス。だってあの公爵はそこの変態陛下と同類で、女にしか興味がないのだもの」
 周りが一瞬、変な顔をした。
「ちょ、ちょっと待って姉様」
「何よ」
「そ、それって……つまり、ここに来たのが俺じゃなかったら、その姉妹の誰かをあの公爵に生贄に差し出す代わりに自分だけ逃げようと考えてたわけ?」
「私にも、そのように聞こえた」
 ロゼウスが困ったような顔で、シェリダンは訝るような表情で尋ねる。
「その通りよ、悪いの?」
「わ、悪いって、 姉様?!」
「何よ、何か文句があるの? 私はあんたと違って力なんか全然ない上に、ミカエラだってここに来てからろくな目に遭ってないのよ! 自己保身を図って何が悪いって言うのよ!」
「ちょっと待った」
 シェリダンがまたもや制止をかける。
「貴様は先ほど、王妃ならばロザリーだと思ったと言ったな、何故だ?」
「簡単なことよ。王女の中ではそこの馬鹿と同じ顔した妹が、私の次ぐらいに美しいから」
「……普通なら男がどんなにしても手に入れたいと願うのは、その妹だと思った?」
「そうよ」
「それで、ほぼ確実にロザリーが来ると思っていながら、やつをバートリ差し出す気だったのか」
「ええ」
「……わかった。事情はわかった。それで、これからどうする気だ」
「ロゼウスをそのまま差し出して、男だとバレない内に逃げるのが一番無難かしら」
「全然無難に聞こえん」
 シェリダンが眉をしかめた。
「お前の望みは、承知した。こちらとしても、ローゼンティア王家の者をバートリの手に握らせておくのは不都合だ。弟王子の奪還には、力を貸す」
「本当に?」
「詳しい話は、また後でにしてくれ。こちらも考えをもう少し纏める。そちらはそちらで、今わかっている限りのバートリの手の内、現状と思惑を纏めてくれ。二時間後に再び話し合いの場を持とう」
 シェリダンの言葉はミザリーをとにかくここから追い出したいようだった。ロゼウスが鬱陶しいくらいにおろおろした様子でそれを見守っている。
 このままでは結局埒が明かないし、ミザリーは頷いた。
「いいわ。ではまた二時間後、ここへ来るわ」
「ああ。待っている」

 ◆◆◆◆◆

 ミザリーが去った後の、シェリダンにあてがわれた客室。
「……とにかく凄い《お姫様》だったな」
「あ、あはははは」
「もしかしてロゼウス、これがあるからあの時複雑な顔だったの?」
「…………」
 ハデスの問いに、ロゼウスは沈黙で答を返す。
 二ヵ月半ぶりに会った姉は……相変わらずだった。
「自分と弟を救うために妹を差し出させるとは凄い性格ですね。いくら異母姉妹だからと言って」
「違う」
 ジュダの勘違いはもっともなことだが、ロゼウスは一応訂正しておく。
「ミザリー姉上とロザリーは異母じゃなく、同母の姉妹なんだ」
「……なんだと?」
「なんですって?」
「ロザリーたちの母御である第三王妃は、身分こそ低くて宮中で大きな顔はできなかったけれど、国王である父上の寵愛は一番深かった。彼女の産んだ子どもは、十三人中六人。第五王子ミカエラ、第七王子ウィル、第一王女アン、第三王女ミザリー、第四王女ロザリー、第六王女エリサ」
「ではあの女は、二親とも同じ血の繋がった自分の実の妹を、レズ公爵の生贄に差し出すつもりだったというのか?」
「……そう」
 シェリダンが不快げに片眉をあげる。
「そこまでロザリーを憎んでいるとでも言うのか……? それに、お前もあの女には随分嫌われてるようだったな」
「……うん。たぶん、男兄妹の中では俺が一番嫌われてると思う。……いろいろあるんだよ、ミザリー姉様にも」
 言葉は平然としていたのに、言いながら、つい視界が滲んだ。
 嫌われている。いつもなら気にならないその言葉が、今日だけは何故か重くて。
「ロゼウス!?」
「王妃様?」
「どしたの王子」
 シェリダン、ジュダ、ハデスの三人がいっせいにこちらを向いた。
「お前、どうしたんだ?」
「あ、あれ? 何でだろ。おかしいな? 何で……何で……」
 きっと昨日見た夢のせいだ。
 ――お前が愛しいよ、ロゼウス。そして大嫌いだ、我が弟よ。
 ――だってお前は現に今、こうして自分の《涙》で溺れかけているじゃないか?
「な、なんかわかんないけど、涙が」
「……陛下、私たちは退散します」
「そうだね。自分の部屋行くよ」
「あ、ああ」
 ジュダとハデスが部屋を出て行った。取り残されたロゼウスとシェリダンだけが所在なげに立っていて、室内にはロゼウスのしゃくりあげる声が響く。
「何でだろ……何で……」
「ロゼウス?」
 声に、幾ばくか優しい響を滲ませてシェリダンに名を呼ばれた。心配されているのがわかる。魂に近い彼の声。
「大丈夫」
 だからロゼウスは聞かれる前に答える。きっとシェリダンは聞かないだろうけど、それでも。
 たぶん彼は基本的に優しいのだろう。優しすぎて……壊れずにはいられなかったんだ。
 いつもは考えないようなことを考え、瞬きして一粒二粒涙の粒を落す。
「なんか、いろいろ溜まってたみたい。ちょっと泣いたらすっきりした」
「……男がそう簡単に泣くものではない」
「男女差別だぞ、それ……いいんだよ、だって今は、ミザリー姉様が言うとおりみっともない女の格好なんだから」
 なんとなく長椅子に座る気がせず、ロゼウスは寝台の端に腰掛けた。後を追って隣に腰を下ろしたシェリダンの指に、顎を捕らえられる。
「……ん」
 頬を流れた涙の跡を、丁寧に舌先で拭われる。鬱陶しい水分が乾いた頃に、唇をこじ開けられた。熱い舌が滑り込む。
「ん……」
 とろんと恍惚にさせるような口づけで、体中を蕩かされる。
「はぁ……」
 脱力してもたれかかったロゼウスの体を腕の中に抱きすくめて、シェリダンが低く囁いた。
「先ほどの話の続きをしてもいいか」
「うん」
「私としては、バートリの思惑もそうだが、あの女の思惑も知っているに越したことはないと考えている」
「俺もそう思う……ミザリー姉様、俺と仲良くないから」
 ローゼンティアが平和だった頃から、会うたびに射殺すような眼差しを向けてきた異母姉のことを思い浮かべた。元々ヒステリー気味とは言われていたのだが、まさかあれほどまでとは。スイッチさえ入らなければ本当に冷静で大人しい女性なのに。
「ミザリーにある色々、とは、何だ?」
「いろいろあるけど……正確には、何もない事がある、って感じだ」
「何もない?」
「……ローゼンティアは他国とあんまり交流がなかったからそんなに知らないと思うけど……王家には十三人の兄妹がいる、王子が七人、王女が六人。それで、ミザリー姉様は、ローゼンティア一の美女だって言われてた」
「そこまでは知っている。以前聞いたからな」
「うん、それでさ……問題は、ミザリー姉様は一番綺麗なお姫様だけど、同時に一番取り柄のない王女でもあったんだ」
「それが、何もない姫、か」
「ああ」
 思い出す。故郷で、家族揃って幸せな日々。けれど、王妃同士はそれぞれ仲が良くなかったので、兄妹の中でもそれなりに小さな集団ができていた。表面上は平和。しかし中身はいろいろ問題がある。それが自分たちローゼンティア王家だったように思える。
「あんまり小さい兄妹はそもそも比べることが失礼かもしれないけど……でも、それでもみんなそれなりに特技があった」
「お前は剣か?」
「そう、単に技術ならあんたに負けてるけど」
 ヴァンピルと人間と言う歴然とした差があるのに、ローゼンティアに侵略してきたシェリダンと剣を合わせたとき、ロゼウスは勝てなかった。シェリダンの剣の腕だって、相当なものだろう。
「あんたは、この国で一、二位を争う剣の名手じゃないのか?」
「……いや? 私より強いやつはいる」
 何故か前半、否定の語尾を上げた疑問系でシェリダンがそう答える。少し引っ掛かったものの、ロゼウスは話を進めた。
「……ミザリーのコンプレックスを刺激するのは、姉妹たちの方だよ。第一王女のアン姉様は、芸術に秀でていたし、目つきがきついせいであんまりそうは見られないけど、実際はミザリー姉様と同じぐらい美人だ。第四王女のロザリーは……あんたも知ってると思うけど、国内でもかなりの強さだった。だから、軍部とか戦士に人気が高かった。本人もあの性格だし」
「スタイルの割に色気はないが、人好きはするだろうな」
「そういうこと。それに、第五王女メアリーは性格庶民とか言われてるけど、その通り料理とか裁縫が得意だった。普通王女って料理しない気がするけどね。俺がお茶を自分で淹れられるのも、メアリーに習ったからだ。第六王女のエリサは、まだ十歳でほんの子どもだけど、やっぱり明るい性格で人気がある」
「対するミザリーはヒス女か」
「特技って、言えるようなものがないんだよね。それで、なんだか毎回アン姉様やロザリーに対抗意識燃やしてる。二人は全然気にしてないけど」
「空回りだな」
「うん……でもその二人は、ミザ姉様と同じくローゼンティア三大美姫って言われてたから。圧倒的に人目を引くのはミザ姉様だけど、そうするとなまじ外見のせいで変に先入観持たれて、決めつけられるのが辛いみたいで」
「……気持ちはわからないでもないがな」
 シェリダンもそういえば、かなりの女顔で綺麗な少年だ。実際に付き合ってみないと、こういう性格だとはわからない、かも知れない。
「何もない姫君、って、確かドラクルが言い出したんだっけ。それを聞くと、姉様にぴたりと当てはまる気がする」
「美貌以外何もない姫君……」
「うん」
 確かそれからだった。ミザリーが、ドラクルはもちろん、ロゼウスのことも敵視するようになったのは。
「だから、仕方がないんだよ」
「仕方がない?」
「うん」
「…………そうか」
 シェリダンが微妙に鼻を鳴らして頷いた。
「仕方が、ないんだ」
 ああ、俺はいつもこの言葉で自分を納得させている気がする。


056

 男の指が肌をまさぐってくる。
 鬱陶しくて気持ち悪くて吐き気すらするけれど、疲れきった体がもう言う事を聞かず、抵抗することもできない。
 ミカエラはただ黙って、男の愛撫を受け続けていた。
「つまらないね」
「あっ」
 キュッ、と玩具でもつまむように乳首を抓られて、思わず声をあげてしまう。その反応に気を良くしたのか、ミカエラを抱きしめる男が、僅かに口元を緩めた。
「かわいいねぇ。ローゼンティアの第五王子殿下、ミカエラ殿下。ちょっと身体が弱くて激しいプレイができないのが難点だけど、それでもそこらの女なんかより、よっぽど可愛いよ、君」
 妙に甘ったるい口調で話しかけてくる男の名は、ルイ=ケルン=バートリ。エヴェルシードの女公爵エルジェーベト=バートリの弟だ。
「姉さんに感謝しなきゃね。君のようなかわいい玩具を譲ってくれたんだから」
 姉である女公爵の歳の離れた弟で、まだ年齢は二十代半ばくらいに見える。優秀な姉のおこぼれに預かって、ろくでもないことばかり覚えているクズ、というのがミカエラの評価だ。
「ふざけるな。……誰がお前の玩具だ。とっととその薄汚い手を離せよ、このクズ。変態」
「王子様のくせに口が悪いんだね、ミカエラ王子。でもそんなところがますます可愛いよ、君」
 ルイは浴びせつくした罵倒を受けても、柳のように飄々としている男だ。
 自慢ではないが、ローゼンティアの王家の中でも一番体が弱く、力もさほど強くないミカエラには、この場から自力で逃げることなどできない。さらに今、彼の足首にはヴァンピルの力を封じる、銀の足枷が嵌められている。
 それをいいことに、この男は、ミカエラがこの城に連れてこられたときから、てんで好き勝手にミカエラを扱っていた。
「お前のような下賎の輩が、この僕に触れるな!」
 整った顔立ちを醜悪に歪める男が伸ばしてきた手を振り払おうと、思い切りはたく。しかし吸血鬼の力を封じられている状態では普段の腕力も発揮できず、やすやすとルイに押さえ込まれてしまう。
「下賎の輩とは、言ってくれるね、ミカエラ」
「呼び捨てやめろ」
「なんで? かわいい名前じゃないか。ミカエラ。まるで女の子みたいだ」
「貴様らの国ではそうかもしれないが、我が国ではミカエラもミカエルも男の名だ」
「ま、どっちだっていいじゃないか、かわいいんだから」
 ふざけているのか頭の螺子がとんでいるのか、ルイはミカエラを押し倒しながら、くだらないやりとりを繰り返す。
「ひあっ」
 もう一度胸を滑る手に先程と同じ場所を抓りあげられて、悲鳴が口をついて出た。
「可愛いよ、こんなところもね。ちょと触ったらすぐに反応して、ほらこんなにぷっくり膨らんで気持ちいいって示してるじゃないか」
「そんなことない!」
「嘘はいけないよ、ミカエラ王子」
「お前のようなクズが、僕の名を呼ぶな!」
「そのクズに犯されて喘いでいたのは、君じゃないか」
「ああっ!」
 ズボンの内側に突っ込まれ下穿きの上からルイの手が股間を撫でる。多少力の込められたその絶妙な加減に、あげたくもない声をあげてしまう。
「い、いやだっ、触るなっ!」
「どうして? そんなこと言ったって、もう反応しかけてるよ? このままじゃ君も辛いでしょう」
 言いながら、ルイはミカエラのズボンに手をかけてずり降ろす。下穿きをずらし、飛び出してきたものを躊躇いもなく口に含んだ。
「あっ」
「可愛いミカエラ王子。こんなところまで、可愛いね」
「なっ……!」
 男として最大級の侮辱発言に、瞬時に顔が燃えるかと思うぐらい熱くなった。
「ふざけるなっ! 貴様!」
 怒鳴って彼の顔を股間から引き剥がそうとするが、ずっと姉の留守を守るという名目で公爵領に引き篭もっているくせに、目の前の男は意外にも力強い。
 やっと口を離したのはミカエラの力ではなく、むしろ彼の意志だった。そそりたつ少年のものを淫猥に嘗め尽くしたあと、唾液の糸を引きながら口を離して途端に余計なことを喋りだす。
「ええ? 本当のことなのになぁ?」
「それ以上言ったら、本気で殺す」
「だって、本当に可愛いじゃないか。顔も美人だけど、君はこんなところまで美人だね。ローゼンティア人って髪が白いから、こんなところの毛まで真っ白なんだねぇ」
「よけいなこと言うなって言ってる!」
 舐められるのも嫌だけど、言葉で遊ばれるのも嫌だ。口を開けばそのたびに余計なことしか言わないこの口を、本気で塞いでしまいたい。
 ミカエラは口を閉じたまま、こっそりと舌で牙の感触を確かめた。
 いくら力が弱いって言っても、ミカエラだってローゼンティアのヴァンピル。それも王家の血筋だ。
 今この場でルイの首筋に噛み付いて血を吸えば、彼を殺すことぐらいできる。
 けれどそれは諸刃の剣。一緒に捕まったミザリーにもそれだけはやめろと止められている。
 ヴァンピルにとって、人間の血は最高の麻薬。飲めばその分だけ力が増すが、代わりに理性を削っていく。一人の人間を殺すぐらい血を一度に飲んだりしたら、ミカエラ自身の自我がどうなるかわからない。
 多量の血液を摂取してそれでも自我を保てるなんて、ローゼンティアでも特殊な血統、ノスフェル家の者ぐらいだ。生憎ミカエラは下級貴族テトリア家の血筋だから、そんな魔力はどうあがいても手に入れられない。
 ……ノスフェル家という言葉で、兄を思い出した。大好きなロゼウス兄様。
「何を考えてるのかなぁ?」
 物思いは、少し背筋をぞくりとさせるほど冷たいルイの声によって遮られた。
「ま、いいや。君が何を考えていようと、関係ないんだよ。君は僕の玩具だもの。かわいいかわいいミカエラ」
「だ、誰がおもちゃ……あっ」
 ミカエラの反論を聞かず、ルイはまたも股間に顔を埋めて、それを舐め始める。口全体を使ってのその行為に、ミカエラもいい加減減らず口を叩いていられない。
「あ……、ひ、あ、あああっ!」
ルイの頭に手をつき、エヴェルシード人特有の蒼い髪を乱しながら、必死で理性を追いあげる快楽と戦う。それでも最後には流されて、憎い男の口の中で達してしまった。
「ふぁ……はぁ、は、はっ」
「相変わらず君のって薄いねぇ」
「だから……余計なことを……」
「まあ、いいや。これだけあれば用は足せるでしょ。ほら、男同士で正常位はツラいんだから、とっととその白くて可愛いお尻を出してよ」
「可愛い言うなっ!」
 ルイはミカエラに命令しながら、その実自分でさっさとミカエラの体を抱えて体位を変えさせた。彼の言うとおり尻を突き出す体勢を取らせられ、死ぬほど恥ずかしいがそうも言っていられない。それに。
「震えてるよ、ミカエラ」
「う、うるさい!」
「まだ怖いの? もう何度目だと思ってるの?」
「……うるさいっ!」
 最後の言葉は、涙声になってしまった。
「うあっ!」
 尻に人肌を感じたと思ったら、ルイの舌が肛門に捻じ込まれた。唾液と先程ミカエラが吐き出した精液を塗りこむようにして、中をかきまわす。
「ひっ、ああ、いや、やだぁ!」
 十分に濡らしたあと、彼の指が突っ込まれた。直腸内をさんざん弄り、この後のためにならす。
「ふ……う、あ、ああ」
「気持ちいい声になってきたね、ミカ」
 前立腺を擦られる悦楽に、身体が勝手に溺れる。
「また泣くの? もう、何度もやってるんだからそんなに痛くないでしょ?」
「あ、ああ……うあぁあ」
 もう返事も悪口も言う事ができず、意味をなさない喘ぎだけを零す。
 この城に連れてこられて、彼に無理矢理引き合わされた。女性すら知らなかったのに、いきなり男同士で、犯された。
「これでも、君は身体が弱いからって、十分に手加減してるんだよ?」
 頬を勝手に涙が滑り落ちていく。快楽と恥辱、溺れることと、譲れない思い。
「じゃ、いくからね」
 胸中で叫んだ助けを呼ぶ声は届かず、ルイはミカエラの尻を掴むと、自分のものをさっさと後ろに当てた。
「うあぁあああああ――」
 身体は快感に溺れても、声にならない痛みが胸を貫いていった。

 ◆◆◆◆◆

 ワイングラスを傾けながら、エルジェーベトは過去を思い出す。今日会った陛下の美しい顔立ちを思い出していたら、十七年前のことが自然と思い出された。あの頃、彼女はまだ十歳少しの子どもだったけれど。
 シェリダンの前の王、ジョナス王は賢君から暴君へと、晩年になるに連れてその評判を落としていく男だった。晩年と言っても享年五十、まだ十分に若い王だったのだが。
 その切っ掛けとなったのは、下町の美しき乙女、ヴァージニア=ヴラド。
 物思いに耽ろうとするところに扉がノックされて、エルジェーベトは相手を入るよう促した。どうせ相手はわかっている。
「どうぞ」
「では、失礼します」
 足音から判断した相手に間違いはなく、ジュダがやって来た。こちらが何も言わないうちから勝手に応接椅子に腰を下ろす。一応エルジェーベトのほうが現在の爵位は上なのだが、この男はそういうのを気にしないところがある。いや、気にしないと言うより、知っていて無視しているのだ。
「血の匂いがするわよ、伯爵」
「ああ、失敗してしまいましたか」
 袖口の赤い染みについて指摘してあげると、飄々とした顔でそれを撫でながら笑う。エルジェーベトはテーブルの上に身を乗り出して、彼の襟を肌蹴た。男にしては綺麗な肌の首筋に紅い痕。続いて晒させた腕には切り傷。
「あの可愛い王妃様と浮気でもしてきたの? 伯爵」
「その言い方はおかしいですよ。私は今のところ誰とも契りを交わしていないのですから、浮気したではなく、浮気させたが正しいのではないですか?」
「まあ。口の減らない男ね。それで、本当はどっちなのよ」
「御名察……と言いたいところですが、違いますよ。あの王妃陛下は、シェリダン陛下以外に見向きもされませんから」
「まあ、立場が立場だと言うのに、仲がよろしいのねぇ」
「ええ。疎ましいくらいに」
 腕を組みながらさらりと言ったジュダの瞳を見て、エルジェーベトはおや、と思う。この男、これまでこんな顔をしていたか。
八年ほど前に惨事を起こし、爵位を降格された青年は長い間虚無の瞳で世の中を面白げもなさそうに見ているだけで、こんな、薄暗い欲望を湛えた瞳などしていなかったはず、と彼女は記憶している。
 彼も、先王が生きていた時代に大きく変わってしまった人間の一人だった。ジョナス王はその腐敗を自分一人で追うだけではなく、周囲の人間にも撒き散らした。金を集め、色事に興じ……シェリダンが即位するまでに確かにそんな時代があって、彼はそんな時代の余波を受けた一人だったと思う。
「昔はこんな風に話すことなんてなかったのにね。どういう心境の変化? 伯」
「何、まだまだ人生長いのだから、もう少し楽しんでみようと思っただけですよ」
「へぇ? それで、あなたも吸血鬼に手出しをしているわけ?」
「ええ。ローゼンティア王家は、美形が多い一族ですからね」
 そこまで一緒か。エルジェーベトは素早く脳内で計算し、相手の思惑を測る。もっとも、予測しようとして予測しきれる相手ではないから、このエルジェーベトより少し年下の伯爵は面白いのだけれど。
 彼の手首にある傷痕は、故意に血を流した痕。それも、近くに牙の痕らしきものも見える。
 すなわち、吸血鬼に血を提供した痕。そして王家の者ということは。
「誰を匿っているの?」
 ローゼンティアを上手く使えば、エルジェーベトたち貴族程度にだって、エヴェルシードの王位がとれる。再興を唆して、その暁にはこちらの目的に協力させることを条件に王城へ攻め入るなど、その気になれば容易いこと。
 もっとも、ローゼンティアに実際攻め込んだエルジェーベトにそんな気はない。
 エルジェーベトは純粋にあの綺麗なミザリー姫と、その弟王子を気にいっただけ。
 彼女があの二人を慰みにすることはともかく、下手に謀反の心を起こしたりしない者を、ローゼンティア侵略の際の派兵にとシェリダンはわざわざ選んだのだから。
 少なくともジョナス王よりは、あの少年は見込みがある。
 エルジェーベトはだから、自分の趣味を邪魔されない限りは少年王についていくつもりだ。放っておいても、シェリダンはそんな国が傾くような間違いはしないだろうし。
 正直、エルジェーベトはエヴェルシードのことなどどうでもいい。夫を亡くし、子どもを亡くしたあの日から全てがどうでもよくなった。
 それでもこんな広い城に一人で閉じこもっているのはつまらないし寂しいから、時々ああやって綺麗な娘を連れてくる。または、今回の戦争のように戦いに赴き、血の高揚の中で自分を忘れる。
 その方が気持ちいい。つらつらと考えごとをするのは、自分の性に合わない。
 本当はもっと気楽に生きていたかった。けれど、それは叶わなかったから。
「竜王子」
「え?」
 ワインを注ぎながら、小さく呟かれたジュダの声に耳を澄ませる。でもその意味がわからない、確かローゼンティアの王子や王女には、その性質を現す異称をつけるとのことだったけれど。
「第一王子、ドラクル殿下ですよ」
「第一王子ぃいいい?」
 エルジェーベトはワインを注ぎ終わると、それを乱暴にジュダに突きつける。赤い液体が白い上着に撥ねて、伯爵が一瞬恨みがましい目つきになるけど気にしない。
「何? どうしてローゼンティア侵攻に出ないで国内でカミラ殿下のご機嫌取りをしてたあなたのところにそんな重要人物がいるのよ」
「簡単です。手を組んだからですよ。殿下と」
 ジュダは何を考えているのか、そんな風にエルジェーベトに手の内をあっさりと晒す。
 もちろん、この男のことだからこれも嘘かもしれないが。ああ、やだやだ。貴族の駆け引きなんて面倒くさいだけで嫌なものだ。
 エルジェーベトはエヴェルシード人らしく戦うのは好きだが、上流貴族の権謀術数なんて得意ではない。ただいつも、心の赴くままに生きてるだけ。
「へぇ? それで、あなたはその第一王子様を使って何をしたいの?」
 ジュダのこの行為を、たぶんシェリダンは知らないのだろう。教えてあげるべきかどうか、迷う。
 しかしエルジェーベトがただ言ったところで、あの少年王に信じてもらえるかどうか。こんなうさんくさい人間でありながら。この男が貴族の中ではユージーン侯爵と同等の重みを持つシェリダン王の懐刀だというのは変わらない。
 この男を追い落としたところで、エルジェーベトに何の利益があるわけでもない。
「まあ、いろいろとしなきゃいけないことはありますし、どこまでがしたいことでどこからがしなきゃいけないことかって線引きをするのは難しいですよ」
「そう? あなたを見ていると、どうもそうでもなさそうだけれど。道化の振りして、あなた案外に自分の事はよくわかっているのではなあい?」
 エルジェーベトが言うと、イスカリオット伯は鼻じろんだ。
「ふん……やはり、あなたは妙なところで鼻が利きますね。エルジェーベト卿」
「それはどうも。それで、私に何を頼みたいの? あなたが私のところに何の用もなく来るわけないものねぇ。バイ伯爵」
「そうですよレズ公爵。あなたにお願いしたいのは……何もしないことですよ。せいぜいあのミザリー姫とでも遊んでいればいいんです」
「そう? でも、ミザリー姫の紹介で今度は王妃様とイイコトをしようと思っていたのだけど」
「ああ、それは……」
 ジュダが何事かいいかけて、口を濁した。
「それは、まあ……その時になればわかるでしょうが……・とにかく、あなたは何があっても、気にしないでいてくれればいいのです」
「ふぅん」
 招いたのはこちらとはいえ、人の城に押しかけておいてなんて勝手な言い草。
 だが好きにすればいい。エルジェーベトは何も気にしないし。この世の全てはどうでもいいのだから。
「ところでエルジェーベト卿、あなたはあのミザリー姫のどこが気にいったんです?」
 腰を上げる前に出されたワインだけは一気飲みし、心底不思議な表情で、部屋を出る直前にジュダが尋ねて来る。
「あの、綺麗だけどからっぽなとこ」
「へぇ……悪趣味のあなたらしい。私だったらあんな女は頼まれてもごめんですが」
「あなたに悪趣味とは言われたくないわね」
 今シェリダン王に仕えている小姓の中に、かつてこの男が飼っていた双子人形がいるというのは有名な話だ。
「まあ、いいと思いますけどね。何もない姫君と、何もしない公爵」
 意味ありげなその言葉だけを置いて、ジュダは部屋を出る。
 私は何もしない公爵。
 わかっているから特にどうということもなく、エルジェーベトは再び血のようなワインを煽った。


057

 ――兄様、兄様。
 呼びかけてくる高い声が懐かしい。見かけも性格も愛らしい弟の声。
 ――お兄様、大好き。
 小さな手で縋り付いてくる。子ども特有の柔らかい体を抱き上げてやると、常と違う高い視線に瞳を輝かせてはしゃぎだす。
 妹がそれをすぐ側で見ていて、彼が少し悪戯心を起こして弟の体を揺すると、喜ぶ本人とは正反対に、我がことの様に顔を青ざめて心配していた。
 ――お兄様。お兄様。お兄様。
 無邪気なその視線が辛くなったのはいつだったか。自分に向けられた笑顔に胸が詰まる思いをさせられるようになったのは。
 そしてこの世の穢れを何一つ知らないようなその魂を、地の底に引きずり落としてずたずたに踏みにじってやりたいと思うようになったのは。
 ――好きなんです。俺は、あなたを……誰よりも、俺自身よりもあなたを愛しています。
 自らそう思わせるように仕向けたとはいえ、必死の告白に心臓が軋んだ。
 柔らかな唇、良い香りのする体。
 私の大切な――薔薇の下の虜囚。
「ドラクル王子」
 呼びかけられて、ドラクルは泡沫の夢から覚醒する。
「カミラ殿下。いかがいたしました?」
「いいえ。ただ眠っているようには見えませんでしたので」
「眠っていましたよ。懐かしい夢を見ていました」
「まあ……あなたでも昔の夢などご覧になるの?」
「どういう意味でしょう? それは」
「だって、過去は過去だと切り捨てて踏みつけてただ目前の理想を追いそうな顔をしていらっしゃるのだもの」
 自分より十以上も幼い少女の言葉に、思わず微笑が零れた。
「……なんですの? 私、何か妙なことを言いました?」
「いいえ。ただ、随分私のことを高く買ってくださるものですから」
 宵闇の濃紫の長い髪と、猫科の獣のような黄金の瞳。美しい少女に笑いかけて、本音を零す。
「過去に執着のない人間が、未来に固執したりしませんよ」
 強く望むものがなければ、人は前に向かって動こうとはしない。
 それは大概が、後悔や叶わない願いだったりするのだ。
 私の後悔は私自身だ。
 そして、あの薔薇の王子。
「イスカリオット伯がバートリ公の城へ赴いたそうですわ」
「ハデス卿から連絡があったのですね」
「ええ。ミザリー姫と何か結託して動いているそうですが」
「ミザリーなぞ放っておけばいいでしょう。あれはしょせん何もない、何も出来ない姫君だ」
「妹君に対して、随分手厳しいのですね」
「事実ですよ。他の姉妹に関しては認めていますし、王子の中でも無能には冷たいですよ、私は」
 手厳しいというカミラの言葉は確かに真実だろう。だが、ドラクルは自分の観察眼を情で曇らせることなどしない。
「何もない女ですが、これでも私はミザリーを愛しているのですよ? 私の可愛い妹ですから」
 そう、彼女は私の妹だ。ミザリーに関してはまだそう思っておいてやる。
 だがドラクルと言葉を交わす相手にとっては、ローゼンティア一の美姫などしょせんはどうでもいい相手。
「ロゼウス王子のことは?」
 先程の夢を思い出す。
 ヴァンピル特有の白銀の髪、血のような紅の瞳。
 間違いなくこの世で最も美しいだろう、薔薇の王子。
 彼を弟として慈しんでいたのはいつまでだったか、いつから、憎しみを抱くようになったのだったか。
 わかっている。本当はその正確な日付まで。だからこそこうして自らに問いかけては答をなおさらはっきりさせる。来る日の復讐の成就まで。
 ドラクルを苛み続けた父親はもう死んだ。
 残るはお前だけだ……愛しくて憎い、私のロゼウス。
「ロゼウスは完璧な王子ですよ、カミラ殿下」
「まあ」
 ドラクルの言い様に呆れたような顔をする振りで、この愛らしい姫君はその実自らの想い人を褒められたことを喜んでいる。隠そうとして隠し切れないその青さに微笑ましいものを感じながら、ドラクルは続けた。
「剣の腕も、政治能力も。いざと言うときの厳しい決断に向かう志も、人を惹きつけるその空気も全て、彼は完璧な王子です。今まで表に立ったことがありませんから知る者は少ないですが、ローゼンティア王家に彼以上の王子などいませんよ。ロゼウスの天性のものもありますし、剣や内政の技能に関してはこの私がしっかりと教育を施しましたので」
「まあ、それは自画自賛ではありませんか?」
「ふふ、そうですよ。でもあなたも思うでしょう? 彼は完璧だと」
「ええ……それは」
 本当に可愛らしい姫君だ。少し思い込みが激しく熱しやすいが、それを自覚し、自分を抑える有能な補佐を側に置けば、強い意志を持つ、良い為政者となれるだろう。
 破滅を望む彼女の兄、シェリダン王などよりよほど。
 ロゼウスの花嫁としても、こう言ったタイプが適当だ。あてがえばお互いの浅はかな情熱によって支えあう、完璧な一対となるだろう。
 しかし残念だがカミラ殿下。あなたにロゼウスを渡してやるわけにはいかない。
 あれは永遠に私のもの。このドラクルのものなのだから。
 どんなに突き放しても絶望に突き落としても苦しみを味わわせても、あの子は私から離れられない。
 私なしでロゼウスが生きることなどできない。
 そういう風に、教育を施したのだ。その体の全てに私を刻みつけ心の奥底まで私を焼き付けた。あの子が私から逃れられるはずはない。
 たとえシェリダン王がどのような人間であろうと、ドラクルからあの子を完全に引き離すことはできないだろう。
 目の前の少女と少しだけ似た顔立ちの彼女の兄を思い浮かべ、彼は口元にこっそりと笑みをはく。
 シェリダンにロゼウスを預けておくのも、あと少しの話だ。
 そのためには下準備が必要だと思ったところで、視界を塞がれた。手が回り暗くなる一瞬前に、カミラが顔を曇らせるのが見えたことで、相手はわかる。そもそもドラクルにこのようなことをする相手など一人しかいないが。
「首尾はどうです? ハデス卿」
「あれ、なんだすぐにバレちゃったね。君の指示通りエルジェーベト卿に入れ知恵をして、シェリダン王たちを彼女の城に向かわせたよ。って、そこのカミラ姫から聞いているはずでしょ?」
 皇帝陛下の弟閣下はドラクルの視界から手をどけた。そのまま背後から首筋に抱きついて、簡単に報告をする。
「ええ。そこから先を」
「先と言ってもねぇ。ミザリー姫がミカエラ王子を取り返すためにエルジェーベト卿と結託したけど、来たのがロゼウス王子だったもんで計画が狂って、さらにはその計画をミザリー姫はロゼウスたちにぶちまけちゃったくらいかな」
「おやおや。言ってしまったんですか、あの子は」
「うん」
「だからミザリーは策士には向かないというのですよ」
「そうだろうね。でもまだエルジェーベト卿にはバラしてないし、計画は続行する気みたいだよ。ロゼウスを生贄に、ミカエラ王子を取り戻す」
「やれやれ、あの子にも困ったものだな。それではミカエラの怒りを買うだけだろうに」
「だろうね。で、僕らはどうするの?」
 ハデスの問に、ドラクルは彼の腕を取ることで答えた。
「連れて行ってください。バートリ公爵の城に」
「いいの?」
「ええ」
 久しく会っていない弟の顔を思い浮かべる。
「そろそろ、私たちの計画も動かし始めないと」

 ◆◆◆◆◆

「考えてみたんだけど」
 ミザリーの切り出し方は急だった。
 先程の会話から約束の二時間が経過した。再びシェリダンの部屋にやってきたミザリー、どこかへ出かけていた様子だったがその時間には戻って来たハデスとジュダも加えて、五人でこれからの打ち合わせをする。
「やっぱり、バートリ公爵の下にあんた行かせようと思うのよ」
「姉様、酷い」
「いいじゃない。どうせあんた男なんだから、あのレズ公爵は見向きもしないわよ。だいたい、その女装もバレてないしね。ロザリーが来ればあの怪力娘なら手篭めにされる前に自力で逃げ出せると思ったんだけど、よく考えたらその確率はあんたの方が高いわよね」
「え?」
 ミザリーのことだからてっきりあまりそりの合わない妹を本気で人身御供にして自分とミカエラだけ逃げるつもりだと思っていたのだが……一応彼女も彼女なりに考えてはいたらしい。
 確かにヴァンピルの中でも並外れた身体能力を誇るロザリーなら、いくら強いとは言っても人間の女性になど負けないだろう。女性どころか、ここにいるシェリダンを始めエチエンヌ、リチャード、クルスのような凄腕の戦士も瞬殺したくらいだ。
 もともと他国に攫われるほど美しい姫ならロザリーぐらいしか思い浮かばなかった、と言っていたときから何の勝算もなしに計画を温めていたわけではなかったのか、と。ロゼウスは少し姉を見直す。
 一方、ミザリーのロゼウスへの評価は景気悪く下り坂をおりはじめたようだ。
「何よ、その『え?』は。あんた、私がまさか本気で妹を生贄にする気だと思ってたの?」
「いや、だって姉様」
「ちょっと今から公爵と交渉して来ようかしら。あれは使い物にならないただの男ですが、顔だけ見れば女っぽいのでどうぞ剥製にでもしてくださいって」
「わーっ! 姉様、俺が悪かった、悪かったってば!」
 本気で立ち上がりかけた姉をロゼウスは必死で押さえ込み、元通り応接椅子に座らせた。ロゼウスがミザリーの直ぐ隣に座り、正面にシェリダンとハデスが座っている。席が足りないのでジュダはハデスとシェリダンの背後に立っていた。
「じゃあ、王妃陛下が生贄になっている間、私たちの方でその第五王子殿下を奪還すればいいというわけですね」
「そういうこと。問題は、ミカエラがどこに捕まってるかってことなんだけど……これは問題の時に、ロゼウスを引き渡すのと交換で教えてもらうことになってるわ」
「その必要はないと思いますけどね」
「え?」
 ジュダがさらりと、重要なことを口にする。
「この城、ヴァートレイト城でしたっけ。同時代の同じ建築家の作なので私の城と構造がほとんど同じです。だから、どの辺りが捕まえた人質を閉じ込めておくのに適した場所かはわかります。それに、弟殿下は確かルイ様に囚われていると言いましたよね。あの方とは面識があるので、釣れるネタくらい知ってます」
「本当!?」
 ジュダの頼もしい言葉に、ミザリーが顔を輝かせる。その表情に、さすがのジュダが少したじろいだ。ミザリーは少し猜疑心が強くなりすぎていつも険しい顔をしてるけど、こういう風に柔らかい表情をしたときは本当に綺麗だ。……いつもそういう表情でいてくれればいいのに。
「とにかく、ではロゼウスをエルジェーベトの生贄にして、私たちは第五王子の奪還に回るというところまでは決定だな。時刻は」
「今夜、ということになってるわ。私が連れ出すって約束になっていたの。さすがに相手はヴァンピルだから、力を削ぐ薔薇の秘薬と銀の枷をはめて、さらに長旅で疲れているだろう第一日目を襲うって言っていたもの」
「…………用意周到だな」
「もちろん本当に抵抗を封じられちゃ困るから、その辺の調整は、私のほうでなんとか誤魔化すか、取引を持ち出して抵抗しないよう言いくるめた、とかにしようと思っていたの」
「ねぇねぇ王女様、一つ聞きたいんだけど」
 それまでテーブルに頬杖をつき、黙って話を聞いていたハデスがミザリーの方を見ながら、面白そうに問いかける。
「普通、いくら姉と久々に再会したからって、新婚ほやほやの旦那、つまり公爵の上司にもあたる国王陛下がレズで有名なエルジェーベト卿と妻を自分のいないところで会わせるわけはないよね。その辺りはどうなっていたの?」
 純粋な疑問、の割にはハデスが意地悪げに問いかける。
 要は、ロゼウス、もといエヴェルシード王妃が公爵に手篭めにされている間(される気はないが)、夫であるシェリダンをどうやって抑えとく気だったのか、ってことだ。
 その質問を向けられて、ミザリーが急に困ったように勢いをなくす。両手の人差し指を合わせて動揺を露にしながら、もじもじと告げる。
「ええと、そ、それは……」
「うんうん。それは?」
 ハデスは楽しそうだしジュダもどことなく微笑を浮かべているが、シェリダンはそのミザリーの様子に嫌な予感を覚えたのか、眉の辺りを曇らせる。
「わ、私が声をかけて断る男なんていないから、なんとかしなさいって……」
 つまり。
「ミザリー姉様、シェリダンを誘惑する気だったの?」
「わ、私だってまさかエヴェルシード王がこんな真性ホモ変態だなんて思ってなかったわよ!」
「…………」
 シェリダンが無言で怒っている。事実とはいえ、ミザリーの言い方が不愉快らしい。
「はいはい、さらに質問。計画ではあなたがシェリダン王を誘惑することになってた。でも、公爵ですら嫌なのに、いくら若くて綺麗でイイ男だからって、シェリダン王に抱かれるなんてあなたにとっては嫌だよねぇ? どうする気だったの?」
 先程の質問のさらに上を行く質問に、ミザリーはますます困った様子になる。視線を完全にシェリダンからそらし、口元を押さえながら答える。
「いや、だって、私にとってはエヴェルシード王って祖国と両親の仇だし、エルジェーベト卿からは『主君殺されると跡継ぎいないし国を纏めるのが面倒だから殺さないどいてね』って言われてたけど、別に守る義理もないかなぁって……」
「ふぅん」
「へぇ」
「……つまり、私は殺される予定だったというわけだな」
 三人は気づいていないのかもしれないけど、ロゼウスは同じヴァンピルだけに、ミザリーの思惑がわかった。口元をそっと押さえているのは、牙を確かめているのだ。いろいろと煩わしい誓約や負荷があるから最終手段になるけど、どうしようもなくなった時はそれで相手の血を吸うと言う手がヴァンピルにはある。
 そろそろシェリダンの顔色が悪くなる。主に怒りで。
 それにさらに油を注ごうと言うのか、ジュダが追い討ちをかけた。
「ところで、陛下、話を先程に戻しますが」
「どこにだ」
「ルイと面識があるというところまでです。まあ、そういう趣味を持つ者同士ということで付き合いがあるんですが」
 ジュダがこういう風に言う場合、どんな趣味なのかは聞かない方が身のためだ。
「それで、なんだ?」
「ルイをおびき出して第五王子を奪還する手段ってのが、実はあなた様の協力が必要でして」
「……どういうことだ?」
「いえ、レズ公爵の弟はホモ貴族というわけでしてね、あなたがご同類ということで、しかも美貌で知られるエヴェルシード王が会いたいと言えば、あっさり会ってもらえるんじゃないかと思ったわけなんですが」
「……………」
 シェリダン絶句。
 とりあえずロゼウスとミザリーの可愛い弟であるミカエラは、なんとかシェリダンたちに助け出してもらえそうではあるが。


058

 そして、シェリダンたちは今、ジュダの手引きでバートリ公爵エルジェーベト卿の弟、ルイ=ケルン=バートリに引き合わされるところだ。
 正確には、その彼が囲っているローゼンティアの第五王子殿下に。何とかして彼の姿を出させるところまでもっていかねばならないと思っていたのだが、意外とあっさりそれは叶った。
「いやあ、本当に美しいねぇ、陛下。女の子みたいだ」
 男としては複雑になるしかない台詞にも耐え、努めて平静を、できるならさらに上機嫌な振りまでして、ルイの話にあわせる。
「お褒めいただいてありがとう。お前も良い顔立ちだ」
「陛下のように綺麗な方から、そんなことを言われるなんて光栄ですよ。まさかあなたが、僕と同じ趣味だなんて思いませんでしたけれどねぇ」
 確かに同性愛者同士ということで同じは同じだが……この男とは同じにされたくないような気もする。
 軽く会話を交わしたあと、シェリダンたちは廊下へと出た。
「ところで、あなたが捕らえているという、ローゼンティアの王子とやらを見てみたいのだが」
「え? ああ、ミカエラ王子? 捕らえてるのは僕じゃなくて姉さんだけど、いいですよ。そのぐらいなら。確か陛下は、そのローゼンティアからお妃をもらったのでしたよね」
 ミザリーには姿を隠して、後からついてきてもらっているが……距離によっては聞こえているかもしれない。この会話。ローゼンティアの民に言わせれば、もらったではなく攫ったのが正しいと、どうせあの女は喚き出すのだろう。
 当のロゼウスは今、この場にはいない。エルジェーベトの呼び出しに応じて、彼女のもとへと向かっている。
 こうなってはもう仕方ないので、彼が男であるとバレるのは諦めよう。だが、それがあまりにも早すぎては駄目だ。まさか最後まで気づかれずに乗り切るなどと言うほど楽観視はできないが、とりあえずシェリダンたちが第五王子を取り戻すまではもってもらわないと困る。
「ああ。我妻はローゼンティアの……第四王女だ」
 咄嗟に思いつかなかったとは言え、ロザリーを勝手に妻にしてしまった……。シェリダンは密かに落ち込んだ。
「そうですか。現在姉のもとには世界一の美姫と言われるミザリー姫がいますが、その姫君も美しいのでしょうね。何しろヴァンピルは美形ぞろいだと言いますし」
「ああ、そうだな……これから会いにいく第五王子とやらは、どうだ?」
 そこで、ルイが意味ありげに口元を歪めた。
「ええ――綺麗ですよ。すっごく、可愛いって感じですね」
「可愛い?」
 黙っていれば陶器の人形のように、美しいという形容ならロゼウスにも当てはまる。ロザリーにも。ミザリーにも。だが……可愛い? 確か年齢はシェリダンより二つ下ぐらいだろう? 可愛いという歳か? 二十代半ばのルイから見れば……可愛いという言葉で表すものなのだろうか。
「それは……楽しみだな」
「そうですか。いやぁ、本当に嬉しいなぁ。陛下が僕と同じ趣味だなんて」
「…………」
 ジュダとハデスは今にも笑いそうなのを必死に堪えている。こいつらまで連れてくるのではなかったか。いやしかし、自分と同じ性癖を持つ相手と二人っきりというのも……ええい、早く終われ! 
 そんなことを考えているうちに、目的地へついたようだ。
「ミカ? 僕だけど入るよ――」
 ルイが扉を開けた途端、枕が飛んできた。
「うるさいこのボケっ!! その呼び方やめろって言ってる!!」
 …………さすがあのロゼウスとロザリーとミザリーの弟だ。
 開扉一番枕の洗礼を受けたルイを押しやり、牢獄と言うにはいささか優雅な部屋へと足を踏み入れる。
 ルイの隣に立ち、どうやら寝台に寝転んでいたらしい相手の顔が目に入る位置に行く。病弱と伝え聞くとおり、普段は寝台の上で過ごしているらしい。上半身を起こした向こうからも、シェリダンの顔が見えるはずだ。
「だ……れっ!?」
 始めはわからなかったようだが、後で思い出したか。ローゼンティア侵攻の際、ほとんどの王子は王城に、シェリダンが攻め入った広間に残っていた。彼もその一人なのだろう。次の瞬間、叫ぶ。
「エヴェルシード王!」
 シェリダンは歩き出し、傍らのジュダが動いた。ハデスは扉を開けに行き、そこからミザリーが飛び込んでくる。
「ちょ、ちょっとこれ、どういうことだい? 伯爵ぅ……」
「すいませんね。ルイ。しかしこれも主君の命令なんで」
 ジュダがルイを拘束している。姉であるエルジェーベトに幾つかの領地の統治を任されている弟は、彼が普段からしている道化の振りよりは有能なのだろうが、この国で一、二を争う腕の持ち主であるジュダに勝てるわけもない。
「ミカエラ!」
「ミザリー? ど、どうしてエヴェルシード王が……」
 ミカエラ王子は前触れもなく仇の姿を眼にして驚いたのか、胸に手を当てて必死で呼吸を整えている。その彼にミザリーが縋り付いて、雛を守る親鳥のように、シェリダンを威嚇する。
「これで用件は果したな」
「……ええ」
「なら、さっさとしろ。ロゼウスを迎えに行くぞ」
「ロゼウス兄様がいるの!?」
 何の事情説明も受けていないミカエラが、敵味方も何もかも忘れた様子で詰め寄ってくる。
「教えてくれ! 一体何がどうなっているんだ! どうして、この国の捕虜になったというロゼ兄様が……」
 最近になって何度も直面している問題だが、今回ほどシェリダンが頭を悩ませたこともない。シェリダンとロゼウスの関係はどういう風に説明しても、この王子の弱いらしい心臓を止めそうだ。

 ◆◆◆◆◆

 その頃、ロゼウスはバートリ公爵の部屋にいた。
「よく来たわね。王妃様」
「……ミカエラのこと、ミザリーお姉様から聞いた」
「そう。だったら話は早いでしょうね。私の趣味のことまで、ミザリー姫は話した?」
 ロゼウスは入り口近くに立ち尽くしたまま、応接椅子でワイングラスを傾けている女公爵と言葉を交わす。
 ロゼウスはシェリダンたちがミカエラをエルジェーベトの弟の手から取り戻すまで、なんとか彼女の目を誤魔化して時間を稼がなければならない。この公爵は男には全く興味がないらしいから男だとバレた瞬間に興味をなくされて引き止められなくなるだろうから、できる限りわからないようにしないといけない、らしい。
「一応……」
 近寄ればさすがに男だとバレるだろうから、こうしてできる限り距離をとる。一応ロゼウスのドレスは胸がないことを誤魔化すようにケープ付きだったり、喉仏隠しにチョーカーをつけていたりするのだけれど、やっぱり心許ない。
 しかし女公爵閣下は、それで納得してくれる気はないようだ。
「まあ、こっちにいらっしゃいよ王妃様。そんなところでは、ろくに話もできないわ」
「い、いえ、どうかこのままで……」
「まあ。それでは何も楽しめないじゃないの」
 拗ねたように唇を尖らせた妙齢の女性が、口元に笑みをはいて手招きする。
「おいでなさい。弟君の命が惜しくないの?」
 なんてわかりやすい脅迫だ。ロゼウスはエルジェーベトの正面の席に座る。長椅子の上の、自分の隣の空間を叩いたエルジェーベトは一瞬不満そうな顔をしたが、妥協するらしく頷いた。
「媚薬入りのワインよ。飲む?」
「……いいえ。お酒は、ヴァンピルには利きすぎますので」
「なんだ。つまらないわねぇ。ミザリーはあれでも付き合ってたわよ?」
 それは姉様が兄妹一の酒豪だからです。テトリア家の兄妹はみんな恐ろしく酒に強い。
「ねぇ、妃陛下」
 エルジェーベトがテーブルの向こうから身を乗り出し、鎖骨の辺りに指を伸ばしてくる。
「くだらない前置きはいらないわ。さっさと楽しいことをしましょうよ」
「いえ、むしろ前置きが長い方が……」
「つべこべ言わず、さっさと下になりなさいってば」
 その言葉を聞いたかと思った瞬間には、もう視界が天井を映していた。え? ちょ、待て! 早い、早業だよこの人!
 そして、なにやらロゼウスの様子に不審を抱いたらしく、胸元を乱暴にまさぐり、スカートの中にまで手を突っ込んだ。胸はともかく下に触れて、その顔が思い切り引きつる。ああ、思ったよりもバレるの早かったな……。
「あ、あなた、お、おと――」
「そこまでだ。バートリ公爵エルジェーベト」
 シェリダンの声がして、入り口の辺りが騒がしい。
「ロゼ兄様!」
 ここ数ヶ月聞いていなかったミカエラの声が、ロゼウスの名を呼んだ。
「どうやら」
 エルジェーベトが実につまらなそうな顔で、ロゼウスの上からどく。
「これから、ちょっとした説明会って感じ?」
 なんだかあっさりしすぎている気もするが、計画は成功したらしい。

 ◆◆◆◆◆

 今日も、人買いの男たちに抱かれた。抵抗もしないこちらを殴りつけるのがよほど楽しいのか、体のあちこちに痣ができている。
 すぐに傷の治る吸血鬼とは言え、痛いものは痛いのだ。ジャスパーは牢の中に横たわって、痛みを堪えていた。
 少しでいい。休みたい。
 あんな男たちに全身をまさぐられ穴と言う穴に突っ込まれてよがり狂う自分が惨めだ。奉仕しろと近づけられた男の醜いものを無理矢理口の中に含まされしゃぶらされるのは恥辱だ。
 ジャスパーはヴァンピルだから他の人間の子どもより丈夫だからと、男たちは毎日毎日、飽きもせずジャスパーを犯しに来る。逃げようにもヴァンピルの力を封じる銀の枷がそれを許さない。
 ジャスパーがノスフェル家ほどの力を持つヴァンピルならば、例えば枷の嵌められた足や腕を切って拘束から逃れ、その切れた場所を再び元通りに繋ぎ合わせるなんて荒業もできるだろう。
 だが、ジャスパーのヴァンピルとしての能力はさほど高くないし、過日のエヴェルシード侵略で一度甦ったばかりだ。あの時だって蘇生者がノスフェル家の血を引くルースだったからどうにかなったようなものなのに、これ以上無茶をしたら……どうなるかわからない。
 だからジャスパーは大人しく人買いたちに囚われたまま、昼となく夜となく男たちの玩具になっている。
 痛くて苦しくて恥ずかしくて辛くて、よっぽど死にたいと思ったこともある。あるけれど、ジャスパーは死なない。
 死んでしまったら本当に、どうにもならない。家族にだってもう会えない。何をするにも、自分が無事でいないと始まらないのだ。
 男たちはジャスパーを、来週奴隷市の競売にかけるらしい。だから顔は傷つけるなと、首領が怒鳴っていたのを聞いたし、他の男たちもそう言っていた。
 今でさえ最悪な環境なのに、売りに出されてしまったら自分はどうなるのだろう。
 不安が胸に渦巻く。逃げ出したい。でも逃げられない。いっそ大声で叫んでしまいたいのに、それすらもできない。声が、出ない。
 もう、狂いそうだ。
 狂ってしまったほうが、楽だ。
 誰か助けて。
 でも、誰にも届かない。声が出ない。
「よぉ、王子様」
「……っ」
 また、人買いの男たちの一人がやってきた。組織の中でも特にジャスパーを気にいっているらしい一人で、来週早々に競りにかけなくてもいいだろうと、頭領に何か言っていたくらいだ。結局頭領の決断は変わらなかったらしく、ジャスパーは来週競売にかけられるらしいが。
「お前とこうして楽しめるのももうちょっとだからな。また遊びに来てやったぜ」
 横たわっていたジャスパーは体を起こすより早く男に引きずりあげられていた。銀の首輪に指がかけられて、首が絞まる。呼吸ができなくて苦しい顔を見て、男が下卑た笑みを浮かべる。
「……っ」
「何度見ても綺麗なツラだな、お前。本当、売っちまうのがもったいねぇ……いっそ、俺と一緒に逃げるか? 頭領の目盗んでよ。できなくもねぇんじゃねぇか? お前だって、これだけ毎日抱きに来てんだから、そろそろ俺に気を持ってんじゃねぇのか? ああ?」
 この男は何を言ってるんだろう?
 僕があの人以外を好きになるはずなんてないのに。
「何とか言えよ王子様。ああ、声出ないんだっけ? ……どんな声してんだお前? 聞いてみてぇなぁ……」
 男の指がゆっくりとジャスパーに伸びる。触れられた箇所が粟立つ。背筋に震えが走り、頬が強張る。
「なんだ? まだ俺のことが怖いとか思ってんのか? 最近は優しくしてやってるじゃねぇか? なあ」
 でも最初は、この人買いたちの中で誰よりも楽しんでジャスパーを痛めつけていた。
 怖い。怖いよ。やめろ。やめて。僕に触れるなもう誰も。
 兄様。助けて兄様。ロゼウス……
 白銀の髪に、血のように深い紅の瞳を持つ兄の姿を思い浮かべる。大好きなロゼウス兄様。兄様に会うまでは、僕は。
「―――っ!」
 男がぼろぼろになったジャスパーの服をまくる。
「ん?」
 そして怪訝な声を上げた。
「おい、どうした? この痣?」
 ジャスパーはぎくりとした。これまではよくよく目を凝らさないとわからなかった、腰にある痣が段々と色濃くなってきている。
 これは、この痣は……。
 到底説明できるはずもなく、硬く口を引き結ぶ。
「まあ、いいか。どうせお前は丈夫なヴァンピルだし、すぐに治るだろ」
男は構わずに、露出された肌に舌を這わせる。ヴァンピルの力を銀の枷に封じられた状態では、普通の人間の子ども並みの腕力しかないジャスパーには屈強な男に抵抗できない。
「大人しくしてろよ。すぐに気持ちよくさせてやっからよ」
 勝手なことを言っては、男は犬のようにジャスパーの胸を舐める。入念にねぶられて、下半身が反応し始めるのがわかる。
 恥ずかしい。辛い。いやだ。こんなところで、こんな相手と、こんなことで。なのに、触れられた体の反応は抑えられない。
「……ッ、……」
 やわやわと触れられて、丹田から快感が込み上げる。
 いやだ、いやだいやだいやだ! 
 みっともなくて惨めすぎて狂いたくなる。こんなところでこんな相手に犯されることも、犯されて感じることも。
「気持ちいいのか? じゃあお前も俺によくしてくれよ。なぁ?」
 言って、男が自分のものをジャスパーの口に押し付けてきた。ここで断ると後で酷い目に遭わされると経験が言っている。だから、しぶしぶと口を開いて生臭いそれを受け入れた。
「へへ。やっぱりお前もちょっとは俺に気を許してんだろ?」
 馬鹿な男。救いようのない愚か者。
 ジャスパーを犯す男たちが強要するこの行為を、ジャスパーは決して好き好んでではなく、後で殴られたり鞭で打たれたくないためだけに許してきた。そんなことに気づきもしないで、浮かれている馬鹿な男。
 ぴちゃぺちゃと淫猥な音が牢を満たし、男がやがてジャスパーの口の中で達する。
喉を突かれたジャスパーはむせ返り、荒い息をついておざなりな口淫に疲れきった顎をしばし休める。
 しかし男はそれを待たなかった。
「!?」
「ようし、じゃあそろそろこっちもいけるだろうな」
 無理矢理ジャスパーの足を開かせ、男がのしかかってきた。これから始まることの嫌悪に、全身が強張る。力を抜いた方が楽なのはもうわかっていたけれど、心がどうしても挿入の苦痛と恥辱を拒否するのだ。
 いやだ。いやだ。これ以上はいやだ。
 胸の中で呟いて、でもそれが叶ったことはない。だけど。
「お楽しみ中悪いんだけどさ」
「な、何だお前?!」
 牢の入り口に黒髪の少年が立っていた。
「僕、その子に用があるんだよね。二人っきりにさせてくれない?」
「ふざけんな! 誰が……っ?!」
 少年の言葉に激昂して立ち上がりかけた男の眼の前に、白い手が突き出された。少年が何事か唱えると、それまでジャスパーを組み敷いていた男は自我を失った人形のように虚ろな目になって、何も言わずに牢を出て行った。
 明らかに異常な様子に、ジャスパーは戦慄を覚える。
「さてと」
 邪魔な男を何か怪しげな術で追い払ったその少年は、真っ直ぐにジャスパーへと向かって来る。
「ローゼンティア第六王子、ジャスパー殿下だね」
 彼はジャスパーの名も素性も知っていた。
「!?」
「ああ、声出ないの? ……じゃあ、これで喋れるでしょ」
 彼がジャスパーの喉に触れると一時的に失語状態に陥ったジャスパーの声が戻って来た。
「あ、あなたは……」
「君の痣を確かめに来た者」
 そう言って、彼はジャスパーの、先程の男に乱された服を思い切りまくる。左脇腹の少し下辺りに、先程の男にも指摘された、薄い痣がある。
「……薔薇の皇帝……そう、やっぱりね」
 少年は何かを小さく呟いて、ジャスパーから手を離した。そしてしゃがみ込んで目を合わせ、告げる。
「来週の奴隷市、逃げちゃ駄目だよ?」
 どうにかここから逃亡できないかと図っていたジャスパーの心を見透かすように、彼は告げた。
「いい子でそれを待っていれば、きっと良いことが起こるから」
 それだけ告げると、彼はなんと、ジャスパーの眼の前で姿を消した。あれはまさか、世界でも滅多に使えるものがいないという移動魔術なんだろうか。
「いったい……何が起きてるんだ?」
 自由に声が出るようになった喉をさすり、ジャスパーは少年の言葉を、信じようかと言う気持ちになっていた。


059

「えー、いやぁああ、つまんなぃいいい!」
 この人、っていうかこの姉弟はまともな口調で喋れないのだろうか。
「あーあ、つまんないつまんない。美人王妃って言うから期待したのに男だなんてぇえええ」
 一たび皮を向けばこの女公爵も弟と同じ口調だ。その弟は先程会ったばかりの人物だが。
「と、に、か、く、そういう事情だ。わかったか」
「わかりましたわ。つまり陛下はルイと同じご趣味で、本当は男の王妃様とよろしくやってると」
「やぁ、仲間が増えて嬉しいなぁ」
「…………何故だろう。内容的にはあっているはずなのに首肯を拒否したくなる」
「諦めてくださいよ陛下。客観的に事実を見たら、そこには変態という人生の墓場しか残りませんって」
 バートリ公爵エルジェーベト卿と、その弟のルイに、ロゼウスとシェリダンの関係を説明したところだ。返った答えが前述のようなものだった。
「お兄様が……女装……お兄様が…………ドレス……お兄様が、エヴェルシード王となんて……」
 こちらはこちらで、ロゼウスのすぐ下の弟にあたる第五王子ミカエラが別の世界に行ってしまっている。見間違いではなく、確実に顔色が悪い。
「ま、私はもう何も言わないわ」
 ミカエラより一足早く真実を知ったミザリーは、もう諦めきった様子だ。
 どうにか未遂だったというどうしようもない理由を背景におきつつ、ロゼウスたちはエルジェーベトの私室で話をしている。シェリダンはこの女公爵も自分の懐に抱きこんで手駒とすることに決めたらしい。なんでも、エヴェルシードの貴族では一、二を争う軍事の天才なのだとか。
 それを聞くと、その女公爵が先陣を切って攻め込んだ国の生き残りであるロゼウスは、複雑な気持ちになる。
 だが過ぎたことを嘆いても仕方がない。今は、これからのことを考えないと。
「わかったな。バートリ。貴様の捕らえたこの二人、第三王女と第五王子はもらっていく」
「しかたありませんわねぇ。ま、王宮に行けば会えるってことだから、いいって答にしときますわ。でないと、そこにいるイスカリオット伯に今すぐにでも私たちの首を斬らせるのでしょう?」
 エルジェーベトという人は、やけに諦めが良かった、ロゼウスがこれまで見た、策謀に破れたどんな貴族よりもあっさりと、自らが捕らえた捕虜二人の所有権を主君に譲る。
「それでいい。バートリ女公爵。貴様は祖国に忠実な軍人だ」
「それは光栄ですわ、陛下。ところで私のことは、エルジェーベトでいいとお願いしましたけど」
 これでまた、ロゼウスの秘密を知る者が増えた。
「寂しいけど仕方がないよね。国王陛下の命令だもの。一人寝が辛くなったらぜひ僕のことを呼んでね、ミカエラ」
「絶対に、ない!」
 ルイがミカエラの手をとり、邪険に振り払われている。
「まぁ、ハデス卿に唆された時からなんとなくこうなる予感はしていたのよねぇ。あの人はどこの誰の味方でもないって顔してるけど、私よりは陛下の味方ですものねぇ。陛下はあの方に気にいられてるわ。とても。そう」
 エルジェーベトが今回シェリダンを招待したのは、ハデスの入れ知恵によるものらしい。しかしロゼウスたちを戦慄させたのは、彼女の次の言葉だ。
「皇帝陛下よりも」
 ハデスはシェリダンに肩入れしている。
 その姉であり、世界の支配者である皇帝よりも。
「そんなことはないだろう」
 ひやりと鋭い切っ先を突然突きつけてくるようなエルジェーベトの言葉をかわし、シェリダンはそう言うに留めた。
「どうだかねぇ。だってあの人、口では姉さん大事と言いながら、実際は……」
「口が過ぎるぞエルジェーベト。謀反ととられる」
「ご心配せずともこの辺りでやめておきます。いくら私だって、世界を支配する神たる皇帝に反逆するなんて、そんな大それたことしませんわ。面倒くさいもの」
「面倒くさいだけか……」
 もっと深刻な理由がいろいろありそうなものだが、エルジェーベトの価値観ではそれが一番の重要事らしい。
「ええ。そんな馬鹿正直で真っ直ぐなことをやるのは、あなたのお友達のクルス卿ぐらいのものでしょう。あの可愛い顔した坊や」
「クルスは理由もなく皇帝に反逆などしない」
 裏切りの侯爵・反逆の剣聖と呼ばれるクルス=ユージーン侯爵はロゼウスも知る、良くも悪くもまっすぐな気性だ。世界を治めている皇帝を、私利私欲に任せて害することなどありえない。
「その代わり理由があったらなんでもやりそうよね。ああいうタイプは」
「……エルジェーベト」
「別に、私はクルス卿を馬鹿にしているわけではありませんわよ。ただ、あの方のことを表現するとそうなるだけで」
「……わかっている」
 ロゼウスはシェリダンと言葉を交わすエルジェーベトを静に眺めた。会話は二人が主導であり、ロゼウスやミザリー、ミカエラにルイなどは滅多に話に加わらない。
 だが、外側から見ていると、この女公爵の気性がだんだんと見えてきた。
 鋭すぎる人間観察の手腕。けれど、彼女自身はいつも何も動かない。ただ流れに任せ、欲望に任せ、それが困難になればあっさりと執着のもとすら手放す。自分の部屋の中より外のできごとはまるで知らないような顔をして、そのくせ周りの状況を把握するのは得意らしい。
 彼女の胸の中心には、虚ろな穴が開いている。だからこそ彼女はそれを埋めるために様々なものを観察する。けれど自分から積極的にそれを埋めるわけではない、それほど熱心に欠落の充足を求めているわけではない。
 胸に黒い穴をぽっかりと開けたまま、日々を過ごす。ゆっくりと広がっていくその狂気の穴を、時々の慰みで埋めながら。でも劣化に伴う微々たる修復では、いつまで経ってもその穴が塞がらない。いや。
 彼女は塞ぐことを望んではいないのだ。
「からっぽの公爵」
 考えついた言葉を、思わず口にしていた。
「ロゼウス?」
 ロゼウスの隣に座り正面のエルジェーベトと相対していたシェリダンが、聞きとがめて怪訝な声をあげる。ミザリーもミカエラも声こそあげないが、ロゼウスの様子がおかしいとはおもっているらしい。
 そして当のエルジェーベトは。
「へぇ……」
 エヴェルシード人特有の、橙色の瞳を細めてロゼウスを見ている。この国の人々の橙色の瞳と言うのはとても明るくて温かい色だと思ってはいたけれど、持ち主の性格によって印象は決まるらしい。ロゼウスの周りには温かく冷たい瞳を持つ人ばかりだ。
「……さすが陛下が目をお留めになるだけのことはあるのね、王妃様」
 振る舞いを見ているととても有能とは見えないバートリ公爵。だけれど彼女は、本当はとても優れた人間なのではないだろうか。
 ただ、それを支えるものがない。
 彼女の心の中は、いつもからっぽだ。
「そろそろ、本当にお開きにしましょうよ、陛下」
「エルジェーベト」
「もう夜も遅いわ。夜更かしは美容の大敵なの。あなたたちはぴちぴちの十代美少年だからいいけれど、女は三十を過ぎると衰える一方なのよ」
「そうだねぇ、姉さん最近肌にはりがな……痛っ!」
 余計な口を挟んだルイが耳をひっぱられる。
「ミザリー姫とミカエラ王子には、改めて部屋を用意させたわ。今案内させるわね」
 先程の言葉などまるでなかったように、ごく自然な所作で、彼女は話を終わらせた。だが、最後にロゼウスが部屋を出る際に一言、そっとこんなことを囁かれた。
「女の子じゃないのは残念だけれど、あなたとはまた個人的に、ゆっくりと話してみたいわ」

 ◆◆◆◆◆

「兄様……ロゼウス兄様!」
「ミカエラ……よく、無事で」
 シェリダンの部屋に戻ってすぐ、第五王子ミカエラがロゼウスに抱きつく。ロゼウスもその自分より頭半分低い身体を抱き返す。麗しい兄弟の再会の抱擁だが、見た目としては姉弟だ。
 ミカエラは久しく離れていた兄に再び会えたのがただただ嬉しいという様子で、人懐こい子犬のようにロゼウスに縋り付いている。
「兄様こそ、よくご無事で。兄妹がそろった時にもいらっしゃらず、エヴェルシードの捕虜となったと聞き、ずっと心配しておりました」
「ありがとう、ミカエラ。俺のことより、お前の方は大丈夫なのか? バートリ公爵たちに、酷い事はされなかった?」
 ロゼウスがミザリーよりミカエラと仲がいいと言うのは本当らしい。普通なら一番に心配してしかるべき美貌の姉の事は気にかけず、弟に対しては一番にそれを聞くとは。
「僕の方は……だ、大丈夫です。それよりも―――」
 ルイにされたな、とその様子から窺えた。けれど愛する兄にそれを告げるのは躊躇われるのか、ミカエラは必死に虚勢を張る。
「なんだ? ミカエラ」
 ロゼウスはそのことに気づいているだろうに、優しく見逃す。彼が家族に向ける慈愛深い表情などというものを、始めて見た。ロザリーとはほとんど友人のような対等の関係を築いているように見えるし、ミザリーとは多少そりが合わない様子を見せるロゼウスが、二歳年下の弟に対しきちんと「兄」らしく振舞っている姿など、シェリダンには想像がつかなかったが……。
「兄様、他の兄妹たちは……ローゼンティアの方も……いいえ。それより、まず兄様について教えて下さい。いえ、心中お察しいたします。このような格好をさせられて、どれほど屈辱的でしょうか……。ドラクル、アンリについでローゼンティアの誇る第四王子が、こんな、こんな目に……」
 ロゼウスにきつく抱きついて、その肩越しに第五王子はシェリダンを睨む。
 ロゼウスよりはむしろロザリーに似ている。顔立ちではなく、雰囲気が。顔立ち自体はルイが言ったように、ロゼウスやミザリーのような綺麗系ではなく、可愛い系の顔立ちだ。シェリダンの好みからは少し外れるが、美形の範疇には入る。
 だが、気にいらない。
 この少年は今だってべたべたと、ロゼウスにひっついている。会えなかった分を取り戻すというよりも、普段から四六時中ひっついているのが当然だとでもいうその様子。
 ……不愉快だ。
 「それ」は私のものなのに。
 シェリダンは自分を睨むミカエラの視線を受け流して、すいとその側に歩み寄った。何をする気かと強張った顔で無言のまま問いかけてくる彼を見向きもせず、ロゼウスを抱き寄せる。
「っ、シェリダン?」
「今夜はもう遅い。お前らはさっさと部屋に戻れ」
 ここにいる者全員、ミカエラ、ミザリー、ハデス、ジュダに向けて言い放つ。従者を連れてこなかったのは失敗だったか。リチャードがいればあの職務に忠実な青年は無感動に主命を聞いて、こいつらを追い出すだろうに。
「そうだね。僕はもう寝る。いこっか、イスカリオット伯」
「そうですね。どうせ今宵も陛下もお楽しみでしょうし」
 ハデスとジュダはあっさりしすぎるくらい素直に部屋を出て行く。しかしジュダが遺した台詞に含まれるものを敏感に感じ取って、ミカエラはますます敵意のこもった視線をシェリダンに向けてくる。
「貴様……っ、たかだかひ弱な人間ごときの分際で、お兄様にお手を触れるなど……っ!」
「これはこれは第五王子殿下。結構なお言葉をありがとうございます。そのひ弱な人間に助けられたお方はやはり言う事が違いますね」
「お前……っ!」
「ま、待てよ二人とも」
「やめなさい、ミカエラ。エヴェルシード王も、あまりこの子をからかわないでよ」
「だからそれが嫌なら早く出て行けと言っている」
 ロゼウスを抱いたまま言い捨てれば、ミザリーが溜め息をついた。弟の腕をとり、部屋から連れ出す。
「兄様……っ、そんな男のもとにいないで、どうか僕たちと」
「駄目よ、ミカ。あなたは私と来なさい」
「ミザリー! お前まで、どうして兄様を……っ!」
「いいから。さっさとしなさい。いいのよあれはあれで」
「兄様、兄様っ」
 注目すべきは一体どこか。あの王子、二歳違いのロゼウスに対しては「お兄様」で、六歳も違うミザリーはお前呼ばわりか……。
「あのガキをあまりつけあがらせるな。エルジェーベトから引き取ったとは言え、エヴェルシードの捕虜であることには変わりないのだぞ。しかも、私の手を煩わせてまで」
「ごめん。ミカエラは根はいいこだけど、ちょっと気性が激しくて。一日中寝台に縛り付けられて、鬱憤がたまってるからだと思うんだけど……あんたは俺たちの国を滅ぼした張本人だし」
「ああ、そうだな」
 だからどうしたと言わんばかりに返してやれば、いまだに腕の中のロゼウスが困ったように眉根を寄せる。なんだかこの城についてから、彼はこんな顔をしてばかりだ。
「あの、俺は、ミカエラを変態公爵の手から助けてくれて、感謝はしてるけど」
「ああ、それで?」
「……一応聞きたいんだけど、いくらなんでも、あんたまであの子に手を出したりは……」
 シェリダンは呆気にとられた。何を言っているんだこの馬鹿は。
「私の《妻》はお前だ」
「あ、ああ」
「感謝しているなら、態度で示せ。今日は私にたっぷりと奉仕しろよ」
「…………いつもしてる気がするけど」
 言葉は批難がましいが、その態度はやはりシェリダンに負い目があるということか、いつもと違って大人しい。
「何を、すればいい?」
 軽く俯いて、伏せ目がちにこちらと視線を合わせないようにしながら、頬を真っ赤に染めて問いかけてくる。
 いつもは顔をしかめていたり肉欲処理と割り切っているのか投げ遣りな反応しか事前に見せないロゼウスが、こんな顔で言ってくる事は珍しい。
 抱くのはシェリダンで、抱かれるのはロゼウスの仕事。ローゼンティアの民の命を肩に担う、それが自分の役目だと割り切って、シェリダンが求めれば素直に応じるが決して自分からは誘いをかけて来ないロゼウス。
 いつにない、無防備に恥らう様子に始まる前からぞくりと甘い痺れが背筋をかける。
「こっちだ」
 早々に寝台へと押し倒して、その唇を貪る。熟れきった林檎のような赤い唇からは、けれど果実の味などしない。
 触れ合った瞬間に感じるのは、苦味とも甘みともつかない薔薇の風味だ。さすがに花をその場で毟って食べている姿は体裁が悪いからと、最近は薔薇の花びらを砂糖漬けにしたものを用意させている。生でそのまま食べるのがいいのに、などと始めはぶつぶつ文句も言っていたが、いざ出来上がったものを差し出すと存外口にあったらしい。
 思う存分口腔を犯してから唇を離せば、紅など刷かずとも十分に紅く美しい唇が零れた唾液でべとべとに濡れ、なんとも淫猥な雰囲気を醸し出している。
「……ありがと、シェリダン」
 だけどそんな言葉を聞いたから、一度は覆いかぶさる腕の力を抜いて、まだ服を着たままだが胸と胸を合わせるようにしてその身体に乗り体重を預ける。仰向けの頬のすぐ横に顔を埋めた。
「……あの二人はシアンスレイトに連れて行くぞ」
「……うん、わかってる」
 くぐもった声で言えば、やけにさっぱりとした答が返る。
「私が、お前に対する態度は変えないからな、たとえ奴らの前でも」
「ああ、それでいい」
 足の間に足を置き、両の肩口に手をついて体を起こす。言葉で言えばそんなものだが、実際ほとんど体格の変わらない相手とこれをやるのは辛いはずだ。たぶんロゼウスが下だからこうなるのだろうな。同じ状況だともしかして私だったら耐えられないか?
至近距離で見つめあい、告げる。
「お前は私のものだ」
「ああ、そうだ」
 私の捕虜、私の奴隷、私の妻。
 私のロゼウス。
 少年にしては細い腕がシェリダンの背に回される。涼しげな声が耳元でか細く囁いた。
「なんでも言って。なんでもしてあげるから。あんたの望む事は、なんでも」
 お前は永遠に、私だけのものだ。


060

 ――何でも言って。
 ――何でもしてあげるから。
 ――望む事は何でも。

 肌を柔らかくなぞる優しい愛撫。
 始めの頃に比べて、シェリダンは随分優しくなった。
「ん……」
 耳を噛まれて、思わず声があがる。胸元に伸ばされたシェリダンの手が、蛇のように怪しく蠢いて敏感な箇所を弄る。
 ロゼウスは彼の肩にしがみついて、声を殺す。
「エルジェーベトの許可はとった」
「?」
「声を我慢するな。存分に鳴くがいい」
「だって……近くにミカエラたちが……あっ!」
 それまでゆるゆると撫でられていた胸の先端をきゅっと抓まれて、走った刺激に思わず声が漏れる。口元を僅かに緩めたシェリダンに押し倒されて、寝台に縫いとめられる。
「ん……ふっ……」
 口づけ。執拗で、濃厚な。脳髄までとろけるような、恍惚と官能。
「あ……」
 離れていく唇の感触を名残惜しく思いながら、口の端を伝う糸が切れるのを見る。
 珍しく両者とも裸なので(それが普通だという気もするが)、むき出しの肌が直接触れる。人肌の熱さに不思議な心地よさを覚えながら、頬を辿るシェリダンの指の感覚に身を任せた。
「ロゼウス……」
溜め息のような声でシェリダンがロゼウスの名を呼ぶ。
 ロゼウス。薔薇の下の虜囚。
 ふと、胸の内を痛みのようなものが走りぬけるのを感じる。
「どうした?」
「あ……いや、なんでもない」
 けれどそれはあくまでも痛み「のようなもの」であって、痛みだとは断定できない。ただ、一滴の墨のように、虚しさのようなものが染み渡った。
 その微かな息苦しさを忘れたくて、ロゼウスの方から言葉を発した。
「どうすればいい? 何をしてほしい?」
 何でも言って。何でも。
 どんな酷いことでも……受け入れてあげるから。
「……」
 シェリダンが僅かに眉をしかめたので、ロゼウスは首を傾げた。嫌がって抵抗したり、乱暴だと文句をつけている時ならともかく、従順を目指しているこんな時まで、そんな顔をされるわけがわからない。
「シェリダン?」
「ああ……いや、いい。忘れろ。それより……」
 何を言うつもりだったのか、言葉にしないまま彼はそう言って追求を封じた。その後目をそらして微妙に口を尖らせたところを見ると、不愉快と言うよりも、単に何かに戸惑ったり、困ったりしただけと言った様子らしい。でも、肝心のその内容をロゼウスは知らないままだ。
 この時に、彼が言おうとしていたことに気づいていれば、あるいは未来は変わったのかもしれない。
しかし結局この時のロゼウスは言葉を引き出す暇もなく、代わりのように腕を取られて、昂りかけた彼のものへと触れさせられる。
 ロゼウスは跪いて、それの先端を口に含んだ。口と手で、丁寧な奉仕をする。慣れたやり方だし、今更お互いに戸惑うこともない。
「はっ……」
 目元から頬にかけてを薄っすらと紅く染めたシェリダンの様子を時折窺いながら、舌での愛撫を続ける。ぴちゃぴちゃと卑猥な音を響かせ、同時に指で刺激を与える。
「……くっ」
 予告なしに達したシェリダンの白濁をなんとか飲み込み、彼のものから口を離した。口の端から垂れる雫を手の甲で拭い、僅かに呼吸を荒げるシェリダンが落ち着くのを、身体を起こして待つ。
 彼の頭を胸に抱くようにして少し乱れた藍色の髪に触れ、その指どおりよい感触を楽しむ。
 身体をふれ合わせているのが気持ちいい。髪をかきあげて現れたうなじに触れるだけのような口づけをすると、ぴくりとシェリダンが反応する。
「……ロゼウス」
「え……わぁ!」
 引き剥がされ、肩から寝台に落とされた、膝を割られ、そこにシェリダンが顔を埋める。先程のお返しとばかりに、綺麗な唇を開いてロゼウスのものを舐め始めた。
「ちょっ、やめ……っ!」
「お前にだって少しぐらいはいい思いをさせてやる。いいから黙っていろ。……いや、好きに喘いでいろ」
「ちょっとシェリダ……ぁあん!」
 ぞくぞくと背筋を駆け抜ける快感に、やがては抗議の言葉も出なくなった。言われたままに喘ぐだけになって、妙な気恥ずかしさと悦楽の波に耐える。
 今日のシェリダンはどこかおかしい。いつもだったら何をするにしても、どこか退廃的で嗜虐的で皮肉な色合いが混じるのに、今日のこれは、ただ本当に肌を重ねることだけが目的だと言うような。
 あまりにも優しい手付きに、戸惑いを覚える。何でもしていいと言ったのに、特に何かをしてくる様子もないし。
「ひぁっ……う、あ……ああぁ」
「お前はここが弱いんだな」
 一度口を離してその部位を指で強く押されると、腰が砕けそうに成る程の快感を覚えた。
「ん……んんっ!」
 達した後は全身から力が抜け切ってしまって、ろくに動けもしない。顔に飛び散った白濁を指にとってぺろりと思わせぶりに舐めてから、再びシェリダンが口づけてくる。
 苦い、不愉快な自分の味わいに思わず眉根を寄せると、くすりと笑ったシェリダンがそのまま身体の下に指を差し込んできた。
「あっ」
 具合を確かめるように入り口をなぞられ、もどかしい刺激に言葉が零れる。
 自然に濡れない箇所にいきなり突っ込むようなことをする気もないらしく、彼は自分の指を自分で口に含んだ。指先を舐める姿はどことなく艶美で、ロゼウスは思わずその危うい伏目の表情に見惚れた。
 十分に濡らしてから、再び入り口に差し込む。つぷりと直腸に潜った細い指が、内壁をかき回す。見た目だけ見ていれば綺麗な指だが、実は剣だこがある手だ。その絶妙な感触が、奥の一点を突くと、震えるような痺れが走った。
「っ!」
「ここだな」
 艶やかに笑ったシェリダンがそこを念入りに突くと、えもいえぬ感覚が全身を駆け巡る。
「うあっ」
 二本に増えた指がますます中を弄る。いろいろあって男に慣れた身体は、それだけで呆気なく感じ始めた。一度達して力を失ったものがまた欲望をもたげ始めるのを感じて、熱い息を吐いた。
「……私もそろそろ限界だな」
 呟いたシェリダンに足を抱えられる。男同士で正常位は、よっぽど受け役が腰を高くあげないとできない。シェリダンの肩に両手をかけて、なんとか体勢を安定させる。
「挿れるぞ」
「あっ……!」
 微かな痛みとそれを上回る心地よい圧迫感。一瞬詰まった息を吐き出して身体の強張りを解き、相手が動くに任せる。
「あ、ああっ、あ……っ」
 抜き差しの音が淫猥に響き、奥の方まで硬い熱が支配する。直腸を擦りあげられる快感に、やがて頭が真っ白になっていく。
 達する時の恍惚とそれが終わったときの倦怠感と、軽い眩暈を感じながら息を整え、その合間にシェリダンを見る。
 彼もこちらを見ていた。目と目が合う。
「な、に……?」
「いや……」
 言いよどんだ一瞬後に、性的なもののない、触れるだけの口づけを交わしてきた。
 そして、幾度か聞いたその言葉を、また彼は繰り返し告げる。
「お前は、私のものだ」
「……うん」
 なんだかんだあって今日は疲れたロゼウスは、半ば夢うつつでそれを聞く。
 眠りに堕ちる一瞬前に少しだけ考えた。
 ああ、これは誰の声だったかと。

 ◆◆◆◆◆

 シェリダンに囚われてエヴェルシード《王妃》という立場になってから、どうも人間の生活リズムに体が合わせられてしまった
 窓から離れた寝台だが、部屋の中にカーテンを通してか細い光が差し込んできたのがわかる。暁が近いのだ。
 通常ならヴァンピルはこのぐらいの時間にようやく眠りに入る。吸血鬼の王国ローゼンティアにとって、起きて活動するべきは昼ではなく夜だ。
 陽光がまったく駄目ということはないが、できるだけ浴びない方が望ましい。雨や曇りの昼間なら道をそのまま歩けるが、そうでなかったら日差しから身を庇う薄布が必要だ。
 なのだけれど、最近のロゼウスは真昼間でも普通に外を歩いているし、夜には眠っている。体が勝手にこの生活に慣れてきて、夜明けになればこうして目が覚めてしまう。
 寝台の中で目を開けて、まずはじめに隣で眠るシェリダンの顔が視界に入った。彼はまだ眠っている。ロゼウスと違ってまったくの人間だが、朝には弱いらしい。弱いと言っても国王である身に甘えが許されるわけもなく、よっぽどでない限りはローラやリチャードの手を借りて早起きし、朝議と呼ばれる朝の会議に出ているが。
 でも今彼がいるのは、王城であるシアンスレイトではなく、バートリ公爵エルジェーベト卿の住居たる、ヴァートレイト城。城の主が急ぎの用でもない限り、遅くまで寝ていても構わないのだろう。
 こうして間近で見てみると、シェリダンの美しさがよくわかる。ローゼンティア人にも負けないほど白い肌は滑らかで、藍色の髪も見事な艶だ。普段は印象の強い朱金の瞳も閉じられているから、思いがけず繊細な造作が明らかになる。僅かに開かれた唇から、安らかな寝息が漏れる。
 昨夜の行為の後、そのまま寝てしまったのでロゼウスもシェリダンも裸のままだ。シェリダンの少年らしい、けれど鍛えられて筋肉がついている肩から腕のラインが露になっている。
 そして、背中の癒えない傷も。
 うつ伏せに寝ているその背の赤い鞭の痕を見て、ロゼウスはぞくりとしたものを感じる。
 触れてみたい、と強く感じた。でも何故そう感じるのかわからない。指を伸ばしかけて途中でやめた。触れたら彼は起きるだろうから。
 そしてこの奇妙な気持ちは、言葉になどできない、行動で現してもいけないものなのだと、理由もなく思った。
 ロゼウスは寝台を出る。立ち上がった瞬間、内股をどろりとしたものが伝った。脚を滑り落ちる行為の残滓に、何とも言えない感覚を宿す。
 この二ヶ月ほどで、彼と体を重ねることには慣れた。毎晩のように抱かれていれば、お互いのいいところも知り尽くす。
 なのに、なんだろう。それでもまだ何か、物足りないような感覚を覚えるのだ。
 当たり前だ。だってシェリダンは『彼』ではない。だから満たされるはずもない。
 それがシェリダンのせいではなく、全部自分のせいだということはわかっていた。穴が開いているのはロゼウスの心で、その中に住んでいるのはシェリダンじゃない。
 彼らが、なんとなくでも似ているとは思うけれど。
「…………はぁ」
 極小さい声で溜め息をつき、埒の明かない思考を打ち切って何か脚を拭く物を探す。けれど、勝手のわからない城だ。召し使いを呼ぶわけにはいかないし、こういうとき何とかしてくれそうな面々は今回は一緒に来ていない。
 それにエヴェルシード国内でも特に寒いというバートリ地方は防寒建築も優れているらしく寒さに悩まされることはないが、いつまでも裸でいるわけにはいかない。着替えようとして、服の替えを持ってきていないことに気づいた。今回は本当に突然の訪問だったから、旅行の支度など何一つしていないのだ。
「どうすればいいんだろう……?」
 途方に暮れていると、控えめなノックがした。素っ裸で客を迎えるわけにはいかないが、返事をしないのも躊躇われる。思っていると、その人物は勝手に扉を開けて入ってきた。
「!?」
「あら、殿下」
 ロゼウスは思わずしゃがみ込み股間を隠す……他にどうしろというんだ、この状況で。まだシェリダンが眠る寝台までは大股二歩の距離があるのに。
「エルジェーベト卿」
 無遠慮と言っても差し支えない強引さで入ってきたのは、この城の主であるバートリ公爵その人だった。
「おはようございます」
「まだ、シェリダンは寝てるんだけど……」
 やってきたのが彼女であったことに多少は安心したものの、妙齢のご婦人の前で素っ裸というのもどうかと。しかしエルジェーベトの方は、そんなロゼウスの状態を見越しての訪問らしかった。
「でしょうね。陛下の寝起きが悪いのは一部では有名ですし、処理をしないでそのまま寝てしまうというのもイスカリオット伯から聞きました」
 ……あの人はそんなことまで知ってるのか。
「で、ここにある簡易浴室とは違って、大浴場の方を用意させましたけど? 陛下はよくても殿下はそのままではお嫌でしょう? よろしければ、処理を手伝わせる者もつけますが」
「そ、そこまでして頂かなくても……」
 だけど、大浴場、個室についている浴室ではなく、きちんと足を伸ばせる広さのある浴室という言葉には心が揺らいだ。
「とりあえずお風呂ぐらいは入ってください。僭越ながら着替えも用意させていただきました。ルイの昔の服で悪いのですが」
「あ、ありがとうございます」
 エルジェーベトはロゼウスに薄布一枚被せると、そのまま自分で浴室へと案内してくれた。
「本当ならこのまま処理も手伝って、お背中を流して差し上げたいところですけれど」
「そ、それは……遠慮しておきます」
 豊満な肢体の美女に背中を流させる、普通なら喜ぶべきところなのだろうが、この女公爵はなんとなく怖い。
「あーあ。本当にあなたが女の子だったらよかったのに」
 男に生まれてよかった。この城に来てから何度目かわからないその思いをとくと味わう。
「ま、ではごゆっくり」
 そう告げられて浴室に入ると、出迎えたのは意外な人物だった。
「あれ? ロゼウス?」
「ハデス?」
 まさか言葉通りに処理を手伝わせる人間を寄越したのかと驚いていると、知った声に名を呼ばれた。見れば相手は、エヴェルシードどころかアケロンティス中でも数少ない黒髪黒瞳の少年だ。
「こんな時間に風呂?」
「お互い様だよ。僕はちょっとあっちの弟閣下に声かけられて」
 ……ルイと遊んでいたらしい。
 それはともかくとして、初めてハデスの裸を見たロゼウスは、その右腕に見慣れない模様があることに気づいた。
「なあ、その腕、何?」
「ああ、これ?」
 刺青のように見えた。気を悪くするかと思ったが、ハデスはどうやら気にしていないらしい。湯の中から右腕を上げて、模様を見せる。
「選定紋章印」
「?」
「世界皇帝の選定者の印だよ。この模様が浮き出た者が、皇帝を選ぶ役割を与えられる。そしてこの模様がそのまま皇帝紋章になる」
「……気のせいか、そこだけ肌の色が違わないか?」
 皇帝の弟であるハデスは、その補佐役も努めている。それにはただ家族と言うだけでなくこんな理由があったのかと思っていたら、彼は驚いたように目を眇めた。
「よくわかったね。……だってこれは、移植したものだから」
「移植?」
「そう、僕の父親、つまり皇帝の父親からね。君も知っているんじゃないか? 大地皇帝の噂」
 確かに、今の世界皇帝には一つだけ、芳しくない噂があった。
 それは彼女が皇帝になったとき、補佐役とする弟を両親にねだり、彼が生まれた後はあっさりと両親の殺害を命じたということ。
「本来の選定者は僕たちの父親だった。でも姉さんは僕を選定者にするために、殺した父の腕の皮膚を僕に移植したんだ。だからほら、模様がひきつれてるでしょ?」
 姉が自分を得るために両親を唆した挙句殺したことについて何の感慨も覚えていない表情で、ハデスは冷静にそう告げた。
「そう……なんだ」
 ロゼウスは何を言うこともできずに、ただ頷くに留める。
 風呂から上がると、エルジェーベトが用意してくれたルイの服を身につけた。
 男物の服。すごく、久しぶりに感じた。イスカリオット城でジュダとクルスに説明する時にも身につけたが、あの時は本当に一時だけで、すぐに脱いでしまった。
 すぐに部屋に戻るのではなく、もう少しこの格好で、久しぶりの男の格好で歩き回りたい気がして、ハデスにシェリダンへの託を頼んでロゼウスは中庭へと出た。まだ陽が昇る前のこの時間なら、外を出歩いても大丈夫だ。
 浮かれていたんだ。
 ロゼウスの秘密を知る人間が増えるほどに、自由も増えるということだから。彼ら、彼女らの前ではもう、女の振りなどしなくていい。
 だから忘れていた。
「久しぶりだね、ロゼウス」
 その懐かしすぎる声。ずっと聞きたくてたまらなかった、甘美な囁き。
 中庭の一角に、人がいた。エヴェルシード人にはありえない白い髪、白い肌、血のように紅い瞳。
 花の植え込みを背景に優雅に坐して、ロゼウスを見ている。
 その美しく気品溢れる顔。
「兄……上……」
 忘れていたんだ。
 この世界は夜明け前が最も暗いということを。
「ドラクル兄上……!」