049

 ……部屋の中は豪奢な調度品で埋め尽くされている。柔らかな絨毯が体を受けとめ、春が来てもまだ役目を終えない暖炉がどっしりとした存在感で部屋の一角に構えている。
 長椅子には繊細な模様の施された上掛けが幾つも放り出され、ふわふわとしたクッションが部屋のあちこちに撒き散らされていた。
 エヴェルシードでもローゼンティアと国境を接するこの北方にある城は、石造りの床から寒気が這い上がってきて春になってもまだ寒い。
 その、バートリ侯爵領にある城の一部屋に、彼女は囚われていた。
「今日も美しいわね。お姫様」
 軽い口調で入ってきたのは、この城の主、エルジェーベト=ケルン=バートリ公爵。
軍事国家であるエヴェルシードでは、実力が全て。軍部における発言力はもちろん男性の方が高く、国の傾向も多少男尊女卑思考が強いが、女性は弱いというその評価を一人で覆すのがこの女公爵。
 エヴェルシード人特有の蒼い髪と橙色の瞳。長い髪は巻き毛で、鍛え上げられた肢体は強靭さと艶かしさを同時に感じさせる。顔立ちから強気が窺える美人で、望めばほとんどの男性は虜にできそうなのに、彼女はそれをしない。
 この公爵は、同性にしか興味がないと言う。
「また食事を残したのですって? ほっそりしたその姿も綺麗だけれど、あまり食べないと体に悪いわよ?」
 それは誰のせいだと思っているのか、彼女は手ずから食事を乗せたトレイを運び、ミザリーの前に差し出す。
「ほら、あーんして」
 やけに楽しそうなその顔をミザリーは虚ろな瞳で見つめながら、全く関係のないことを言った。
「……弟に会わせて」
「ミザリー姫」
「ミカエラに会わせて。あの子の無事を確認させなさい」
「いくらローゼンティアの第三王女だからって、この状況で私に命令ができると思っているの?」
 匙を置いてくすくすと楽しげに紅い唇を歪めて笑い、エルジェーベトはミザリーの腕を掴む。男性優位の軍事国家で、実力で公爵の位を得るような相手に、女性としては非力なミザリーが敵うわけがない。例えヴァンピルだとしても。
 今のミザリーの首には、吸血鬼の力を封じる銀の首輪が嵌められている。手首にも足首にも、銀製の枷が取り付けられこの部屋の外に繋がる燭台へと結び付けられ、拘束されていた。
「弟君のことが心配なら、私の言う事をよーく聞くのよ?」
 毒々しいほどに紅い唇で囁いて、エルジェーベトは自らの左手の指先を小刀で傷つけた。白い手にすっと走った紅い筋から、馨しい芳香を放つ血が零れる。
 吸血鬼の本能に逆らえず、ミザリーはその紅い輝きに魅せられた。
「欲しいでしょう? これが」
「あ……」
 震え声で拒絶しようとして、逃れきれずに頷いてしまう。笑みを一層深くした女公爵は、ミザリーの耳元に唇を寄せて囁いた。
「だったら、ちゃんとお願いしてね。ほらほら、早くしないと零れちゃう」
「あ……あ……」
 ヴァンピルなら食事はしなくても生きていける。だけれど、血を飲まずに長く理性を保つことができない。普通ならこのまま魔族の本性を解き放って暴れたいところだけれど、銀の鎖がそれも阻む。
 何より、自分にはやらなければならないことがある。彼女と一緒にこの女公爵に囚われた弟の身を案じるという。
「……ください。その血を」
「聞こえないわ」
「その血をください、バートリ公爵閣下」
「いい子ね」
 血の滴る指がミザリーの唇を濡らす。差し出されたそれに、黙って舌を這わす。
「なんて顔してるの? お姫様」
 屈辱的な行為に目尻に涙が浮かぶミザリーを眺めて、エルジェーベトが楽しげに笑う。
 流れる血を舐めとってほっと口を離したのも束の間、今度はこちらの番だと言わんばかりに、エルジェーベトが唇を重ねてくる。
「ん……っ! ぅん……」
 舌を絡ませて唾液を交換するやりとりに、多くの気持ち悪さと、ほんの微かな熱を感じる。
「さ。夜はこれからよ。あなたたちが昼夜逆転の吸血鬼でも、この城では私のルールに従ってもらうから」
 蛇のように指を蠢かせ、女公爵の腕がミザリーの身体を抱きとめる。
 ああ、どうか、神様。
 これから行われることを予感して、彼女は胸中で祈りきつく目を閉じた。

 ◆◆◆◆◆

『久しぶりだね、ロゼウス――』
『兄さ……』
 懐かしい声。懐かしい気配。
『カミラ――』
 迷路の向こうに見える人影。もはやこの世にいないはずの少女。

 ドラクル兄上。カミラ。

 どうして、あなたたちがこんなところにいる。どうして、どうして―――

 こぽりこぽりと音を立てて、記憶の泡沫が浮かび上がる。

 ――あなたは嘘が上手すぎる。あまりにも自然すぎて、逆に心が篭もっていないのがわかってしまう。
 嘲笑うような声音。
 ――あなたはシェリダンが好きなんだな。
 決して外には出すことのできない、狂おしいほどの切なさを湛えた瞳で彼を見ていたイスカリオット伯爵ジュダ。ロゼウスに向けられたその憎悪。頬に落ちた長い髪の滑らかな感触。
 ――死んでいいのですよ? あなたが死んだところで誰も困らないし、悲しむ人も、もういない。滅びた国と共に、死んでしまえばよかったのに!

 そうすれば。
 すべては、楽になったのかな。

 死ねば楽になれたのかな。
 殺せば、もっと楽になれた気がする。

 ――お前を殺すのなんか、お前だろうとシェリダンだろうと、殺すのは本当は簡単なんだ。

 なのに自分は殺さなかった。シェリダンも、エチエンヌも、ジュダも。
 
 どうして?
 ねぇ、どうして?

 こぽ、こぽり。
 自分で言ったはずの言葉に、胸の奥底から浮かびあがった疑問を誰かが投げかける。

 幸せになりたいなら、することはただ一つ。この世界の全員を殺して、最後に自分の命を絶てばいい。そうすればもう、何の憂いも恨みも残らない。
 自分ひとりだけで幸せになるのなら、本当はそれで十分なのに。

 ――シェリダン王を救ってあげてくれないかな。
 ハデスとのやりとり。
 シェリダンの命の危機を救えと言われた。
 彼が死んだら、ロゼウスは自由になれる。ローゼンティアに帰ることだってできるだろう。シェリダンがいなければカミラも死んでしまった今この国の王位は途絶え、エヴェルシードは混乱に陥りその隙であれば甦った諸侯たちと協力して国を奪い返すのもそう難しいことではない。
 女装をさせられて屈辱的な扱いをされることも、自分の部屋すら与えられず彼の部屋に閉じ込められる必要もない。ローラに嫌われたりエチエンヌに憎まれたりリチャードに同情の目を向けられたり、血を飲めずに渇きに苦しんで、薔薇を求めて彷徨うこともなくなる。ロゼウスは第四王子としての以前の満ち足りて優雅で何も不満などない生活に戻れる。兄妹に会える。家臣に傅かれる。
 だけれど。

 たまらなくなる。
 憎んで、いたはずだったのに。

 こぽりこぽりと、また水の音がする。
 景色が移り変わる。

 エヴェルシード王家の墓所。《焔の最果て》の前で誓った。
 ――俺はあんたを愛したりしない。一生、好きにはならない。
あの言葉に嘘はない。でも、それだけ。
 ――堕ちていこう、一緒に。
 一緒に生きたいとは思わない。共に在りたいというのとも少し違う。
 ――服従しろ。
 ――兄ではなく、この私に服従しろ。望みどおりのものが欲しくば、跪いて哀願してみろ。許しを請え。私に服従し、私の機嫌だけをとれ。私を……。
 なんでそんな瞳で俺を見るんだ。
 今にも泣きそうな、花曇の空のようなその表情。

 こぽこぽり。こぽ。
 記憶の泡沫。
 流れ行く水。
 その水の底で、ロゼウスは水の中から全ての光景を見ている。

 ――どうして、お前は目覚めない。どうして、永遠に私を拒む。
 何度も何度も見た夢。
 その中で繰り返し、ロゼウスは彼を失う。失って慟哭し、取り返しのつかない中で、ゆっくりと確かに狂っていくのがわかる。
 途方もないその痛み。
 終焉の来ない愚かさ。

 違う、俺はシェリダンなんか好きじゃない。あいつを愛するわけがない。俺が好きなのは兄様だけ――っ!?
 熱いものに触れたように指先が弾かれた感覚。
 ――お前に何がわかる、ロゼウス。
 ロゼウスの首を絞める兄の顔は酷薄で、底の知れない哀しみに満ちている。
 ――生まれながらに全てを持っているお前に、私の何が……っ!
 その狂気はロゼウスが生み出したものなのだと言う。
 ――お前が愛しいよ、ロゼウス。
 ――兄、上。
 ――そして大嫌いだ、我が弟よ。
 ――きら、い?
 ――そうだよ、ロゼウス。私はお前を愛しているけれど、それ以上にお前が憎い。
 ――さよならだ、第四王子ロゼウス。私の愛しい、秘密の囚人。
 薔薇の下の虜囚。
 自分は彼の囚人。
 囚われて囚われて、傷つけられて。でも、俺は、兄様のことが。

 本当に?
 ねぇ、本当にそうなの?

 こぽりこぽり、ごぽッ。ごぽぽっ。ぴしゃ。
 ああ、どこかで聞き覚えがあると思ったら。
 記憶の泡沫が浮かび上がる音は、血を吐くときの音に似ている。
 でも視界はいつも透明に濡れていて、ここはやっぱり水の中なんだ。

 ――え? 兄様、今、なんて。
 ――だからね、伯がお前を抱きたいんだってさ。ロゼ。お前もいつも私相手だけでは飽きるだろう? せいぜい楽しみなよ。
 ――そんなっ、兄上!
 ドラクルはさっさと寝台から腰を上げ、カラーシュ伯爵に場所を空け渡した。伯爵はロゼウスをベッドの上に抱き上げると、押し倒していきなり足を開かせる。
 ――ちょっ、やめろ、嫌だ! 兄様!
 ――本当にいいんですか? 殿下。
 ――やりすぎては駄目だよ。この子は私の大事な――なのだから。
 ――ええ。わかっていますよ。
 必死でシーツを掴んで挿入の苦痛を殺す。
 ――いい子だ、ロゼウス。
 ドラクルがロゼウスに口づける。聞きわけのない子どもを宥める口調そのもので。
 ――お前はいつものようにすればいいんだよ。いつも、私にやってくれているように、カラーシュにしてあげなさい。
 ――……はい、兄様。
 ――凄い調教具合ですな、ドラクル様。
 ――そうだろう。
 ――……本当に、よく調教されたことだ。
 犯されるロゼウスを見ながらドラクルが哄笑をあげる。
 ――ねぇ、気持ちよかっただろう? ――を犯すのは。
 自分は本当は嫌なのに、伯爵を拒むことでそれを命じた兄に嫌われたくなくて、大人しく伯爵の腕に抱かれる。

 ねぇ、本当なの?
 水底から浮かび上がる声がまた、問いかける。
 こんなことされても、まだドラクルが好きなの?
 
 好き。好きだよ。ドラクルが。俺は兄様を愛してる。俺が好きなのはドラクルだけだ。だから。

 だから、痛いことをされても平気。
 だから、酷いことをされても傷ついたりしない。
 俺は兄上を愛しているんだから。だから……何をされても平気。

 本当に?

 だってお前は現に今、こうして自分の《涙》で溺れかけているじゃないか?

 陛下。
 硝子の柩を覗き込んで動かない後姿に向けて囁く声。
『それは全て、ただ、貴方の見た夢なのです』
 違う、違う違う違う!
 俺はこんなこと望んでなかった! 絶対に違う!
 これが俺の望み? 願い? 違う、そんなはずはない。これは俺の見た夢じゃない。これは――

「ロゼウス!」

 水の膜の向こうから聞こえてくる声を打ち消すように、その叫びだけがやけに鮮やかに耳に届いた。
「シェ……リダ……」
「どうした? うなされていたぞ」
 彼にそう言われて、ようやくロゼウスはすでに見慣れてしまったシアンスレイト城のシェリダンの寝室、寝台の上にいることに気づく。
「俺……」
 ふいに、シェリダンが目元に唇を近づけてきた。柔らかに触れた唇は、いつの間にか流していた透明な雫を拭う。

「夢…………?」
 囁く声はまだ耳に生々しく鮮やかで、背中が汗でびっしょりと濡れている。頭がずきずきと痛み、何も考える事ができない。耳鳴りがうるさい――うるさい!

 だってお前は現に今、こうして自分の《涙》で溺れかけているじゃないか?

 そんなこと……絶対に、ない。


050

「ロゼの様子がおかしい? そんなの、いつものことじゃない」
「それが妹の言う台詞か」
 昨夜のロゼウスの様子はおかしかった。が、幸か不幸か、シェリダンには今現在心当たりがない。なので、わざわざこうして執務の空き時間にそりの合わない相手の部屋を訪れたのだが。
「だって、知らないものは知らないんだもの。イスカリオット伯爵の城から戻ってから? って、何かあったっけ?」
「特に心当たりはないんだけど。そもそもまだ二日くらいしか経ってないじゃないか」
 シェリダンの正面に座るロザリーに水を向けられて、背後に控えたエチエンヌも首を傾げる。ローラもわからないと言っていたし、リチャードも心当たりはないと。
「考えられるのはあの時に城でジュダに何か言われた、ぐらいだが」
「その後嫌味らしきこと言い返してたわよね。それだけなら、あんまり引きずることもないと思うんだけど」
「だろうな」
 昨夜、隣でうなされる様子に気がついて真夜中に目が覚めた。苦しい顔をしたロゼウスを無理矢理起こしたら、目の前で泣かれた。
 いつものように手ひどく扱った後ならばその理由に納得も行く。だが、昨夜は何もしていない。ただ単に背中を合わせるようにして眠っていただけなのに、一体何があったというのか。問いただしても、ロゼウスは何も答えない。何も。何一つ。
『奴隷の分際で私に嘘をつこうとはいい度胸だな』
『だって、本当に何もないんだよ。強いてあげるなら夢を見てたってことぐらい』
『その夢の内容は』
『もう忘れた。嫌な夢だったってことぐらいしか覚えてない』
『本当に?』
『本当に』
 世の女性は、男の目を見ながら嘘をつけるという。ロゼウスは男だが、堂々と人の目を見て嘘をつける男だ。比べても気にしても仕方がないのだが……このように埒の明かないことを昨夜からぐるぐると考え続けてしまうのが問題だ。
「とにかく、お前たちは何も心当たりはないんだな」
「ないわ」
「ありません」
「……そうか。わかった。手間をとらせたな」
「いいえ、シェリダン様、でも」
「何だ?」
「……すみません。何でも、ありません」
「エチエンヌ?」
「ごめんなさい。僕の勘違いみたいです。忘れてください」
 何を言いかけたのか、ひたすらに困ったような顔で謝り倒されてこちらの方が困った気分になる。それ以上問い詰めることもできずに、シェリダンはエチエンヌとロザリー夫婦の部屋を後にした。
「くそっ!」
 赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、シェリダンは一人悪態をつく。幸いにも今は誰も人がいない。角を曲がればまた誰かに会うだろうが、今のところは誰の姿も見えない。私室に戻ってこそ言えなくなる類の愚痴を、吐き出す。
「何故、この私があいつのことなど気にかけねばならないんだ」
 そもそもどうして自分の部屋で愚痴の一つも吐けず、こんなところで壁に向かって悪態をつかねばならないのか。いっそそろそろ王妃である彼にも部屋を与えて、正式に寝室を分けようかと考える。
 もともと、王侯貴族は夫婦といえどもそれぞれの個室を持ち、同じ部屋で普段から寝泊りしたりしない。シェリダンがそうしているのは、ひとえに敗残国の奴隷王子に屈辱を与えるため――。
 考えて、けれどまたあの昨夜のロゼウスの様子が脳裏を過ぎる。
 うなされて飛び起き、声をかけたのがシェリダンと知って浮かべた、あの無防備な表情。闇の中でも鮮やかなあの白い面が崩れることすらなく、ただ機械的にぽろぽろと大粒の涙が零れる、壊れそうに儚い姿。
 部屋をわけたら、共に寝ることなど肌を重ねるときぐらいしかないだろう。あんな表情を見ることもなく、夢の中とはいえ、うなされて苦しみながら一晩中過ごさせるのか?
 それは、なんとなく嫌だった。とはいえ、そうでなかったらあの淫乱王子のことだ。自分の眼がなくなれば、さっさと別の相手を連れ込むという可能性も考えられる。あのような姿を、他の相手に見せる。男でも、女でも、それを見るのが自分ではない、ということ。
 それは、もっと嫌だ。
「……っ、くそっ!」
 意味をなさない悪態を繰り返し、壁を殴りつける。叩き付けた拳がじんと痺れ、滲むような痛みを訴えてきたが、かまいはしない。
 心の痛みより体の痛みの方が楽だ。後者はいつか必ず消える事がわかっているが、前者は永遠に消えないのかもしれないのだから。
 ふと思いつき、それは案外いい手ではないのかと気づいた。体の痛みの方が楽だ。しかし体の痛みはわかりやすく、短期間とはいえ、そちらに意識を集中させれば心の痛みをしばらくは忘れていられる。そのしばらくの間に、心の痛みの原因を取り除ければ、あるいは……。
「……リチャードに道具を集めさせるか」
 シェリダンの意識は昼日中から夜の遊びへと向かう。
 午前中すでに午後の分の執務も終らせてしまった。もともとエヴェルシードは気候が安定しているので、軍事以外で特に問題が起こったという話を聞くこともない。急を要する案件もなし、少しぐらい自堕落な思考に陥ったところで責められる謂れはない。
 戻ったらさっそくリチャードに道具を揃えさせよう。そう決めた。うんと手ひどくして、あの白い肌に無数の赤い傷を残してやる。その痛みを思い、その痛みを与えた私のことしか考えられないようにしてやる……。
 シェリダンがかつてそうだったように。
 怪しげな道具で責められて、手錠に拘束され鞭打たれ。父に夜毎苛まれていた頃を思い出す。あの頃は憎しみしか感じなかった。鞭の傷痕が疼くたびに、シェリダンは父への憎しみを膨らませていた。その父も、もういないが。
 異常とも言えるやり方の数々を覚えたのはその時だ。あの男は完全に性的倒錯の異常者だった。自分の息子を寝台に侍らせるのだから、当然だ。
 そこでふと気づく。あの男の息子である自分が、異常なやり方を数多く知っていたところで不思議でもない。しかし、ロゼウスは?
 思えば、あの男は知りすぎている。初めて体を重ねたときも、やけに慣れた風情だった。その時はシェリダンも終盤とはいえ戦時下の興奮状態にあったし、これからの計画に思いを馳せていて深く疑問には思わなかったが……これまで幾度となく肌を合わせて、ようやく違和感の正体に気付いた。
 ロゼウスは同性に『抱かれ』慣れているわけではない。あれは……『犯され』慣れているのだ。
 あの危うい、儚いほどの美しさの原因はそれだ。
 本人こそが魔族だというのに、自分が獰猛な獣になったような気分で、引き裂きたくなる、男の劣情をどうにも煽る、あの……。
 イスカリオット城であったことを思い出して、きりきりと心臓が締め上げられる。未遂とはいえ、むしろ傍から見ても明らかに返り討ちにしていたとはいえ、ロゼウスがジュダに押し倒されたと聞いて、シェリダンは涼やかな表情の仮面をつけた下で、煮え立つような怒りを覚えていた。
 それが何を意味するのか、朧げながらわかっている。認めたくないと思うことこそが、その証明だということも。
 これは幼稚で愚かな、嫉妬だ。
「畜生……っ!」
 どうして、こうも上手くいかない。シェリダンはロゼウスを、某かの感情を向ける対象としてローゼンティアから攫ってきたわけじゃなかった。ただ、滅茶苦茶に引き裂いて踏みにじって傷つけるだけの慰み者でいいと。
 放っておけばいいのだ。ロゼウスがいくら泣こうと苦しもうと、心のバランスを崩して廃人になろうと。シェリダンが惹かれたのはあの顔、体。容れ物の方なのだから。心なんていらない。いらなかったはずだ。
 ああ、苛々する。
 何故シェリダンがこんなところでひとりで悩まねばならない。何故、あんな奴のことで。
踏みにじってやればいいじゃないか。最初の目的どおり。だって。
 ――俺はあんたを愛したりしない。一生、好きにはならない。
 どうせ幾らやったところで、身体以上のものは手に入らないのだから。
 まただ。また胸が苦しい。締め付けられる。
 とりあえず何をするにも部屋へ戻らないことには始まらないだろうと、足を進めようとした、しかし。
「陛下!」
「何だ?」
 曲がり角の向こうから、酷く焦った様子の兵士が駆けてきた。シェリダンの姿を認めた途端に一言、切羽詰った様子で叫ぶ。
「城内にヴァンピルが侵入しました!」
「……どういうことだ?」
「二十歳ぐらいの女で、自分はローゼンティアの王女だと名乗っています!」
 思いがけない報せを受けて、シェリダンは目を見開いた。

 ◆◆◆◆◆

「おい、お前、ここは許可を持たない者は入れないぞ!」
 目の前を平然とした顔で通り過ぎようとした相手を捕まえて、勢い込んでそう言った。自分はこの城門を守る兵士の一人なのだ。たかが薄汚い格好をした女風情に、ふらふらと慣習を守られては困る。
 軍事国家であるエヴェルシードの城は外観こそ華美であるが、その仕組みはまさしく要塞と言うにふさわしいもので、その正門を任される事は間違いなく栄誉なことだ。有事の際には城の守りの要ともなるが、今は落ち着いているし、だいたい他国に侵略することの多エヴェルシードが自国の王城にまで攻められる劣勢に陥ることなど、想像もできない。この職を得たときはやっと自分にも運が向いてきたと、家族に苦笑されるほどはりきったのだ。
 華麗な装飾を施されつつ実用にも耐える槍を持って、正門脇に控える。正門の横には通行証や許可証、身分証明書など何か王や宰相の御前に伺うにふさわしいと思えるだけの理由を示す証明書を見せないと遠さないと言う、検問所がある。そこで許可を出された者にだけ、自分たちはこの正門を開くのだ。時々正式な許可を得た人々の後にくっついて無理矢理城に突入しようとする不心得な侵入者を捕まえることも、自分たちの役目だ。
 しかし、今日の侵入者はやたら変わった相手だった。薄汚い身なりではあるが、その服装からすると女である。しかもフード付きのマントを被っているとはいえ、体格から見ると随分華奢で、それでいて仕草が貴族の娘のようにどことなく品を感じさせる。
「あら? 入れてくださらないの?」
 声をかけると女は初めて自分たちの存在に気づいた様子で、自分を含め正門の周りに立っている十人ほどの兵士を見回し、さらには正門横の小さな窓付きの小部屋、所謂検問受付へと視線を向けて、困ったように小首を傾げた。
「許可を持たない者は、だ」
 他の兵士たちは面倒ごとは御免だとばかりに槍を体の横に立てたまま知らん顔しているので、必然的に一番最初に声をかけた自分がその後も会話を続けることになる。
 まあ、この相手は何か汚い罵詈を喚き散らしながら無理矢理中へ入ろうとする小汚い乞食やせっかく見逃されたのにわざわざ雑言を吐き出しに来た無様な敗戦国の生き残りでもないようだから、それほど会話が苦になることもあるまい。そう思い、物を知らない子どものような態度を見せる女に、説明を加えてやる。
「恐れ多くもこの門は我がエヴェルシード国王陛下の御前に繋がる門だ。通る者には、王の御前に出向くだけの用件や身分が必要なのだ。お前はその格好から察するに貴族ではないな?」
 女は少し考えるようにまた小首をかしげ、ふるふると首を振った、その動きに合わせて、目深に被ったフードが外れそうになる。頼りなく頭に引っ掛かったその隙間から、長い髪が零れた。
「確かに、私は貴族……とは違いますわ」
 銀髪?
 思いがけない色に思わず目を奪われながらも、声と体型から若い女だと思ったがもしかしたら老婆や苦労している者ならありえないこともないだろうと、気を取り直して説明を続けようとする。
「そうだろう。平民だとしたら、許可証が必要なんだ。それは居住区の最寄りの役所で作成してもらえる。何、一週間かそこらの辛抱だ。一度街に戻って許可証を作ってもらい、それを持ってもう一度来い」
 右で左で、仲間の兵士たちが小声で会話を交わす。女のあの見事な銀髪、あれはやはり老婆のものではあるまい、と。だとしたら外国人。銀髪と言えば、紫の暁国ウィスタリアの民か何かだろうか。
 女のほっそりとした体つきといかにもおっとりとした様子に、邪な思いを抱く者も出始めているようだ。仲間たちの間で交わされる隠語の示す卑猥さに、頭が痛くなる。正門守護という名誉職でありながら兵士など所詮は女っ気のない職場だ、特にこの男尊女卑のエヴェルシードでは。結果的に軍部に所属する者は常にその手のことに飢えている。
 まさか仮にも王城の警備に当る者が手当たり次第に若い女につかみかかるわけではないが、こうしたたいして身分のなさそうな平民の娘で、しかも気が弱そうなタイプは狙われやすいのも事実だ。さらに目の前の女はフードの奥から見え隠れする顎のラインを見てもやはり若い。そして態度や言葉遣いから考えると、貴族ではないがそれに近いような家柄か、どこか没落した名家の筋めいた品の良さを感じさせる。
 現在の国王シェリダンの意向によって女性への暴行罪が前王の時代より大分厳しくなったが、それでも人の欲望は押さえきれまい。さらに、こういった種類の罪は被害者が滅多に名乗り出ず、泣き寝入りになることも多い。それを見越して欲望を満たそうとする輩がこうした王城警備の者の中にもいるのだから厄介なものだが、逆恨みで国王に直訴をするんだと意気込んでくる相手をいちいち言葉で追い返すだけではきりがないのも事実だ。男だったら一、二発殴って追い返すこともあるくらいである。
 もちろん、言葉で説得できればそれに越したことはない。同僚の一部が面倒なことを引き起こす前にと、さらに女に帰るよう促した。
「とにかく、他国使節通行証、許可証、貴族身分証名書、このどれかを手に入れて、出直して来い。でなければ」
 言い終わる前に、女がするりとフードを脱いだ。
「お願いです」
 正門守護にあたっていた面々は誰も彼もが、呆気にとられる。情けなくも口を開けてぽかんとしてしまった。
「私は王城に入りたいの。エヴェルシード国王シェリダン陛下に、どうか会わせてくださいません?」
 あの高い木の花をとってください、という頼みごとをするのと同じような気安さで、女は大変なことを言う。
 しかもこれまでフードに隠されていた素顔が明かされた。その髪は銀髪。その肌は恐ろしく白い。その瞳は血のように赤い。尖った耳は魔族の特徴とも言える。
「ヴァ、ヴァンピル!!」
「ローゼンティア人か!?」
 それはこの国と国境を接する隣国ローゼンティア、いや、この国に滅ぼされた植民地の一つである国の民の外見だった。
 そして、女は美しい。下町のちゃきちゃきとした働き者の看板娘とは違う、それこそ貴族か王族か、お姫様のような優雅な美しさだ。
「と、捕らえろ! ヴァンピルだぞ!」
 ローゼンティアは二ヶ月ほど前にエヴェルシードに滅ぼされ、その国民で生き残った者は全て奴隷にされたはずだ。彼らはもともとの領土であるローゼンティアに留め置かれ、それぞれに監視者である新たなエヴェルシーンの領主をつけて奴隷と化した吸血鬼たちの動向を見張っている。脱走者はすぐに捕らえられて死刑にされるし、いなくなった国民がいたらすぐに報告が来るはずだ。エヴェルシード国内にいるのはそれこそ王妃となった元ローゼンティアの姫君ぐらいで、なのに、こんなことは聞いていない。
「国王に会わせてください」
 捕らえろ、の号令にいっせいに槍を構えた兵士たちに怯むこともなく、女は正門に歩み寄ってくる。
 その動きを見かねて、ひとりの兵士が槍を突き出した。その兵士は先陣を切るだけの度量があるくらいだから、武力もこの中では一番優れている。だが。
「どうしても、国王には会わせてくれないようですね」
肩にとまった虫をつまむかのごとく簡単に、女は素手でその槍の穂先を受けとめた。
「まあ、血が」
 刃物を素手で掴んだのから当然だ。流れた血に声をあげたものの、すぐに笑顔に戻り、槍を掴んだ腕に力を込めてその兵士の体を引き寄せる。普通なら指が落ちるところだろうがそんなこともなく、むしろ警備の者たちが驚愕したことに、槍を介しての力比べに男は負け、呆気なく彼女の腕に囚われた。
「一番最初に私に向かってきましたものね。覚悟の良い男性は好ましいですわ」
 女の細腕に抱きかかえられた男はびくともせず、女は背伸びするようにして、男の首筋へと口元を寄せた。
「ぐああっ!」
 短い悲鳴が聞こえて、男の体がびくりと釣られた魚のように跳ねた。ここからでは男の後姿とその背中に回された女の腕しか見えず、何をやっているのかよくわからない。
 その答えはすぐに知れた。男が体の力を失い、地面へと倒れたのだ。そして両腕が自由になった女は、真っ赤な血に濡れた口を拭う。
辺りは怒りと恐怖で騒然となった。
 エヴェルシードの誇る王城警護兵たちは次々に彼女に襲いかかっては、あっさりと返り討ちにされていく。女は腕に武器らしきものを持ってはおらず、倒れた兵士から槍を奪うこともしない。二人がかりですらまったく動じず、言葉もなく瞬時に相手を地面へと叩き伏せていく。
 ついに彼の番が来た。
「あら、あなた、最初に私に忠告をくれた真面目な方ですね」
 吸血鬼の女は、あれだけのことを成し遂げたとは思えないほど美しく親しみやすい笑顔で話しかけてきた。
 彼は動くことも出来ずに彼女の言葉を聞き、干からびるまで血を吸って殺されるのを今か今かと待つ。
 白い指先が頬に触れる。
「お仕事、御苦労様です。私にとっては邪魔でしたけれど、エヴェルシードとしてはいい兵士なのでしょうね。だから、あなたは見逃してあげましょう」
 そう言って、彼女は彼の首筋にも唇を寄せた。小さな口なのに恐ろしげな白い牙が覗き、次の瞬間それは彼の首につきたてられていた。
 一瞬チクリとして、その後はほとんど痛みはなかった。むしろ全身の力が抜けていくのと引き換えに、微かな快楽めいたものを感じる。
 自分の体が地面に倒れるのがやけにはっきりとわかった。
「モ、モリス!」
 相手にもされなかった検問所の小太りの受付係が叫ぶ。
「殺してはいませんよ。今までの人たちも。最初の人とあなた以外は、ちょっと乱暴にしてしまいましたけどね」
 そして自分は貴族ではないと言った女が、騒ぎに気づいて増援としてやってきた新たな兵士の一団を目に留めて、ようやく名乗る。
「私は故ローゼンティア王国第二王女、ルース=ノスフェル=ローゼンティア」
 慈愛深いとすら思えるほどの微笑を浮かべて、彼女は言った。
「さあ、エヴェルシード国王シェリダンに、会わせなさい」
 やってきた新たな兵士たちはもちろんそんな簡単にその言葉を聞くわけはなく。


051

 警備隊長のモリスまでもが簡単にやられたと聞いて、シェリダンはとりあえずリチャードとローラとエチエンヌだけを連れて正門まで降りた。
「で、だっ、ロゼウス!?」
 背後でエチエンヌが上ずった声でそう叫ぶのが聞こえた。本名で呼ぶと男である事がバレる……などと、今回は言っている場合ではないし、ほとんどの人間は聞いてもいないだろう。何しろエヴェルシードの兵士たちは、華奢な若い女一人に軒並み昏倒させられている。
「あなたがシェリダン王ですか」
 大の男を片手で宙吊りにしていたその女は、シェリダンの姿に気づくと兵士を離し、こちらへと振り返って微笑みかけた。
「私はローゼンティア第二王女、ルース。お見知りおきを」
 丁寧に腰を折るその姿に、シェリダンは思う。
 ……似ている。ロゼウスに。
 顔の造作だけを取り上げるのなら、そんなには似ていない。むしろそれならばロザリーの方が瓜二つだ。
 けれどルースというこの女、全体の雰囲気がロゼウスに似ている。仕草も声音も口調も全て違うのに、体から発する空気のようなものが同じだ。並べば一目で姉弟だとわかるだろう。
「能書きはいい。それより、何をしにきた」
「ここで立ち話をするのはご遠慮させていただきたいのですが。別に私は構いませんが、そちらに不利になるのではないかと」
 これだけのことをしておいていけしゃあしゃあと。確か第二王女は温厚な性格だと聞いていたのだが。
「……わかった、中へ通す」
「シェリダン様」
「リチャード、ロゼウスとロザリーを応接間に呼べ。エチエンヌはここの兵士たちを頼む。ローラは私と来い」
「か、かしこまりました」
「はい」
「お任せください」
 ローラ一人を護衛に残し、シェリダンはローゼンティア王女と名乗った女を連れて城の中へと戻る。
 ルースという女は何も言わず、優雅な立ち居振る舞いを崩さずに廊下を歩いてついてきた。
「ところでシェリダン様」
「何だ? ローラ」
 背後のヴァンピル王女を気にしながら、途中ローラが声をかけてくる。わざわざこんなところでこんな状況で無駄な話を彼女がするはずはない。見た目よりずっとしたたかなローラが、珍しく困ったような顔をしているのだ。何か気になって当然だ。
「……ロゼ様ってあの方の弟ですよね。エチエンヌに特別な指示出してませんけど。女装姿で会わせていいんですか?」
 …………しまった。

 しかし第二王女はまったく気にした様子を見せなかった。
「まあ、ロゼウス、ロザリー」
「ルース姉上!」
「お姉様!?」
 むしろ、彼女と顔を合わせた二人のほうが度肝を抜かれていた。
「ロゼウスがエヴェルシードの捕虜となっている話は聞いていたけれど、ロザリー、やっぱりあなたもここにいたのね」
「な、う、うるさいわね! 放っといてよ!」
「そんなことできるわけないでしょう」
 どうも妙なノリだと思うのはシェリダンだけだろうか。そもそも何故あの第二王女は弟の女装に突っ込まないのだろうか。
「何はともあれ、元気そうで良かったわ。ロゼウス」
「……姉上」
 ロゼウスの頭を子どもにするように撫で、ルースは彼を抱きしめる。大人しく姉にされるがままになっていたロゼウスは、自分より少し背の低い姉を見て、瞼を伏せた。
 以前ロゼウスに聞いたところによると確か、第二王女はロゼウスにとって、両親が同じ実の姉だという。最初に言葉を交わして以来、ロザリーには目もくれずルースはロゼウスだけを気にかける。
「俺、その……」
「だいたいのことはこちらでも調べているわ。気にしないでもいいのよ」
「でも……ローゼンティアが。父上たちが。だから俺はシェリダンに……」
「……気にしなくていいのよ。あなたはよくやっているわ」
 ロゼウスの瞳に涙が浮かぶ。シェリダンはどう声をかけていいのかわからない。
 彼の祖国を滅ぼし、その父を殺したのはシェリダンだからだ。エヴェルシード王であるシェリダンが全ての命令を下したのだから。
 本来ならロゼウスにとって、シェリダンは顔を見るのも嫌な相手のはずだ。
 今までは都合よく目を瞑り、日常にどことなく蓋をして封印していたその事実を、彼の姉はやすやすと暴き立てるようだ。
「確かにローゼンティアは滅んだわ。国王陛下は死に、王妃さまたちも亡くなった。でもまだドラクルがいるのよ。あなたの兄が」
 長兄の名を出されて、一瞬ロゼウスの顔が引きつったのをシェリダンは見逃さなかった。
 何だ? あれだけ愛していると連発するほどの相手の名に、今の反応はおかしいのではないか。
 だがこの場で問い詰めることも出来ず、シェリダンはただ姉弟のやりとりを見守るしかできない。
「だから、大丈夫よ。そのはずでしょう。ね」
「……はい、姉様」
 ルース相手には素直に頷いたロゼウスが、一瞬ちらりとシェリダンの方を見た。目が合う。
 けれど結局彼は何も言わず、シェリダンから視線をそらして姉に向き直る。
「姉様。どうして、ここに」
「シェリダン王に話しがあってきたのよ。あなたも聞いて」
「はい」
 ようやくお呼びというわけか、ルースは堂々と、シェリダンの正面の席に着く。その隣に座ろうとしたロゼウスの手をリチャードが引いた。
「リチャード?」
「あなたは、こちら側の人間のはずです。王妃様」
 ロザリーが一瞬躊躇った後エチエンヌに頷き、シェリダンの左隣に座った。リチャードが右隣へとロゼウスを連れてくる。
 これでようやく話し合いの体勢が整った。
「ローゼンティア第二王女、ルース殿下。我が城に来て、正門警備を正面から破ったその実力は認めよう」
「光栄ですわ」
「だが、あなたは我が国によって滅びた国の王家の者であり、我が命によって一度は処刑されたはずの者。ここに来ればその命が危ないということはわかっていたはずだ」
「ええ、あなたが本来殺すべきである私を、ただ殺すよりは話を聞いてから捕らえて何かに利用した方が懸命だと考えているほどにははっきりと」
 曲者。どこが控えめで気弱な姫君だ。立派な狸じゃないか。
 敗残国の王家の者でありながら、彼女は初めからこの自分と対等の顔をしてそこにいる。
「単刀直入に言わせてもらう。何の用だ」
「あなたに取引をもちかけようと思って。エヴェルシード王シェリダン陛下」
「何の話だ」
「エヴェルシード国内の反王権派を洗い出したくはないですか? 陛下」
「ルース姉上?」
 ロゼウスもロザリーも、さすがに困惑した顔をしている。
「私はローゼンティアを返してほしいのですよ、陛下。王家の者が生き残っているとなれば、復興は容易でしょう。どうせあなたたちだって、侵略したはいいものの、ヴァンピルの扱いに困っているのではなくて? エヴェルシードがローゼンティアを攻略したのはもう二月以上も前なのに、戦時処理以上の何の法令も出されていないのがその何よりの証拠」
 シェリダンは言葉に詰まる。確かに、それは真実だからだ。ただの奴隷にするにしても、エヴェルシードの植民地化するにしても、どうにもヴァンピルは使い勝手が悪い。今の王宮のようにロゼウスやロザリーの一人二人程度ならなんとかなるが、集団となればそうもいかない。何せ向こうは永く血を飲まずにいると途端に凶暴化する魔族だ。
「扱いに困るぐらいなら、彼らの支配を私たちローゼンティア王家の者に返していただけません? エヴェルシードが宗主国であるという条件は受け入れるけれど、あなたたちにローゼンティア国民の支配は無理よ。その代わりに、私はあなたに必要だと思える情報を提供しましょう」
「……貴様、何を企んでいる? 貴様の言葉の、何を根拠と考えるべきか、ものさしを示してもらおう」
 ルースの言葉は、その裏側がまだこの段階では読めない。ただ国の支配権を返せというだけなら、わざわざ単身敵国に乗り込んできたりしないはずだ。彼女がこちらに望んでいる事は、もっと深く裏があるはずだろう。
「やはり、これだけの説明ではわかりませんよね。でしたら仕方がありません。少しだけこちらの思惑と手の内を明かしましょう。……ローゼンティア王家の、王の子どもである兄妹が全員甦ったという話は?」
「聞いている」
 そもそもその情報があるからこそ、急な彼女の出現にもそれほど困惑せずにいるのだ。
「では、その十三人、ここにいる私たちを除けばあと十人、彼らが今どうしているかは知っていますか?」
「……墓所が暴かれて甦りを確認した後姿を発見できず、逃亡したものと見られるという報告が入っているが」
 間違っても王家の者を捕まえたのなら、何か連絡が入るはず。しかしシェリダンの言葉を、ルースは淡々と否定する。
「それ、嘘ですよ」
「……何?」
「あれからかなり経っているのにエヴェルシード側に表立った動きがないからもしやとは思っていましたが、やはりそういうことでしたか……甦った後、私たちは一度、そこにいる二人を除いた全員が集まり、復活を確認しました。しかしそこを襲撃されて散り散りになり、何人かは逃げましたが、何人かは追っ手に捕まりました。あなたが我らの国に送り込んだ侵略者の司令官たちに」
「つまり、その司令官――国内の貴族に私への報告を怠り、捕らえたヴァンピル王家の者を自らの手元に置いている者がいると言いたいのだな」
「ええ。そういうことですわ……それがどういうことになるか、よくお考えになって」
 捕らえたローゼンティア王家の者を自分の手元に置く。それがどういうことか。
 王家の者は王位継承権を持つ。ローゼンティアという国を復興し、民を治める立場の者を選び出すとき、最もその位置に近いのが王家の者だ。
 そして彼らが生き残っていると知れば、ローゼンティアの復興は容易い。さらに彼らを支援してローゼンティアの復興を成し遂げるということは。
「すなわち、ローゼンティア方面から私への反逆を目論む輩がいる、と」
 一度植民地と化した、自国と同程度の国力を持つ国。その国の王家の者に加担して協力者……復興と引き換えに影の支配者の地位を手にすれば、エヴェルシードの貴族は元々の領地の兵力も含めて、シェリダンに牙を向くことなど容易いだろう。
 そうなればシェリダンは玉座から引き摺り下ろされ、エヴェルシードの王権は奪い取られる、というわけか。
「それは、陛下にとっても本位なことではないでしょう?」
 ルースの言っている事は、いちいち正しい。シェリダンの国内での微妙な立場を考えれば、ありえないと跳ね除けられないことが悲しいところだ。しかし。
「……何故お前がそんな話を私にする。ローゼンティアの復興は、お前自身の望みではないのか」
「そりゃあそうですけれども」
 ルースの顔がおっとりと微笑み、鈴を転がすような声で告げた。
 だが目が笑っていない。これは建前ですよとその赤い瞳で告げている。
「私だとて、自分の兄妹が隣国の内乱の手駒にされるのは気に喰わないのです。そのぐらいなら、あなたを説得してローゼンティア侵略の手を引いていただいたほうが穏便に済むかと」
「姉上」
 ロゼウスが声をあげた。ルースの言葉を何も疑ってはいない声だ。
 これ以降の話は、彼に聞かせないほうがいいのだと直感的に悟る。すでにルースの身元はロゼウスとロザリーによって十分に保証されている。二人を追い出すか。
「……わかった。細かいところを詰めよう」
「シェリダン様!?」
「エチエンヌ、ローラ、ロゼウスとロザリーを部屋に戻せ」
「シェリダン、ローゼンティアのことなら俺も!」
「お前は部屋に戻れ」
「だって!」
「黙れ!」
 シェリダンの勢いに押されて、ロゼウスが押し黙る。
「この女は私と対等な取引相手かもしれないが、お前は違うだろうが。自ら奴隷の地位へと落ちた分際で、国政に口を出すな」
「な……」
 絶句したロゼウスを手で追い払う。ロザリーも驚いた様子で、硬直している。
「お前らはさっさと部屋に戻れ」
 言いながらシェリダンは神経を集中してローゼンティア第二王女ルースの動きを伺っていた。
 きっとロゼウスもロザリーも、彼女が黙りきったその状態を、元来の大人しい気性のせいで男の怒鳴り声に怯えている程度に受け取っているに違いない。しかしシェリダンは、その様子でむしろ自分の考えが正しいことを知った。
 部屋を追い出される弟妹たちに向けられた――その冷ややかな眼差し。


052

「シェ、シェリダン?」
 ルースとのやりとりの後、シェリダンは自室に戻った。心を落ち着けるためとでも言われたのか、ローラに勧められるままに茶を飲んでいたらしきロゼウスをさっさと寝台に引きずりあげる。
「陛下!」
「出て行け、ローラ。朝まで誰も入れるな。夕食はいらん」
「か、かしこまりました」
 今日の自分はおかしいと、シェリダンは自分でわかる。自覚があるくらいなのだから、周囲の人間にはもっとはっきりとその様子が目に見えているだろう。
 だが全ては後回しだ。
 とりあえずは、この胸の中の何とも言えない苛立ちを吐き出したかった。
「シェリダン……」
「そんな顔をすると、本当に女のようだな」
 戻ってくるなり問答無用で寝台に引きずられ、嫌がるのを無理矢理縛り上げられ暴れた際には頬をはたかれたせいかロゼウスのシェリダンを見る瞳に、小さな怯えが走っている。
 もちろん、本気で彼がシェリダンなどに怯えるわけはない。かなり強めに平手打ちしたにも関わらず、ロゼウスの雪のように白い頬にはすでに何の痕もない。すっかり治って、消えてしまっている。
 ヴァンピルだから。
 吸血鬼は、人間などよりよっぽど強いから。
 策略を練り、弱点をこれでもかと突きまわすようにして攻め入らなければ、到底勝てなかっただろう隣国。
 穏やかな顔と、その下に隠された凶暴な本性。気弱に見えて、案外にその性格はしたたかでいつもどこか余裕が見える、植民地奴隷にしたはずの国民たち。
 けれど、何よりもシェリダンを苛立たせるのは。
「お前が悪いんだ、この馬鹿」
「な、なんだよ突然」
「黙ってろ」
 言葉を失くした唇を、シェリダンはその肩を無理矢理引き寄せて奪う。両手を封じられて上手く身動きの取れないロゼウスはシェリダンのされるがままに、口づけを受け入れた。
「……ん、う……ふ……」
 脳に酸素が回らなくなるような濃密な接吻を交わし、零れた唾液が唇同士に一瞬橋を架けるのを見送ってようやくその体を離す。
 寝台の柔らかなシーツに受けとめられた体に覆いかぶさり、服を脱ぐのももどかしいと、隙間から手を差し入れる。
「あ、や……やめっ」
 ドレスの胸元を引き裂いて、鎖骨に赤い花を散らした。胸の上の尖りを口に含んで転がすと、ロゼウスが甘い声をあげる。
「ひあっ! ……ああ、シェ、シェリダン……!」
 滑らかな肌に手を這わせると、しっとりと汗ばんでいた。執拗な愛撫のせいで、まだ上半身しか手をつけていないというのに、すでに彼のものが勃ちあがりかけている。
「はしたない体だな」
 女物の下穿きまでも引き裂き、先走りを垂らすそれを露にする。
「もうこんなに濡らしている」
 指先でツウッ……と軽く撫でるだけで、ロゼウスが微妙な刺激に体を震わせた。顔はすでに泣きそうだ。
「そ、それは、あんたが……」
「私が? 何だと言う」
「あ、あんたが、俺をこんなに……っ」
焦らすようにただ見つめるだけの時間をおく間に、ロゼウスが白い頬を羞恥で真っ赤に染める。苦し紛れに言葉を並べる内に失言に気づいて、さらにその眉が悔しげ恥ずかしげに歪んだ。
 シェリダンの口元に自然と笑みが浮かぶ。指で撫でられるだけでは足りないとヒクついて震えるものに、今度は舌を這わせる。
「ヒア! ……あ、ああ、あっ」
「私がお前をこんな風にした? ああ、そうだな。その通りだ。今お前を抱いているのは私なのだから」
 喋る合間にはまた指を使い、いっそもどかしくなるぐらいの優しさで扱いてやる。
「お前は、私の奴隷だ。私のことだけ考えていればいい。ただ、私のことだけを」
 限界にまで追い詰めたそれを、一際強くすりあげてやると、あっけなく達した。手のひらに飛び散った白濁を見て、薄く笑う。
「シェリダン……?」
 悦楽から一度解放されて気だるい脱力感の中にあるロゼウスが戸惑った顔をしている。今までどんなに乱暴に扱っても反射的な、即物的な反応しか返さなかったのに、今日はシェリダンの顔色を伺うようだ。
 いや……わかっている。おかしいのは自分の方なのだろう。
 濡れた指をロゼウスの唇をこじ開けるようにして突っ込んだ。自らの出したものを舐めさせられて一瞬不快を示したロゼウスの顔が、次の瞬間驚きに染まる。
「はぁ……はっ……ふあ」
 口腔内を荒し舌を絡ませる口づけの中で、唾液も白濁も混ざっては快楽に緩んだ口の端からひっきりなしに零れていく。
「はっ……シェリダン……姉、上と何が、あった……」
 何となく事態を察したロゼウスの、二度目の口づけの後で息も絶え絶えな問いかけ。
 シェリダンの脳裏に目の前の少年と似た美しい女の面差しが蘇り、不快なその影を彼は意識して脳内から振り払う。
 今だけはそれが簡単だった。何故なら、シェリダンの前にはロゼウスがいるから。
 この禁忌の薔薇に溺れていれば、何も見ずにすむ。
「むぐ」
「さあ、今度はお前が奉仕する番だろう?」
 縛り上げた腕を掴んで、シェリダンは身動きならないロゼウスの頭を無理矢理自分のものに近づけさせる。半裸ですらない、わずかに乱しただけの服の隙間から取り出したそれに、彼は文句も言わず唇を寄せ、口腔内の粘膜に受け入れた。
 人の体の中でも体温が高く濡れたその部位に、包まれたものが歓喜を訴える。シェリダンの欲望に従順に忠実に奉仕する薔薇の王子の横顔を見下ろして、下腹に何ともいえない感覚が走る。
「う……あっ」
 どろりとしたものをそのまま彼の口に吐き出して、一瞬だけ白い闇の中で恍惚となる。咳き込む声に我に帰り、口の端から白濁液を零すロゼウスの顔を捉える。
 下肢を疼かせる、その暗い愉悦。
 おそらく世界で最も美しい王子の白い顔を、自分のもので汚してやったというこの快感。
 逆に言えばそれは、こうでもしなければ永遠に彼を手に入れられないと言う、歪な痛み。切れ味悪い刃物で斬られた後のように、ぎざぎざになった傷口がいつまでも癒えない、生々しい感触。
 ――俺はあんたを愛したりしない。一生、好きにはならない。
 血の味がするほど、唇を噛んだ。
 腕の縄を外さず、汚れてしまった口元も拭わせず、その体勢を四つん這いの状態にさせる。また新たにドレスを引き裂いて引き締まってはいるが滑らかな尻をあらわにし、そこへ指を這わす。
「あ……や、やぁ! シェリダン……!」
 窄まりに指を当てると、ロゼウスがむず痒いような甘い声をあげた。触れてもいない彼のものがまた勃ちあがってくるのを微笑みながら見つめ、逆にその期待を裏切るかのように、いきなり自分を押し込んだ。
「ひっ――――っ!?」
 痛いほどに締め付けるだけで、シェリダン自身にも快楽などないに等しい、この行為。無茶。
 傷つけるためにロゼウスを抱いた。ただ、そうしたかった。ぎりぎりまで快楽を与えて酔わせて、そこから一気に突き落とすために。
「ひっ、あ、い、痛っ……ああああああああああ!」
 声を出すことで痛みを逃がそうとするように、ロゼウスが叫ぶ。その、濡れた絶望に満ちた声を聞いて、ようやく落ち着いてきた。
 四つん這いの体勢を崩して前のめりになった彼の、白い背中に頬をつける。空いた手でロゼウスの前を弄ってやる。快楽に勝る痛みに反応しなかったものがようやく勃ちあがる頃になって、締め付けも緩まってきた。
「ひっ、あ、ああ……」
 ロゼウスがぼろぼろと涙を零しているのがわかる。泣きながら、ようやく痛みにも慣れ、戻って来た快楽に溺れていく。シェリダンは自分自身も痛みを忘れるために動き始め、室内に卑猥な音を響かせた。
「こんなに、淫乱なくせに」
「ひあっ……ふあ、あ、うあ」
 意味をなさない言葉を連ねて零される喘ぎにどこか翳りのある満足を感じながら、ひたすらロゼウスの感じるところを刺激する。
「あ、ああっ! シェリダン……!」
 シェリダンの名を呼ぶ声は、痛みよりも快楽が強まってきたことを示す。
「あ、あっ――――!」
「くっ…………」
 後でどうなっても知るものかとしっかり中で出し、繋げた体を離すこともせず、ほぼ動じに達してもしばらくそのままでいた。
「お前が、第三王位継承者だと……?」
 掠れ声で言ったそれに、それまで悦楽に流されていたロゼウスがようやく耳を留めた。
「な、なんで知って……ルース姉様?」
「そうだ。ロザリーは第十二位だそうだな。十三に兄妹の下から二番目か。あれだけ数が多い上に、制度がややこしい」
「……俺は一応、ヘンリー兄上に継承順位の譲渡をしてる」
「平和な頃の話だろうが。有事の際には通用しない」
 体を繋げたまま白銀の髪を梳きながら、シェリダンは昼間のやりとりを思い返す。脳裏に蘇った光景を握り潰すように、その髪に口づけて顔を埋める。

 ロゼウスとロザリーを室内から追い出した後。
『ローゼンティアの王位継承制度を知っていますか? エヴェルシード王』
『いや、だが第一王位継承者が第一王子ドラクルであることは知っている。次は第二王子だろう』
『ええ。そこまでは合っています。その次は?』
『……第三王子か?』
『いいえ。第四王子、すなわちロゼウスです。正式にはね』
『何?』
『ローゼンティアの王位継承権はエヴェルシードの男子の長子継承が普通ではなく、母方の血筋によって決められるのですよ。つまり、正妃の血筋ですわね。もちろん男子である事は女子であることよりも重要ですし、原則的には年齢が上になるほど継承順位が高くなります。さらには特例で第二王妃の第一子が男子であった場合にはその男子が第二王位継承者になる、という制度もあります。この考えでいくと、さて第四王位継承者は誰でしょう?』
『ま、待て。話がさっぱりわからない。第四王位継承者とは、どういう意味だ?』
『私なのですよ、陛下』
 シェリダンはもちろん、その場に唯一残っていたリチャードまでもが絶句した。
『ローゼンティア王家、第四王位継承者は、正妃の唯一の王女である、このルース=ノスフェルです。つまり……戦時下のこの状況では、私でも十分玉座を狙える位置にいるのです』
 見た目はおっとり系の美女の口からこんな言葉が出るなど、誰が想像できるだろうか。
『陛下、うちの弟、ロゼウスは差し上げます。ぜひもらってください』
『貴様、何を考えている?』
『私よりロゼウスの方が継承権が上なのですよ? 首尾よく第一王子、第二王子を出し抜いても、ロゼウスがいてはどうしようもありません。その際には私は彼をも殺さねばならなくなります。でも、それは私にとっても本意ではありません。穏便に済むなら、それに越したことはないわ。例えばロゼウスが、どこかの王族の配偶者となってローゼンティアとは無縁になるとかでないと』
『……従わなければ、ロゼウスを始末する気か』
『……お好きなように受け取りください』
 底の読めない笑みで、ルースは笑った。
『一つ、教えておいてやる。ローゼンティア第二王女ルース』
『なんでしょう?』
『貴様が言うまでもなく、あれはもう私のものだ。お前の弟のロゼウス王子などもうどこにもいない。ここにいるのは、ただの私の奴隷』
『……取引は完了したと見ていいのでしょうね』
 そうして、ルースは胸元から一つの封筒を差し出した。
『最初の情報はこれに書いてあります。いっぺんに多くのことをやろうとしてもうまく行きませんから、とりあえずひとつずつ解決しましょう。まずは、これを読んでください。それでは私は、お暇させていただきます』

 貪るように犯し、抱いた。互いの内股が白濁でどうしようもなくどろどろになるまで。
 この肌、この髪、この瞳、この粘膜、声、流れる涙も何もかも全て。
 私のものだ。
 誰にも渡しはしない。


053

「……俺は、吸血鬼を拾うくせでもあるのかな」
 ずっと自宅兼店舗である酒場にこもりきりはよくないだろうと、たまの外出をしてみればこれだ。
 『炎の鳥と赤い花亭』はおかげさまで繁盛している。仕入れる酒の種類を増やそうかと、一ヶ月に一度程度に決めたたまの休みに、いつもの街へと出かけた帰り道のことだ。
 つい先日だって盲目の奴隷の振りをしたヴァンピルの王女を拾ったばかりなのに、国境に近い街道でまたしても今度は複数のヴァンピルに出くわすとは。
 しかもそのうちの一人は、死にかけている。
「お兄様」
 二十歳頃の青年が道に倒れ、その青年の周りに十歳を少し過ぎた程度だろうかという二人の子どもが纏わりついている。子どもは少年と少女で、少女の方が一番幼くて年下のようだ。外見から察するに兄妹らしく、顔立ちもそれなりに似ている。
 しかし、道に倒れた青年の方は、血を流して動かない。
「お兄様、お兄様、お兄様」
 少女が必死に呼びかけ、少年は唇を噛んで兄らしき青年を見つめている。フリッツの姿にその少年が気づいて、咄嗟に短刀を抜いて構えた。しかしその全身が震えていて、お世辞にも強そうとは言えない。これではいくら刃物を持っていたって、威嚇程度にもなりやしない。
「来るな。近付くな。エヴェルシード人め」
「……ここは、エヴェルシード王国内だ。この国で会うやつはどいつもこいつもエヴェルシードだろうよ」
 思わず、どうでもいい言葉を返してしまった。それを侮辱と感じたのか、少年が唇を噛み締めて怒りを露にする。
「薄汚い人間如きが、僕らに近付くな!」
 絶叫だった。それでもやはり感じ取れるのは彼らの怯えだけで、何も怖くはない。ただ、悲しくなっただけだった。
 僅かにしか見たことがなかったが、同じように白い髪に白い肌と赤い瞳を持った少女のことを思い出すと、いまだに胸が痛む。フリッツから見れば甥にあたる少年、エヴェルシード王シェリダンの手により王城に連れて行かれた彼女はどうしているだろうか。こちらとあちらの立場を考えれば、ちょくちょく手紙を交わすと言う事もできない。
 ロー、ロザリー姫。彼女は今いったい、どうしているだろう。国王である甥は、彼女をどのように扱っているのだろう。
 それよりも今はまず、目の前の三人だと意識を切り替える。
「近付くなって言ってるだろ!」
 少年の警告を無視して、フリッツは彼の目の前に立った。倒れた兄を庇うように立ちふさがった少年は震えながら、懸命に刃物を構える。それでも向こうから仕掛けてくる様子がないということは、ろくに扱えはしないのだろう。
「……ウィ、ル……エ、……サ」
「お兄様!」
 目を閉じて意識がないように見えた青年が、薄っすらと瞳を明けて何事か言った。弟と妹の名を呼んだのだろう。
「お兄様! お兄様……」
「兄上! しっかりしてください! 必ず助けます!」
「お前、たち……逃げ、ろ……」
「兄上!」
 最後の力を振り絞るようにして、兄は弟妹に逃亡を促す。しかし、幼い二人はそれを聞かず、どこまでも彼を心配してつき従う覚悟のようだ。
 仕方なく、フリッツは覚悟を決めて二人の幼子を押しのけた。
「やめろ! 何するんだ! 兄上に何をする気だ!」
「治療だ。このままでは死んでしまう」
「ふざけるな! 貴様人間だろう! それも汚らわしく傲慢な、僕らの国を滅ぼしたのはお前らエヴェルシードじゃないか!」
 少年の言う事にちくりと針で刺したような痛みを覚えながらも、フリッツは倒れた青年の容態を見る。そして疑問に思った。一見深手でこの出血量では助からないように見えるが、この惨状から思うよりは傷口が小さい。傷が浅いというよりも、酷い怪我がすでに治りかけているようだ。これなら、下町の医者でも治せるだろう。
 とりあえず応急処置をしようと、懐から安くはない医療道具を取り出す。フリッツを青年から引き離そうとする少年の妨害が鬱陶しいが、仕方がない。
 それまで兄の側でひたすら彼を呼んでいた少女が、ふいにフリッツの方へと視線を向ける。じわりと涙の滲んだ瞳で、哀願する。
「殺さないで」
「俺は……」
「殺さないで。アンリおにいさまを殺さないで。おにいさま生き返ったばっかりで弱ってるの。次に死んだらもうたぶん生き返れない。わたしたちの力じゃ生き返らせることができない。おねがい、殺さないで」
 殺さないでと繰り返す少女の頬が涙でぐしゃぐしゃになる。精神の糸がそこで切れてしまったのか、彼女はさらに酷くしゃくりあげ始めた。
「おねがい。殺さないで。助けないで。もういや、もうやだ、どうしてわたしたちがこんな目にあうの? ローゼンティアが何をしたの? おとうさま、おかあさま、死んじゃった。助けて、誰か助けてよロゼおにいさま、ロザリーねえさま」
「エリサ!」
 涙に暮れるあまり余計なことまで口走りそうになる妹を、兄である少年が叱咤する。兄の声に彼女はびくんと反応し、途端に言葉をおしとどめようと唇を噛み締める。
「ロザリー……?」
 しかし、彼女の発した言葉こそフリッツにとっては重要なものだった。
「お前たち、ロー、いや、ローゼンティアの王女ロザリー姫の知り合いか?」
「な! なんでお前なんかがロザリー姉上のことを知っている!?」
 フリッツの言葉に仰天して、先程妹に口止めしたにも関わらず、今度は少年の口からそうはっきりと聞いた。
「お前たちは、ロー……ロザリー姫の兄妹なのか?」
「……だからどうしたと言うんだ!」
 もう隠し立てする気もないようで、そう言った少年をフリッツは馬車に乗るよう促した。
「ローの兄妹なら、俺にも少しは縁がある。今はとりあえずこの人のためにも、乗ってくれないか」
 迷う時間はない。彼らの兄である青年の傷は、見た目の印象ほどではないにしても間違いなく深いのだから。
 最終的にはエリサと呼ばれた彼の妹にあたる少女が少年の肩を押して無理矢理馬車の荷台に乗せた。そんなところで悪いが、生憎とフリッツの馬車にはそんなところしか人を乗せられる場所がない。
 そしてフリッツは、道に倒れた青年を傷に触れないよう担ぎ上げた。
「すま……ない……」
「気にするな。俺もお前たちに聞きたいことがあるんだ。それに」
 彼らの国を責め滅ぼし、ロザリー姫やその姉姫を攫ってきたのは自分……フリッツ=トラン=ヴラドの甥であるシェリダン=ヴラド=エヴェルシードなのだ。
「……シェリダン王!」
 案の定、運ばれている最中薄く目を開けた青年が、フリッツの顔を見て瞠目する。
「違う。とにかく、まずは君の傷の手当だ。その後、話を聞いてくれ。頼む」
 青年は言葉も出ないほど驚いていたが、確かに似ているとはいえ、フリッツと甥御殿である少年との間には年齢差という絶対の隔たりがある。なんとか納得したらしく、彼は頷いた。
「…………わかった」
「馬車だから揺れるが、我慢できるか?」
「大……丈夫だ」
 もう間違いがなかった。フリッツは馬車の荷台の空いているスペースに青年を横たえ、血の気を失ったその顔を見て確信する。
 容姿はあまり似ていない。先日一瞬だけ見た王妃の少女の方が瓜二つだった。しかし王族なら片親違いは普通だろうし、両親が同じ実の兄妹でも似ていない兄妹なら幾らでもいる。
 それよりも、青年がフリッツを見てシェリダンのことを言い出したことが決定的だった。過日のエヴェルシードのローゼンティア侵略は、あまりの猛攻により始まって一週間で終焉を迎えた。つまり、王族が軍隊を率いて戦場を展開し、立ち向かうほどの時間がなかった。だから王城に攻め込んだシェリダンの顔を知っているのも、その時王城にいた者だけとなる。
 そして、ロザリーを兄妹だという三人。
 彼らは、あのローゼンティアの王族なのだ。

 ◆◆◆◆◆

「大丈夫ですか? メアリー様」
「あなたたちは?」
 逃げ続けて逃げ続けて、いつしか知らない場所に辿り着いていた。もっとも、自分がこの世の中、いや、むしろローゼンティア国内に関してでも、知っている場所などほとんどない。ずっと王城にたから。
 勉強はしていたけれど、どうしても実践的な知識は不足しがちだ。困惑するメアリーに、そのひとは優しく説明してくれた。
「我らは、王権派の貴族です。現在のローゼンティアの混乱を治め、エヴェルシードを打破して元通りローゼンティアを取り戻すために動いているのです」
 そういえば、場所はわからなかったが、この人物の顔に関してはどこかで見覚えがある。そうだ、ローゼンティア貴族。しかし、王権派? 王と王子の不仲が長い間囁かれ、王子が即位と同時に先王である父親を幽閉した隣国エヴェルシードならともかく、ローゼンティアには王族に反する勢力の存在だなんて、彼女はついぞ考えたことがなかった。
 メアリーのそんな表情をどう受け取ったものか、その人物は教えてくれた。
 今、この国で起こっていることの全貌を。
「第五王女メアリー姫。どうか心して聞いてください。実は、今回の戦争は――」
 メアリーは、自分の心の奥のどこかが、確かに砕ける音を聞いた。

 ◆◆◆◆◆

「……これはどういうことだ、カルデール公爵」
「冷たいな。ヘンリー殿下。昔はあんなに親しげにアウグストと呼んでくれたじゃないか」
 目の前で笑うこの男を、噛み殺せたらどんなにいいかと思う。
「姉上を離せ」
「離さないよ。だってアン殿下を自由にした途端、君は私の下を去ってしまうだろう?」
 彼の隣には今、ヘンリーの異母姉アン=テトリア=ローゼンティアがいる。アウグストはこれ見よがしに彼女の肩を抱き、側へと引き寄せている。
彼女はヘンリーに対する人質なのだという。
「何故だ……何故こんなことをしたカルデール! 何故祖国を裏切るような真似を!」
 彼に捕らえられて以来、幾度も繰りかえしたやりとりをまた繰り返す。ヘンリーとアンを捕らえ、彼の領地であるローゼンティア東方カルデール地方の城へと連れてきたアウグストは、ヘンリーたちを閉じ込めておきながら、客人でももてなすような扱いを与えている。
 その落差に、ヘンリーは眩暈を覚えずにはいられない。
 何故。一体どうして。
 幼き日の、彼と過ごした日々はもはや胸に痛いだけだった。いっそ忘れてしまいたいくらいなのに、思い出はこんなにも鮮やかだ。
「だから、言っているでしょう?」
 長椅子の正面に座る彼の、涼しげな声音に現実へと引き戻される。
「私は、あなたが欲しかった」
 その言葉は幾度も聞いた。けれど、ヘンリーが欲しいのはそんな言葉ではないのだ。
「アウグスト、正直に答えてくれ」
「おや、やっとその名で呼んでくれましたね」
「ふざけていないで、真面目に答えろ」
 ヘンリーの声の違いに気づいたのか、アウグストが姿勢を正す。アンの体を離し、回り込んでヘンリーの前に跪く。
 思わず体を引いて避けようとしたヘンリーの手をとり、両手でおし抱くようにして、口づける。
「な……何を」
「カルデール公爵?」
 アンも呆気にとられてアウグストのその行動を見ている。
「わかってくれ。ヘンリー。全ては君のためなんだ」
「……どういうことだ」
「ヘンリー。いいや、ヘンリー=ライマ=ローゼンティア殿下。私は、君にドラクル殿下の即位に協力してもらいたい」
 その言葉に、ヘンリーは軽く混乱する。
「……な、何を言っているんだ、アウグスト。国が滅びたのに、ドラクル兄上に協力も何も。それは、私も国と王家が健在であれば兄上に協力するのはやぶさかではないが」
「いいや。ローゼンティアは、まだ滅びてなどいないよ」
「アウグスト」
「ヘンリー、君は知らないんだ。この国の真実を」
 そしてアウグストは、沈痛な面持ちになりヘンリーをまっすぐに見つめた。
「もしも君がローゼンティア王家の真実を知れば、間違いなくドラクル殿下に協力したくなるはずだ。ロゼウス王子ではなく」
 ロゼウス? 何故ここで、敵国エヴェルシードでも競争相手のアンリでもなく、ドラクルにとって実の弟であるはずのロゼウスの名が出る?
「……どういう意味かえ」
 傍らで聞いていたアンがたまらずに問いかける。アウグストは彼女のほうを憎しみのこもった視線で睨み付け、またヘンリーへと向き直った。
「……ヴラディスラフ大公を、覚えているか?」
 それが全ての、この悲劇の始まりなのだと彼は言う。

 ◆◆◆◆◆

 助けて。
 誰か助けて。
「ほらよ、王子様。ちゃんと咥えな。歯なんか立てたら承知しねぇぜ」
 野卑な言葉と共に、口の中に男のモノを突っ込まれる。吐き気をこらえながら、いやいやそれをしゃぶる。
 拒んだらどうなるかは、この男たちに捕まった最初の時に知った。さんざん殴り飛ばされ、すぐに傷の癒えるヴァンピルの体質を気持ち悪いと罵られ、治るのだからかまわないだろうとさらに酷いことをされた。
 助けて。
 胸の中で繰り返す。だけれど、全ては無駄。
 誰も助けてはくれないのだから、自分でなんとかするしかない。
「本当に下手だなあ。《王子様》。王族ってのは乱れきってるんだろ? お前、十四か十五ぐらいだろ? そのぐらいの歳なら、この程度の遊びは珍しくないっていうじゃねぇか」
 違う。確かに貴族の中には嗜みとして早くから性交を教え込まれ、それに溺れるものが恥も外聞もなく火遊びに興じるから享楽と淫蕩の印象が庶民には強いかもしれないが、実際の王族はそんなことはない。
 自分には、そんなこと大人になって婚約者が定められるまで関係ない。そう思っていたのに。
「随分うぶな《王子様》だな」
 ……王家の紋入りの指輪など、さっさと捨てておけばよかったのだろうか。あれだけは自分の元の身分を、元の家族を、幸せな日々を思い出させてくれるものだし、いざとなったら売って金に換えようと思って、肌身離さず持ち歩いていたのに。
 ジャスパー=ライマ=ローゼンティア。
 少年の持っているものの中で、最も価値のあるこの名。
 エヴェルシードと国境を接する地域まで逃げたのは良かったが、そこでこの人買いたちに捕まった。さらには運が悪いことに、彼らは労働用の奴隷を売る組織ではなく、力なく美しい子どもを主に性の相手をさせる玩具奴隷として売る奴らだった。
 エヴェルシード国内のアジトに連れてこられ、牢に閉じ込められて、夜毎人買いたちに犯される。最初のうちは抵抗していたが、もう、心が拒否しても体が諦めきっている。
「ほら、今度はこっちの番だぜ。これを待ってたんだろ?」
 にやついた笑いで、別の男がジャスパーの足を開かせる。
「――――っ!!」
 自分でも触れた事がないような場所をまさぐられ、指を入れられて全身に怖気が走った。強烈な異物感と痛みに、意識が飛びそうになる。いくらたっても、こんなこと慣れない。
「なんだ、まだ声出ないのか」
 無理矢理僕の中に侵入して腰を動かしている男の言葉を、半ば虚ろな意識の中で、頬を滑る涙の感触だけを意識しながら聞く。
 言葉なんて、ここに連れてこられた最初の日に失った。度重なるストレスのせいで、どうやら一時的な失語状態に陥ったらしい。
「で、こいつどうする?」
「メチャクチャキレイなツラしてるよなぁ。これで女じゃねぇなんて、信じられねぇぜ」
「親方が来週の奴隷市で売りに出すって言ってたぜ」
「マジか? まあ、この顔ならすぐに買い手がつくだろうしな。……それまでにもう少し、楽しませてもらおうか」
 ジャスパーの体を二人がかりで引き裂きながら、男たちのそんな会話が交わされていた。
「何せ吸血鬼の王子様だ。高く売れるだろうぜ? 男相手だろうが女相手だろうが、買い手が殺到するだろうさ」
 口に男のモノを咥えさせられ、下でも男を受け入れながら、ジャスパーは今は遠く引き離された家族を思う。
 助けて。お願い助けて。
 ロゼウス兄様――!


054

「ひっさしぶりー♪ ロゼウス王子」
「その声、ハデス? 久しぶり」
 やけに機嫌よく現れたのは、世界皇帝の弟だという黒の末裔、謎の少年だった。
 彼は皇帝である姉に用事があるということで、半月ほどエヴェルシードから遠く離れた薔薇大陸、通称皇帝領に帰っていたはずなのだが。
「な、なんで背後から抱きつく必要があるんだ?」
「んー、別に、気分かな」
 そうなのか。それはいいんだけど。
「久しぶり。シェリダン王」
「…………久しぶりですね、ハデス卿」
 ロゼウスの正面に座っていたシェリダンが射殺すような視線をハデスに向けているんだが。
「それで、気が済んだのならさっさと我が妻から離れてくださいませんか?」
「えー、できればもっと殿下の抱き心地よい体を堪能したいんだけど」
「……いいからさっさと離れろ」
 低い声音で命じたシェリダンの言葉に従い、ハデスはニヤニヤ笑いを浮かべながらロゼウスから手を離した。長椅子の空いているスペース、ロゼウスの隣に座って肩を抱く。
「このぐらいは許してくれるだろ?」
「…………貴様」
「まあまあ。せっかく、朗報を持ってきてあげたんだからさ」
「朗報?」
 その言葉に、シェリダンが胡散臭げに片眉を上げて見せる。
「そう。ある筋から」
「聞かせてもらおう」
「これ読んで」
 ハデスが手を一振りすると、何もない空間から真っ黒な封筒に入れられた手紙が現れる。
「今の、どうやったんだ?」
「異空間に仕舞ってたものを取り出しただけ。それより、今は手紙の内容見てよ」
「この紋章……バートリ公爵印か」
「そ。さすがエヴェルシードの王様だね」
 シェリダンは慎重に黒い封筒を開けた。中の便箋は普通のものだったので、そのまま無言で読み始める。
「何が書いてあるんだ?」
 ロゼウスの問を無視して、シェリダンはハデスへと視線を向けた。
「これは……」
「そ。ようするに僕の役目は郵便屋さん。たまたま通りがかったら、見事にこうして雑用係にされてるってわけ。まったく、君といいジュダ卿といいエルジェーベト卿といい、人のことを何だと思ってるわけ?」
 大いなる魔術の力を扱い、この世にできぬ事はほとんどないと言われるハデスが、うんざりしたように首を長椅子の背もたれに預けて仰のく。
「どう? イスカリオット伯の城に招かれたばっかりだとはいえ、エルジェーベト卿からの招待状」
「招待状?」
「ああ」
 シェリダンは依然険しい表情のまま、手紙を見ている。
「……内通者でもいるのか。あまりにタイミングが良すぎるな。ルースが来た途端にこれとは」
「?」
「お前はとりあえずこちらを読め」
 そう言って、シェリダンは自分の懐から、ラヴェンダー色をした別の封筒を取り出した。受け取り中を確認して、ロゼウスははっと顔を上げる。
「ルース姉様の筆跡」
「そうだ、お前の姉からの情報だ」
 シェリダンに肯定され、ロゼウスは慌てて手紙の内容を確認する。
「ミカエラとミザリー姉様が、公爵に捕まってる……!?」
「そうだ。それが、このエルジェーベト=ケルン=バートリ女公爵だ」
 黒い封筒の紋章を示して、シェリダンが眉根を寄せる。
「どこかからこちらの情報が漏れたな。謀反の疑いをかけられる前に明かすつもりか。こんなもったいぶった言い回しで」
「シェリダン? 一体どう言う事なんだ? ミカエラとミザリーは」
「聞け。これに書いてある。お前を連れて、自分の領地に来いと言うバートリからの誘いだ」
 当地にご滞在の際は、ぜひ王妃陛下をお連れなさいませ。
 華燭の祝いに、若いご夫婦に面白いものをお目にかけましょう。
「あの女は見かけこそ私の味方のような顔をしているが、実際は何を考えているのかまったくわからない、得体の知れない女だ。昔は結婚していたらしいが、夫が死亡してからはどことも婚儀を挙げていない。ルイという弟がいて……駄目だな、基本情報以外の情報が足りなさ過ぎる」
「で、どうするのさ、シェリダン、ロゼウス王子を連れて、バートリ公爵領に行くわけ?」
「行かねば始まらないだろうな」
 シェリダンはロゼウスの方をちらりと一瞥し、ついで深い溜め息をついた。
「……何?」
「いいや。別に。ただ、ヴァンピルとは面倒な種族だと思っただけだ」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だ」
 ロゼウスにはシェリダンの言いたい事がわからない。相変わらずにやにやとした笑みを浮かべたまま、ハデスが横から解説した。
「こうならないよう王族をみーんな殺して最後の一人は自分の手元において妻にまでしたっていうのに、続々と甦ってくれちゃったからね。余計な貴族の入れ知恵でローゼンティア再興なんかされちゃ困るから、不穏分子になりそうなものはしっかりと回収、もしくは始末しておかなきゃねぇ」
 つまり。
「ミカエラとミザリーを殺す気なのか!?」
「そんなもの、会ってみなければわからない。お前みたいに取引に応じるような輩ならばいいが、強情を張るようなら死んでもらうことになる。それでもまた今度はこちらの手の届かない場所で生き返られたら困るがな……まあ、何にせよバートリの手元に置いておくわけにいかないことは確かだ」
 シェリダンは、ヴァンピルはみんながみんな、一度死んだところであっさり生き返れるものだと思っているらしい。実際には死者の蘇生にはある程度の条件、何よりその当人の持つ魔力が関係あるのだけれど。
 その辺りは余計なことになるだろうから、ロゼウスは言わないことにする。妙な知恵を与えて、せっかく甦った兄妹たちを再び殺されてはたまらない。
 特にミカエラは体が弱いから、今度死んだらきっと生き返る事は叶わないだろう。ノスフェルの血統であるルースのおかげで今回だってやっと甦ったようなものだ。
「嬉しい? ロゼウス王子。お姉さんと弟に会えるよ」
「うん」
「……なんか、複雑。君って、変な反応する人だよね」
「そうか?」
「そうだよ」
 最近、とみに変だ変だと言われる気がする。
「もっと微妙な反応するものだと思ってたのにな。だって、シェリダン王に引き合わされるっていうことは、その二人にとってもあんまり嬉しいことじゃないし。だからと言って、会わないわけにもいかないだろうしね。普通、こういう場合ってもっとぴりぴりするもんじゃない?」
「そうなんだけど……」
 そうではあるけれど、純粋に会えるのは嬉しいし、バートリ公爵という人がどういう人物かはわからないけれど、エヴェルシードの捕虜にされている以上、あんまりまともな扱いを受けてはいないのではないかと気にかかる。
 それぐらいなら、ロゼウスにとってもシェリダンと同じだ。手近にいるほうが状況がわかりやすい。それに、何人かで集まっていた方が何かの場合、有利になることもありえる。
「実際に顔を合わせないと、何とも言えないから」
「ロゼウス王子……君って、実は、すっごく想像力が乏しい人なんじゃない」
 ハデスがこれ見よがしに溜め息をつく。
「ロゼウスが呆けているのはいつものことだ。それより、今回の招待に対する返事だが」
「その必要はないよ、王」
「どういう意味だ?」
「僕が直接連れて行く、って、エルジェーベト卿に言ったから。まあ、拒否権はないってことだね。向こうに証拠隠滅する隙を与えたくないなら、早く支度した方がいいんじゃない? それに、誰を向こうに連れて行くの? もちろん僕はついて行くけど、さすがに王都を全部あけるわけにはいかないでしょ?」
 ハデスの拒否権無し宣言にシェリダンは渋い顔をした後、忙しなく目を動かしてしばし考え、世界で最も強大な魔力を持つ世界皇帝の弟にこう告げた。
「イスカリオット伯に、連絡を取れるか?」
 そして奇妙な一行の旅が始まる。

 ◆◆◆◆◆

「我がヴァートレイト城へようこそ、国王陛下」
「ああ」
 エルジェーベトの招待に応じ、彼女の領地へと赴いた。快く送迎を請け負った皇帝の弟閣下ハデス卿に依頼したところ、バイロンに外出報告をしてすぐジュダのいるイスカリオット城へと魔術で連れてこられた。
 いきなり現れたシェリダンたちに驚いて長い髪を解きっぱなしのままワインを零すジュダはある意味見ものだったのかもしれないが、こちらはこちらで着の身着のまま連れ出されたのでそう人のことを笑ってはいられない。
「まったく、一言でいいのでせめて連絡ぐらい寄越してくださいよ」
「悪かったな。と言うより、私も予想外だこれは」
 そしてジュダを連れ、今はバートリ公爵領にいる。ジュダと違い思惑の全くわからないエルジェーベトのもとを訪れるのに手駒を全て動かすのはまずいだろうと、今回はローラ、エチエンヌ、リチャード、ついでにロザリーはシアンスレイト城へと残してある。ユージーン侯爵クルスの元へは一応連絡だけはさせ、シェリダンはロゼウスとイスカリオット伯爵ジュダ、そしてハデス卿の四人だけで、この城を訪れた。
 目の前にいるのは、エヴェルシードでは数少ない女公爵、エルジェーベト・バートリ。
 男尊女卑軍事国家であるエヴェルシードで、その実力により自らの爵位、それも公爵を勝ち取った女。すなわち、このエヴェルシードで最も強い女性だ。
「こちらではどうぞ、王妃陛下共々ごゆっくりしていらしてください。お部屋へは、すぐご案内させていただきます」
「ああ」
 豪奢な応接間で向かい合い、シェリダンはバートリ公爵エルジェーベトと対面する。年の頃は三十四、五だったか。豊満な肉体と妖艶な美貌を持ち、毒のある色香をもった女だ。
 しかし、この蘇芳色の絨毯が敷かれ、防寒の用途を兼ねて毛皮をふんだんに用いられた室内が何よりも似合う美女には、公然の悪癖がある。
 いわく、《レズ公爵》。
 彼女は、女にしか興味のない女だ。
 男しか相手にしないシェリダンにとってはある意味付き合いやすい相手だが、何を考えているのか、そのわからなさはジュダの上を行く。女性と言うのは、シェリダンにとっては《謎》そのものと言っていい。いや、世の男にとって女性とはすべからく謎なのかもしれないが。
「バートリ公爵」
「あら、どうぞエルジェーベトとお呼びになってくださいまし、シェリダン陛下」
「ならばエルジェーベト卿。この手紙に書かれていた、私に見せたいものとはなんだ」
 エルジェーベトは紅を塗った艶かしい唇を吊り上げる。
「陛下方のお着きがあまりにもお早いものでして……当方にも準備がございます。明日にしてはいただけませんでしょうか?」
「できれば、今すぐ用件を明らかにしてもらいたいのだが。私はこれでも暇ではないのでな」
「それはわかっておりますが……」
「できぬのか? 見ての通り、私たちはこの四人だけだ。身軽ではあるが、多少心許ない格好だということも察してもらいたい。ここに長く滞在するわけにもいかぬのだが」
「そうですわねぇ……どのくらい御滞在の予定で?」
「三日だな。それ以上城を空けると、バイロンが倒れる」
「宰相閣下も大変ですわね……そういうことなら仕方ありませんわ」
 エルジェーベトは、これ見よがしに溜め息をつきながらも聞き訳がよかった。シェリダンたちが唐突に領地に現れてもほとんど動揺しなかったことから考えても、口ではそう言いつつとっくのとうに準備はできていたのだろう。
「本当はもっともったいぶったご対面といきたかったのですけどね」
 顎に手を当てて、艶やかに手元の呼び鈴を振った。
「入ってらっしゃい」
 シェリダンたちの背後の扉が開けられる。先程からそちらを気にするようにしていたロゼウスが、ついに席を立ち上がった。招かれた客の立場で無礼な行動だが、それ以上に彼の心を惹きつけるものがそこにあるらしい。
「ミザリー姉様!」
 部屋に入ってきた一人の女性の姿に、思わずシェリダンもジュダも、目を奪われる。
 扉を開けて姿を見せたのは、二十歳前後に見える一人のヴァンピルの女性だった。銀髪の上品な巻き毛を垂らし、雪のように白い肌をしている。瞳は真紅と呼ぶにふさわしい赤で、唇も同じ色だ。
 スタイルもよく、胸元を見せ付けるようなドレスによって、その華奢でありながら豊かな胸を持つラインが引き立てられている。顔が小さくすらりとしているせいで間違えやすいが、身長はそれほどでもなく、いかにもか弱げなお姫様と言った風情だ。
 そして、憂いに満ちた瞳。
 詩人なら彼女を見ただけで百も二百も新作ができるだろうという、その翳りを持った美貌。
 その顔立ちが一瞬で歪み、目元に涙を浮かべながら、ロゼウスに駆け寄る。その名を呼びながら。
「……ロザリーっ!」
 …………しまった。
 事情を知るシェリダンとジュダ、そしてロゼウス自身がそういう空気になった。最近、どこかで、これと同じような体験をしたことが……わかった、ルースが訪れてローラにロゼウスの女装はそのままでいいのかと指摘された時だ。シェリダンはつくづく、ローゼンティアの姫君とは相性が悪いのかもしれない。ついでに今回はさすがに、あの変わった第二王女のようにはいかないだろう。
 ロゼウスはその場で思わず足を止めてしまったが、ミザリーと呼ばれた姉姫の方は止まらなかった。華奢な腕を伸ばし、必死でロゼウスを抱き寄せる。
 あれ? 今、姫がそんな顔をした。さすがに抱きついて男女の違いに気づいたのだろう。
 第四王子であるロゼウスとその妹である第四王女ロザリーは、異母兄妹でありながら顔立ちがそっくりなのだ。双子と言っても通用するほど似ている上に身長もほとんど変わらないので、同じ服を着たら初めて見た人間には見分けがつかないに違いない。
 そして例え家族であったとしても、まさか久々に再会した弟がドレスを着て登場するとは思わないだろう。
 ロゼウスが姉姫を抱きしめ返すでもなく手を前に回したところを見ると、今頃全力で唇の前で人差し指を立てているに違いない。黙っていてくれ、の合図だ。
 しかしここでいきなり姉妹再会のやりとりが全て絶えるのも不自然だ。おまけに、いくら久々の再会とはいえドレス姿の弟王子をそのまま抱きしめるのには抵抗があったのだろう。ミザリーという名の姫は、アドリブに出た。
「ロ、ゼ、……ロザリー! 久しぶりね! あなた髪を切ったのね! 一瞬誰だかわからなかったわ!」
「お姉様こそ! ……随分、おやつれに……」
 ロゼウスの言葉尻は次第にか細くなり、演技ではないことを感じさせた。姉姫もそれを感じ取ったのか、ようやく瞳を和ませる。
「……ロゼ……」
「どうやら、喜んでいただけましたようね」
 エルジェーベトが二人の様子を見て、優雅な仕草で髪をかきあげる。
 しかし彼女が声を発した途端、ロゼウスの向こうで姉姫は顔を強張らせた。
「エルジェーベト卿」
「陛下、お見せしたかったものとは、こちらの姫君ですわ。他にもうお一方、弟王子をお預かりしています。確かにローゼンティア王家の方々でしょうか」
「ああ。妻のこの反応によればな」
 シェリダンはエルジェーベトの顔色を一部の隙もないように見つめながら、言った。
「もう一人の弟王子に、会わせてはもらえないのか?」
「残念ながら、彼は今、持病が出て伏せっております」
「ミカエラは、体が弱いから――」
 顔だけで振り向いてロゼウスが言った。この馬鹿。シェリダンたちがその王子の名前まで特定していることを、わざわざ相手に教えてどうする。
 しかしエルジェーベトはそうはとらず、何気なく先を続けた。
「ええ。第五王子のミカエラ殿下は、王家の中でも特別お体が弱い方らしいですわね。回復次第、すぐに王妃陛下にお目にかけますわ」
 彼女はこちらの思惑に気づいているのかいないのか、そう言って、再びシェリダンへと視線を戻す。
「報告が遅れまして申し訳ありません、陛下。本物の王族、それも陛下が御自ら手を下したはずの甦りの者だと、判明するのに遅れました。その場で殺した方が良いかとも思いましたが、陛下が王家の姫を正妃に迎えたのなら、親族に当る者を簡単に殺害するわけにもいきませぬもので」
 明らかに遅すぎたそれを、そういう理由で片付けたエルジェーベトが、侍女を呼ぶ。
「それでは、今宵はごゆるりとお寛ぎくださいませ。ミザリー姫とも、久々の再会、ぜひゆっくりと会話なされませ、王妃様」
「お気遣いありがとうございます」
 ロゼウスが形だけでもと礼を述べる。
結局何を考えているか知らせないままで、相変わらず謎めいた笑みだけを置いてエルジェーベトは彼らを応接間から追い出した。