033

 愛している、愛している、愛している。誰よりも。
「ローラ。私の愛しい人よ」
「……鬱陶しいわね」
 五年前より主君より下された妻を組み敷きながら口を開けば、一言目でまずそう罵られた。この後彼女の決して豊富とは言えない言語辞書から、語彙の限りを尽くされた罵倒を聞く羽目になる。罵倒と言ってももはやローラのそれは諦めの境地に近く、淡々と愛らしい唇から不似合いな毒を漏らしていくばかりだ。
 少女の幼い肢体に手を伸ばし、リチャードは背徳の喜びに酔いしれる。リチャード=ハンバート=リヒベルク。今年で二十七になる。主であるエヴェルシード国王シェリダンとは十歳違い、妻であるローラとは十二歳違う。腕の中の愛しい少女はまだたったの十五歳だ。
「愛している」
「さっさとしてよ。あんたに抱かれるなんて気持ちが悪い。吐き気がする」
 懲りずに耳元で囁けばまた強烈な罵詈を喰らう。けれど、その舌鋒鋭いところも好きだ。結局自分はこの少女にのめりこんでいるのだろう。
 八年ほど前、リチャードの実家であるリヒベルク家は堕落した。長男の不祥事のせいだった。次男であるリチャードはその兄の罪を着せられ、危うく投獄されるところだった。しかしその時、運よくシェリダンと出会い、彼によって救われた。それから紆余曲折を経て家は没落、リチャードはシェリダンの側仕えとなり、王城に住むことになった。
 この一室はその時に与えられた部屋だが、侍従用の部屋とは言っても下級貴族だったリチャードにとっては、驚くほどの面積がある。後にローラをシェリダンの命令で妻としたとき、どうせなら面倒は少ない方がいいと彼女をそのままリチャードの部屋に住まわせることになった。いわば、夫婦の同室であり寝室だ。ローラがどう思っているのかは全く無視した話だが。
 寝台に軽く縫いとめた少女に口づけを落す。白い肌に鮮やかな赤い花を咲かせるように、胸元を痣で埋めた。
 金色の髪に緑色の瞳のシルヴァーニ人。ローラとその弟であるエチエンヌはエヴェルシードの民ではない。他国から攫われてきた玩具奴隷だった。暇を持て余した貴族の間で一時期流行した忌むべき習慣である。貴族たちの間の隠語として「愛玩人形」と言われていた。
 人形。
 美しく愛らしい人形。
 こんなことを言ってはいけないのだろうが、リチャードは彼女たちを見るたびに確かにそう思う。「双子人形」と呼ばれる二人。ローラとエチエンヌ。蒼い髪に橙色の瞳のエヴェルシード人の中で、その華やかな金髪と緑色の瞳は酷く目立つのだ。着飾って並び立つところは硝子ケースに飾って置きたくなる陶器人形そのものだった。
 けれど彼女たちが流す涙は間違いなく、人の熱の温かみを帯びた命ある者のそれで。
 リチャードは一目で心を奪われた。その時の状況が状況だったからかもしれない。敵意満々の視線で睨み付けて来る弟よりも、呆然と虚ろな瞳に涙を浮かべて……
 あの時のことは一生忘れられないと思う。
 あの時のことを一生忘れたくないと願う。
「愛している……」
 囁くと共に、そのほとんど平らな胸へ指先を伸ばした。実年齢は十五歳ほどであるローラは、貴族の奴隷生活の中で麻薬を打たれ、その後遺症で体の成長が酷く遅かった。同時に身体組織の組成も脆く脆弱な身体だったのだが、そちらの方はシェリダンが暗殺者として仕立て上げることを口実に……いや、それも嘘ではないのだろう。だがその中途で常人以上に身体が丈夫になるよう鍛え上げた。骨や筋肉は成人男性のリチャードよりよっぽど丈夫になるように。だが成長の遅さはどうしようもない。いくら脆弱な身体を鍛えるためとは言っても、先に筋肉をつけてしまった身体では、もうそれほど身長も伸びないだろうし。
 今のローラとエチエンヌの姿は十二歳前後と言ったところだ。したがって、ろくに大人の身体をしていない。それでも指先で開いた箇所は大分使い込まれている。
「あ……は……」
 リチャードと身体を重ねてもローラが自分から艶めいた声を聞かせる事はない。刺激に耐え切れずついつい喘ぎが零れる事はあっても、肌を合わせた相手を情欲に誘うような声をあげはしない。これは彼女が忌避する行為。
 貴族間に流行した玩具奴隷とは、平たく言ってしまえば性奴隷のことだ。エヴェルシードは炎の国とも呼ばれるほど攻撃的な性情を持つ者の多い国。そのような国では、当然日常の些細なことにもその人間の攻撃性は影響する。特に男性にとって、性欲と攻撃本能は紙一重だ。普段は紳士の仮面を被っていても、閨の内で行動が荒々しくなる男などいくらでもいる。
 ローラとエチエンヌの二人を捕らえていた貴族の男は、特にそういった苛烈な噂の耐えない問題の人物であった。リチャードと同じ歳ではあるが、身分は段違いである。しかし彼はすでに二十歳の頃に問題を起こして公爵家から伯爵家に降格され、その翌年にもある侯爵の嫡子に暴行未遂をしたと聞いている。
 彼はエヴェルシードとは縁遠いはずのシルヴァーニから密に買い上げた奴隷の二人を、思う様陵辱した。シェリダンたちがある事件をきっかけにそれを知ったのが五年前、ローラとエチエンヌがわずか十歳の時。しかしその時既に、二人は止むことのない虐待と陵辱の日々に疲れきっていた。
 シェリダンは優しい、と言う言葉とは程遠い人物だと思うがこの二人にとっては救い主でもある。二人はすぐにシェリダンに懐き、また歳の近い友人と言うもののほとんどいなかったシェリダンにとっても二人の存在は親しみやすかったようで、ローラとエチエンヌを側仕えにした。その際、ローラを下賜という形でリチャードに与えた。お前の妻とせよ、と。
 そしてリチャードは初めて会ったときからこの少女に魅せられていた。
 あの時、ローラは十歳、リチャードは二十二歳だった。十二も年上の成人した男に、陛下はあろうことか、幼いとすら言える少女を妻として渡した。その時シェリダン自身も十二歳ではあったのだが。臣下であるリチャードにはシェリダンの高貴な考えの深い部分などわかるわけもない。
 リチャードにわかるのはただ、彼の妻となったこの少女がその主であるシェリダンを想っていることだけだ。
 そしてリチャードが彼女を愛し、こうして身体を重ねることで、永遠に叶わない彼女の想いを余計に傷つけているということだけだ。
「うぁ……は、ああっ……ん」
 指で中を掻きまわされ、ローラが外見の幼さに似合わぬ艶めいた声を上げる。幼い頃から性的に虐待され続けたこの少女は、そう言った経験と反応は並みの大人以上だ。
「あぅ……つっ……」
 空いた片方の手で華奢な胸に飾りのようについた乳首を弄る。子どものまま身体の成長が緩やかな彼女は当然胸も未発達で、この年頃の少女にしては珍しいほど平らだ。
「あ、ああ、あ…………!」
 内股を濡らす粘液。リチャードは彼女の足を開かせ、自分のものを押し当てる。
「うあ、ああああ」
 華奢な肢体を蹂躙するごとく自身を中に埋めてリチャードは恍惚とする。相手を気遣うほどの余裕もなく腰を使い、絶頂へと達する。未成熟な女陰に精を吐き出して幾ばくもしないうちに、五月蝿いハエを追い払うような仕草でローラがリチャードを拒絶する。
 何度肌を合わせても、一向にリチャードに靡かない少女。彼を愛さない妻。リチャードを夫などとは死んでも認めないだろう、ローラ。
 誰よりも愛しい君。
 愛している、愛している、愛している。
 誰よりも君だけを。
 私自身よりも、君こそを。
「愛している」
 独り言のように呟いた声は掠れ、横たわり額に手を当てたローラが疲れきった胡乱げな眼差しでリチャードを見る。
「あんたなんか、嫌い」
 それでも、君が好きなんだ。

 ◆◆◆◆◆

「犯せ」
 何を言われているのかわからない。
「犯せ」
 無情な命令は繰り返される。
 薄暗いと言えばいいのか、薄明るいと言えばいいのかわからない部屋に姉と二人、連れて来られた。エチエンヌはローラの手を握り、ローラもエチエンヌの手を握り返して、二人の恐怖を伝染させあいながら必死で佇んでいた。
 誰も助けてはくれない。
 僕らは、世界でただ二人きり。
 シルヴァーニは貧しい国だ。貧しい国のくせに、そこに生まれる民の容姿は麗しい。この二人もそうだ。姿形のそっくりな双子。同じ服を着ればあってなきような性別の差など無意味と化す。……だから彼らは、両親に売られた。ただでさえ貧しい国はその昨年の危機に打撃を受けた。その年こそ世界皇帝の温情で何とか物資を援助されて持ちこたえたが、ただでさえ頭の悪い顔だけの王が治める、皇帝の気配りさえなければとっくに滅んでいるような国だ。援助物資を保存することも思いつかず前年の援助を食いつぶし、次の年にまで名残を残した飢饉に国はひとたまりもなかった。その頃にはさすがに皇帝にも呆れられ、シルヴァーニは滅びを待つしかない国となった。
 それだけならよくあることだ。飢饉で国が倒れそうになることも、皇帝が一国を見放すことも、王が愚鈍なのも。 
 親が貧しさに負けて、食い扶持を減らすためにはした金で子どもを売ることも、よくあることだ。シルヴァーニの子どもは国内ではさほどの価値もないが、他国でなら高値で売れるとすでにその頃から聞いたことがあった。
 見目が良いからだ。
 売られた子どもたちは普通の奴隷がする辛い労働の代わりに、己の持つ全てを差し出させられる。性奴隷。玩具奴隷とも呼ばれるそれにするのだ。年齢など関係ない。暇をもてました貴族の変態どもは、むしろ買った子どもが幼ければ幼いほど、喜ぶ。子どもたちは身体も矜持もずたずたに引き裂かれ理性を手放し、やがては飽きて始末される。
 情報としては知っていたそんな目に、実際に遭うまではわからなかった。父母が自分たちを売ったと人買いの口から聞くまで、自分たちは愛されているのだとエチエンヌもローラも錯覚していたのだ。馬車の中で二人は、騒ぐと人買いたちに殴られることを気にして、小さくすすり泣いた。
 彼らが奴隷として売られたのは八歳の時。それから一年ほどは、国内の貴族の下で普通の労働をさせられていた。その貴族は見慣れた同国人などに興味がないのか、エチエンヌたちに玩具としての価値を認めないようだった。その頃はまだ良かった。ちょっとした粗相の度に折檻されて苦痛に喘いでも、まだ人間の暮らしだった。最下層の最低な暮らしだったけれど、まだ人間の暮らしだった。
 環境が変わったのは、一年後、その国内の貴族が自分たちを、別の国の貴族へと売り渡してから。
 シルヴァーニでは同国人の美しさなど見慣れているから、同国人はあまり興味を示さない。しかし、他国では違う。シルヴァーニは小国ながらも様々な国と隣接していて、それなりに珍しい種族とも交流があったからなまじ、それらでも満足しない。では娯楽を求めて下衆な貴族どもは何をするのか? というと、他の、普段は国交のない遠国とコレクションのトレードだ。その土地の名産を遠国に送るがごとく、奴隷同士を交換し合う。
 エチエンヌたちを最初に買った国内の貴族が、その時欲しかった遠国の人種は、エヴェルシード人。シルヴァーニ人は金髪に緑色の瞳が特徴だが、エヴェルシード人は蒼い髪に橙色の瞳を持つという。金髪だからか、線が細く色の薄い印象を与えるシルヴァーニ人と違って、エヴェルシード人の美貌は強烈だ。蒼い髪に、燃える炎のような橙色の瞳は、その色彩に一度触れた人間を虜にするほど印象深いのだという。噂では、国王が下町の美しい娘に一目惚れをして彼女を無理矢理妃にしたため、その娘から生まれた世にも美しい王子が跡継ぎだと言う、その国。
 その時はまだ、雲の上の話だと思っていた。
 所変われば人も変わる。確かに外見上はそうだろう。だが人の膿み腐った部分など、国が変わったぐらいでそうそう変わるものでもない。どこにだって下衆はいる。なのに何故高潔な騎士は何処にでもはいないのだろう。
 国内の貴族から、国外の貴族へとトレードされたエチエンヌとローラは、エヴェルシードへと送られた。彼らの元の雇い主より新たなエヴェルシードの主人の方が立場は上らしく、それまで顎でこき使っていた二人を、元の主人は丁寧に着飾らせて馬車を駆り、エヴェルシードへと送り届けた。トレードなのだからその後、エチエンヌたちの代わりの奴隷を引き取って帰ったはずだけれど、彼らはその新しい奴隷の顔を見てはいない。一生見なくてもいいと思っているし、実際見る事はないだろう。
 それよりも、新しい主人へと気をとられていた。
『これがその《人形姉弟》か』
 その人は前の主人よりもかなり若く、しかも美しかった。商談は主に手紙による連絡が主だったらしく、相手の顔を見たのは元の主人も、二人を送り届けた時が初めてだったのだろう。噂に聞く美貌のエヴェルシード人に、エチエンヌたちと一緒に呆気にとられていた。奴隷よりもあなたを連れて帰りたい、とそう蚊の鳴くような声であの男が口走るのを、彼らは聞いた。だがそんなことを正面きって言えば、脂ぎった中年親父など即座に首をはねられる事は理解していたらしい。
 元の主人は二人を置いて、エヴェルシード人の美しい娘と、労働用のたくましい男二人ほどを連れて帰ったらしい。その後の消息は知らない。
 聞く必要も、そんな余裕もなかった。
『噂に聞く《美》の民、シルヴァーニ人か。なるほど、美しいな』
 むしろそう言う彼のほうが美しいと思う魅惑的な顔で、彼はそう言った。まだ二十一歳の青年伯爵。望めばどんな美姫だって彼にときめかぬ者はいないだろうに、何故わざわざ玩具奴隷など買う必要があるのか。けれどその理由は、すぐに知れた。
『その服、似合わないな』
 エヴェルシードは大国にはまだ含まれないが、軍事国家として相当な力を持つ部類ではある。そのエヴェルシード人の感覚から言えば、弱小国シルヴァーニの下級貴族が着せた格好など襤褸程度にしか思えないのだろう。彼は容赦なく、エチエンヌとローラの服を剥ぎ取った。それまでの殴る蹴るの暴行とは種類の違う暴力に怯えて泣き叫ぶ二人の頬を軽くはたいて黙らせると、召し使いに命じてすぐに着替えさせた。エヴェルシードの最高レベルの衣装へと。
『美しいな』
 うっとりと瞳を細めながら、彼は着飾らせた二人を眺める。頬に軽く赤い痣を作ったものの、今まで手を触れるどころか見たこともないような高級な服を着せられて呆然とされるがままになっていた二人は、黙って彼の言葉を受けた。
『《人形姉弟》……か。それじゃいまいち興をそそらないな。しかも姉弟ではただの兄妹ととられて双子だと言う事が伝わりにくい。だがあまり長ったらしい呼称も面倒だな……ならば、これからお前たちは《双子人形》と呼ぶことにしよう』
 それはさっきまで適当に呼ばれていた呼称より、簡素でありながらさらに深い意味の込められた呼び名だった。今までの人形姉弟と言う名は人形じみたという二人への感想がそこに込められてはいても、まだエチエンヌたちを人間として見ている。けれど、この男が名づけた方は違う。
 双子人形。それは完璧に二人の外見だけを現す言葉。彼らの価値は双子であること、人形のように美しいこと、それだけだと男は告げた。
『さてと、では支度も整ったことだし、そろそろ楽しませてもらおうかな。そのために買ったのだし』
 エチエンヌとローラはその時まで、本当の意味で玩具奴隷と言う言葉をわかってはいなかった。
『あっ、いやっ、いやぁあああああああ!』
 さんざん抵抗するが軽く封じられ、男はエチエンヌを犯した。それでも後のことから考えれば十分手加減されていたのだろうが、何しろその時まで性交渉という言葉も知らず、それに関する知識もまったくない子どもだったのだ、エチエンヌもローラも。とにかく辛くて痛くて恥ずかしくて……だが、元は二束三文の奴隷をわざわざ高い金を出して買った男の責め苦がそこで終るわけはない。
 服を着たままエチエンヌの体を弄び犯しつくした男は、最後にエチエンヌに自分でのやり方を教えた。添えられた手で擦られて、まだ玩具のようでしかない自分のものをどうしようもなく反応させられながら、エチエンヌは今日一日であらゆる苦痛を味わい尽くしたような気持ちで、無心にそれを行った。
勃ちあがったそれのけれど射精を拒んで、男はエチエンヌの根元を握り締める。苦悶に喘ぐエチエンヌを余所に、彼はそれまで恐怖と混乱のあまり一言も口を聞けず、部屋の隅で震えていたローラを手招きした。表面上は優しい、けれど実際はこの上もなく残酷な笑顔で。
『犯せ』
 今、なんと言った?
『ローラを犯せ、エチエンヌ』
『――――っ!!』
 二人は示し合わせたように絶句し、その様子に男はますます笑みを深くする。嫌だと首を振ったが、男はそれを許さない。言葉巧みに脅しながら拳は使わず、段々とエチエンヌを追い詰める。殴られてもいないのにエチエンヌは恐怖に屈し脅迫に駆られ、ローラへと近付く。
『ねぇ、嘘でしょ? やめて、エチエンヌ』
 やめることはできなかった。
 エチエンヌは、自らの手で姉を犯し、その処女を奪った。
『さすがにまだ子どもの身体に挿入るには、私のものではキツすぎるからな』
 男はそんなことを言いながら笑っていた。そして行為を終え、放心状態と化したローラの性器を弄びながらこう尋ねた。
『ローラ、お前、月経は?』
『……え?』
『初潮はまだか、と聞いている』
 ……馴染みのない単語に一度は首を傾げ、ようやくその意味に思い至ったローラが小さく否定する。まだ、と。
 男はこの上なく残念そうな顔をした。
『なんだ』
 つまらなそうに言い捨てる。
『禁断の近親相姦の子を、見てみたかったのに』
 彼は最中の二人に指図し、手馴れていないエチエンヌに、ローラの中に直に出させた。それをなんとも思っていない顔つきだった。
 張り詰めた心の糸が切れる音が聞こえたのは、これが一番最初だ。限界を超えた心が叫ぶ。

「――――っ!!」

 自らの叫び声に飛び起きた。一瞬夢と現実がわからなくなって、頭を抱え込む。
「どうしたの?」
 隣で寝ていたロザリー、今はシェリダンの命によりエチエンヌの妻とされた姫が彼の背を支える。エチエンヌの大声にびっくりして起きてしまったようだ。
「なんでも、ない……」
 あのうなされ具合でそんな言い訳通じるはずがない。けれど彼女は何も言わず、エチエンヌが落ち着くまで、ただ優しく背を撫で続けた。人の育ちのよさが行動に現れるというのなら、間違いなく彼女は育ちの良い人間だろう。人ではないが。普段からエチエンヌとは喧嘩ばかりしているが、こんな時にそれを許せるのだから。
「昔の夢、見た、だけ……」
「そう」
 そう、あれはただの悪夢。
 永遠に忘れ去ることなどできない、ただの過去だ。
 その傷を抉ったのは、今日の昼間の、あの話が原因だとわかっていた。


034

 その日は、シェリダンの臣下、というより友人のような関係である侯爵、クルス=クラーク=ユージーン卿がシアンスレイト城に訪ねてきた。どうやらシェリダンに用事があるらしい。しかしシェリダンの方はまだ国王としての政務が残っているとのことで、待つ間クルスはロゼウスたちとお茶を飲みながら昔話に興じていた。
「へぇ。じゃあ、侯爵の方がローラやエチエンヌよりシェリダンとの付き合いが古いんだね」
「ええ。そうなります。僕が陛下、その頃は殿下であらせられましたシェリダン様にお会いしたのは七年前。まあ、八年前から陛下のお側に仕えるリチャードには敵いませんけどね」
 白銀の髪に紅い瞳の少年、ロゼウス=ノスフェル=ローゼンティア。ここ、隣国エヴェルシードによって滅ぼされたローゼンティアの第四王子であり、二ヶ月前、民の命と引き換えにエヴェルシード王シェリダンに攫われてきた。王子という事実を隠蔽し、女物の衣装を身に纏い、表向きはローゼンティアの王女ということにして、エヴェルシード王の妃の座に納まっている。初めこそ屈辱でしかなかった立場だが、今ではもう、慣れた。エヴェルシードでの生活にも適応してきている。
 ロゼウスのエヴェルシードでの立場はおよそ微妙なものだったが、周囲の目は数日前を境に変わった。ロゼウスの妹であるローゼンティア第四王女ロザリーが、たまたま下町に出かけたシェリダンと鉢合わせして、大騒動となったのだ。エヴェルシード王であるシェリダンの外出はお忍びだったのだが、さすがに下町の酒場一軒を(ロザリーが)大破壊して、王の命が狙われたとなれば噂も広まる。
 その噂の中に、どうやらロゼウスがシェリダンを救ったという逸話が盛り込まれているらしい。
 ロザリーは祖国を滅ぼされ親兄妹を殺された恨みでシェリダンの命を狙ったのだが、ロゼウスはその現場に乗り込んで、ついそれを止めてしまった。ロゼウスだって本当ならシェリダンを憎んでも良かったはずなのに。あの時、ロザリーを止めてしまったのは何故なのか。その前に現世界皇帝の弟だと名乗るハデスに、シェリダンの命を救うよう言われていたとはいえ、本当ならあそこで彼を見殺しにして、復讐を果たすのが正しかったのではないか……それでもロゼウスはその時、約束のことなど欠片も思い出せないまま、それでもロザリーに向かっていってその体を押さえ込んでいた。可愛い妹が人を殺すところを見たくないとか、そういう気持ちとは違う。
 自分はここでどう生きていけばいいのだろう。祖国を滅ぼした敵地。信頼できる人間などいない。今回のことでロザリーも一緒に囚われの身となったけれど、妹である少女に負担などかけたくない。それなのに。
 ロゼウスは誰も信用しない。目の前で、裏表のない人の良さそうな笑顔で話すクルスも、そっとお茶を注ぐローラも、その弟でありロゼウスに常に敵意を向けるエチエンヌも、王の侍従として鑑のような姿を見せるリチャードも、民の命を取引とし、ロゼウスを女装させ妃の地位に置いたシェリダンその人も。誰も。エヴェルシードで出会った人間など誰も信用してはいけないのだ。
 もともと信じたい相手はただの一人だったけれど、その人には裏切られた。ドラクル王子……自分の愛する長兄には。
 兄妹とはどんな関係にあるべきものなのだろう。ロゼウスとロザリーはとりあえず仲がいいけれど、彼女とは母親が違う。ロゼウスはこれまでの人生の全てを支えていた同腹の実兄ドラクルに裏切られた。だからこそ、絵のように中の良い兄妹などそんなにこの世にいるものか、と思ってしまう。
 例えば今目の前にいる二人はどうだろう。ローラとエチエンヌ。《双子人形》と称され、その通りに双子の人形にしか見えない。二人とも中性的な美形で、同じ服を着ればきっと誰にも区別などつかないに違いない。見た目には仲が良い。とてつもなく。何しろシアンスレイト城で唯一のシルヴァーニ人たちだ。けれどそもそも、この双子が何故遠いシルヴァーニからエヴェルシードに来たのかも不明だ。そういえば聞いた事はない。もとは奴隷だったところをシェリダンに召抱えられたとは言っていたけれど。
 そんなこんなで、考え事をしながら話を聞いていると、執務を終えたシェリダンが戻って来た。
「クルスか」
「はい。陛下。本日もご機嫌麗しゅう……」
「そういう挨拶はいらんと言ってる。お前の用事なら面倒なことは抜きにして、さっさと本題に入れ」
「はい。かしこまりました」
 クルスはにこりと笑った。本当にロゼウスより二つ年上なのか疑わしい、無邪気な子どものような笑顔だ。
 対して、その主であるシェリダンは渋い顔をしている。退屈したロザリーがローラたちを巻き込んで始めたゲームの名残で、テーブルの上が荒れているのが気になるらしい。しかしどうせここにはそんなことを気にするものもいないだろうと、さっさと空いている席に自分でついた。普通は侍従や小姓が何もかもやるところなのだが、彼はそういうことを自分でする。王族は情けないくらい本来自分ですべきことをできない人間が多いのだが、軍事国家であるエヴェルシードはそうではないらしい。軍人は常に自分のことを自分でしなくてはならないから。
 エヴェルシード王、シェリダン=ヴラド=エヴェルシード。ロゼウスと同じ十七歳でありながら、先代王の父に代わって即位し、その後まもなく父親を幽閉し、さらには異母妹に父を殺させて玉座を奪った男。
 夜空のごとき藍色の髪に、燃える炎を思わせる朱金の瞳。この世で最も美しい王と言われる、エヴェルシードの若き君主。彼こそがロゼウスたちの国ローゼンティアを滅ぼし、ロゼウスをこの国へと連れてきた張本人だ。
 彼の言うとおりにロゼウスは今現在女装をさせられて女の振りをし、王妃の地位に納まっている。そのことを知っているのは極少ない身内のものだけだ。妹であるロザリーはそもそもロゼウスが女装をしていることに驚いたのだし、ローラ、エチエンヌ、リチャードの三人はシェリダンに最も近い臣下として、その秘密を守るべく忠実に動いている。
例えば本当は男であるロゼウスの世話は、侍女であるローラが一手に引き受けている。本来は十数人の侍女をつけるところだが、それほど信用がおける者もそういないらしい。
客人であるクルスは知らないが、宰相としてこの国の内政を支えるバイロン閣下も知っている。王妃であるロゼウスが男だということは、現在この国の最重要機密である。
 そんなことは微塵も感じさせずに、仕事から戻ったシェリダンはロゼウスの隣に座り、クルスへと向き直った。
「それで、今日は何の用事だ?」
「これを」
 クルスが差し出したのは、丁寧に封を開けられた手紙だった。その蝋に埋め込まれた紋章に、シェリダンが眉を顰める。
「イスカリオット伯……ジュダか。何の用だ。そして何故これをお前が私に見せる?」
「実はこれ、イスカリオット伯からの預かりものなんです。宛名が僕……ユージーン侯爵となっておりましたので中を読みましたが、その内容が……」
 手紙に目を通して、シェリダンが険しい顔をした。
「イスカリオット領への誘い……それも、お前を通して、私とロゼ、それにローラとエチエンヌを連れて来い、と?」
「はい」
 名を呼ばれてロゼウスは視線を手紙に落としたが、それ以上に反応したのはシェリダンの臣下である三人だった。
「あの人が……!」
 エチエンヌが唇を噛み、ローラが俯いた。その肩を支えようとしたリチャードが手を払われる。
 何だ? イスカリオット伯爵と言う名は、ユージーン侯爵と同じくシェリダンの部下と言うことで聞いた事がある。けれど、クルスへの友好的な雰囲気に比べて、この反応はあまりにも殺伐としている。
「お前を通して、ここにいる全員で、か……向こうも考えたものだな。お前を通している以上、私が断れば侯爵家と伯爵家との不和。私が頷かざるをえない以上、お前もその申し出を拒む事はできない、と」
「はい、そういうことだと思います」
 手紙を折りたたんでしまい、シェリダンが考え事をするように腕を組む。ローラとエチエンヌの顔は強張ったままだ。
「どうしたものかな……」
 その横で、ロザリーがこっそりとロゼウスに話しかけてきた。
「なんか、私たちノケモノじゃない?」
「……俺もそう思う」
 何のやりとりなのか、さっぱりわからない。

 ◆◆◆◆◆

 イスカリオット伯爵ジュダ卿の城は華美。元はこんな様子ではなかったと言うのだが、現在の当主であるジュダ=キュルテン卿になってからは一族同士の不和による失態から爵位を公爵から伯爵に下げられても、その領地の一部をとりあげられても、まだ有り余る莫大な財を上手く運用してそれまで以上の収入を上げている。それまでよりもずっと税を下げて領民への公的扶助を掲げて人を集め、経済を活発化させた。必然的に下げたはずの税収は領民が増え、その収入が増えたことで何倍にもなって帰ってくる。現イスカリオット伯ジュダ卿は政治の天才とも言われている。
 彼の代になってから、明らかにその領地は華やかに栄えた都市となった。領民は生き生きとしているし、集まってくる兵士は意気揚々と軍務に参加する。城をそれまでより豪奢に飾り立てて、その威勢を対外的に誇示するかのような態度ではあるが、各方面への貢物もばっちりであらゆる場所に顔が利く。
 そして誰よりも、そのパトロンは国王。
「シェリダン様に先日お会いいたしましたよ」
「そう」
 客室の一室をカミラに貸し与えた男は、今、目の前の椅子に座ってこちらの様子を窺うように、笑顔の奥でその瞳を細めている。獰猛だけれど賢い鷹のような視線を持つジュダ=イスカリオット伯は、何を考えているのか、一ヶ月前、行くあてもなく彷徨っていた彼女を拾った。
 カミラはこの一月、彼に匿われてこの城で過ごした。けれど王侯貴族は頻繁に領地を離れ登城するものだから、ジュダ自身は何度も王都シアンスレイトに建つシアンスレイト城へと赴いている。エヴェルシード王国の要である街のその城は、国王の居城でもある。
 この男は当代陛下シェリダンと顔を合わせながら、その妹を自らの領地に匿っていることなどおくびにも出さず平然と会話ができるのだ。
 油断ならない。信用ができない。
 カミラとシェリダンと、この男がより強く仕え、力量を認めているのはどちらなのか。カミラとシェリダンと、どちらがよりこの男のことを信用した挙句に騙され、手痛い裏切りの憂き目を見るのか。
 今までは、その勝負に負けたのは自分の方だと思っていたが。
「それで、あなたは何を企んでいるの? イスカリオット伯」
「企むとは人聞きが悪い。私は、あの日道で野垂れ死にしそうだったあなたをお助けして、この誠意を御覧に入れたつもりでしたが」
「ええ、そうよ。でもその前に、私を裏切ったのもあなたですわね」
 カミラの言葉に、目の前の男は朗らかに笑って見せた。
 腹黒い思惑など何一つない様子で爽やかに。だが、その笑顔こそがクセモノだ。
「裏切ったとは人聞きの悪い。私は別に、あなたをシェリダン王に売り渡そうなどとは思ってはいませんよ」
「嘘をおっしゃい」
「嘘ではございません。それでしたら、何故今、貴女様をこうしてお助けしているのです?」
 その通りだ。しかしやはり、あの時のこの男の行動は疑わしい。シェリダンが挑戦的にカミラに言ったとおり、この男はシェリダンのためにカミラを罠に嵌める気なのではないのか。そんな疑いが常にある。
「これでもまだ、私を信じてはいただけないと?」
「ええ」
「つれないお方だ。そちらこそ、この私の怒りを買ってこの城を追い出されてはお困りになるでしょうに」
「そんなこともないわ」
 あのような目に遭った。あのような目に遭わされた。一ヶ月前のあの悪夢。あれに比べれば、もうどんな出来事も怖くはない。
「覚えていなさい。ジュダ=キュルテン=イスカリオット。あなたは私を簡単に自分の御する相手だとお考えのようだけど、私にだって、あなたの弱味を掴む手段くらいありますのよ?」
 カミラは毒のように笑って見せた。あの悪夢を乗り越えたのだから、もう何も恐れるものはないし、どんな汚いことだってできる。
全ては、この世で最も憎いあの男に復讐するため。
 この炎の国エヴェルシードの王たる、シェリダン=ヴラド=エヴェルシードに復讐せんがために。
「今の私に逆らえば、怖いわよ。イスカリオット」
 カミラはドレスの内側に隠した刃の重みを意識する。あの日から一日たりとも、護身用の武器を手放したことはない。それこそ、眠る時も湯を使うときも、肌身離さず剣を抱いている。
 非力な女がどんなことをしたって、力で敵わない相手がいるからそれは無駄な努力だと、笑われるのも承知だ。けれどそれでも、首を斬り命を絶てるのは、何も相手だけに限ったことではないのよ。いざとなったら、私は私の手で、自分自身を―――。
 もう二度と、あんな目には遭わない。遭いたくない。
「……どうやら、そのようですね」
 イスカリオット伯の顔から笑みが消えた。
「これまでは王女、正妃の娘とは言っても所詮、この、男が軍事で一花咲かせるエヴェルシードにおいては侮られていたお方。蝶よ花よと甘やかされて自分では何一つなさることもできなかった貴女様が、それだけご立派になられたことに敬意を表して、私も本音を現しましょう」
 誰が、甘やかされて自分では何一つできない人間ですって? イスカリオット伯の失礼な言葉を聞きつつ、それでもようやく彼に認められたと言う事でカミラは気を引き締める。
「殿下、私には叶えたい願い、があります」
「へぇ」
「そしてそれは、この今の王国で、あの方が玉座についている限り決して叶わない願いなのです……シェリダン様が、国王として玉座に収まる限り」
 男の眼は本気だった。カミラを騙すための小賢しい演技ではなく、本当に真摯な光を帯びて、狂おしいまでの切なさで自らの願いを叶える障害となる者の名を挙げた。団結を重んじ、軍事によって人を動かす必要のある国で、それは許される事はない言葉だ。国王が玉座にあることを疎ましく思うなど。
「お前の願いは何?」
 だからカミラは聞いた。ジュダが、表向きは従順に仕えるシェリダンの名を、全てを燃やし尽くす業火の熱さで呼ぶ訳を。
 他には誰もいない部屋でただ二人きり、彼はカミラの耳元にそっと囁いた。
「ああ、そう」
 彼女の口元に歪な笑みが込み上げる。
「そうなの。それが、あなたの願いなの。だからあの時……ふふふ、なるほど、それは傑作ね」
「私はこの願いをどうしても叶えたいのです。そのために、幾つもの策を弄します。この願いの叶う日まで、針の道でも怯まずに進みましょう」
 そしてその目的は、カミラの野望と綺麗に一致している。
「……信じてもいいのでしょうね。その言葉」
「ええ」
 そうして彼は椅子から腰を上げ、カミラの目の前まで歩いて来ると、恭しく跪いて頭を垂れた。
「その御手に口づけてもよろしいでしょうか、我が女王よ」
「……許します」
 ジュダはその唇を、手袋に包まれたカミラの指先にそっと押しあてる。
「では、私は彼らをこの土地へと呼びましょう。反逆の剣聖クルス=ユージーン、堕ちた貴公子リチャード=リヒベルク、シルヴァーニの双子人形に、薔薇の国の姫君」
 最後の一人の異称を口にされたときだけ、カミラの胸は甘く疼いた。愛しくて慕わしいあの少年は今もまだ、カミラの憎んでやまない男の元にいる。
「そして我らが、吸血の堕天使の王、シェリダン=エヴェルシード陛下を」
 カミラはジュダが触れていった場所を撫でながら、忠誠と共謀を誓うその言葉を聞く。
「全ては私の野望と、そして何よりもあなた様の御心のままに。―――カミラ=ウェスト=エヴェルシード殿下」

 ◆◆◆◆◆

 夜毎の行為はその日、いつもと違う様相を呈していた。
「性的虐待?」
「ああ」
 いつもならさっさと服を脱ぎ始めるが、今日は相手をただ膝の上に乗せて抱きしめたまま、シェリダンは昼間の話に意識を向ける。胸に寄りかかったロゼウスが、ローラたちの態度について説明をねだったからだ。
 その言葉に触発されて、シェリダンは思い出す。五年前、まだあの双子は十歳で、シェリダンも十二、リチャードと、同い年のイスカリオット伯爵ジュダは二十二だったはず。
「ローラとエチエンヌの二人がシルヴァーニ人だと言う事は知っているだろう。二人が、玩具奴隷と言う貴族たちの慰み者だったことも知っているか?」
「……多少は」
 エチエンヌはともかく、ローラは新参者でしかも敵国の王子であったロゼウスにも優しくしている。少なくともシェリダンの眼にはそう見える。頷くロゼウスを寝台に押し倒し、シェリダンはその上にのしかかったまま説明を続けた。
「玩具奴隷とは、所謂性奴隷の一種だ。玩具の名の通り、持ち主に言いように甚振られる。ただの性奴隷ならまだ良かったのかも知れないが、貴族など倒錯した趣味の変態ばかりだからな。表立っては言えないようなことを、奴隷にさせる者も珍しくはない」
「いい身分で倒錯した趣味って……その筆頭のあんたが何を言ってんだよ」
 両手を押さえて組み敷いたロゼウスが、不満げにシェリダンを見上げて口を尖らせる。確かにそのとおりだ。もしもこの国で最も倒錯した趣味をしている者と言われたら、それは自分なのだろう。
 だがこの少年は美しい。
 春の雨のような白銀糸の髪も、血のような真紅の瞳も、新雪のごとく青白い肌も、どこか甘く低すぎない、女性とも男性ともつかぬ声も、何もかもが美しい。
 れっきとした男ではあるが、どう見ても少女然とした容貌のロゼウスには、華やかなドレスが良く似合う。
「ローラとエチエンヌを買ってこの国に連れてきたのは、ジュダだ」
「ジュダ?」
「伯のことだ。ジュダ=キュルテン=イスカリオット伯爵。イスカリオット家は元々公爵家だったのだが、六、七年前か。その頃に嫡男が父母を初めとして一族のほとんどの者を惨殺して爵位を奪うという不祥事を起こした」
「……え?」
「その不祥事を起こしたどら息子が、私の部下のイスカリオット伯本人だ。ローラとエチエンヌをシルヴァーニの下級貴族から買って、陰惨な虐待を加えたのもな。私は五年ほど前、ある事件を元にイスカリオット伯爵領に乗り込み、その際にローラとエチエンヌを貢物として差し出すよう命じた。平たい話が、賄賂だな」
 シェリダンの説明に、ロゼウスが混乱した様子を見せる。寝台の上に組み伏せて向かい合っているというのに、艶めいた空気はなく、シェリダンの言ったことを消化しようと眉間に皺を寄せて頭を悩ませる。
「ちょっと待ってくれ。あんたが親殺しの貴族を手駒にするような性悪だってことはいい。物品の代わりに賄賂として奴隷を差し出させたのも。それより、どうしてそもそも嫡男が爵位を奪う必要があるんだ? 普通の親子ならそのまま受け継ぐはずだろ?」
「ああ、そうだ。だが何故かジュダ=キュルテン卿は血のつながった父母を殺した。爵位を奪うためというのは、周囲の勝手な推測だ。いずれ手に入るはずのものを、奪うも何もない。奴が何故そんなことをしたのかは、奴自身しか知らぬことだという」
 シェリダンでさえ、いまだその理由を知らない。だが生き残ったイスカリオット家のごくごく遠い分家筋の者は、何か感づいている様子だった。伯爵へと降格された公爵家にどんな闇があったのかは、シェリダンの知る由ではない。
「私にとってはどうでもいい話だ。先代イスカリオット公爵、使えない奴だったしな。父上が嘆いていた。ジュダを降格し伯爵にしたものの、その功績は先代イスカリオット公爵以上のものだ。国に迷惑をかけないならそれで構わぬ。自らの領地内にしか関わらないような問題なら、いくらだって揉めて構わない」
「国王ってそういうものなのか?」
「ああ。……父や、私はな」
「ふうん」
 一応は区切りをつけたいという気持ちか、ロゼウスが中途半端な応答をする。シェリダンはその身体の上から退き、低い声で命じた。
「下着を脱ぎ、四つんばいになって足を開け。ああ、服は脱がなくて良いぞ。その方がそそる」
「な……」
 一瞬嫌そうな顔をしながらも、ロゼウスは大人しくシェリダンの命令に従った。下着を脱いだとは言っても、実際はドレスの長いスカート地が下りてきて肌など見えない。その身体がびくりと震えたのは、シェリダンが局部を露にしようと、布地に手をかけたときだ。
 目の前の白い尻の柔肉を割り、いきなり後へと指を伸ばす。濡らしてもいない指を二本、一気に第二関節まで突っ込むと、さすがにロゼウスが悲鳴をあげた。
「い、痛っ……痛い、っあああ」
 ロゼウスの声は心地よい。その唇が紡ぐものは、媚びこそ滅多に聞かないものの、ぼんやりとした反応も、はきはきとした喋り方も、祈りの歌も、こうした悲鳴でさえ、何もかも。
 たぶんこういう姿形の人間が自分の好みなのだろうなと考える。容赦なく中をかき回すと、ロゼウスの口からは忙しなく苦鳴が漏れた。
 ヴァンピル王国の王子は、国民を人質に取られてシェリダンの意に従うよう強制されている。でなければ今すぐにでもこんなところ逃げ出したいと思っているのだろう。男だから触れられれば反応はするが、シェリダンに触れられることが悦しみと呼ぶには程遠いのだろうということもわかっている。
 それでも抱きたくなるのは、無理矢理犯して泣かせたくなるのはどうしようもない自分のさがなのだろうと。
「嫌っ、痛い……おねがっ、指、抜いて……」
 涙声で訴えるロゼウスの言葉を聞いて、シェリダンはようやくその莟から指を抜く。
「はっ、……はぁ……」
 何度も抱かれて男に慣れた身体だとはいえ、どうやら余程痛かったらしくロゼウスが脂汗を浮かべている。
「シェリダン……今日のあんた、おかしくないか?」
「ああ、そうかもな」
 そんなことはない。
 私はいつだって狂っている。
 指を抜いたばかりの莟に、顔を近づける。尻の肉に頬が触れた辺りでロゼウスの身体がぎこちなく反応したのがわかったが、構わずそのまま、先ほど存分に弄った場所へと舌を伸ばした。
「ひあっ!」
 驚きのあまり素っ頓狂な声をあげるロゼウスに構わず、後肛を舐めた。べちゃべちゃといやらしい音を立てて中へと唾液を塗り込めば、ロゼウスが四つんばいの姿勢を維持できずに腕を折り、尻だけを高く突き上げるような姿勢になった。ドレスを脱いでいないだけにその姿ははしたない淑女のようで、残酷な愉悦に満たされる。
「あ、ああっ、や、やめて……」
「やめていいのか?」
 舌を抜き、唇を舐めながらそう告げる。
「あっ……」
「物欲しそうな顔をしているな」
 わざわざ顔を覗き込んで告げてやれば、ロゼウスの顔がさっと羞恥と屈辱に歪む。気分屋で、時には積極的に相手をすることもあるこの男は、今日の行為にはひたすら不愉快な快楽を感じているらしい。
「正直に言え。私が欲しいのだろう?」
 一度も触れていない前から、先走りの雫を垂らしているのを見つけて、それもついでに後に塗りこめてやる。先ほど濡らしたせいで滑りよくなった内部を擦ると、ロゼウスの敏感な身体が跳ねた。
「ほ、ほしい……」
「お望みどおりに。お姫様」
 シェリダンは自分のモノを取り出して、一気にロゼウスの中へと突き刺した。
 性的虐待。その言葉を聞いて思い出すのは、在りし日の父の姿だ。自室に呼び出したシェリダンを無理矢理組み敷いて犯した男。初めの頃はあまりにも幼すぎて何をしているかわからなかった。後にその行為の意味を知って愕然とした。
 虐待されて育った子どもは、長じると自らも虐待することになるという。もちろんそんな人間ばかりではないが、間違いなく自分はその類なのだろう。今、ロゼウスにしていることがそのいい証拠だ。痛めつければ痛めつけるほどに彼の中で、暗い喜びが育っていく。それはシェリダンの傷でもあり、また罪でもある。
 だから知っている。
 一度傷ついた魂は、傷つけられる側ではなく、傷つける側に回る快感から逃れにくいと。


035

「本音を言えば、お前はともかく、ローラとエチエンヌの二人をかの地に連れていきたくはないな。あの場所は二人にとって、まだ生々しい地獄だ……私にもわかる」
 渡された封筒を口元に当てつつ、シェリダンが眉根を寄せながら言った。
「だが、この誘いを断るわけにもいかない。クルスの……ユージーン侯爵の名誉に関わる。私がいつまでもあの二人の側についていてやるわけにもいかないし……どうしたものかな」
 シェリダンはシアンスレイト城において、国王の部屋を使わない。彼の部屋が国王の部屋であることは変わりないのだが、この部屋はもともと彼の王子時代の寝室で、普通はもっと条件のいい部屋に即位後移るのだと言う。しかしシェリダンはそれをせず、昔自分の父親が使っていた部屋をそのまま放置しているらしい。
 嫌な思い出があるのだと、彼と同じように眉根を寄せながら教えてくれたのはローラだった。

 ◆◆◆◆◆

 薄暗い部屋の扉を開き、中にいた兄の姿に表情を緩めかけ、彼以外の人の姿にハッと緊張した。
『兄上』
『来たね、ロゼウス』
 客人のいる前で、兄はいつもと変わらずにロゼウスを柔らかく抱きしめた。これは十二歳頃の記憶か。あの日、兄に呼び出されて部屋に行くと、先客はドラクルと一緒の寝台に腰掛けて、面白そうにロゼウスを眺めていた。
『カラーシュ伯爵?』
『そうですよ。ロゼウス殿下』
 王都からさほど遠くない領地を治める、フォレット=カラーシュ伯爵だ。年の頃は三十半ばといったところで、その見かけは線の細い者の多いローゼントには珍しく、たくましい。典型的な武人なのだとドラクルに聞いたことがある。
『どうして、カラーシュ伯爵が……』
『私が彼を呼んだんだよ、ロゼ』
 襟元を直しながら、ドラクルは言った。見れば明け方の薄闇の中でも、彼の着衣が乱れている事はわかる。そして隣に腰掛けるカラーシュ伯爵の方も、貴族の布の多い服をあらかた脱ぎ、簡易な部屋着だけになっている。
 部屋に篭もったむせるような香りを嗅げば、二人がこれまで何をしていたかは一目瞭然だ。
 ロゼウスは少し悲しくなり、ドラクルに抱きつきながらその胸に顔を埋めた。ロゼウスの背中を優しく撫でながら、ドラクルは幼児に言い聞かせるように、羽毛のように柔らかに言葉を紡ぐ。だがその内容は何よりも残酷で、ロゼウスは思わず耳を疑った。
『え? 兄様、今、なんて』
『だからね、伯がお前を抱きたいんだってさ。ロゼ』
 ドラクルは事も無げに告げると、ロゼウスを自分の膝から突き飛ばした、体勢を崩して寝台から落ちかけたロゼウスを、力強い腕が抱きとめる。いつの間にか背後にいたカラーシュ伯爵だ。見上げると、彼は口の端を吊り上げて、笑った。その不吉な笑みに肌を粟立たせるロゼウスに、ドラクルの追い討ちが跳ぶ。
『お前もいつも私相手だけでは飽きるだろう? せいぜい楽しみなよ』
『そんなっ、兄上!』
 ドラクルはさっさと寝台から腰を上げ、カラーシュ伯爵に場所を空け渡した。伯爵はロゼウスをベッドの上に抱き上げると、押し倒していきなり足を開かせた。
『ちょっ、やめろ、嫌だ! 兄様!』
『本当にいいんですか? 殿下』
 カラーシュ伯爵が言った今度の殿下はドラクルのことだ。ドラクルは無情にも首を縦に振り、涙目で暴れるロゼウスを押さえ込む伯爵に頷いてみせる。
『ただし、やりすぎては駄目だよ。この子は私の大事な――なのだから』
『ええ。わかっていますよ』
 暴れるあまり、ドラクルが途中で何と言ったのかわからなかった。抵抗し続けるロゼウスを大人しくさせようと奮闘するカラーシュ伯爵に対する手助けか、ドラクルが近付いてきてロゼウスの唇に触れる、それを感じた途端、ロゼウスは暴れるのをやめた。前にうっかりドラクルの指先を傷つけて、酷い目に遭ったのを思い出したからだ。だからロゼウスはいつも、彼に抱かれる時は彼の背中に腕を伸ばさない。必死でシーツを掴んで挿入の苦痛を殺す。
『いい子だ、ロゼウス』
 ドラクルがロゼウスに口づける。生暖かく濡れた兄の舌に、口腔を犯される。ドラクルの接吻はそれだけで相手をとろかすほどに巧みで、唇が離れていった頃にはもう、ロゼウスの意識はぼんやりとしていた。
『お前はいつものようにすればいいんだよ。いつも、私にやってくれているように、カラーシュにしてあげなさい』
 ドラクルが穏やかに微笑む。
『……はい、兄様』
 ロゼウスは目の前に差し出された伯爵のモノを、大人しく口に咥えた。じゅぷじゅぷと音を立ててしゃぶり、根元の方に添えた指で刺激を加え、いつも兄にしているように奉仕した。
『凄い調教具合ですな、ドラクル様』
『そうだろう』
 白濁した液を口の中へと吐き出されて、ロゼウスは思わずむせこんだ。喉を押さえ、男の出した液をまだ顔に残したまま涙目で見上げれば、伯爵の顔がぐっと息を詰めるような感じになる。なんだろう。口元を押さえて、忙しなく部屋中に視線を走らせながら、彼は再びドラクルに確認を取った。
『いいんですね? 本当にやってしまいますよ?』
『だから、いいと言っているじゃないか。何度も言わせるなよ。お前の好きにしな、フォレット=カラーシュ。……ロゼウスは可愛いだろう。私の弟は。だから、お前も存分に可愛がってやればいい』
『ええ。たっぷりと』
 口での奉仕のために身体を起こしたロゼウスを再び寝台に仰向けにさせ、カラーシュ伯爵はその上にのしかかってきた。ドラクルより大分体格のよい彼が自分の視界を塞ぐ様子は恐怖でしかない。
 伯爵はロゼウスの顔についた自身のものを指先ですくいとり、ロゼウスの後に塗りこめた。武人であり戦いになれた男の荒れた太い指が内壁をこすり、ロゼウスは思わず甘い声をあげてしまう。いつものドラクルの細く滑らかな指先にかき回されるのもたまらないが、これはこれで強烈な感覚だ。
『……本当に、よく調教されたことだ』
 伯爵の呟きに対し、犯されるロゼウスを見ながらドラクルが哄笑をあげる。何がそんなに楽しいのだろうか、追い上げられて必死のロゼウスには考える余裕はなかった。
 伯爵の手に自分のモノを優しく、時に激しく愛撫され、たまらなくなる。先走りの液が後に塗りこめられ、入れられた指の本数が増えると、背筋に何とも言えない痺れが走った。
『あっ、あ、あっ……・ああっ!』
『……そろそろいきますよ、薔薇王子殿下』
 薔薇の王子というのは、ロゼウスの異称だ。ドラクルならば竜の王子。薔薇の王国と言われるローゼンティアで、薔薇の名を持つ。それは特別な祝福だという。
 伯爵がぐっと身を乗り出し、狭い場所に、圧倒的な熱と質量を持ったモノが押し入ってくる。まだ子どもの身体であったロゼウスは、慣れない相手に内臓を圧迫される苦痛に小さく悲鳴をあげた。
『あっ……い、いやぁ! 痛っ、兄様ぁ!』
 カラーシュ伯爵が先ほどの精液で汚れるのも厭わずにロゼウスの唇を吸ったが、そんなことでは苦痛は和らがない。ロゼウスは額に脂汗を浮かべ、仕方がないと言った表情でドラクルが歩み寄ってくる。カラーシュ伯爵の腹の下にある、ロゼウスのモノに指を這わせ、扱き始めた。与えられた刺激に快感の火がつけられ、ゆっくりと痛みが散らされていく。
 伯爵がロゼウスのよいところを見つけるまで、ずっとドラクルはロゼウスのモノを弄っていた。
 どろりとした白濁液を溢れさせながら、やがて伯爵がロゼウスの中から自身を引き抜く。内股を濡らすその感覚に耐えるロゼウスの耳に、一部潜められたやりとりが入ってくる。
『ねぇ、気持ちよかっただろう? ――――を犯すのは』
『ええ、ドラクル殿下……とても……』
 ロゼウスの中に欲望をぶちまけた伯爵が、恍惚とした表情で言う。
 これ以来、ロゼウスは兄だけではなく、この伯爵にも抱かれる事が役目となった。伯爵に抱かれるロゼウスの様子か、ロゼウスを抱く伯爵の様子か、あるいはどちらをも、ドラクルはいつも側で見ている。ロゼウスは本当は嫌なのに、伯爵を拒むことでそれを命じた兄に嫌われたくなくて、大人しく伯爵の腕に抱かれる。

 ◆◆◆◆◆

 あれは虐待と言うのだと、知ったのは後のこと。ロゼウスを抱きしめて泣いた姉、第二王女ルース。だが彼女も、結局はドラクルのロゼウスに対する仕打ちをやめさせることはできなかった。
 それに何より、ロゼウスはドラクル兄上を愛してた。好きだった。だから、嫌われたくなかった。なのに。
 ――お前が愛しいよ、ロゼウス。
 ――そして大嫌いだ、我が弟よ
 ――そうだよ、ロゼウス。私はお前を愛しているけれど、それ以上にお前が憎い。お前の腹をそのままナイフで裂いて内臓をかき回しながらその中で射精できたら、どれだけ気分がすっきりするだろうかと思うくらいに。
 ――さよならだ、第四王子ロゼウス。私の愛しい、秘密の囚人。
 ロゼウスは結局、ただのドラクルの慰み者にしかすぎなかったのか。性的虐待。自分の欲望を満たすためだけに、ロゼウスを人形にしたのか。

 嫌な夢を見てしまった。

 その朝、朝食の席でロゼウスはシェリダンに告げた。
「イスカリオット領に行く間、ローラとエチエンヌを俺に、もしくは俺とロザリーにつけてよ」
「ロゼウス?」
「王妃様?」
 シェリダンもローラもエチエンヌも、周りの人々が驚いた顔をする。
「シェリダンについていくって名目だったら、伯爵に顔を見せなきゃならないだろうし、逆にシェリダンを引き離されることもある。けど、一応隣国の王女で王妃っていう名目の俺の側なら、そうそう離れないでも不自然じゃないだろうし、俺の側には向こうもろくに近づけないんじゃないか? だから」
「お前の手を借りるなんて御免だ!!」
 せっかくの提案なのに、エチエンヌが凄い勢いで拒絶した。
「あっそう。じゃあ、ローラだけでもいいよ。実際、俺の侍女はローラしかいないんだし、ローラを俺の手元から離すわけにはいかないということで」
「お前がローラを守る、と言うことか」
 訝しげなシェリダンに向けて、ロゼウスは肩を竦める。
「言っておくけど、シェリダン。俺たちローゼンティア側があんたたちエヴェルシードに負けたのは、時間帯とか弱点とか、そういう諸々の弱いところをあんたたちに衝かれたからだ。それさえなければ、例え素手と剣の戦いだって、俺は大抵の人間には負けない。非常事態が起きたら、ぶっ飛ばしていいんだろう? 俺はあんたの妃になることは承諾したけど、その他の男と寝ろなんて言われてない。一介の侍女ならともかく、王妃なら伯爵の無体に抵抗する権利ぐらい、あるだろ?」
「……わかった。では、ロゼウス。お前にローラの警護を命じる。それとなく手元に置いて気を配れ」
「陛下。ロゼ様」
 不安そうな顔をしたローラに、にこりと笑いかける。
「大丈夫」
 傷口をえぐられる痛みなら、ロゼウスも知りすぎるほどに知っている。


036

「本日は我が城までようこそおいでくださいました、皆様」
 エチエンヌとローラの様子がおかしかったからどんな男かと思っていたら、イスカリオト伯ジュダ卿とやらは、案外普通の人だった。普通、と言ってもどういうわけだか顔は美形だ。この世界は顔の美形度と貴族の価値が比例でもしているのだろうか? それとも単にシェリダンの趣味? クルスも言ってしまえば可愛い系美青年だし。
 ロザリーはロゼウスにくっついてエチエンヌの護衛役としてこの城についてきた。事情が事情だからと、普段から話をする顔見知りは全てこちらへと出かけるのだ。ロザリー一人城に残されても仕方がない。……別に、エチエンヌのことを心配してついてきたわけではないのだと。
「ご招待に感謝する、イスカリオット伯爵」
「堅苦しい挨拶は抜きにいたしませんか? 陛下。古馴染みの方々もそうですが、何よりもそこのご婦人方がお疲れになるでしょう。できれば私としましては、いつも通りに接していただきたいのですが」
 ご婦人方。ご婦人方。ご婦人方。
 ……ご婦人方、って、誰? 
 一人はロザリー、もう一人はロゼウスのことだ。この国ではロゼウスは第四王子ではなくて、ローゼンティア何番目かの王女、ロゼ姫なのだ。この何番目と言うのは、細かく考えなくていいのだろうか。
「なら、ありがたくそうさせていただく。こちらも格式ばったのは好まない。特にこの二人は、女とも思えぬ、まるで男のようながさつの結晶だからな」
「……なんですって?」
 無礼なエヴェルシード王の言葉に、ロザリーが頬を引きつらせながらそう言った。普通ならここはロゼウスのことが疑われないように牽制したととるところなのだろうが、それにしてはシェリダンの言いようはロザリーに向けてのものとしか思えない。だいたいロゼウスのことを言いたいなら、妻とでも妃とでも言えばいいのだ。いちいちロザリーまで引き合いに出す必要はない。
「言葉通りだろうが」
「だぁああれが、がさつ、なのよ!」
「お、落ち着けロザリー!」
ロゼウスは一応ロザリーを止めようとする。ここで暴れられても困る。
「そういうところだ」
「きいいぃっ!」
 いきなり喧嘩を始めたロザリーとシェリダンを、クルスが呆気に取られて見ている。イスカリオット伯爵も、興味津々というかんじでその様子を見ていた。
「珍しいですね、陛下が同世代の女性とこんな風に対等にお話なさるなんて」
 エヴェルシード唯一の王子は、あろうことか女嫌いの男好き、つまりは同性愛者だった。だからこそロゼウスに女装などさせて、女だと偽ってそのまま華燭の典を挙げたりもしたわけではあるが。
「珍しくなくていい。やかましい。いい加減黙れ。吸血娘」
「何よ! このホモ国王!」
「うるさいわブラコン」
「な、何よこのっ……んむ」
 さらにアレな言葉をかけようとしたロザリーの口を、ロゼウスは手を伸ばしそっと塞ぐ。
「もうやめておけ、ロザリー」
「……はぁい」
 売り言葉に買い言葉でうっかりロザリーは今凄いことを言おうとしていた。シェリダンと張り合って下品な言葉を吐くより、楚々とした淑女の振る舞いをしてほしい。
 スカートの乱れを直したロザリーに、シェリダンがまたもや余計な一言を告げる。
「いや、手遅れだろうもう」
 本性バレてんだから今からレディの振りをするなって? 余計なお世話よ!
 ロザリーの無言の叫びを、ロゼウスは聞かなかったことにする。
「……本当に、珍しいですね」
 シェリダンとロザリーがそんな馬鹿なやりとりをしているところ、ジュダの瞳が微かに剣呑な光を宿したのが見えた。
 ガタッとそれまで静かだった部屋で思わずのように音を立てて、エチエンヌが腰を上げようとしたのが見えた。ジュダの射るような視線はロザリーに向いている。エチエンヌは一応彼女の夫ということになっているから。
「す、すいません」
 助けようとしたのだろうか。それとも条件反射で動いただけ? 周りの注目を集めてしまっていることに気づいて、彼はすぐにそう言って席に座りなおした。椅子の音が虚しく響く。
奴隷と言う身分には普通ありえないことだが、今回はジュダ自身の意向でローラとエチエンヌを招いたのだから客人扱いだろうと、椅子を用意したらしい。それが仇になったのかもしれない。
「……ところでイスカリオット伯爵」
 仕切りなおしのようにロゼウスは口を開いた。
「ええと、その……シェリダン。あのことを……」
 本当は馴染みの相手にぱきぱき物を言うのは得意なロゼウスが、今はわざとはにかみ屋の淑女ぶって、シェリダンに言わせようとする。
「……ああ、そうだな。――ジュダ」
「なんです? シェリダン陛下」
「この二人を客人として招くというお前の意向だが、今回は遠慮させてもらう。ヴァンピルの姫君の世話をし慣れた侍女たちが他にいなくてな。この二人には、それぞれ我妻とその妹の世話をさせることにした」
「へぇ? ですが陛下。それならこの城に女性を増やした方が良かったのではありませんか?」
「いや、それでも慣れていない人間には代わりないからな。とりあえずロゼにローラ、ロザリー姫にはエチエンヌをつける。寝室も一緒にしてやってくれ」
「寝室も、ですか? ですが陛下は王妃様と共にではないのですか? それにそちらの妹姫様に子どもとはいえ、小姓をつけるのは問題ないのですか?」
「この二人は夫婦だ」
 ロザリーとエチエンヌを示して、シェリダンが告げる。ジュダが鼻白む。
「……へぇえ」
「私も普段からこれと共寝だしな。たまには違ってもいいだろう」
「わかりました。そのようにさせます」
 ジュダが頷いて、とりあえずその場は落ち着いた。寝室問題もロゼウスとロザリーが双子のそれぞれにくっついて、解決した……ように見えたのだが。

 ◆◆◆◆◆

 やっぱりロザリーについてきてもらえばよかったのかな。
 イスカリオット伯爵に犯されながら、エチエンヌはそう考えていた。五年前は伯爵なんて大層な呼び名ではなく、ただ単にジュダ様、もしくはご主人様と呼んでいた相手だ。
 エヴェルシード人に特有の蒼い髪と橙色の瞳。切れ長の眼差しは涼やかで、鼻は高いが唇が薄く、整った面差しだがどうにも爬虫類めいた冷たい印象を与える人だと初めて会ったときから思っていた。
 今は、この人を爬虫類に例えるなんて、むしろ爬虫類の方がいい迷惑なんだとエチエンヌの方では思っている。
「うあっ!」
 急に突き上げが激しくなり、エチエンヌは思わず四つんばいになって体を支えていた腕を折った。
「何を考えている? エチエンヌ」
 背後からエチエンヌにのしかかって後を犯していた伯爵が、その耳へと舌を差し入れながら、そう問う。低く、少し掠れたような甘い声。女性ならうっとりするようないい声なのだが、エチエンヌにとってはどんな悪魔の囁きよりも苦く聞こえる。
「な、にも……!」
「嘘をつけ。そんな顔をしていなかったぞ」
「だ、ったら……っ、あなたへの、恨み、言を……」
 魅惑的な声で伯爵が笑う。
「正直な子だ」
「あっ……かはっ!」
 内臓を圧迫するような衝撃が強まり、そのまま息をつめて耐えているエチエンヌの中で、伯爵が放つ。どろどろとした感触が腹の中に残され、逆流して気持ち悪い。
 伯爵は果ててもまだ身体を繋げたまま。
「この五年間で、どこもかしこも磨かれたな、エチエンヌ。見違えた」
「数、ヶ月、ごとに……王城で、会っているでしょう」
「ああ。だがその時のお前は余計なほどにカッチリと着込んでいて、身体の線はわからないからな……陛下のおかげか。いい身体になったものだ」
 腰を高く上げたままのエチエンヌの背を撫で、脇腹をなぞりながらジュダは告げる。
「だが、後ろの方はご無沙汰だったようだな」
「なっ……!」
「違うのか? ほら」
 いきなり後ろを引き抜かれて、エチエンヌは急に腹の中が軽くなったように感じる。内股を白濁が濡らし、ずり下ろしただけで脱いでいなかったお仕着せのズボンを濡らす。
「あ……」
「物欲しそうにヒクついて。そんなに男のものが欲しかったのか?」
「ち、ちがっ……」
 だけど、ジュダが自身を抜いたとき、物足りなさを感じたのも事実だった。
 今日、エチエンヌはシェリダンとクルスについて、ジュダの城へと再び足を踏み入れた。数日は滞在するとの予定だが、いつ帰るのか、予定などあってなきようなもの。故郷のシルヴァーニの下級貴族からエチエンヌとローラを買って、一年の間我が物顔で蹂躙した男は、今ではシェリダンの腹心だ。けれどエチエンヌたちのことがあって、シェリダンがそれまで懇意になど全くしていなかったこの伯爵と繋がりを持ったのだから、もう運命を呪うしかない。
 今回、ジュダはわざわざ主君であるシェリダンだけでなく、エチエンヌとローラも城に来るようにわざわざ指定してきた。こうなることがわかっていたからシェリダンも他のみんなもローラとエチエンヌに気を遣いすぎるくらい気を遣っていたのだが、エチエンヌはそれを振り切ってしまった。
 自分たちは人形。
 この男によって双子人形と名づけられた、人間と言う名の奴隷。
 世の中のあらゆる贅沢に慣れた人間は、妙なものに手を出したがるものだ。遠国の子どもをわざわざ買って念入りに躾けて性奴にした青年の闇は深く、彼に貫かれるたびエチエンヌは自分の中の絶望が大きくなるのを感じていた。
 こうなるとわかっていたのだから、やっぱりあの時、一緒に行ってくれると言ったロザリーの手を借りるべきだったのかもしれない。だけど、何となく嫌だった。無理矢理とはいえ名目上妻に当る女性に守ってもらうなんて、いくらエチエンヌでも矜持が許さない。
 そして、彼女の兄であるロゼウスに庇ってもらうなんて、もっと御免だった。あの男にだけは、何があっても手を借りたくない。あの男にだけは。
 思考することで、今この惨めな状況から現実逃避しようとするエチエンヌを追い詰めるかのように、イスカリオット伯爵は少年の前を握った。
「ああっ」
 先端を指でさすって先ほど放った白濁を手に取り、躊躇いもなく舌で舐めとる。
「前の方は、一回出したけどまだ味が濃い……こっちもそれなりにご無沙汰ってことか」
「くっ……ふぅ、あ、あああ」
 玩具でも扱うように適当に、弄ぶようにしてジュダはエチエンヌのモノをいじる。こんなにおざなりな愛撫なのに、先ほど達したばかりだというのに、また、欲望が頭をもたげてくる。
 快楽と羞恥と屈辱の狭間で、脳が揺さぶられる。壁に手をついて、けれど腰だけはジュダに向けるように突き出される。
 廊下で鉢合わせして、いきなり犯されたのだ。無体なことをする人物だとは知っていたが、まさかここまでだなんて。けれどそもそもここは彼の城であるのだし、これまでの関係から考えれば、部屋に入れと言ったところでエチエンヌもローラも逃げ出すだろう事は伯にはわかっていたはずだ。だからこその行為か。
 服も満足に脱がず、ズボンを下ろしただけですぐ、本番に入ってきた。エチエンヌの口に指を突っ込んで唾液で濡らして、それでもってエチエンヌの後ろを慣らした。実際には慣らすなんて言えるほどのことはしていない。濡らした指で適当に中をかき回してすぐに挿入されて、慣れているからこそ裂傷など負わないものの、かなり痛くて苦しい事は確かだ。
 エチエンヌのモノを強く弱く弄りながら、ジュダが言う。
「可哀想に、エチエンヌ。まだこんなに若くて美しいお前が、もう相手にされていないなんて。あの可愛らしい奥方ともろくにしていないんだね。陛下にお払い箱にされたのが、そんなにショックかい?」
「……」
 エチエンヌは無言で唇を噛み締めた。陛下。誰よりも大切な主人。このエヴェルシードの王。愛しいシェリダン様。
 エチエンヌが彼の色小姓を努めていたのは事実だ。実際、シェリダンに出会って引き取られて数ヶ月もしないうちに、エチエンヌは寝台へと引き上げられた。女性を寄せ付けないシェリダンはローラには手を出さず、同じ顔でもひたすら男であるエチエンヌだけを抱いた。
 僕はあの方が愛しい。
 ジュダに買い取られて調教されていた一年間は本当に地獄だった。今だからそう言える。あの時はわけもわからず泣くしかできなかったけれど、今ならこの憎悪を言葉にできる。
 この男はエチエンヌたちを薬漬けにして、昼となく夜となく玩具にした。まさしく玩具奴隷。彼以外の命令は聞かず、彼の命令ならどんなことにでも応え。
 それは奴隷や使用人というより、もはや犬の域に近かった。従順な飼い犬のように、二人は伯爵の欲望の相手を努めた。
 その状況から救い出してくれたシェリダンに感謝している。薬を抜くために多少手荒なことをしたし、あの頃すっかり人間不信になっていたエチエンヌたちを大人しくさせるためにだいぶ無茶なこともされた。暗殺の技術を身につけるために想像を絶する訓練も施された。その何もかもが二人のためだと今なら気づく。
 エチエンヌはシェリダンの寝台に侍れることが嬉しかった。そしてだからこそ、今この状況は少しだけ憎い。
 彼は今、あれほど愛しい主君の側に上がれない。――ロゼウスがいるから。
 ロザリーとは最初の一晩しか寝ていない。好きでもらったのでもない妻に、そんなに強いるほどエチエンヌは欲求不満というわけではない。
 けれどシェリダンが、エチエンヌのことなど知らぬげにロゼウスを側に置いていると、胸が小さく疼く。本当ならあそこは自分の場所だったのに。
「あっ」
「そろそろ、終わりにしてやろうか」
 ジュダに抱えあげられ、エチエンヌは体勢を変えさせられた。壁に背をついて彼の正面を向かせられたエチエンヌの股間にジュダは顔を埋め、ものを口に含んだ。生暖かい口内が官能を刺激する。
「ふぁ……・あ、ああっ、ああ!」
 伯の口の中に吐き出して、エチエンヌは背を壁につけたままその場をずるずると滑り落ちてへたり込んだ。口の端から飲み込みきれなかったものを一筋垂らしながらも、伯が小鳥を飲み込んだ猫のような顔で告げる。とても満足そうな表情で。
「……濃いな。前に王城でしたときは、もっと薄かったがな」
 もうこの男の玩具奴隷ではなくなったはずなのに、ジュダは暇さえあればエチエンヌたちにちょっかいを出してくる。
 二年ほど前、王城でも無理矢理一度犯された。その頃はまだ、エチエンヌは毎晩のようにシェリダンに抱かれていて、だからそれほどアレが濃いということはなかったけれど。
 ロゼウスが来てから、エチエンヌのその役目はなくなってしまったから。
「お前のものを味わうのは久しぶりだ。ローラは半年ほど前に少しここにいたが」
「……え?」
 今、なんと言ったこの男?
「知らなかったんだな。まあ、別にいいだろう」
 ローラがいた? 半年前に、この城に。確かに一時期、ローラはみんなの前から姿をくらましたことがあるけれど。
 追及する暇はなかった。
「何をしていらっしゃるのです! イスカリオット伯爵!」
 ジュダが人払いをして誰にも立ち入らないよう命じていただろう廊下の向こうから、人がやってきた。リチャード。姉の夫である義兄の名前を小さく呼んで、エチエンヌはその場に崩れる。
 駆け寄ってきたリチャードはジュダを睨むが、彼は笑うばかり。それは先ほどの言葉と関係しているのだろう。
 リチャードはローラの夫だが、ローラが行方不明になった時この城にいただなんて、知りもしなかったのだから。


037

 ロゼウスはローラから目を離さないようにし、与えられた一室にほとんど篭もっていた。本当なら城内の散策にでも行くべきなのだろうけれど、ローラが行きたくないというので肩透かしとなった。シェリダンはジュダやクルスと何か話し合わねばならないことがあるというので、ロゼウスは蚊帳の外だ。……正直に言ってしまえば、せっかくシアンスレイト城外に出たというのに、暇で暇で仕方ない。
「ローラ、何してるんだ?」
「いえ、その……慣れない場所で落ち着かなくて。……この城にもといたころは、こんな豪華な部屋に入ったことありませんでしたから」
 与えられた部屋の寝台に寝転んで、ロゼウスはふとテーブルの端に布を広げたローラの手元を見遣る。
 普通なら使用人は使用人の部屋を当てられるものだが、今回はロゼウスたちの方の希望でロゼウスとローラを同室にしてもらったものだから、この部屋をどう使おうと自由だ。普通なら許されないだろう応接用のテーブルを一介の侍女が陣取って使うというのは。けれどロゼウスは別段それを咎めもしないし、ローラもそこで謙虚になっても仕方ないと言う性格の持ち主だから、王城のシェリダンの部屋でならともかく、こんなところでまで床に座ったりしない。
「刺繍? というか、それ、いつもの城での仕事じゃないのか?」
「ええ。ですが、こちらについたならばどうせいつもと変わりないか、いつもより暇になるでしょうことはわかっていましたので。せっかくですからこちらの仕事で終っていないものを、城から持って来たのです」
 王城と違って床ではなくちゃんと応接用のテーブルと椅子のセットに腰掛けているが、それでもやっていることはいつもと同じだ。ロゼウスはローラの真面目さに少し感心しながら、完成した品を少し見せてもらった。
「綺麗だな……ローラは裁縫が得意なんだね」
 素直にその腕に感心して褒めると、彼女は普段の本心を見せない仮面の笑みではなく、僅かだが心から口元を緩めて笑う。本当の彼女は周りを盛り上げるようにいつもにこにこと笑顔を浮かべている普段の彼女ではなく、こうして時折、春の木漏れ日のように淡く笑ってみせるこの少女なのだろう。
「ありがとうございます。ロゼ様。……私はもともと故郷のシルヴァーニでも奴隷として売られた身分のものです。それ以前も、まるで奴隷のような生活でしたけれどね。水汲みや薪割り、掃除で手を荒らすばかりで、それも性にあっているとは言いがたくいつも辛いばかりで何の取り柄もない人間だったのですけれど、エヴェルシードに……いいえ、シェリダン様のお側に来て、初めて裁縫を仕込まれて、初めて針と糸を取りました」
 お針子の仕事は、上級貴族の令嬢がする仕事ではない。せいぜい許されるのは刺繍ぐらいだ。しかしもっと貧しい、と言ってしまうとまた意味合いが違うが、平民以下の暮らしをしている者にとっては、裁縫すらも贅沢な職業だ。そもそも庶民はお針子など必要としない。服は布を買ってきて自分たちでつくるものであり、少し余裕があれば染めたりボタンをつけて飾るが、それができないものはただ生成りの生地を簡単に塗って帯で留めるだけの格好をしている。それができない者たちと言うのは、主に奴隷をさす。ローゼンティアには公式な奴隷はいないが、他国にはよくあることだと言う。
 ロゼウスは市井の暮らしを、直接見たわけではないが、話に聞いて知っている。ローゼンティア国民は皆吸血鬼であるから、その寿命は人間の何倍も長い。従って子どものうちにあまり詰め込む必要はなく、むしろ危険を避けるために幼い王子たちが城下へと赴くのは主に外見の成長が緩やかになる十代後半くらいだ。それまではすでに幾度も城の外へと出かけたことのある兄たちの話を聞くのみで、その兄たちでさえ王位継承権上位にいたドラクルやアンリ以外は、国の外へと出たことすらない。
 ヴァンピルの国ローゼンティアは閉じた国。
 けれど、ロゼウスの教師はほとんどがドラクルだった。特に剣技については、嫌と言うほど兄から学んだ。城下の話や国外の諸事情についても、ドラクルから情報を得ていた。他の兄妹は専属の家庭教師についていたのだが、何故かロゼウスにだけは、ドラクルが直接指導をしていた。そして次代のローゼンティア国王として国外の外交官とも付き合いのあった彼は、城内の誰よりも世界について詳しい知識を持っていた。
 だからローラがどんな身分の人間かも、だいたいわかってしまう。ここ数年経済的に困窮しているシルヴァーニの平民の暮らしは、他国の奴隷とも等しかった。
「初めは慣れなかったのですけれど、やがて一人で言われた仕事が楽にできるようになって、そのうち私に裁縫を教えてくださった先輩侍女も褒めてくださったりして……自分にもできることがあるんだなって知って、嬉しかったです」
 自らが布の上に描いた刺繍を眺めて、ローラが微笑む。その繊細な花の模様と同じく美しい彼女の容貌を褒めようとして、ロゼウスはやめた。生活に苦しむ子どもで、奴隷。さらには美しいともなれば、行きつく先は一つしかない。
 玩具奴隷。
 文字通りそれらは、玩具とされた奴隷。
 暇な貴族は、他人にははた迷惑な遊びに手を出したがるものである。奴隷時代の彼女はきっと、能力でも人格でもなく、ただひたすらその顔立ちの美しさと身体だけを求められたに違いない。
 そして、その筆頭がこの城の主、ジュダ=キュルテン=イスカリオット伯爵だという。
 この城の中を歩くのをローラとエチエンヌが極端に嫌がるのはそのためだ。ロゼウスという、男であるのにエヴェルシード王妃といった複雑な事情を抱えた者が一緒であるために、連れてこられる侍女も限られていて、彼女の負担はただでさえ多大なはずだ。その中で裁縫は、彼女の心の唯一の慰めなのだろう。
 一針一針、心を込めて鮮やかな色の糸を淡い色の布に刺していくローラの表情は穏やかで、どこか翳りながらも幸せそうだ。
 自分にできることがあることは嬉しい、と。彼女は先程そう言った。それは確かに真実だろうけれど、彼女が裁縫をする理由はたぶんきっと、それだけではない。
「ねぇ、ローラ」
「なんでしょう? ロゼ様」
「それ、シェリダンの服だろう」
「ええ。陛下は気難しい方で、適当な仕事を嫌いますからその一部は仕立て屋の方のデザインに添って、私が縫っていますが……どうしておわかりに?」
 ローラが不思議そうな顔をする。
 一国の王ともなれば、普段着でさえ自然と華美になる。繊細な刺繍の施されたそれを作れるほどに、ローラの技量は素晴らしいのだそうだ。けれどロゼウスが注目したのはそんなことではなくて。
「わかるよ。だって」
 だって君は。
 今までずっと気になっていて、それでも言えなかったことをようやく口にする。
「ローラは、シェリダンのことが好きなんだろう?」
 それはつまり、シェリダンの妻に納まったロゼウスとは敵対関係にあるということ。
 ローラが針を動かす手を止める。
 部屋の中から、音が消えた。

 ◆◆◆◆◆

『お慕いしております』
 いつもの寝室ではなくて、花の咲き乱れる庭で彼女は主君にそう告げた。
 報われぬ想いだとは知っていた。見返りを求めるのもおこがましいと。けれど、それでも、あなたが愛おしくて狂おしい。
『ローラ、私は――』
 声をかけたのはローラからなのに返事は聞きたくないなどと、馬鹿だ。
 どうせ報われないと知っているのなら口になど出さず永遠に秘めておけばよかったのにローラはそれをすでに矢のように放ってしまったあとだった。
 お慕いしております。
 シェリダン様。お慕いしております。あなたを。
 でも永遠に報われない。
 何故なら、あの方にはもう……ロゼウス様がおられるのだから。
『お慕いして、おります……』
 花の庭に破れた恋が散る。
 彼女たちがイスカリオット伯爵ジュダ卿の手の元から救い出されたのは五年前。まだローラたちが十歳の時だった。シェリダンとクルス、そして今のローラの夫であるリチャードは、ジュダの周辺を探っていた。それはもとは、ジュダがクルスに働いた暴行未遂が元らしい。
 クルスの父はクロノス=ユージーン。エヴェルシードでは先の王の時代に名を上げた剣の名手。その子息であるクルスには周囲から多大な期待が寄せられていたが、そのクルスを打ち破る人物が現れた。それがイスカリオット伯爵ジュダ。
 ただし、それは卑怯と呼んでも差し支えないほど、紙一重のものだった。
 今現在、ユージーン侯爵は十九歳、イスカリオット伯爵は二十七歳。これだけを聞いてもわかるだろう。二人にはかなりの歳の差がある。今でさえそうなのだから、昔はそれがもっとはっきりしていた。十四歳の、まだ少年でしかないクルスを、二十二歳の成人男性であるジュダが決闘でこてんぱんに伸したと。文字通り大人と子どもの試合は、いくらその少年が未来の剣聖クルス=ユージーンであろうと、周囲の反感を喰らったし、何より彼の友人を怒らせた。……未来の王である、シェリダン王子を。
 クルスの敵討ち、というのももちろんあるし、それ以上にその頃のジュダはとかく悪い噂の絶えない人であったし、その噂は真実でもあった。公爵から伯爵に降格されたとは言え、もとは、いや、今でも大貴族であるイスカリオット伯爵を証拠もないうちから公明正大に糾弾できる人などエヴェルシードにはいない。シェリダンの父であるジョナス王は、伯爵が優秀であればもうそれでよいというような人物だった。その代わりに動き出したのが王子シェリダン。
 イスカリオット領で行われていた、不正とも合憲とも言いがたいギリギリの悪事を暴いて、ジュダを脅した。けれどエヴェルシードの現在の爵位持ちたちは、一時的な衰退期に入っているらしく、性格に問題はあるが有能であるイスカリオット伯爵をこれ以上降格するのはまずいと。
 だから悪事を見逃す。そしてその代わり、確かにシェリダンがジュダの行状を知っているという証、賄賂代わりに玩具奴隷を差し出せと。
 あの時、ジュダに虐待の限りを尽くされていたローラたちを指して、シェリダンはそう言った。
 そしてローラと弟のエチエンヌは、イスカリオット城からシアンスレイト城へと連れてこられた。
 シェリダンは彼女たちに、様々なことを教えた。苦しいこともあった。幸せなことも。特に苦しかったのは暗殺武術の訓練で、それはジュダによって薬漬けにされたローラたちの身体を丈夫にする目的もあったのだろうが、訓練は苛烈を極めた。エチエンヌは何度も泣いていた。もうイヤだ、やめる、と泣き叫んで、そのたびにシェリダンが優しくエチエンヌを抱いて慰めていた。飴と鞭。
 エチエンヌがシェリダンに抱かれていた頃、ローラにはリチャードがいた。シェリダンの命によって、ローラの夫となった男。男尊女卑思考が残るエヴェルシード的には、リチャードがローラの夫になったというより、ローラがシェリダンよりリチャードへと下賜された、と言うほうが正しいのだろう。それでもローラはそんな言い方は認めない。彼女はそのやりとりも夫であるリチャードのことも何一つ認めてはいないのだから。
 リチャードはローラを抱いた。五年前、まだ十歳だった少女を。今でさえ十五歳のローラと二十七歳、ジュダと同い年であるリチャードの年齢差は犯罪のようなものだが、昔はもっと犯罪的だった。
 それは、本当は今でも変わらないのだろう。ジュダによって虐待を加えられ、麻薬漬けにされてぼろぼろになったローラの身体は極端に成長が遅い。シェリダンの必死の武術特訓のおかげで少しは丈夫になったが、それでもそれは、身体の成長を促すものではなかった。
 十五歳と言えば、年頃と言ってもかまわないだろう。貴族の娘や、平民でもそろそろ婚礼適齢期に入るというような年頃。けれどローラの身体は、まだ十二歳ぐらいの子どもにしか見えない。なまじ弟のエチエンヌと同じく中性的な面差しだから、それらしい服を着ていなければ性別もわからなくなりそうなほど。
 本当なら十五歳の、年頃の少女のはずなのに。
 本当ならもう少し、シェリダン様の側に似合うだけの娘のはずだったのに。
 でももう、永遠に叶わない。
 だってわかってしまった。彼の隣に立てるのは、あの人だけ。
 ローゼンティア第四王子、ロゼウス。見事な白銀の髪に血のような真紅の瞳。
 ローラは今まで、シェリダン以上に美しい男を見た事はなかった。クルスもジュダも綺麗な顔立ちをしているし、リチャードだって悪くない。それでもやはり、誰を見ても、男でも女でもやはりシェリダンに敵うほど美しい人などいなくて。
 あの藍色の髪、あの朱金の瞳。繊細な面立ちなのに、猫科の獣のような鋭い眼差し。
 ローラはシェリダンが好きだ。誰よりも。
 最初の頃は、そうでもなかった。むしろ、嫌っていたのかも知れない……リチャードに自分を犯させたのはシェリダンだし、そのシェリダン自身、エチエンヌを慰み者にしていた。ジュダであれシェリダンであれ、二人を玩具奴隷……性奴隷として弄ぶのには変わりなかったのだ。
 だから。
 私は、あの日――。
『お前はなまじエチエンヌのように吼えないから、わかりにくいな、ローラ』
 寝こみを襲ったのに平然としていた。ナイフを突きつけようとローラが足を踏み出す寸前、シェリダンは自分で寝台に起き上がって。
『どうした? 欲しかったのはこれだろう?』
 自分の胸元を指で指し示して言った。心臓のあるところ。命が宿ると言われているところ。部屋は薄暗いけれど月光が明るくて、口元には笑みをはいているのがはっきりと見えた。
 ローラは驚いていた。起き上がる一瞬。シェリダンの背に見えたもの。あれは、あれは。
『この身体が醜いか? 恐ろしいか?』
 醜いなんて、この人には似合わない。
 あなたは例え、その全身を傷つけられても、皮をはいで肉と骨の塊にしてさえ決してその輝きを失わない。あなたの美しさはただ表面上だけのものではない。
 その白く滑らかな背に浮かび上がる聖痕。
 一国の王子の身体にあるとは思えない無残な鞭の痕に、ローラは目を奪われた。衣装を身に纏わずたおやかな裸身をさらしてローラの方へと歩み寄ってきたシェリダンに優しく頬を挟まれて口づけられても、全く少しも動けなかった。
 あなたを殺そうとしたはずなのに。
 ローラとエチエンヌが解放されるにはもうそれしかないと。そのための術を教えてくれたのはシェリダン、彼自身だ。彼から教えてもらったこの人殺しの腕でローラは彼を殺し、自分たちはもはや自由になろうとしたのに。
 あの瞬間に、反対に魅縛されてしまった。彼以外の人の側にあろうとはもう思えない。
 ローラよりエチエンヌより、ずっとずっと深い傷を抱えている少年。けれどだからこそ、その傷に近づけるのは自分たちだけだと思っていた。ローラと同じ顔でありながら男であるただそれだけの理由でシェリダンに抱かれるエチエンヌが死ぬほど羨ましくて憎らしかったが、それでもそれ以上シェリダンに近づける人物は、彼の妹であるカミラを除いてはいなかったから、無理矢理自分を抑えていた。
 けれど。
『私の妻とする』
 かの王子が連れてこられたその際、なんでもないことのように言い切った自分。邪魔なら排除してしまえばいいと、激昂するエチエンヌをなだめすかして誤魔化して。
 違う。本当はそんなこと思えなかった。今すぐ死んでほしい。今からでいいから、消えて欲しかった。
 笑いながらローラは誰よりも、他の誰よりも彼を嫌っていた。
 ロゼウス様。
 シェリダンの隣に立って唯一見劣りなどするはずもない人物。二人が並ぶ姿はまさに完璧な一対。だからこそ。
「私は誰よりも、あなたが嫌いです」

 ◆◆◆◆◆

 相変わらず華美な装飾の施された廊下を並んで歩く。
「あの時は、ここを私とお前で占拠し、伯を追い詰めるために走ったのだったな」
「ええ、陛下」
 滞在期間は一週間程。その間城内は好きに使っていいと持ち主であるジュダから保証され、シェリダンたちは言われたとおり好き勝手に過ごすことにした。もちろんそうすることで逆にシェリダンたちが不自然に団結しないようにとのジュダの思惑なのだろうが、それはそれでこちらにとっても都合が良い。この機会に、思う存分国の重鎮にして最重要危険人物の周辺を探ってやろう。
「あの頃に比べれば、僕たちも大人になりましたね」
 今より短い足で、走っても走っても果てのない長い廊下を走りきったことを思い出しているのか、感慨深い表情でユージーン侯爵クルス卿がそう言った。
 元々、今回の滞在はジュダからこのクルスへと、招待状が届いたのが始まりだった。部屋割りの変更に伴いそれぞれの相方も変わるため、シェリダンは現在普段連れているエチエンヌやローラではなく、クルスと共にイスカリオット城内を歩いている。
「ああ。五年前の私は、まだ子どもどころの話ではなかったな。しかし、いいのかクルス? イスカリオットと顔を合わせるのは、お前にとっても良い記憶ではないだろう?」
 自分でそう仕向けたとはいえ、イスカリオット伯ジュダ卿を手駒に加えるのは大きな博打だった。
八年ほど前からジュダは乱心したとの噂があり、ある日突然前触れもなく実の両親と親族のほとんどを殺害し、その咎でイスカリオット家は公爵から伯爵に降格されたという事情がある。噂も何も、ジュダが両親を始めとする一族郎党を手にかけたのは事実だ。ただ、皆殺しや、理由なく手にかけた、と言うのは間違いであるらしい。
 だが、どちらにしろあの男の本心は主君であるシェリダンにも、何度もジュダと力を合わせてシェリダンとの任務をこなしているクルスにも掴みがたい。さらに言えば、クルスにはできる限りジュダに近付きたくない事情がある。
「大丈夫ですよ。陛下。……あの頃は、僕も弱かったのが悪かったんです。今は、確実に五年前よりは強くなりましたよ。もうあの時のように、みすみすイスカリオット伯のいいようにされはしません」
 イスカリオット伯ジュダ卿が七年前から五年ほど前になした悪行は数知れないが、その一つに、六年ほど前の「ユージーン侯爵子息暴行未遂」というものがある。
「強くなるのも結構だが、お前はその無鉄砲を治せ。誰彼かまわず試合をするのは懲りたらどうだ?」
 クルスが現在侯爵を継いでいるユージーン家は、もともと武人の家系だ。特にクルスの父親である先代ユージーン侯爵クロノス=ユージーンはその代に一気に子爵から侯爵へと実力でのし上った猛者だ。その跡を継いだクルス自身も、将来は父親を越える剣豪になるだろうと期待されているほどの剣の才能の持ち主であり、実際に、国内で彼に敵う者は数えるほどしかいないと言われている。
 そのうちの一人はクルス自身の父親、クロノスであり、さらにこの城の主、イスカリオット伯爵ジュダ卿だ。
 ジュダは剣を使う事は知られていたが、その腕前が特に取り沙汰されることはなかった。降格された普通の貴族の青年。そう思われていた、いや、シェリダンもそう思っていたのだ。あの日まで。
 シェリダンもジュダには負けているのだ。この年齢になって、ようやく身体もできてきたし、王位を簒奪したからにはこの先幾度も戦う機会があるだろう。エヴェルシードは軍事国家だ。強くならねばならないと思うし、そのための努力は払ったつもりだ。今現在、先の戦争で領土化したローゼンティアの支配を任せているセワード将軍はシェリダンの剣の師の一人でもあり、王国一の騎士と呼ばれる彼にシェリダンはその剣技の全てを叩き込まれて育った。なのに、負けたのだ、ジュダに。特に剣の技量など話題にもされない一介の貴族に。
 ジュダと、彼に決闘を仕掛けたクルスが戦った時、二人には大人と子どもほどの差があった。二人の歳の差は八歳で、当時クルスは十三、四、ジュダは二十歳過ぎの青年だった。
 結果は、すでにその頃大半の大人を負かして間違いなくクロノス=ユージーンの後継だと謳われ、素晴らしい才能の片鱗を見せていたクルス自身にも何が起こったかわからないほどの早業だったという。呆気なく勝負に敗れ、手傷を負ったクルスを、ジュダはその場で組み伏せて襲ったらしい。たまたまそれが親子共々の訪問で、その手の知識に疎いクルスがわけのわからぬ恐怖に駆られて喚き出し人を呼ぶ事がなければ、きっとジュダは最後までいっていたはずだとか。
 イスカリオット伯爵ジュダはクルスにとっても嫌な思い出を植えつけた相手であり、彼と力を合わせよとの命令は幾度か下したがそう言った場合は領地の兵力を合わせるぐらいで、必要がなければできる限り顔を見ないですむようこれでもシェリダンは取り計らっているつもりなのだが。
 イスカリオット伯爵ジュダ卿の真の価値と恐ろしさを知っているのは、シェリダンと、このクルス、そしてローラとエチエンヌ、リチャードだけだ。
 そしてシェリダンたちは、五年前共にあの場面に居合わせた者でもある。あの凄惨な地獄絵図。それは阿鼻叫喚ではなく、加虐者が笑みを浮かべ被虐者が能面のように顔色を失っているからこそ増して残酷となる悲劇の舞台。
 情交の名残もあらわに、裸体に薄物だけを羽織って笑みを浮かべたジュダと、ギロチンの前の全裸のローラ、イスカリオットに押さえ込まれてただ一人泣き叫ぶエチエンヌだけが唯一人間らしかった。
 他国の玩具奴隷の購入はエヴェルシードでは禁止されている。イスカリオット城に囚われのシルヴァーニ人の子どもがいるとの情報によって、シェリダンたちは動き出した。
 ローラとエチエンヌの存在を足がかりに、これまで誰よりも品行不良の噂を聞きながらその実態に関して誰よりも真偽の見極めがたかったジュダの行状をつかむことができた。そうであれば、シェリダンがそのきっかけである二人を引き取り、生活を保障するのも当然のこと。
 他国の奴隷の売買は禁止されているが、雇用ならば許される。シェリダンは元は奴隷身分にある二人を雇ったことにして、二人を無理矢理王城へと連れて行った。それ以前、八年ほど前に従者となったリチャードのこともあり、シェリダンは奴隷ばかりを侍らせている王子だと言われたこともあった。
 ローラとエチエンヌの身分は奴隷。その用途は玩具奴隷。さらにリヒベルク伯爵家のリチャードは、実兄が起こした不祥事によって投獄され、罪を犯した者の懲役刑と言う意味で奴隷身分に落とされかかった人間だ。エヴェルシードでもそう言った意味での奴隷はいる。
 シェリダンは別に他人に何を言われても構わない。今更だ。あの頃からすでに父を殺すことを硬く心に誓い、その時既に手に入れた新たな双子の駒をどう使うかも考えていた。
 けれど、その身勝手な理由で、二人を傷つけていることも知っている。ロゼウスのように何を考えているのかわからない、いや、むしろ何も考えていないような、飄々とした相手ならまだ困らない。シェリダンを恨んで気が済むのならそれで結構だというのに、あの双子はそうしない。
 誰をも踏みつけて死体の山を築き血の川を流して全てを壊すために生きると決めたのに、断固とした決意で固められたはずの胸にきりりと柔らかな棘が刺さるのはこういったときだ。いっそ、恨んでくれれば楽なのに。自分はさも安穏を享受するにたる人間だと思い違いをしている傲慢な輩なら、引き裂くのに一切の躊躇いは生まれないのに。
 ローラ。エチエンヌ。
 あれだけ踏みにじったというのに、二人に真っ直ぐな視線を向けられると胸が痛くなる。だからロゼウスが二人とは違うと知れたときは、少しだけほっとした。その違いは、シェリダンの予想とはまた外れたものだったけれど。
 あの中庭での、ローラの告白を忘れたわけではない。この頃触れていないエチエンヌが、いつも何か言いたげな目で見てくるのも気づいている。だが……
「陛下! あれ!」
 自らの思考に没頭するシェリダンを現実へと引き戻したのは、驚愕したようなクルスの声だった。