011

 敵は全部で十人。
 ロゼウスはカミラを背に庇いながら、相手の様子を窺う。一番手前のリーダー各の男が、カミラへと剣先を向けたままロゼウスに告げた。
「お引き取りください。ローゼンティアの姫君」
「何?」
「我等が用のあるのは、そちらの王妹殿下だけです。シェリダン王の妃陛下に傷をつけるわけにはまいりません」
「……つまり、お前たちは国王の味方というわけか」
 ロゼウスの背後に立つカミラは、心細いだろうに悲鳴を上げることも取り乱すこともなくよく堪えている。背中にそっと触れられて、その震えが伝わってきた。恐ろしくないわけはないだろう。だがここで自分を失うことは、彼女の矜持が許さないのだ。
 研ぎ澄ました刃のようだと思う。カミラも……そしてシェリダンも。それが人の命を奪う白刃の煌きだとしても思わず目を奪われるような輝き。
 そしてロゼウスが思ったとおりであるのなら、シェリダンは。
「退いてください、妃陛下。御身に危害を加えるつもりはありません」
「一つ、聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「お前たちの行動は、シェリダンが命じたものではないな」
 仮面の男たちに一瞬だけ動揺が走る。
「何を、馬鹿な」
「妹の暗殺など、彼の意志ではない」
 ロゼウスは知っている。周りがどう思っているかは知らないが、シェリダンはカミラを手下に暗殺させるような人間ではない。それほど簡単に命を狙うような相手なら、ロゼウスに彼女が自分の妹だと告げた時のような、あんな反応はしない。
 カミラがシェリダンを疎ましく思っていることから考えても、兄妹仲は良いとは言えないだろう。けれど、それでも。
 それにシェリダンなら、本当に殺したい相手は刺客を放つよりも、自らの手に刃を携えて首を斬りに行くような性格だ。他国の王城に侵入して王を打つ最前線に自ら乗り込んでくるような奴だ。
 しかし目の前の男たちはその思惑こそ知らないが、とにかく自分たちこそシェリダンの味方であり、国のためにカミラを討つと言い張っている。
「……お逃げください。ロゼ様」
「カミラ」
「奴等の狙いはこの私。その理由もわかっています。これは、私とシェリダン、そしてこの国の問題です。ローゼンティアから無理矢理攫われてきたあなた様には関係ありません」
 ロゼウスの背中から一歩下がって、カミラがそう告げる。振り返れば、彼女は気丈に顔を上げて自らの命を狙う暗殺者たちの顔をその黄金の瞳で睨み付けていた。
「……そうですよ、王妃殿。あなたがわざわざ、陛下に歯向かうそんな小娘を庇って傷を負うことはないのです」
 ロゼウスはローゼンティアの者だし、エヴェルシードの内情など知らない。この国がどうなろうと、知ったこっちゃない。それを覚えるようになど、きっとシェリダンは強制しないだろう。ロゼウスは全てから目を瞑り耳を塞ぎ何も感じない人形のようにただ彼の庇護を受けて見返りに身体を差し出せば、それだけで、この国で安穏と暮らしていくことができる。
「さあ、妃陛下、こちらへ」
 先頭の男が一歩こちらへ歩み寄り、手を差し伸べる。薔薇園の整えられた芝生をざくざくと踏んで近付いてくる。
「ロゼ様」
 背後からは、諦めと希望の混ざったカミラの声。彼女はいくらなんでも自分がこの人数の成人男性に勝てるなどと思っていない。それでも、ロゼウスだけでも逃がそうとしている。自らの命が危ういこの状況で。たとえどれほどの権力を握っていても明日を保証されないのが王族の宿命だとしても。
 薔薇園に風が吹く。
 ロゼウスは心を決める。
「さあ、王妃様、こちらへ――」
 ロゼウスは、意識して女らしく、娼婦のように艶やかに微笑んで。
「断る」
 低い声で告げた。
「このっ……!!」
 仮面に隠れていてわからないが、気配からでも滲む怒気と殺気を漲らせて、男たちが動く。
「カミラ、離れて!」
「ロゼ様!?」
 ロゼウスはドレスのスカートの裾を力任せに破き、動きやすいようスリットを入れた。その間に眼前へ迫った男が長剣を振り上げる。
「なっ……!」
 いくらローゼンティアで剣の基本を他の兄妹たちと共に学んだロゼウスでも、十人相手に得物がないのでは無理だ。まずは最初の一人の剣を。
「手で……受け止め……」
 ヴァンピルを舐めてもらっては困る。隙を狙ったように見えてまんまとこちらの罠に引っ掛かり、ロゼウスに剣身を受けとめられた男が呆然と呟く。他の九人が追いつく前にロゼウスは自らの手のひらに刃が食い込むのも構わずに男の手から剣を奪い、その腹に蹴りを見舞った。
 吹っ飛んだ男が薔薇の茂みに突っ込む。ロゼウスは血の滴る自分の右手を口元に持っていき、流れている液体を舐め取った。錆びた鉄の味に反射的に意識が高揚する。痺れるような痛みこそあるが、思い切り刃を掴んだ割に指の一本も落ちなかった右手は、あっという間に傷が塞がっていく。
「ローゼンティアを侮るな」
 例えロゼウスが本当に女性で、年端も行かない子どもだったとしても、恐らく人間の男一人よりは強い。
 このアケロンティス中でも限られた栄誉、世界皇帝に選ばれし魔の眷属の一つ。それがローゼンティア――ヴァンピル。
「このっ……化物がっ!」
 残りの男たちが今まで以上の殺気をあらわにしてこちらへと向かってくる。それぞれの手には鋭利な得物。ロゼウスは最初の一人から奪った剣で迎え撃つ。
「この魔族風情が! 貴様なぞにエヴェルシードを好きにはさせぬ!!」
「シェリダン陛下がお気にいられているようだから、正妻を迎えるまでは生かしてやってもよいと思っていたものを!!」
 シェリダン自身にならともかく、なんであんたたちにそんなことを決められなきゃいけないんだよ。
 彼らの中では、ローゼンティアの姫君は正妃と言う名の妾らしい。向かってくる敵を次々に薙ぎ倒しながらロゼウスは思う。シェリダンとの取引だって確かに不本意だ。慰み者として生きたいわけではない。だが、エヴェルシードの王妃、それも正室に迎えると言ったのはそのシェリダン自身であって、ロゼウスではない。シェリダンがロゼウスを捨てようと、殺そうとしたのならロゼウスだってまだ諦めもつくが、何も知らない人間にそんなことを言われるのは不愉快だ。こんな眼中にもない奴等に。
 ロゼウスは力任せに剣を振るう。ローゼンティアの城にいた頃は毎日かかさずに稽古をしていたのに、エヴェルシードに連れてこられてからは一度も刃を握っていない。久々の感触に、意識よりも先に身体が順応する。
 平和主義でありながら、魔の血を持つゆえに戦いに長けるローゼンティア人。
 ロゼウスは二人目の剣を受け止めると見せかけて攻撃を受け流し、柄で顎を強烈に叩いた。昏倒した男の背から三人目が現れ、その剣を受けとめた次の瞬間には競り合っていた軸をずらし、くるりと素早い回転をかけた蹴りを鳩尾に見舞う。同時に突っ込んできた四人目を袈裟懸けにし、五人目の腹を突き刺すと、カミラを狙ってこちらには背を向けていた六人目の首筋に空いた手で手刀を叩き込んだ。七人目に一撃目をかわされ、二撃目で腹を裂く。八人目の攻撃を避け、隙を見せた後頭部に踵を落として迫り来る九人目に突きを放った。怯んで後退した相手をすかさず追って止めをさし、立ち尽くす最後の一人の腹部には強烈な膝蹴りを入れた。
 血塗れた剣を手に持ったまま、地面に一度屈みこんで体勢を立て直す。これで十人全員倒し終えたはず。
「ロゼ様……」
 カミラの声に振り返り、その無事を確認して思わず口元が綻ぶ。まだ息がある者もいるが殺してしまった刺客の死臭に満ち始めた薔薇園の地面は赤く、こんなものを見せてすまないという気持ちでロゼウスはカミラの元へと歩み寄る。
 その一瞬。
「!?」
 銀色の光の軌跡が走った。
 そういえば、襲撃者たちが一番初めに用いたのは、今のこれと同じく矢だった。なのに今倒した十人は誰も、弓もボーガンも持ってはいないよう。そしてこの矢が射られた方向は。
「――殿下、お覚悟を」
 カミラの背後の茂みから目にも留まらぬ速さで現れた十一人目の仮面の男が、無慈悲な刃を非力な少女の上へと落す。
「――っ!!」
 エヴェルシード王妹カミラの身体が、血に染まり血に倒れ付した。

 ◆◆◆◆◆

「――っ!!」
 声が出せなかった。
 気配や物音、何も感じなかった。それでも背中から斬られた感触はわかったし、一拍おいて傷口が焼け付くように熱を持ったのがわかった。カミラはなす術もなく地に倒れる。
 この痛みを言葉にすることもできない。喉の奥から溢れた塊を吐き出すとそれは濁った紅い血だった。
「カミラ!!」
 ロゼの悲鳴。そして剣戟の音。最後の刺客と戦っているのだろうと、どこか冷静に考える。傷口から昇った熱が頭を回ってすぐに下がり、今はただ手足の先が痺れて冷たく、深く深く切り裂かれた背が痛むばかりになる。痛いのは背中ばかりでなく、刺客の剣は彼女の内臓まで傷つけたらしく、背中からお腹の中までが熱にかき回されているように感じる。
「う……」
 一言呻くだけでも喉元に血の塊が込み上げて苦しくなる。顎の周りと傷の周りをしっとりと血で濡らす羽目になる。美しかった庭園はいまや花弁の色でない紅に染められ、カミラの身体の下敷きになった芝生がどす黒く変色していっている。
 硬質な金属の擦れ合う音が続いて、その他の十人を倒した時よりも時間をかけてロゼは最後の刺客を退ける。何か話しているようだけれど、内容まで聞き取れない。
 人間が死ぬ時は過去のことを思い出すというけれど、嘘だ。
 カミラは母の顔も父の顔も思い出せない。それよりも眩みかけた視界に浮かんだのは、在りし日のシェリダンの後姿だった。いくら追いかけても手を伸ばしても、決して届かないあの。
「……っ!!」
 何を、言おうとしたのだっけ。
 自分でもわからないまま、カミラの意識はそこで途絶えた。

 ◆◆◆◆◆

「カミラ!!」
 ロゼウスは叫びながら、彼女の身体が庭園の地面に倒れるのを見る。駆け寄ろうとするロゼウスを防ぐように、カミラの身体をまたいてこちらに駆けてきた十一人目の男が剣を向けてくる。
 ガキン、と金属の擦れ合う嫌な音がして、ロゼウスは刺客と剣を合わせた。男はこれまでの十人とは少々異なる風体をしていて、腰にはボーガンを下げている。得物も他の十人が普通の剣であったのに、この男だけはロゼウスが今まで見たこともないような奇妙な作りの剣を握っていた。ここでこの男を殺し、この剣を調べれば身元まで調べられるのではないかと思う。
 だが、今重要なのはそのことではない。刺客の身元はもちろん気になるが、それ以上にカミラの傷だ。ロゼウスがここから見た限りでも、あれは。
 致命傷。
「お前らは一体何者だ!! どうしてエヴェルシード王の妹の命を狙う!?」
 ロゼウスの問いにも男は動揺の一欠けらすら見せず、空気一つ変えなかった。
「ああ、答えるはずもないか! しょせん貴様は若い娘を背後から狙うような卑怯者だものな! 恥ずかしくて顔など晒せないのだろう!! それとも元から矜持など持ち合わせていない下郎か!!」
 ロゼウスの安っぽい挑発に少しは気分を害したようで、男が僅かに顔をしかめるのが気配でわかった。
「命を奪うことに変わりはないだろう。それを騎士道だなんだと綺麗事で飾りたがるのはお前たちの勝手な言い分だ」
 ロゼウスは相手の懐を狙って剣を打ち込み、男はそれをかわしてロゼウスの利き腕に狙いを定めて刃を振るう。その刃を受けとめて力任せに鍔迫り合いを押し返し、さらにロゼウスは怒鳴る。
「自らを恥じよ! 下賎の輩が!! 非力な少女を暴力でねじ伏せてまでシェリダン王に取り入り権勢を握りたいか!?」
「――この国の王権の話など、私は興味ない。この者たちが何を企もうと私には関係ない」
 関係ない? この男とそれまでの十人の刺客は別の団体なのか。だとしたら、この目の前の男は何者か。何故カミラを狙ったのか。
 仮面で狭まった視界の死角を狙ってロゼウスは飛び込み、男に一筋の斬撃を浴びせる。浅い。だが相手は怯んだようで、素早く剣を引くと後方へ飛び退った。
「待て!」
 ロゼウスは一応叫ぶが、もちろん相手が待つはずもない。それよりもさっさとこの場を離れて二度と現れないでいてくれれば今はそれでいい。だが刺客は最後に気になる一言を放った。
「聞いた以上に見事な腕だな。惜しいことを。それほどの腕を持ちながら、人間如きに下るなど」
「余計なお世話だ」
「また会おう、ローゼンティアの姫君ロゼ……いや、第四王子のロゼウス」
 何故、その名を――。
 ロゼウスの驚愕を見て取って男は一瞬だけ口元を笑みの形に歪め、後には残像すら残さずその場から姿を消した。十人の刺客はそのまま転がっているが、血の匂いが流れて誰かが気づいたらしく、人々のざわめく声が大きくなる。規則正しい足音の甲冑の兵士たちがやってきて、血で凄惨に染め上げられた底面を目にして度肝を抜く。
「王妃様! ……カミラ様!?」
 ロゼウスは咄嗟にカミラの傷を隠すように自分の腕で彼女の身体を抱きしめ、振り返ってやってきた兵士に顔だけを向ける。ロゼウス自身も戦いの間に服や肌を斬られ、何より返り血で汚れて酷い有様だった。
「王妃様! この惨状は」
「見てわかるだろう。この男たちに突然襲われたので応戦した」
 辺りには先程俺が伸した男たちが転がっている。宮殿警備の隊長らしき人物が続いてロゼウスに声をかけてくる。
「お二人はお怪我を?」
「これは返り血だ。カミラは……」
 ロゼウスは腕の中に収めた、美しい少女の死体を一瞥し。
「――賊の襲撃に驚いて、気を失っているだけ」
「そうですか。それではお二人をお送り」
「必要ない」
 鼻白む隊長の言葉に首を振り、ロゼウスはカミラの身体を抱きかかえる。
「ローゼンティア人はヴァンピル。身体能力は普通の人間より上。彼女を連れてこのまま戻ります。それよりも、ここを片付けて」
「……かしこまりました」
 女の振りをしながら軽々と力を失った少女一人を抱きかかえたロゼウスの腕力と、ヴァンピルという言葉を思い出したのか、警備隊長は呆気に取られた様子で引き下がる。後には怒鳴り声が聞こえ、彼らは刺客の残党狩りにせいを出すらしい。
ロゼウスはカミラの体を抱え、建物の中に戻ると見せかけて人が入り込んでいない庭園の片隅へと移動した。
 早く、早くと気が急く。抜け殻となったカミラの身体を地面に降ろし、その傍らに膝を突く。
 カミラ。……カミラっ!
 兄との絆しか知らない自分が、この世で始めて、自分から愛した少女。
 鼓動も呼吸も止まり、流す血も無くなるほどの傷を負った彼女は、間違いなく死んでいる。
 けれど、ロゼウスはどうあってもこの少女を死なせたくはない。だから。
「――古のヴァンピルの血よ、ロゼウス=ローゼンティアの言葉に従い、目を覚ませ」
 ざわりと身体の中で力が蠢く感触を感じながら、ロゼウスは自分の腕の皮膚を噛み切る。乾ききらない、流れたばかりの新鮮な血を口に含み、そうして。
「この者に、新たな命を――」
 横たわる少女の亡骸に、そっと口づけた――。

 ◆◆◆◆◆

 感じたのは、唇に落ちる柔らかな感触。染みとおった鉄錆の、血の味。
 そして、その腐臭をかき消すかのような薔薇の香り。不思議なことにその香りは流し込まれた血から香ってくるようだった。
 目覚めて一番に見たものは、この世の何よりも美しい花のかんばせ。
「ロゼ……様……」
 やたらと苦しく、どこもかしこも貼り付いた喉でその名を呼ぶ。口の中に錆びた味が広がって、カミラはようやく自分の舌を貼り付けていたのが血だと知る。
 そうよ、私は、だって。
 あの男に斬られて――死んで。
 なのに何故こうして生きているのか。まさか今までのは全部夢? 自分は昼間から寝ぼけていたというの? 慌てて身を起こしかけて、彼女ははたと気づく。
 ドレスが濡れていた。紅い液体に染められたかのように。さらに今カミラがいる場所は、先程まで居座っていた薔薇園の四阿ではなかった。同じ庭園の別の一角。
 そして目の前のロゼも、ずいぶん荒れた服装をしている。自分は彼女に助けられて……
「ロゼ様……」
 そうしてカミラの身体を支える人に何事か尋ねようとして、彼女はついそれを見てしまう。見てしまった。
斬られた服の隙間から見える彼女の肌は、引き締まった筋肉と、平らな胸。肌は確かに白くて美しいけれど、女性のものではない。
「あなた……男の人?」
 言われてロゼは初めて自分の様子に気づいたようだった。切り裂かれた胸元を見て顔をしかめている。
 その顔を見て、何故女装しているのだとか、ローゼンティアの王女でなかったらあなたは誰なのか、とか、カミラの中でロゼに対する一切の疑問が吹き飛ぶ。
 代わりに口をついて出たのは。
「……お慕いしています」
「え?」
「カミラは、あなたをお慕いしています」
 そう、ずっと好きだった。愛していた。同性に恋をするなんて変だと、それを認めたくなくて単なる友情のように誤魔化していたけど。
 私は、この人が好き。
 男だと知ってようやく全てがしっくりきた。それでも残る疑問は、またの機会に聞けばいい。それよりも。
「あなた様が……私を生き返らせたのですね」
 そう、自分は確かに死んだはずだ。それなのに今、生きてここにいる。
 覚えているのは、今も彼女の体を支えるこの人の、ロゼ様と呼んでいた少年の優しい口づけ。
「あなたは、誰?」
 身分や戸籍ではなく、あなたの存在そのものが不思議。
「俺は」
彼は目を伏せる。それから意を決したようにカミラの眼を見て。
「俺はロゼウス……ヴァンピル王国ローゼンティアの、第四王子ロゼウス」
 
 ローゼンティア。それは世界皇帝より一つの国を作ることを認められた、古の魔物ヴァンピル――吸血鬼の住まう国。


012

「――そうか」
 その報告を聞いたシェリダンは、それしか言う事ができなかった。ふつふつと身のうちに湧き上がる怒りを堪えるのに必死で。
「ご苦労だった。下がってよい」
 侵略した隣国から急ぎ馬を飛ばして駆けつけた伝令の兵を下がらせて、シェリダンは執務室を後にする。仕事はすでに終わっていた。一日の最後にもたらされた報が先程の内容だった。
 執務室を出ると、侍従のリチャードが後ろについてくる。
「バイロンはどうしている?」
「はい、陛下の命令どおりに地下牢へと拘留していますが、特に不満は出ていません。日々、静かに己の内面と向かい合うかのように瞑想しています。健康状態は、さほど衰えてもおりませんがやはり顔色が少し悪いようで」
「あと五日ほどで奴は出すか。……例の方は」
「以前とお変わりなく」
「そうか」
 一通りシェリダンが直接は手を出さない仕事について尋ね、廊下を大股で歩く。シェリダンが通る時には端により平伏する侍女たちを横目に、私室へと向かう。途中、布の山を抱えたローラと鉢合わせた。
「あ、陛下」
「ローラ、その格好はどうした」
「それが……王妃様が何だか血まみれのぼろぼろのお姿で帰って来たもので」
 シェリダンとリチャードは急いで部屋の扉を開き、寝台に座って身体を布で拭いているロゼウスの無事な姿を確かめた。
「ロゼウス!」
「シェリダン?」
 こちらへと顔を向けた彼の顔色は常と変わらず、細かい傷を除けば怪我をしているようでもない。
「何があった。怪我は?」
「ない。……庭園で刺客に襲われた」
「刺客? 反王権派か?」
「いや、狙われたのは俺じゃなくてカミラの方で……・なんか、あんたのためがどうのこうの言ってたけど」
「……」
 例の奴等か。あれもそのうち整理をつけねばならない。シェリダンが考えている間にロゼウスはローラから新たな布を受け取り、シェリダンの方はリチャードに上着を預けていると部屋の扉が騒がしく開かれた。
「シェリダン様! 庭園の方で問題が……って」
 身体の汚れは湯に浸した布で拭ったとはいえ、ぼろぼろに引き裂かれたドレスはそのまま血に染まっているロゼウスの姿を見て、顔を出したエチエンヌが絶句する。それから彼はシェリダンの方へと歩み寄りながらロゼウスに視線を向け。
「なるほど。カミラ殿下を狙った暗殺者を倒したのはあんたか。ローゼンティアの王子」
 苦い顔をしてロゼウスを睨む。
「どういうことだ、エチエンヌ」
「さっき、庭で殿下のお命を狙う事件があったそうです。あ、殿下はご無事です。今警備隊が調べているそうです。その時に、もう一人誰かがいたとは聞きましたが」
 エチエンヌは警備隊から直接話を聞いたわけではなく、別の使用人から話を又聞きしたらしい。刺客の半数がすでに死に、残る半分も戦闘不能。急を要する話ではないと警備隊のほうで判断されたから、シェリダンへの連絡が少し遅れているのか。
「刺客の一人は下級貴族の男爵で、中には各国で有名な剣の手練もいたそうです。カミラ様の手駒にそれほどの使い手がいたかと不思議だったのですが」
「ロゼウスが、か」
 顔色も変えずに返り血を拭うロゼウスを見遣って、エチエンヌが溜め息をつく。
「シェリダン様、あんな化物をこのまま手元に置いといて平気なのですか?」
「それはこれから考える話だ」
 刺客のことは気になるが、それは選りすぐりの優秀な警備隊の報告を待てばいい。それよりも前に、はっきりさせておかなければいけないことがある。
 シェリダンが一通り身体を拭い終わったロゼウスに歩み寄ると、ローラが汚れた布を抱えて引き下がった。
「……何?」
 僅かな疲れを顔に滲ませたロゼウスが、胡乱な瞳でシェリダンを見上げる。
「刺客を撃退したそうだな」
「ああ。死体の片付けは後から来た兵士に任せちゃったけど」
「カミラを助けたのか。私の最大の敵は妹だと知っているのに」
「……悪いのか?」
 深紅の眼差しが険しくなり、シェリダンを睨み上げる。彼は寝台に腰掛けるロゼウスを押さえつけるようにして、上から覆いかぶさり、真下に組み敷いたロゼウスの顔を見ながら告げる。
「そのことは後でよい。それよりも……《風の故郷》が暴かれたそうだぞ」
 ロゼウスの顔色が変わる。《風の故郷》というのは、ローゼンティア国内にある王家の墓所だ。だがその報告を聞いたロゼウスの表情は、父母の眠る場所を荒された怒りではない。
 これはそう、期待、待ち焦がれていたものを手に入れたような。
 そしてシェリダンはさらに告げる。
「幾つかの墓は内側から暴かれていたそうだ。……これはどういうことだ? ロゼ王妃」
 通常、墓を暴くのは副葬品目当ての盗賊か、常軌を逸した死体愛好家だけだ。それも当然外側から土の掘り返した跡も新しい墓を暴く。内側から墓が開けられるなど通常は考えられない。死者は蘇りはしないのだから。そのありえないことが、今回は起こった。
「…………くっ!」
 ロゼウスが顔を歪める。濡れたような紅唇の端を持ち上げて――嗤う。
 ローゼンティアの民はヴァンピルだ。
 そしてヴァンピルは、不死の魔物と呼ばれる。
「くくくくく。ははっ! そうか、ついに」
 心臓を刺したら死んだ。首を斬ったら死んだ。四肢をばらばらに切断したら死んだ。首を絞めたら死んだ。だから吸血鬼にまつわる不死の話など嘘だと思っていたのに。
「そう……生き返ったんだ。あんなにバラバラにされたからどうなるかと心配だったけれど、それに目覚めさせる者もいなかったし。でも大丈夫だったんだ」
 ヴァンピルは不死の魔物。それは死なないのではなく。
 殺しても、蘇る。
「死体をかき集めた甲斐があった」
 寝台の上に横たわりながら、ロゼウスが嗤う。上に覆いかぶさるシェリダンの作る影がその顔に落ちて、暗い効果を与える。普段は人形のように美しく冷ややかな美貌が、今は禍々しい愉悦に歪む。
 そうだ。あの時、城中の王族を惨殺したとき、シェリダンはその死体をロゼウス自身に集めさせた。不死の魔物であるから念入りに切り刻めと引き連れた兵士たちに命じ、その通り四肢を首を切断させた無残な亡骸を彼は丁寧に拾い集め、それぞれの身体をそろえて土の下に埋葬した。あれは死者への敬意だと思っていたが。
「このためか」
 全てはこのためだったのだ。ロゼウスにはわかっていたのだ、同族たちが蘇ることが。それでも殺した王族の全てが生き返ったわけではない。彼の父に当たるだろうブラムス王と、第二、第三王妃の亡骸はそのままだった。墓が暴かれ消えていたのは、王子や王女たちの遺体。
 だが、それで十分だ。ロゼウスの長兄はすでに二十七歳、長命のヴァンピルであるからこそ年若く思えるが、シェリダンより十も年上。十分に王位を継げる年齢だ。そして彼が生きているとわかれば、此度手に入れた所領は呆気なく取り返されるだろう。例えこちらにロゼウスがいるとしても、彼は第四王子。人質としての意味は薄い。
 そして何よりも、ロゼウスは嗤っている。自らの勝ちを確信した者の笑顔だ。
 ああ、そうか、お前は。
「私を裏切ったな」
「――裏切るも何も、最初から俺はお前の仲間なんかじゃない」
 突き放す言葉。
 それは確かに真実。
 シェリダンは懐に手を入れて短刀を握り、柄の部分でロゼウスのこめかみを打った。ガッと鈍い音がして、頭部から血を流したロゼウスが身を捩る。横を向いた拍子に髪がこぼれ、その表情は窺えない。
「シェリダン様! 何を」
「王妃様!?」
 背後のリチャードとローラが慌てた様子で叫ぶが、シェリダンはただロゼウスだけを見ていた。苦悶に顔をしかめるでもなく、こめかみから血を流した彼は顔をシェリダンへと向けなおす。
「――俺はあんたのことを、愛してなんかいない。これからもずっと、愛したりしない」
 憎み続けると、紅の瞳が告げる。この世の何よりも美しい柘榴石の瞳が、憎悪と冷たい怒りに染まっている。
 そして口元は愉悦に嗤う。シェリダンの胸に、暗い感情が湧き上がり喉元に込み上げる。
 口をついて出る言葉。
「リチャード、エチエンヌ」
「は、はい」
「なんですか? シェリダン様」
 強く殴ったにも関わらず、こめかみから一筋だけ血を流した他はさしてダメージを受けた様子もないロゼウスの顔も、怪訝そうにシェリダンを見る。
 彼は侍従と小姓へ告げた。
「ロゼウスを犯せ」
「なっ……!」
「えっ?」
 振り向かないまでも背後の二人の驚いた顔がわかる。目前のロゼウスは、ただ口元を引き結ぶ。
「何をしている。命令だ、従え」
「で、ですが、陛下」
 戸惑うリチャードに対し、素直に頷いたのはエチエンヌの方だ。
「いいじゃない、リチャードさん。こんな裏切り者どうなったって。今更牢に放り込んだり処刑なんかしたら国民にも不審に思われる。そのぐらいだったら、こっそりバレないように、ここで痛めつけておけばいいじゃない。女と違って犯したからって孕むわけでもないし、抱かれるしか脳のない奴隷人形らしくさぁ。やっちゃえばいいんだよ」
 シェリダンと場所を入れ替わったエチエンヌは、ローラと同じ愛らしい顔立ちを暗い愉悦に歪める。
「あんたが二度と、シェリダン様を裏切ったりできなくしてあげる」

 ◆◆◆◆◆

「陛下、お気を確かに」
「私は正気だ、リチャード。疑うならむしろ王妃の方を心配しろ」
 そうしてシェリダンは、王妃となった彼へと視線を向ける。ロゼウスはエチエンヌに押さえ込まれて、破れた衣服から艶かしい素肌を晒している。それも年若い小姓の手によって無理矢理剥ぎ取られ、全裸にされる。
「いいザマだな、ロゼウス。……せめて何も知らぬ存ぜぬで黙っていれば、こんなことにはならなかっただろうに」
 ロゼウスを挑発しながら、しかしそれこそがシェリダンの本心に聞こえた。彼はロゼウスに裏切られたことが辛いのではない。力尽くで祖国から攫い、無理矢理女衣装を纏わせて妃などと呼ばせている相手から少しも恨みを買わないなどと思うほど、シェリダンは愚かではない。
 だが、あの哄笑はなかった。高慢に振舞いながら本心では近しい者の親愛を欲しているシェリダンを逆上させるには十分だった。ロゼウスがしたことは。
 あれはあからさまな敵意を示す行為。
 もしも彼がシェリダンの目の前で嗤わなければ、黙ったまま陰でほくそ笑んでいれば、シェリダンはここまで傷つかずに済んだだろう。所詮はその程度の下郎だと、ただ手慰みに弄ぶだけの肉人形が何を考えていようと構いはしないと、自分を納得させられただろう。
 けれどロゼウスは、ただ容貌の美しいだけではなく、飾り気ない言葉と背筋に戦慄を走らせる程の強気でシェリダンに真正面から向き合う人物だった。それだけに、堪えたのだ。
 リチャードがシェリダンに命令されるがまま、エチエンヌに先導される形でロゼウスを犯す。幾つもの虚実の上に織り成された地位とはいえ、一国の王妃の立場にある人物を、夫の目の前で。しかもそれを命じたのは夫である国王自身だ。
 同じようにこの役目を言いつけられたエチエンヌは躊躇いもなく、自分とさほど外見年齢の変わらない少年の柔肌に手を伸ばす。シェリダンがわざわざ「犯せ」と言ったからには、手荒に、軽い拷問をしろと言う事だろう。その意味に忠実に、小姓は王妃を嬲る。
「よくも、シェリダン様を」
「いっ、あああっ!」
 ローゼンティア人の尖った耳を、舐める振りで歯を立てて噛み切ったエチエンヌの行為に、リチャードに両腕を頭の上で押さえつけられたロゼウスはじっとりと汗を浮かべて苦悶の表情を浮かべる。華奢な身体が寝台の上で跳ね、背を仰け反らせる。
「ん……このままただ犯してもつまらないしね……もっと、もっと苦しんでもらわないと」
 エチエンヌは乱暴にロゼウスの鎖骨や首筋の辺りに舌を這わせ、痛々しく歯型が残るほどに強く口づける。その度にもがいて逃げ腰になるロゼウスの身体をリチャードが押さえつける。ロゼウスは本来であれば抵抗の一つもするのだろうが、シェリダンと交わした約束はまだ有効だ。自分が下手に動けば故国の民がどうなるかと思えば、ろくな反抗もできやしない。
 じわじわと陰湿に嬲りながら彼を犯す方法を考えていたらしいエチエンヌが、思いついたというように顔を上げる。
「そうだね……とりあえず、犯りやすいように余計なもんまず抜こうか。リチャードさん、これ、浴室まで運んでよ」
 ロゼウスを指してエチエンヌが告げる。
「浴室?」
「そ、この部屋汚すわけにも行かないし。ローラ、アレ持ってきて」
「アレって……ちょ、マジで、アレ?」
「うん。いいですよね。シェリダン様」
「何だかよくわからんが好きにしろ」
 もはや投げ遣りになったように気のない様子で、シェリダンは許可する。まだ戸惑う顔のローラがともかくも部屋を離れて道具を持ってきた。王族専用の広い浴室に連れ込まれたロゼウスは、それを見て青ざめる。
「なっ……」
「へぇ、知ってるんだ? 見かけより淫乱だねぇ。使ったの? 使われたの? その反応を見ると使われた側だね」
 わかりやすく顔色を変えて微かな抵抗をするロゼウスの表情に、エチエンヌが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「や、やめろ……っあぐううぅ!!」
 浣腸器、と呼ばれるというそれを肛門に差し込まれ、薬を注入される。腹の中を逆流するような液体の感触に美しい少年が苦痛の表情を浮かべる。
「がっ……はっああ、ひっ……・」
 腹が妊婦のように膨れるまで容赦なく薬を注ぎ込んだエチエンヌは、醜く丸くなったロゼウスの腹を指でつまむ、それだけで激しい苦悶が襲うようで、彼は喘ぎ、短く呻きながら涙を流す。
「も、だめ……破れちゃ……」
「んなことないって。このぐらいならまだいける。……でも、もういいかな」
「ああっ」
 涙の滲む目元を拭う暇すら与えず、中のものをそのまま浴室の床に出させる。絶望に呻き、排泄物で濁った液で汚れた床に崩れ落ちそうになるロゼウスをリチャードが支える間に、エチエンヌは次の道具をすでに用意していた。
「ほらほら、下終ったら次は上もしなきゃね」
 ホースを取り付けた漏斗でただ単純に大量の水を飲ませるというだけのことだが、やられる側にしてみればこれも立派な拷問の一種だ。またしても腹部が今度は胃の方から膨れ上がり、堪えきれずに盛大に吐き出す。すかさずまた水を流し込んで吐かせ、また流し込み……何度も飲んでは吐いてを繰り返して、胃の洗浄をする。上からも下からも出させられたロゼウスは全身を洗い終える頃にはもうぐったりとしていた。だがまだ意識はあるようだ。
「大丈夫ですか?」
 死なせては困るだろうと義務的に問いかけたリチャードに、帰ってくるのは険しい眼差しだった。これなら大丈夫だろう。
「じゃ、そろそろ本番に行きましょうか」
 これだけ責め苛んでおいてまだ甚振るつもりらしいエチエンヌの指示に従い、リチャードが脱力したロゼウスの体を抱え上げる。濡れた髪と身体を拭いて再び三人して寝台に上がる。力なくシーツの波に倒れ付したロゼウスは、もう抵抗する気力もないようだ。
 エチエンヌが彼の足を開くと、迷わず股間に手を伸ばした。顔を引きつらせるロゼウスに構わず、小姓は彼のものに添えた手を動かす。残酷なぐらい丁寧に揉みしだき、撫で、擦る。
「あ……はぁ……うあ……」
与えられた刺激の快感に抗えず熱い息を零し始めるロゼウスの耳元にエチエンヌが囁く。
「このド淫乱の、売女風情が」
 憎しみを込めて。恥辱に顔を歪めるが悦楽に抗いきれないロゼウスに、シルヴァーニ人の少年は極上の笑みを見せながら、いったん手を止める。怪訝に思った彼らの目の前で、エチエンヌは細い紐を取り出してロゼウスの足の間に近づけた。意図を察した彼の顔から血の気が引く。
「うあ……っああああ!!」
 ギュッと根元をきつく縛られて、ロゼウスは目尻に新たな涙を浮かべる。男根を縛られると、イけなくなる。それをわかっていて、エチエンヌはやっているのだ。
「やめ……コレ、外して……」
「いや」
 言いながら、エチエンヌはロゼウスの背中側に周り、柔らかそうな尻を開かせながら、無造作に肛門へと指を突っ込む。
「ひぃっ!」
 直腸を乱暴にかき回されてロゼウスが悲鳴を上げるのも構わずに、彼は指を抜きながら言う。
「んー、拡張してないし慣らしてもないから狭いね。まあいいか」
 そして壊れても構わない玩具を地面に叩きつける子どものように、エチエンヌはロゼウスの尻の下に膝を入れる。自分のモノの上にロゼウスを座らせるようにして背後から貫く。自分の体重で逃れることもできずにそれを飲み込ませられたロゼウスが絶叫する。
「あああああああああああああ!!」
 慣らしてもいない箇所に無理矢理ねじ込まれたのだからそれは余程の痛みだろう。涙と涎を垂らして引きつった悲鳴を上げ続ける彼を無慈悲に貫くエチエンヌの方は、悲鳴を気にすることもなく腰を動かし始めた。内部が裂けて血が流れたのか、潤滑油となった血がニチャニチャと淫らな音をさせて、余計ロゼウスを責める。
「あ、はっ……っ、ひ、あ、ああ……あああ」
 痛みと衝撃とに壊れたような断続的な苦鳴を上げて、失神寸前のロゼウスの中でエチエンヌが放つ。
「んっ――」
 微かに頬を染めて、濡れた金髪からぽたぽたと雫を垂らしながら達した瞬間にエチエンヌが色っぽく喘ぐ。一方のロゼウスは死にかけの虫のように身体を痙攣させている。陵辱されて苦しんでいる姿に、エチエンヌでなくとも嗜虐心を擽られる。
 もっと、もっと苛めて、啼かせてみたくなる。
 ずるりと、粘性の液体が糸を引きながら自分のモノを取り出した加害者である少年が、被害者である少年の傷だらけの白い背中にふわりと抱きついて。
「あんたのせいで僕はこの頃全くシェリダン様に構ってもらえないんだもの。このぐらい当然でしょ?」
 髪が垂れて露になったうなじに口づけながらのその言葉に、宿っていたのは殺意と言う名の感情。
 ロゼウスが正室として、王妃としてこの国に来るまでは、女を抱かないシェリダンの夜伽役はずっとエチエンヌが務めていたのだ。彼は主君を愛している。だから。
「ん? リチャードさん」
 華奢で美しい少女のような少年たちが艶かしく身体を重ねあう情事に見入っていたリチャードの方に視線を向けたエチエンヌが声を上げる。
「勃ってんじゃん、ここ」
「え? ……あっ!」
 指摘されて初めて彼は自分の状態に気づく。二人のやり取りに触発されて、傍観者のくせにすっかりと自分のものを硬くしてしまっていた。膨らんだ股間を、ズボンの布の上からエチエンヌが引っかき、思わずみっともなく声を上げてしまいそうになる。
 そしてエチエンヌが姉のローラに良く似た美しい面差しで誘うように。
「じゃ、普段はノーマルなリチャードさんまでやる気になったようだし、今度は三人で第二ラウンド始めようか」

 その様子を、シェリダンはずっと無表情で見ていた。


013

 俺はあんたを愛したりしない。絶対に、永遠に、そんなことにはならない。
 朱金の瞳に、必死で告げる。酷薄とも寂しげともつかぬ笑みに、何故か、泣きたいほどの切なさを覚えながら。
 ――……いか、陛下
 誰?
 ――お目覚め下さい、皇帝陛下
 何の話だ。
 ――あの男は死んだのです。
 誰のことだ……?
 続く責めに意識が音を上げて気を失った時、エチエンヌに無理矢理頬をはたかれて起こされるまでの数分、自分は夢を見ていたらしい。
 ――どうか泣かないでください。何もかも、これは全て。

 あなたの見た夢なのだから。

 言い聞かせるこの声を、俺は知らない。

 ◆◆◆◆◆

 体中が軋む。気を抜けば全身がバラバラになりそうに痛い。
「あはは。普段は同性になんて興味ない顔して、結構やるんじゃん、リチャードさん」
 耳障りな甲高い声でエチエンヌが笑っている。華奢なくせに化物じみた体力で一晩中ロゼウスを犯し続けたこの少年と、その脇で渋い顔をしている侍従。
「だってあれは、誰だって妻によく似た少年と女性のような顔立ちの美少年が睦みあっている様を見れば……」
 妻ってどういうことだろうか。リチャードが結婚しているかどうかはともかく、エチエンヌにそっくりな女性と言うと一人しか思いつかない。だが、そんなこと今はどうでもいいことだ。
「言い訳はいらないって。どうせシェリダン様の命令の内だし」
 言って、リチャードから視線を外すとエチエンヌは身動きもできず打ち捨てられた布キレのように寝台に横たわっているロゼウスの耳元に口元を近づける。
「ねぇ」
 甘ったるい囁きは悪意に満ちていた。
「――楽しかったでしょ?」
 殺意が湧く。憎しみに満ちたロゼウスの眼光をいとも容易く受け流して、小姓は嫣然と微笑む。
「――いい加減にしなさいよね、あんたたち」
 少女の声が聞こえた。弟に服を投げたローラが、困ったように呆れたように眉根を寄せている。
「もうとっくに夜が明けてるのよ。あんたたちはさっさと仕事に戻りなさい。リチャード、妻以外にこんなことしたからには、あんた今日は私の部屋に入ってこないでよね」
「ロ、ローラ、私は」
「黙れ。この節操なし」
 青ざめたリチャードの顔面を持っていた布、たぶんリチャードの分の衣服で思い切り叩き、ローラは彼がそれに着替え終わらないうちに無理矢理寝室の外へ追い出す。手早く着替えを終えたエチエンヌがそれに続き、扉を閉めようとしたローラが驚きの表情で再び開く。
 シェリダンが入ってきた。
 もともとここは彼の部屋だ。昨夜はエチエンヌとリチャードにロゼウスを犯させるだけ犯させて、シェリダン自身はいつの間にか姿を消していた。ロゼウスは意識をたびたび失ったし、エチエンヌたちも明け方には眠りについたようなので、詳しいことはわからない。ローラが言うには、今は起床の時刻を少し過ぎたほどらしい。
 扉の近くで、二言三言やり取りするシェリダンとローラを相変わらず寝台に突っ伏したまま眺めて、ロゼウスはシェリダンの目元に薄っすらと隈ができているのに気づいた。
「シェリダン様、執務の方は……」
「七日先の分まで終らせてきた。気候が安定しているから民衆レベルでは問題も起きておらぬようだし、昨日の刺客の件はまだ警備隊が調査中だ」
「あのモリスさんがまだ手間取っているなんて珍しいですね……それより、そうまでしてここに戻ってきたということは……」
「あれに話がある」
 入り口から、シェリダンはロゼウスを一瞥してローラへと視線を戻す。
「せめて、お洋服を」
「必要ない」 
 ロゼウスは素っ裸で放置状態継続のようだ。入り口付近にローラを待機させたまま、寝台にシェリダンが歩み寄ってくる。
「気分はどうだ? 我が妃よ」
「……いいわけないだろ」
 酷くしゃがれた、自分でもみっともないと思うような声でロゼウスは答える。ふらつく頭を叱咤しながら、無理矢理上半身を起こす。隠すもののない惨めな姿で睨み上げるロゼウスをシェリダンは冷ややかに見下ろし、手を伸ばす。軽く肩を突かれただけで、ロゼウスは呆気なくまた寝台に倒れ付した。上にシェリダンがのしかかり、ロゼウスの身体の下へと指を伸ばす。
「痛っ!」
 昨夜さんざん酷使されて腫れ上がったそこに指を入れられて、ロゼウスは思わず悲鳴を上げる。体内に残ったままの精液が体温でぬるくなって、どろりと流れる感触。
 ぐちゃぐちゃと内壁をかき回すシェリダンの指を払いのけたいのに、できない。昨日の昼間にカミラを蘇生させ、夜にはさんざんいたぶられたせいで身体に力が戻ってこない。今のロゼウスは人間の少女よりも非力だ。
 シェリダンを払いのけたいのにそれもできず、痛む肛門を弄くられてまた昂り始めながら、彼は。
「兄上」
 零れた言葉にぴくりと、シェリダンの手が止まる。異物が引き抜かれて、それでもロゼウスは楽にはならない。中途半端に燻らされた熱が疼いて、どうしようもなくなる。
「……お前をここまで淫乱にしたのは、その兄か。どの兄だ。第四王子のお前には兄が三人いるはずだろう」
 シェリダンの言葉に答えないでいると、前をきつく握られた。さんざん甚振られたそこも軽く触れられるだけで激痛が走り、ロゼウスは仕方なくしぶしぶとその人のことを口にする。
「第一王子……ドラクル、兄上」
「長兄、王位継承者か。国を継ぐべき王太子が弟と関係を持つとはな」
 はっきりと口にしないまでも、シェリダンの口調からは馬鹿にする気配が伝わってくる。睨み上げるロゼウスの視線などなんとも思わないようで、彼は自分のモノを取り出すと、やすやすとロゼウスを貫いた。
「あああああっ」
 腫れ上がった肛門の痛みと待ち望んだ快感の狭間でロゼウスは彷徨いながら、シェリダンにされるがままになる。
「エチエンヌの言うとおり、本当に、どうしようもない売女だな」
 一通りロゼウスを犯した後、彼は昨夜からの行為で精液まみれのロゼウスの顎を掴み、顔を持ち上げさせた。
「質問に答えろ、ロゼウス」
「あ……」
「これがお前に与える最後の機会だ」
 断れば昨夜のような目に再びあわせるつもりか。
 疲れ切った身体は、もう思い通りには動かない。頭もくらくらして、視界が僅かに翳っている。一晩会わなかっただけで、目の下に隈を作りまるでやつれたような印象を与えながらシェリダンは苦々しく言う。
「お前は、私との取引を破棄し、ローゼンティアへと戻るつもりなのか?」
 兄妹が生き返ったと聞かされた。まさか全員ではないだろうが、それでも十分だ。ドラクルもルースも妹のロザリーもいるのなら、自分がわざわざこうしてシェリダンに囚われている必要はない。
 寝台に爪を立て、必死で自分の体を支え、最後の力でもって、ロゼウスはシェリダンを睨み付ける。口元に笑みが込み上げる。何故だか嗤いたくなってしまう。なのに。
 それが喜びによるものかはわからない。
 むしろ、泣きたくなるような気持ちに似ている。
「言っただろう。俺はあんたの味方なんかじゃない」
「そうか」
 つかんでいたロゼウスの顎をシェリダンは離し、彼は寝台の上に崩れ落ちる。立ち上がったシェリダンが、懐から懐剣を取り出すのが見える。
 ああ、そうか、ようやく。
「ローゼンティア人が本当に墓下から蘇るのかどうか。一番早いのは試してみることだろう」
「陛下、何を!?」
 戸口で待機して一部始終を見ていたローラが慌てて駆けつけてくる。だが、間に合わない。シェリダンが短刀を振り上げる。
「私に従わない奴隷など、いらない――」

 そして世界は、暗転する。

 ◆◆◆◆◆

「陛下、……シェリダン様、少しは何かお口になさらないと、身体に悪いです……」
「ああ」
 ローラが背後から声をかけても、シェリダンは振り返らない。ずっと視線を同じ方向に向けて微動だにしない。その眼差しは寝台に横たわる一人の少年に向けられている。
 シェリダンは三日前からずっと、こうして寝台の傍らに座っている。
 ロゼウスが横たわる寝台の傍らに。
 敷布も毛布も全て清潔な物に変え、ロゼウスの身体も清めた。どろどろになった体液と一緒に血を洗い流して美しい衣装を着せ、広い寝台にその身を横たえると、まるで眠っているように見える。
 けれど彼の心臓は止まり、その紅唇は軽く閉じられたまま、息をしない。
 それはこの世で最も美しい屍。
 両手を胸の上で祈りの形に組ませたその姿はまるで、昏々と眠り続ける荊姫。見えない荊に取り巻かれて、誰もその身に触れることはできない……。
 そしてシェリダンはそのロゼウスの傍らに、昼夜なくつきっきりで居続ける。眠るように横たわっている死に顔を見続けている。
「シェリダン様」
「……お前も休め、ローラ。私に付き合ってお前までこの部屋に詰める必要はない」
「シェリダン様が休まれるのならば、私も休みます。ですけど」
「私なら休んでいる」
「どこがですか!」
「仕事もせずにこうして、ただ妃の寝顔を眺めているだけなんて、休むと同じだろう」
 嘘だ。明らかにシェリダンの顔色は悪い。豪奢な部屋の様子も衣装も、何もかも他のものは変わっていないのにただ彼一人がやつれた様子を見せている。
 通常の政務は数日先まで終らせてしまったから問題はないと、この部屋に篭もりっきりで飽きもせずロゼウスの姿を眺めているシェリダンの様子は他の者の目にもただただ見ていて痛々しかった。
 シェリダンが部屋の外に出ない代わりに、様々な雑務はリチャードとエチエンヌがこなしている。先日の刺客の件は、とうとう尻尾がつかめなかったと警備隊長のモリスが報告に来た。側近たちが寝室から出てこないシェリダンに焦って予定より早くバイロンを地下牢から出し、自宅で数日養生した後今までどおり宰相としての執務をこなしにシアンスレイト城へ来させるらしい。
「目覚めないな、これは」
 ぽつりと、ほんの微かに、零すようにシェリダンは囁く。
「ヴァンピルは殺しても生き返るのではなかったか。何故、お前は目覚めない……」
 あれ以来、彼はロゼ王妃の名前も、ロゼウス王子の名前も呼ばない。白い肌に白い髪、深紅の双眸を今は滑らかな瞼に隠すロゼウスの目覚めをただ待ち続けている。
「陛下」
 ローラは、エチエンヌもリチャードも告げるのを躊躇われることを、それでも言わなければと無理矢理口を開く。
「シェリダン様ぁ……」
 啜り上げた彼女の声を聞いて、シェリダンはようやく少しだけ振り返る。
「シェリダン様……一度死んだ者は生き返りません。ローゼンティア王家のことは、何かの間違いで、きっと墓は何者かに荒らされたんです。……ロゼウス王子は、目覚めません」
 永久に。
 だって彼は死んだのだから。
「もう目覚めるはずはないんです。死んでしまった人間は生き返りません。ロゼウス様も」
あなたが殺してしまったのだから。
「冷静になってください、陛下。いくらヴァンピルと呼ばれる種族でも、生物である以上死を超えられるわけがありません。――世界皇帝でもあるまいし。……ロゼウス様は、死んだのです……彼の容貌が好きであるなら、似たような顔立ちをローゼンティア人から探して召し上げましょう。だから」
「ローラ」
「どうかいつものシェリダン様に戻ってください!」
ローラは叫ぶ。その様子にシェリダンも哀れみを湛えた表情を浮かべるが、それはローラに向けてのものだ。彼自身が自分の身を顧みる様子は一向にない。
 横たわるロゼウスの顔色はただでさえ白い肌がいまや蝋人形のように冷たく、それでもその美しさは消えない。胸に深く穿たれた刃の傷は衣装で隠されている。
 人はこんなにも簡単に死ぬ。
 簡単に死ぬのに、その面影はいつまでも消えない。
 忌々しいことだ。忌々しいと思っていたはずだ。だから必要ないと。
 自らの出生と父王の虐待により傷ついたシェリダンは、誰も信用しない。実の両親でさえ彼を愛してくれなかった。彼は誰にも、本当の意味で好かれるとは、人の心を手に入れられるとは思っていない。だから利用できるものは利用して、自らさえも削り取り切り売りするようにして、他人に自分を差し出すことで全てを買ってきた。
 何もせずに手に入るものなどないから。誰も何も与えてくれないのだから自分で手に入れるしかない。ローラもエチエンヌもリチャードも他の者たちも、その駒で、玩具の一つだった。彼らは結果的にシェリダンに忠誠を誓ったが、それは別にシェリダンが望んだわけではない。彼らが勝手にシェリダンに惹かれたのだ。
 ロゼウスは、そんな他の者たちとは違った。シェリダンが初めて欲し、そして攫ってまでも手に入れた相手。なのに、いくら抱いてもその身体に触れても、その心は手に入らない。
 今まで他人の心など必要としなかったシェリダンが、ロゼウスの心だけは手に入れようとしている。
 先日も、最後の情事も、身体は悦楽を追って火照っても、シェリダンの表情はどこか苦しげだった。
 すれ違い、痛みを重ねるだけの交わりだと知っていたのに、どうして彼は止まれなかったのだろう。こうなるとわかっていたなら、最初から手を出さなければ良かったのに。
 いらない。何もいらない。この手にあるから失うのだ。何もないものはもとより誰も奪えない。だから何もいらなかった。そのはずなのに。
 シェリダン自身、自分が不思議でしかたがない。
「シェリダン様……」
 自分を案じてくれるローラの声にもほとんど反応できない。すまないと思いつつ、彼女が泣きやむまで何も言えないままただその柔らかな金髪を撫でていた。
 ロゼウスは死体のままで目覚めない。シェリダンはまた無言でその顔に見入る。ローラはやがて涙をふいて立ち上がった。
 ひととおり収まったところへ、次の嵐が舞い込んでくる。
「シェリダン!!」
 足音荒く、扉も乱暴に開け放って顔を出したのはシェリダンの妹であるカミラだ。
「ロゼ様をどうしたの! 最近誰もお姿を見ていないと……ロゼ様!?」
 部屋の主であるシェリダンの許可も得ずに無遠慮に入り込んだカミラは、ロゼウスの眠る寝台へと近付く。傍らの椅子に座っているシェリダンを押しのけてロゼウスへと手を伸ばした。
「ロゼ様!」
 彼女は腕を伸ばし、ロゼウスに触れようとして、途中でハッと一度伸ばした手を引っ込めた。再び恐る恐る指先を伸ばして、横たわる人の頬に触れて、顔色を変える。
「冷たい……、息、していらっしゃらない。そんな! ……ロゼウス様!!」
 その名前にシェリダンが微かに反応した。
「カミラ」
「……なんてこと、この方に何をしたのよ!? シェリダン! ローゼンティアの王子を略奪して妃になどしたばかりでは飽き足らずに、今度は何を……!!」
 どうしてカミラがそんなことまで知っているのか。 
 シェリダンは椅子に座ったまま妹を見上げた。
「久しぶりだな、カミラ」
 まずそう告げた。カミラはシェリダンが侵略から凱旋してもなんだかんだと理由をつけて少しも顔を見せなかったのだ。婚礼の式典の時にはヴェールで顔を隠していたし、状況が状況だけに披露目の宴などはなく本当に式典だけで終わった婚礼だったから祝辞が述べられるということもなかった。だからシェリダンとカミラが顔を合わせたのは、随分と久々のことになる。
「……できれば、あなたとなんか二度と顔を合わせたくなかったわ!!」
 経緯はよくわからないが、何らかの事情があってバレたか、もしくはロゼウスが自分から教えるかして、カミラはロゼウスが男であることをすでに知っているようだ。そして、シェリダンたちが知らない間に二人はよほど想いを深めていたのか、これまでは人前では兄王への敬意を払っている素振りだったカミラが、今では理性を失って逆上し、シェリダンへの敵意を剥き出しにしている。
「一体この方に何をしたのよ! 答えなさい! シェリダン=ヴラド!!」
「殺した」
 いともたやすく告げるシェリダンの様子に、カミラは目を白黒させる。
 ああ、そういえば、とシェリダンとローラは思い出した。カミラとロゼウスは確か薔薇園で出会ったのだ。カミラからロゼウスへ大量の薔薇が送られたことがあった。まさかあの時からローゼンティアの王子だと知っていたわけではないだろうが……。今確かにわかるのは一つだけだ。
 カミラはロゼウスが好きなのだ。
 妹姫は、兄王へと掴みかかる。
「……っ、ヴァンピルの魔力を持っているから、ロゼウス様はきっと生き返る! ……でも、シェリダン! その時はあなたなんかにこの方を渡さない!」
 これまでは包み隠していた憎悪が、ロゼウスという存在によって引きずり出され、カミラは大胆にシェリダンへと宣言する。
「あなたになんか渡さないわ! この方も! この国も!」
 そして一度、ロゼウスの屍の両手を握り締めると、後は振り返らずに駆け出していった。
「カミラ、あれもこの者のことを想っているのか……」
「シェリダン様……」
 シェリダンは何をか思いながら、妹が開け放した扉を見つめる……。


014

 許さない、許さない、許さない、許せない!! 
 カミラは胸中でそう繰り返した。先程見た光景を思い出す。眠るように寝台に横たわったロゼウスの姿。冷たい頬。無機物のようにただ閉じられた瞼。あの麗しい深紅の瞳が隠れ。
 絶対に許さない。
 これまで抱き続けていた兄への殺意がついに堰を破る。カミラはどうあっても、シェリダンを殺す。殺さずにはいられない。
「ロゼウス様…………」
 私室に戻り、くつろぎたいからと人を遠ざけたカミラはその何よりも愛おしい名前を口に出し、いつかの口づけの感触を反芻する。血まみれのドレスは内密に処分させたけれど、カミラが彼によって甦らせられたのは変わらない。他人を生き返らせることができたくらいだもの、ロゼウスはきっと生き返る。 
 それでも、例え生き返ってもどうなるのか。彼を死の淵に貶めた元凶たるシェリダンは側にいる。生き返っても、ロゼウスはこのままでは幸せにはなれない。
 カミラはソファの上から、抱えていたクッションを部屋の隅に投げつける。柔らかな布の塊は気の抜けた音を立てて壁に当たってぽとりと床に落ちる。ああ、何をやっているのか、自分は。こんなことをしても何が解決するわけではない。この苛立ちが解消されるわけではない。
 何とか、しなければ。
 シェリダンに啖呵を切った手前、このまま何もせずに引き下がるなんてのはカミラの柄ではない。それに何よりも、ロゼウスが生き返ったときに、今度こそ自分があの方を解放して差し上げなければ。
 あの日、刺客に襲われた庭園で、カミラを甦らせたロゼウスは自分をローゼンティアの王子だと言った。彼は理由あって、国民の命を守るためにシェリダンに従っているらしい。ではそのシェリダンがいなくなれば、ロゼウスは解放される。
 薔薇の花咲く庭園で、カミラは彼を慕っていることを告げた。胸に満ちて込み上げるこの感情が言葉となってあふれ出し、彼女の口を動かした。
 けれどロゼウスは、ただ淡く、消えそうに儚く微笑んだだけだった……あれは嫌悪でも、カミラをかわすためのものでもなく、そう、強いて言うならば、叶わないと知っている祈りのような。
 彼も少しは彼女のことを気にかけてくれていると思うのは、自分のただの独りよがりで一方的な傲慢か。それでも、ロゼウスはカミラとたびたび会ってくれた。庭園の四阿で、彼女のたわいない話を聞いてくれた。例えカミラの想いとは種類を異にしていても、彼だって彼女を気にかけてくれていたはず。
 でも、あの時、カミラが自分の気持ちを告げたときにロゼウス顔に浮かんだ微笑は、はじまりではなく終わりの予感だった。
 女装して少女と偽り過ごしていたロゼウスの、カミラは真実を知ってしまった。その時にロゼウスの瞳に浮かんだ諦め。正体がばれてしまったから、もう会えないとでも言うような。彼は何を覚悟したのか。
 そもそも、シェリダンは何故ロゼウスに女装などさせていたのか。確かにロゼウスの美しさは人並みはずれているが、ヴァンピルは揃って容貌整った者が多く生まれる一族だと聞く。それに、ロゼウスがローゼンティアの王子だという事は、ローゼンティアの本当の王女とも兄妹だと言う事。一人ぐらいロゼウスに似た姉や妹などいなかったのだろうか。
 ……そのことに関しては、一つだけ心当たりのある噂がある。兄は……シェリダンは筋金入りの同性愛者だというのだ。いや、少なくとも同性を侍らせて遊ぶ趣味も持った人間であることははっきりしている。そうでなければいくら顔立ちが美しいからって、どうして同じ男性であるロゼウスに手を出すのか。その上、正妻にした。お飾りの妃ならいくらでも代わりはいる、どうとだってできるものを。
 我が兄ながら、呆れたものだ。半分とはいえあんな男とこの自分の血が繋がっているなんて信じられないし認めたくない。それはともかく、シェリダンは決して女性を愛さないと言う事だ。双子人形、とあだ名されるシルヴァーニ人金髪の姉弟を重用するのは、弟の方と関係があるからではないかと言われていたこともある。
 その推測を裏付ける証拠として、双子の姉の方を自分の侍従の妻に無理矢理させたということがあるらしい。気に入ったのなら自分で手付きにしてしまえばよかったのではないか、と。……とは言っても確かシェリダンがあの双子を拾ってきたのは五年前で、さすがに十二歳からその趣味はどうかとも思うが。
 とにかく、陰で噂するものは後を絶たない。あれは弟を小姓として雇い入れる口実に姉のほうを侍従の小姓としたのだと。エヴェルシードはいまだ古臭い奴隷制度が残る国だけれど、玩具奴隷は表向きには禁止されている。それでも裏で不正に人身売買に手を出す腐った貴族などがいるからこの国にもそう呼ばれる者がいるわけだが。
 そして、シェリダンの行動を異常だと裏付ける最たるものが、ロゼウスを正室へと迎えたことだ。今は誰にも嗅ぎ付けられてはいないことだろうけれど、このことを公表すればシェリダンは当然、失脚となるだろう。公表できれば、の話。恐らくそうする前にもみ消される。この国の最高権力者はシェリダン自身なのだから。
 それに、ロゼウスもそのことは望んでいないらしい。確かに王子が女装して隣国の王の妃になったなどと、大っぴらに話せることではない。しかも、ロゼウス自身はローゼンティア国民の命を握られていて何もすることができない。バイロンも牢に入れられて、ようやく出てきたけれど今までとは手のひらを返してシェリダンの陣営についた。では、シェリダンを追い落とすには神らにはどんな手が残っているというのだろう。
 誰か、シェリダンの進退に影響を及ぼせるほどの人物――。
「……父上」
 カミラは重要な人物を思い出した。いまだシェリダンに幽閉されたまま行方不明の父、先王ジョナス。彼はまだ見つかっていない。
「そうよ、父上への待遇を盾にすれば、シェリダンだって……」
 親殺しは大罪だ。それ自体はただの殺人と同じだが、少なくとも国民への影響は大きい。先王ジョナスは凡愚な王ではあったが、苛烈な気性を持つ王が多いエヴェルシードは比較的穏やかな人物として知られていた。第二王妃ヴァージニアのことを除けば、民から恨みを買うようなことはなかったはず。
 その王へシェリダンが虐待などを加えていることがあれば……少なくともあるのだろう。わかりやすく監禁するだけならともかく、幽閉してしかもその居場所を誰にも知られないようにしているのだから。それはつまり、ジョナス王に復権されるのが怖いというだけではなく、あの父を人前に出せない理由があるということ。いくら幽閉されているからと言って、先日のシェリダン王とロゼ王妃の婚礼、にも父の姿はなかった。
 父は今どうしているのだろう。カミラにはほとんど構ってくれなかった父親だが、それでも思慕の情はある。シェリダンほどではないが、カミラも幼い頃に母親を亡くして、親といえばずっと父だけだった。幼かった彼女の頭を不器用になでる父の温もりを思い出す。
 カミラは小さい頃、ただひたすらシェリダンが羨ましかった。彼女とは違い、四六時中父の側にいて、父に習い、父に愛されていたシェリダンが。この羨望と嫉妬が、殺意に変わったのはいつだったのだろう……。
 ――そうだ。
 シェリダンに母のことを馬鹿にされたときだ。お前はお前の母親が、どれだけ劣悪で愚鈍な女だと知っているのか、と。
 カミラの母、第一王妃のミナハークは確かに嫉妬深い女だった。シェリダンの母親である第二王妃で市井上がりのヴァージニアに対してはいつも冷たかったらしい。そもそもヴァージニア第二王妃はカミラが生まれる前に亡くなったのだから人伝えに話を聞いただけではあるが。
 だからと言って、人の母を侮辱していい理由にはならないだろう。
 あれから、カミラはシェリダンが嫌いになった。シェリダンからそれを言われた頃には、すでに母は亡くなっていたのだ。
 死んだ人を侮辱する発言に彼女は怒り、シェリダンに殴りかかって、大暴れしたのだった……思い出したくもない。その後、父にとても怒られた。
 エヴェルシードでは死者はとても大切にされるべきもの。それを思わないシェリダンは、一部の宗教家からは嫌われている。
 でもそんなことは今はいい。今から国内の反王権派に手を回すにしても時間がかかりすぎる。バイロンが登城してきて、さらにシェリダンの味方についたからには、もはや一刻の猶予もない。
 カミラは部屋の外へと出た。その辺にいた、手近な侍女を捕まえて話を聞く。
「ねぇ、最近兄上について何か変わったことはない?」
「陛下、ですか? ここ三日ほどお部屋に篭もりきりらしいですが……」
「それじゃなくて。それ以外で、ここ何ヶ月か、何か変わったことをしているとかないかしら?」
 カミラが話しかけてあからさまに嫌な顔をするのはローラとかいうあのシェリダンの手駒の双子の姉、金髪小娘だけだ。大抵エヴェルシード人は簡単な口実でたやすく口を割ってくれる。カミラはこう言った。
「父上のことが知りたいのよ。シェリダンが何をしたのか知らないかしら。今どうなさっているのか、本当に気になるわ」
 その侍女は困ったような顔をしながら、それでも躊躇いがちに告げた。ほらね、親に対する不孝は、この国では重罪。
「そういえば、シェリダン様が何度か先王陛下の部屋に足を運ばれているのを見たというものがいますけれど」
「父上の部屋に?」
 初耳だった。自分で幽閉しておいて、主のいない部屋に行くこともないだろう……でも、待って。そう、そういうことなのね。
「ありがとう。もういいわ」
 侍女を放して、カミラは父の部屋へと向かう。
 カミラは前々から、シェリダンが父を監禁するような場所があるとしたら、どこか自分の眼の届く範囲だろうと考えていた。いくら探しても見つからない場所。カミラの手下の者たちが用意には探せない場所。
 さらに、王族の私室には隠し部屋が付き物だ。シェリダンは王位を継いだのだから国王である父の部屋へ移動するのが普通なのに、今も王太子時代の部屋で起居している。あのシェリダンなら何をやってもおかしくはないと今までは深く考えていなかったけれど、それが理由あってのことなら。
 こんな簡単なことに気づかなかったなんて。
 カミラは、急ぎ足で父王の部屋へと向かった。

 ◆◆◆◆◆

 美しい人形のようなそれが、眠る様は蝋人形がただ横たわっているようだった。
 カミラの言うとおり、屍となったロゼウスの頬は冷たく、唇から呼気が漏れることはない。あの瞬間、苦痛に喘ぐこともなくそっと閉じられた瞼は、今は硬く瞑られている。
 シェリダンはただその寝台の隣に椅子を寄せて座り、それが目覚めるのをひたすらに待ち続けている。
 身体を清め、衣装を着せ替えた。寝台も整え、そこに横たえてもう三日になる。
 シェリダンが作った傷はとうに癒えている。ヴァンピルという存在は謎に満ちていて、どういう原理なのか心臓の止まった身体でも、死に至った傷さえ治ってしまった。
 それでも、ロゼウスは目を覚まさない。
 眠るように横たわり続けている。死体と言うにはあまりにも美しく、人と呼ぶにはあまりにも儚い面影。シェリダンたちエヴェルシードの民から見れば奇異な深紅の瞳は瞼の奥に隠されて見えない。
 あの瞳……深く、暗い血の色。人体の仕組みなど興味はない。けれど人の身体を流れる血というもの、あの色にだけは興味を引かれる。
 誰が言った言葉だったか、赤は生命の色だと。
 ロゼウスの瞳は、シェリダンの思い描いた生命そのもの。美しく醜い、冷たくて熱い、人の欲と希望を湛え、傷つきながらも折れない魂。
 けれどそれは今、滑らかな瞼の下に隠れている。隠したのは――自分自身だ。
 シェリダンにこれを願う資格はない。その瞳がもう一度見たいなど。その声がもう一度聴きたいなどと。そしてその肌を、もう一度抱きしめたいと。
 それでも傍らで待ち続ける。ローラを泣かせ、エチエンヌに罵られ、リチャードに宥められても心は変わらない。私室に閉じこもり食事すら満足に取らず、執務は一週間分ほど終えたが、その間にロゼウスが目覚めなかったらどうするのか。
 何も考え付かない。この時間が永遠に続くような気がする。
 そしてシェリダンは一生、この目覚めない荊姫の眠るかんばせを望みながら終るのか。
「……愚かだな、私は」
 ついに焼きが回ったか。今まで、何のためにここに来たのか。
 先程カミラが乗り込んできた。いつの間にかシェリダンが考えるよりもロゼウスと親しくなっていたらしい。カミラはロゼウスが男であることも、ローゼンティアの王子であることも知っていた。いつから、どのような仲なのか。問いかけたい相手はカミラではない。カミラの態度を見ればそちらの方はわかる。妹はロゼウスに、このローゼンティアの王子に恋をしていた。シェリダンと同じとは言わないが似ている妹は、常々他人を道具としか思っていない人間のはずだった。それがどうしてロゼウスを気に入るにいたったのか、知りたいとは思う。
 彼女は宣言した。この国もロゼウスも、必ず奪うと。そしてロゼウスは必ず目覚めると信じて疑わないようだった。
 リチャードとエチエンヌは外で仕事に励んでおり、ローラには使いを頼んでいる。今この部屋にはシェリダン自身と横たわるロゼウスの屍だけ。
 この一ヶ月、この部屋にはいつもロゼウスがいた。華奢な身体と女顔にやけに似合うドレス姿で、ローラと話し込んだり、手持ち無沙汰にエヴェルシードの書物を紐解きながら。シェリダンの顔を見ると、喜ぶでもなく、怒るでもなく振り返る。気安い相手と話すように、この城で長く彼を知っている誰よりも自然体で。
 その身体を抱くたびに言いようのない寒々しさも感じたけれど、共に眠る夜は悪夢を見ずに済んだ。シェリダンを避けて一言も口を利かないことだってできたはずなのに、他愛のない話を重ねた。
 けれど。
 ――俺はあんたのことを、愛してなんかいない。これからもずっと、愛したりしない。
 あの冷ややかな瞳。炎の色をした瞳が向ける氷の刃。そしてシェリダンは知る。
 また叶わない。絶対に届かない。見えない檻が自分を阻む。荊の棘が伸ばした指先を突き刺して遠ざける。
 それは永遠の拒絶。
「どうしてだ……っ」
 シェリダンは椅子を蹴倒した。立ち上がって拳を握り締め、唇を噛む。寝台の上に上がり、眠るロゼウスの身体をまたいでのしかかる。
 その顔を覗き込むようにして、両脇に手をつく。
「どうして、お前までもが私を拒む!?」
 いや、わかっているはずだ。自分と彼の立場を考えれば。シェリダンはロゼウスから故国を奪い、大半が蘇生したとはいえ家族を奪った。国民を人質に脅迫して陵辱した。拷問した。女装させて妃として振舞わせる恥辱を与えた。――殺した。
 なのに、こんなにもまだ、彼の瞳を見たいと願っている。
 自らで殺しておきながら、シェリダンはその事実を上手く受け入れられない。自分を愛さないとロゼウスが言った時、殺意が湧いたのは事実。だが、今は愛してくれとは言わないから、憎んでいてもいいから、ただ生きていて欲しいと願う。
 笑い話だ。なんて滑稽なんだ。彼は彼を嘲笑う。あの日ロゼウスがシェリダンを嗤ったように。
「……起きろ」
 お前の瞳が見たい。お前の声が聴きたい。お前の肌に触れたい。お前と言葉を交わしたい。
「起きろ、ロゼウス」
 お前の瞳にもう一度、私の姿を映して欲しい。その後はどうなっても構わないから。罵り蔑み唾を吐き、私を憎み呪えばいい。
「だから」
 目覚めろ、ロゼウス。
 肩の力を抜いて、顔を下げた。眠る屍の冷たい唇に触れる。
 性的な欲求も同性を攻める背徳感も相手をねじ伏せる嗜虐もなにもない、万感の想いだけがこもった口づけ。
 永遠とも思われるような一瞬が過ぎる。
 冷え切って体温が戻りきらない指先に頬を包まれた。シェリダンは両膝の力も抜き、ロゼウスの身体の上にのしかかる。
「…………何、泣いてるの、シェリダン」
「うるさい」
 甘い掠れ声で呟くロゼウスに指摘されて、シェリダンは初めて自らの頬を濡らすものに気づく。気づいてしまえば後から後から溢れるそれを止めることもできずに、声を押し殺してただ滲む視界が元に戻るまでシーツの上に目元を押し付けて待った。
 シェリダンの背に腕を回したロゼウスがそっと吐息して。
「……あんたが、俺を起こしたんだな」
 殺したのも私。
 まだ夢見心地と言った表情でロゼウスは恍惚と微笑む。
「あんたの身体あったかい」
 抱き合うというより、じゃれつくようにただ不器用に手足を絡めて相手の体温を感じあう。長い間血の通わなかったロゼウスの身体がシェリダンの熱を奪ってほんのりと温まっていく。
「このまま目覚めないかと思った」
 思わず口をついて出たシェリダンの本音を聴き取り、ロゼウスがシェリダンを抱きしめたまま小さく苦笑する。
「そうかもな。このまま……目覚めない方が幸せだったんだろうな」
 シェリダンの孤独など彼には関係ない。それはロゼウスのせいではない。ロゼウスを巻き込んだのはシェリダンのエゴであり、ロゼウスが悪いわけではない。彼の選択は当然のものであり、シェリダンへの裏切りなどに心を痛める筋合いはない。
 それでも。
「でも、あんたは呼んだだろう、俺を」
「――ああ」
「だから目を覚ましたんだ」
「……ああ」
 シェリダンはロゼウスの身体にしがみつく腕に、力を込める。再び顔を上げて、深紅の瞳を見つめた。そして二人同時にすっと目を閉じる。
 二度目に重ね合わせた唇は、ただ柔らかで暖かだった。

 ◆◆◆◆◆

 シェリダンに幽閉されているはずの父を探して、カミラは代々の国王が住まう部屋へと足を運んだ。使われている部屋でもないのに見張りがいるのはおかしい。扉の前に立ったカミラを、どこからか現れた二人の兵士が止める。シェリダンはこっそりと気づかれないようにこの部屋を警備するよう命じていたらしい。
 その兵士二人を適当な理由をでっち上げて遠ざけ、カミラ部屋の中に足を踏み入れる。見張りの兵がやけにあっさり引いたのは気になったけれど、細かいことにかかずらっている暇はない。
 一刻も早く、父上を解放してシェリダンの王位を奪わねば。彼女の頭にあるのはそれだけだった。とにかく譲位を決めたとはいえ、この国でシェリダンに意見できるような人間は父しかいない。反王権派の者たちはカミラをはじめ、どうも立場が弱いものばかりだ。密に頭目として期待されていたバイロンはシェリダンの側に寝返った、もう猶予はない。
 カミラは豪奢な部屋の中を見渡す。父の部屋。代々の国王の起居する部屋。衣装は侍従が持ち運んで来るし食事も別の部屋で取る、本当にただ寝るだけの部屋だけれど、王族の城は無駄に豪華だ。十六年間この城で育ったカミラでさえそう思うのだ。そんな余裕があるなら他のことに使えばいいのにとも。あまりに質素だと他の国や諸侯たちに示しがつかなくなるから、ある程度華美であることも必要だとはいえ、寝室をこれだけ飾り付けて何の意味があるのだろうか。
 それはともかく、カミラは部屋の中を探る。壁にかけられた絵画をひっくり返して裏を見たり、棚の上の染付けの壺を動かしてみたり。寝台の下を覗き込んだり。もちろん収穫はない。人を隠せそうなスペースは勿論、そのような隠し部屋に繋がるような扉も何も。
「ない……おかしいわ。ここでなかったらシェリダンはどこに父上を隠しているというの?」
 困り果てたカミラは寝台に腰掛け、思わず天井を仰ぐ。見張りに鼻薬を嗅がせたとはいえここは代々の王の部屋であるから、勝手に入り込んだことがシェリダンに知られたらどうなるかわかったものではない。カミラは細心の注意で持って部屋を捜索し、寝台に腰掛けるのにも気を遣った。弾力のある羽毛布団はよっぽどでなければ皺を残さない。そうして仰のいて天蓋の中心を眺めていた彼女は、あるものに気づいた。
「何……あれ」
 天蓋の隙間から不自然に垂れ下がった、微妙に色の違う布。カミラは寝台の上に乗り、高い位置にあるそれに手を伸ばして触れた。思い切り引くが、紐はびくともしない。覚悟を決めてありったけの力を込めると、光沢のある布はこちらの予想に反して千切れることもなく下へと今までの倍の長さで垂れ下がった。
 続いて、カチリとどこかで音がする。
「え?」
 幾つかの仕掛けが動き始めたらしく、部屋の中にあるものが勝手に動き出す。カミラが驚きながらそれを眺めていると、やがて全ての変化はそれまで何もないと思われていた壁へと収束する。
 音が消えてシンと静まりかえった部屋の中、カミラはこれまで何もなかった……そして今も傍目には何もないように見える壁へと注目する。思い切って中心に手をつくと、ぐにゃりと歪んだ。生成りの壁紙の裏は、空洞になっていた。先程確かめた時には確かに冷たい石の感触がしていたのに。
 しゃがみ込んで下から壁紙を持ち上げると、呆気なく動いて、それは隠し部屋への入り口を晒した。
「こんなところがあったなんて……」
 入り口は闇に閉ざされているようで、奥の方は何も見えない。カミラは恐る恐る、その闇へと足を踏み入れた。


015

 結論から先に言うと、父は見つかった。
 ただし、それは生きているとも言いがたい、実に無残な姿で。
「父上……?」
 カミラは愕然とする。苔むし埃のたまった石床にへたり込んだ。
 父は、間違いなくこの国の先代の王であった方は、壁際に繋がれていた。牢の中に閉じ込められるなどと言うものではなく。手枷足枷に加えて首輪を嵌められ、四肢はやせ衰え骸骨のように頬がこけている。無数の鎖がその身を幾重にも這って、逃げられないよう厳重に拘束している。
 そして両手は太い釘で貫かれ、石壁に縫い付けられていた。ひゅうひゅうと頼りない息が漏れ、目は病んだ者のように虚ろで何の光も映してはいなかった。ぼろぼろになった衣服の裂け目から、幾つもの産んだ傷がのぞいている。
 床の血溜まりは乾き、蛆と蝿がたかっている。胃の中身を全て吐き出してしまいそうな、強烈な腐臭。
 信じられない。何故これで生きていられるのか。彼女は吐き気を堪えながら、必死で父に呼びかける。
「父上! ジョナス王! 私です! あなたの娘のカミラです!!」
 繰り返された幾度目かの呼びかけに応え、父はのろのろと顔を上げる。濁った瞳が夢現を彷徨いながら一瞬だけ活力を取り戻し、カミラの顔を見る。
「シェ……ダ……」
 零れ落ちた名前にカミラの胸は凍る。
「お父さま……違い、ます。私……カミラです……」
 彼女とシェリダンは、少しだけ似ている。意識が半ば混濁し現実と夢の区別もつかなくなった父には、カミラがシェリダンに、兄に見えているらしい。
 耳障りなほどの酷くしゃがれた声で、父は続ける。シェリダンへの言葉を。
「すま……な、か……た。すまな……た」
「何を、謝っていらっしゃるの……シェリダンに何をしたの?」
 父はカミラを構ってくれることなどなかった。いつもシェリダンのことばかり気にしていて、カミラなど視界に入ってもいないようだった。王位継承問題も、男児がどうとか長子がどうとかなくたって、きっとシェリダンを王にしただろう。
 カミラはシェリダンが父に愛されていると思っていたし、この幽閉はあの男の残酷な本性が理性的な父親を遠ざけて好き勝手やるためのものだと考えていた。けれど、それは違うのだと今ここで知る。
 シェリダンは父を憎んでいる。でなければ、こんなに酷いことをするはずがない。できるはずがない。
 そしてこんなにされておきながら、父はシェリダンに謝り続けている。
「すまなかった……」
「もう止めてください! 父上!」
 悪臭、埃、苔でぬめる床、蝋燭の明かりも頼りない暗闇、蛆が這いまわり蝿が飛び交う気配。
 気が狂いそうになる。
 私は何のためにここまで来たのかしら。
 こんなことで何ができると言うのかしら。
「……て……れ」
「……お父さま?」
「ころ、し……て……くれ…………」
 ドクン、と心臓が跳ねた。鼓動が波打つ。
 殺してくれ。
 全てが紗幕の向こうのような世界で、その言葉だけが鮮やかに意味を持つ。
 今の父の様子は、どう見ても安楽とは言いがたかった。治療もされない傷が口を開け虫が這う。薄汚れ腐臭にまみれ目は濁り。
 殺してくれ。――殺してやれ。
 カミラの頭の中で誰かが囁く。それが誰なのかわからない。自分自身すらわからない。
 そしてカミラの懐には、いざと言うときの護身用の懐剣がある。あの庭園での襲撃の日以来、肌身離さず持っているものだ。せめて自分の身だけでも守れるようになりたいと。
 それがこんな時に役に立とうなんて。
 カミラは、父の心臓を貫いた。
 人殺しの技術など持ち合わせていない。それどころか武芸の技術さえ。それでも知識はある。彼女は、人間の心臓がどこにあるか知っている。やせ衰えてみる影もない体の、左胸を狙い違わず刺し貫いた。
 懐剣を抜いた傷口から血が溢れ、カミラは返り血で濡れる。全身から力が抜けてその場に崩落れた。力を失った手から懐剣が零れ、石床に落ちて乾いた音を立てる。
「お父さま……お父さま…………」
 壊れたオルゴールのように、カミラは歪な声音で繰り返す。私、何をしたの? 殺した? 実の父親をこの手で。
 だってこの方は私を愛してはくれなくて、シェリダンばかり贔屓にして、でもあの兄とは何かあったようで、こんな拷問されてて酷い、でももう助かるはずもないし、助けてもこの場合どうなるわけもないし、いっそ殺して楽にしてあげた方がいいと。
 でもこれも、所詮は私の独りよがりな。
「あーあ」
 気の抜けた声に振り返ると、入り口に立つ二人の人影が見えた。一人は黒いローブを纏った怪しげな人影で、もう一人はシェリダンだった。
「やってしまいましたねぇ、殿下。父親殺しは大罪ですよぉ? それも一国の王女が先代の王を」
 怪しい魔術師風のその男の言葉は常なら不愉快に感じるはずだったろうが、今のカミラの耳には何も届かなかった。彼女はただシェリダンを見ていた。彼女の兄を。
「カミラ=ウェスト=エヴェルシード」
 感情の読めない硝子玉の瞳。そういえばこの人は、ロゼウスの側についていたはずなのに何故。
 それを問う余裕もない。
「お前の王族としての資格を剥奪し、実父かつ先王であるジョナス王殺害容疑で拘束する」
 カミラは血塗られた自らの手のひらに目を落とす。暗い地下牢、蝋燭の明かりでもわかるほど真っ赤に染められたこの手。
 自分は父を殺した。
 逃れる道はなかった。どこにも。

 ◆◆◆◆◆

「カミラ?! ……どうし……」
 ロゼウスがまだ見たことのない黒いローブの男がシェリダンを呼びに来た。どうやら三日以上眠り続けていたらしいロゼウスは、目覚めてからローラやエチエンヌ、リチャードに世話をされていた。エチエンヌは素知らぬ顔で、リチャードはどこか悔いるような、ローラは安堵するような顔でロゼウスに食事やら着替えやらを用意した。ひとしきり寛いだ後にシェリダンが戻ってきたかと思えば、その腕には彼の妹であるカミラが抱きかかえられていた。
「ロゼ……様……?」
 こちらへと目を向けたカミラの頬が濡れている。ロゼウスは駆け寄って驚愕した。その腕と腹部を濡らす紅い血。
「怪我をしてるのか!?」
「返り血だ」
 答えたのはカミラ本人ではなく、彼女を抱きかかえたシェリダンだった。黒いローブの男は扉の外で立ち止まり、そこから指で誰かを差し招く仕草を見せる。エチエンヌとリチャードが嫌な顔をし、部屋を出る。ローラはカミラの手元だけ清めて、彼らと同じくシェリダンの私室を後にした。
 ロゼウスとシェリダンと彼に抱きかかえられたカミラだけが部屋に残される。そういえば、とロゼウスはカミラを抱くシェリダンを見て、不思議な気持ちを感じた。兄妹でありながらこの二人が一緒にいるところを見たのはこれが初めてだ。そしてシェリダンはどうだか知らないが、カミラはシェリダンを憎んでいるのではなかったか?
「きゃあ!」
 状況のわからないロゼウスを置き去りにつかつかと寝台へ歩み寄ったシェリダンが多少乱暴にカミラをその上に放り出し、ロゼウスはそちらへと駆け寄る。
「カミラ、一体どうした? 何があったの?」
 ロゼウスは彼女の手をとりエヴェルシードの王妹殿下に尋ねるが、カミラは悲痛に顔を歪めて視線を逸らした。様子がおかしい。訝りに眉を顰めると、またもやシェリダンが答える。
「その女はもはや王族としての資格を失った」
「……え?」
「先王陛下殺し、父親殺しの罪でな」
「……何だって?」
 ロゼウスは今聞いたことが信じられない。何故、カミラがその父親を殺さねばならない。
 言うべきことも見つからないまま口を開きかけるロゼウスより早く、双眸に涙を溜めたカミラが叫ぶ。これまでの強張った顔つきとは打って変わって、張り詰めたものが切れたように、狂ったように叫ぶ。
「あなたのせいよ!!」
 シェリダンを睨み付ける瞳には怒り、恨み、殺意が込められている。
「あなたが、お父様をあんな目に! 返してよ! この悪魔! あたしのお父様を返してよ――!!」
「カミラ! 落ち着け!」
 シェリダンに掴みかかろうとしたカミラを、ロゼウスは思わず羽交い絞めにして止める。
「離して! この男を殺させて!」
 泣き叫んで暴れくるうカミラを無理に押さえつけ、ロゼウスはシェリダンの方へと視線を向ける。 
 その秀麗な面差しに浮かぶ酷薄な微笑。
「カミラ、あんたがシェリダンに敵うわけないだろ。余計な怪我をするだけだ」
「……ロゼウス、様」
 ロゼウスの言葉に少し冷静になったらしいカミラが抵抗をやめて、その体から力が抜ける。崩れ落ちる彼女をロゼウスは支え、シェリダンの瞳を捕らえる。
「――あんた、この子に何をした?」
 ロゼウスの質問には答えず、シェリダンが口の端を吊り上げて言う。
「人の知らない内に、大層仲が良くなったようだな、お前たちは」
 上着を床に放り投げ、シェリダンが寝台に上がる。ロゼウスが背後から体を支える形となったカミラの顎を捕らえて、無理矢理自分の方へとその瞳を向けさせた。
「理由はどうあれ、父親殺しは大罪だぞ。妹殿。……いや、もう妹ではないか。お前は王族としても、王妹としての立場をも失ったのだから」
 潤んで赤く腫れた両目を拭いもせず、カミラはシェリダンを睨み付ける。何が起こったのかわからないロゼウスはなす術もなくカミラの肩を支えながら、二人のやり取りを見守るしかない。
「お前がこれまで得た力、権力も財力も、諸侯の忠誠もこれで全ては水の泡だ」
「まだよ、まだ私は負けてはいないわ! あなたが父上にしたことを全部公表してやる! そうすれば」
「本当にできると思っているのか? そんなことが。知らないなら教えておいてやろう。イスカリオットとユージーンは私の間諜だ。知らないのはお前くらいのものだろうよ」
 出された名前の人物についてロゼウスは知らないが、多分カミラにとっては馴染みの、この国の貴族か誰かの名前なのだろう。カミラの顔色が変わる。
「私が何も考えずにただ父上を拷問しただけで満足すると思うか?」
 使えるものはなんでも、何にでも使う男、それがシェリダン=ヴラド。エヴェルシード国王。
「……罠、だったというのね! 私を嵌めるための。いいわ、それにはまった私をせいせい嘲笑えばいいでしょう! 殺すなりなんなりしたらどうなのよ!!」
 悔しげに唇を噛みながらいきり立つ彼女の耳元に口を近づけて、シェリダンが囁いた。
「取引をしよう、殿下」
「……なんでございましょう、陛下」
 嫌味たらしく敬称で呼び合い、兄妹は視線を合わせる。シェリダンが先程よりさらに低い声で、こんなに側にいるロゼウスでさえ、聴覚の優れたヴァンピルでなかったら聞き取れなかっただろうというような囁きで告げる。
 そしてその内容は……。
 これまでどれほど怒り狂っても最後の最後で自分を手放さなかったカミラが、先程までの威勢とは打って変わって血の気を引かせる。
「嫌!……そんなことは絶対に嫌!! 嫌よ! 近寄らないで! この悪魔!!」
 本能的な恐怖に駆られ、腰の後ろについた手でカミラが後退さろうとする。背後にいたロゼウスの胸にぶつかり、彼女ははっと振り向いた。今までとは違った種類の恐怖と嫌悪で蒼白となった顔でロゼウスを見上げた彼女は、何か言いたげに口を開いては閉じる。
 だけどロゼウスは何も言う事ができず。
「そのままその娘を抑えていろ、ロゼウス」
「……嫌だ」
 断りの言葉が口をついて出ると、シェリダンの眉が不快げに顰められる。ロゼウスとシェリダンの間に挟まれる形となっているカミラは、動くに動けない。もしもここから逃げたとしても、どうせ一国の最高権力者であるシェリダンが一度命じれば、非力な十六歳の少女に逃げ場など無くなる。頼れる相手もろくにはおらず、国王に逆らってまで反逆者で父親殺しの元王女を庇う人間はいない。もっとも、その殺人はシェリダンに仕組まれたものらしいというのが、二人の会話からわかったが。
 エヴェルシードの法典に、安楽死という言葉はないそうだ。
「ほう。先日のような目に合って、まだ懲りないというのか」
「それでも、嫌だ。こればっかりは、あんたに協力なんかできない」
 ロゼウスはカミラの敵には回りたくない。だからと言って、シェリダンに逆らうことができないのも知っている。それでも、今からシェリダンがやろうとしている内容にすぐさま首を縦に振ることなどできようはずもない。
「ならば、前の裏切りも含めて、この贖いはローゼンティア人の命で払ってもらうか」
「民は関係ないだろ!」
「関係ある。国民の命は王の所有だ。それを生かすも殺すも支配者しだい。国の政治は綺麗ごとだけじゃ務まらない。誰よりもお前が知っているはずだろう、ロゼウス」
 そう、知っている。だからシェリダンの取引を飲んで、この国へと来た。父王が亡くなり、兄たちもまだ完全には復活できていない今、自分がこの男の機嫌を損ねて民の命を危険に晒すわけにはいかないから。
「民の命を救うことに比べたら、女一人犯すことなど簡単だろう? ロゼウス王子」
 そのためなら少女一人傷つけることなどわけもないことだろうと。
 今までならそうだったかもしれない。だが、カミラはロゼウスを慕ってくれているという。そして自分も、この少女が愛しい。
 それでも彼は、ローゼンティアの王子なのだ。
「ロゼウス、様……」
 痛々しいほどに傷ついた瞳でカミラがロゼウスを見る。彼女は彼の言葉を聞く前から、その答を知っている。
「……わかりました。エヴェルシード王シェリダン陛下」
 シェリダンが朱金の瞳に、澱んだ喜びを浮かべて口の端を吊り上げた。
「――っ」
 少女の声なき悲鳴を合図に、地獄の宴の幕が上がる。

 ◆◆◆◆◆

 ロゼウスはシェリダンに言われたとおり、カミラを押し倒しその頭上で両手を押さえつけるようにして拘束した。弱弱しい抵抗を繰り返す少女が暴れるたびに、寝台が嫌な音を立てて軋む。
 あの黒いローブの男が何か言ったらしく、部屋には誰も入らないしいつの間にか厳重に鍵までされていた。ローラもエチエンヌもリチャードも、誰も来ない。来ても彼らがシェリダンに逆らえるわけがない。
 薄いシャツ一枚になったシェリダンは、ロゼウスに押さえつけさせた妹姫の胸の辺りにそっと手を這わせる。年頃の少女の柔らかな膨らみを服の上から軽く撫でて揉み、乳首を抓った。カミラは硬く瞳を閉じてその光景から目を背け、与えられる感覚から意識を逸らしている。
 ドレスのスカートをまくり足の間へと手を差し入れ、下着の上から刺激を加え。しばらく妹姫の体を弄っていたシェリダンは、きつく唇を噛んだカミラの表情を見て短く舌打ちした。痺れを切らした彼がドレスを無理矢理力任せに引き裂くと、そこで初めてカミラが目を開ける。
「何するのよ!」
 もはや衣服の役割をなさない布切れと下着だけの姿にされた彼女は、顔を真っ赤にして怒る。触られるのもそうだが、衣服を奪われて肌を晒されるのも良家の子女としては非常に恥ずかしいことらしい。
「なかなか濡れないな、お前」
「う……」
 それにも構わず、シェリダンはただ無表情で下着の中に指を突っ込み、カミラの体を弄ぶ。男の指に体中をまさぐられて、虫がはいずるおぞましい光景を我慢するかのように歯を食いしばり明後日の方角を睨んで耐える彼女に業を煮やして、シェリダンが体を起こすとロゼウスのほうに視線を向けた。
「交替しろ、ロゼウス」
「え?」
「お前がやれ。好きな男に触られればカミラだって濡れるだろう」
「な……」
「っ!?」
 瞬時に頬を紅く染めたカミラとロゼウスを順番に眺めて、シェリダンが無表情に顎をしゃくる。
「ロゼウス様……まさか」
 カミラが怯えの色を宿した瞳で心細そうに自分の腕を押さえ込むロゼウスを見上げる。真正面から視線を合わせて彼女を見たロゼウスは、すぐにその視線を逸らした。
「……カミラ、ごめん」
「ロゼウス様!?」
 シェリダンと場所を入れ替わり、ロゼウスは身に纏っていたドレスを脱いで床に落とした。下には薄いシャツと七分丈のズボンだけを穿いている。
 膝を割るようにして少女の体をまたぎ、震える瞳で見つめてくるカミラに、ロゼウスはゆっくりと口づける。先刻目覚めた時にシェリダンと交わした軽いようなものではなく、舌を絡め歯の隙間を舐め尽し粘膜を犯して情欲を煽るような、婬売の接吻だ。
 十分に少女の口腔を犯しようやく唇を離すと、唇の端から涎を垂らし苦しい呼吸に喘ぐカミラの顔は、先程の怒りとは違う熱に火照っていた。
「ロゼ、ウス……様……」
「カミラ」
 ロゼウスは少女の首筋に赤い痣を作るように口づけを降らし、それはだんだんと鎖骨から胸元へと下降する。わき腹に口づけながら太ももの辺りを汗ばんだ手のひらで撫で上げれば、弱弱しい拒絶の言葉が返る。
「いや……やめてロゼウス様」
 涙目で哀願する少女は愛らしく、逆に嗜虐心をそそられる。理性を上回る欲求が身体を支配し始める。ロゼウスは下着すら取り払われて、露となったカミラの胸に顔を埋め、その先端の赤い飾りを口に含んだ。
「ひっ!」
 思い切り目を閉じたカミラの瞳から透明な雫が幾つも幾つも、筋となって零れる。彼は片方の乳首を口に含みもう片方を手で弄りながら、残った片手を少女の秘所へと伸ばす。
「あ、や、やめ……」
 足を閉じて庇おうとするカミラの動きも無駄だとばかりに無理矢理手のひらを滑り込ませ、奥へと指を差し入れた。熱く柔らかい場所に指を突っ込み、丁寧に中をかき回す。
「ひっ、あ、いやぁ! あ、ああああ」
 ロゼウスは自分でもしかと意識する前に少女のしなやかな身体に溺れ、カミラの内股を濡らす液体に目を留めたシェリダンに止められる。
「――代われ、ロゼウス」
「……え? あ、ああ」
 カミラの身体の上から退いて、ロゼウスは再びシェリダンと位置を入れ替わる。兄の意図に気づいたカミラが、それだけは嫌だと身を捩り激しく抵抗する。それでも先程まで悦楽に溺れさせられていた身体は、心許ない拒絶しかできない。
「やめて! 離して! 嫌! それだけは絶対にいやぁあああああ!!」
 泣き叫ぶ彼女の唇をロゼウスは口づけで封じ、いったんは大人しくなったカミラの頬にまた新たに大粒の涙が零れだす。その隙に彼女の足を割らせたシェリダンが、自分のもので細い少女の体を貫く。
「いっ……痛っ……いた、痛いっ!!」
 妹の身体を無理矢理犯したシェリダンは、そちらも僅かに辛そうな顔をする。
「きつ……」
 だが構わずに腰を使い始めると、いよいよカミラの悲鳴が高くなる。ロゼウスは逃げそうになる彼女の腕を抑えながら、その顔が涙でぼろぼろに暮れていくのを見た。
 これ以上は耐え切れないと目を逸らそうとして、正面に位置するシェリダンの表情に気づいた。その朱金の瞳に、今までにない色が浮かんでいる。
 ああ、そうか。あんたは……
「はっ……」
 絶頂に達したのか、僅かに頬を上気させたシェリダンがカミラの中から自分を引き抜くと、どろりとした白濁液と共に破瓜の紅い血が零れた。
 泣き疲れたカミラが放心状態でシーツの上に横たわっている。しどけないその姿を汚す血と精液。
「あ、ああ……」
 実の兄に処女を奪われて今にも壊れそうな精神を、必死に心を無にすることで耐えようとする。
「ロゼウス」
 ふいに、シェリダンがロゼウスの名を呼んだ。
「……何?」
 妹を強姦するのを手伝わせておいて、今更自分に何の用があるというのか。そして彼が口にしたのは、思いもかけない言葉だった。
「舐めろ」
 自らのものを示して彼は言う。
「は? ……えっ?」
 ここで? 今、放心状態とは言えカミラが見ている目の前で?
 ロゼウスが返事もできずにいると、シェリダンはさらに追い討ちをかける。
「しろ。こちらを綺麗にして、カミラの方もお前の口で清めたなら、二回目はお前にさせてやる」
 それが何を指しているかを気づいてロゼウスは愕然とする。さらにシェリダンは呆然とするカミラに澱んだ笑みを向け。
「お前の愛した男は、我が妻にして我が奴隷。これは私の言う事を何でも聞く玩具。その様を存分に眺めていればいい」
 追い詰める。
 前髪を掴まれて無理矢理顔をシェリダンの元へと近付かされたロゼウスは、仕方なく舌を伸ばしてそれを舐め始めた。覚えがあるのはシェリダンのそれの味で、舌を刺激するのはカミラの血。痺れるほどに、甘く切ない……。
「嘘よ」
 魂の入らない、人形のようなカミラの声。
「……っそんなの嘘よ!!」
 ロゼウスはシェリダンに奉仕させ続けられ、口の中で放たれた彼のものを飲み下す。飲みきれず溢れた雫が口の端を伝って汚す。
 そして僅かに瞳を動かし、自分が犯された時よりももっと傷ついた、裏切られたような表情でいるカミラを見る。
 最後の一線が脆く崩れ、彼女の表情が歪む。
「あ、あ、あああああああああああああああああああっ!!」
 その後も、シェリダンはカミラを抱き、ロゼウスにも彼女を抱かせた。処女を気遣いもせず、彼女が失神しない程度に手加減して、意識のある苦痛を味あわせながら犯した。ロゼウスはシェリダンに命じられるがままその肌を貪り、前となく後となく挿入した。
 そして最後に、シェリダンがロゼウスを抱いた。
 その一部始終をカミラに無理矢理見せ付けて、ありあわせの服だけ押し付けて人の少なくなる夜明け頃には部屋から追い出した。
 これは終わりのない悪夢。永遠に明けぬ夜。
 シェリダンに強要されたことだとは言え、ロゼウスはカミラを犯して喜んでいた。永遠に触れられないと思っていた、憎からず想っていた少女を抱く歓喜。そして彼女が実の兄に犯されるのを眺めるという倒錯した背徳。罪悪感。そして何もかも手遅れ。

 その日は丸一日姿を見かけなかったカミラの、王妹殿下の自殺の報がもたらされたのは、日付が変わりきらぬ夜のことだった。


016

 ローゼンティア王家の墓地は、《風の故郷》といった。この国は違う。
「……エヴェルシードは?」
「《焔の最果て》」
 国ごとに墓所の名は決まっている。エヴェルシードは、炎の国か。
 カミラの遺体は兄であり国王でもあるはずのシェリダンには預けられなかった。血まみれの部屋で号泣する侍女の説明によれば、カミラの遺言であったという。どうしてもシェリダンにだけは触られたくないと、死んでも。
 遺体のない葬儀はしめやかに行われ、溢れるほどの薔薇を敷き詰めた柩が燃やされて灰を収めた骨壷が墓所へと辿り着く。カミラが殺したという父王の葬儀も合わせて行われたが、それはどこか鏡の中の映像めいて現実感が乏しかった。ロゼウスはこの国の先代王という人がどんな人間だったのか知らない。話で聞いただけだ。
 形ばかりの式が終わっても、喪服姿のシェリダンとロゼウスは、エヴェルシード王族の墓地を動かなかった。ローゼンティアと違って風の吹かない、ただ、ただ、静かなこの場所で。
 中身のない虚ろな墓碑を眺めながらシェリダンは俯いて佇んでいる。
 妹を死に追いやった、異腹とはいえ実の兄の心境は。
「俺たちが殺した」
 そしてそれはロゼウスも同罪なのだと。
「私、だ。お前だけならあれは喜びこそすれ、死を選ぶことなどしなかっただろう。あれがそこまで厭い憎んだのはただ私のみ」
 無表情。陶器の人形じみたその顔を、ロゼウスは知っていた。あの日の夜も、彼は同じ表情を浮かべながら妹姫を抱いた。たまに浮かべる笑みはどこかいびつに歪んでいて、今にも壊れそうな。
 ロゼウスと夜を過ごす時の嗜虐的な快楽に溺れる、傲慢で冷酷な男の顔とは違う。
「なあ、シェリダン」
 そしてロゼウスは気づいてしまった。
「あんたは、カミラが好きだったんだな」
 恋、とは呼べない、許されない想い。
 それでも、それを抱く本人にとっては、何より大切な。
 ロゼウスにも覚えのある感情だ。だからわかる。
 シェリダンはずっと、恐らくロゼウスが彼女を知るずっとずっと昔から、カミラが好きだったのだ。
「だとしたら、どうする?」
 あの日、彼は彼女の耳元で囁いた。
 ロゼウスはその言葉を覚えている。
 ――私の子を産め。
 蚊の鳴くような囁きで、シェリダンはカミラにそう望んだ。取引と言う名の願いは思考の余地もなく拒絶され、後にはただ無体を強いたという現実だけが残ったけれど。
 どれほどの想いで彼がこれを口にしたのか。
「私を蔑むか? 実の妹に邪恋を抱き、ただ傷つけ死にまで追いやった。愚かで邪悪だと罵るか?」
「……そんなことはしない。それに、あんたの行為に加担した俺も同罪だ」
 そして自分に好意を持ってくれている少女を裏切った、ロゼウスの方が罪は重いのかもしれない。カミラの心を砕いたのは、シェリダンの非道よりも、ロゼウスの裏切り。
 罪悪感。でもそれ以上に、ロゼウスはあの可哀想な少女を犯して喜んでいたのだから。焦がれる想いは彼と同じで、だからシェリダンを止められなかった。
 荊の道だと知りながら。
「俺はあんたの想いを知っていて、それでいてあんたを止めなかった」
「残酷だな、ロゼウス。私よりもよほど……・・」
 人は、裸足を傷だらけにしながら荊の海をわたろうとする。そして十分に傷ついて、後戻りのできない海の途中で思い知るのだ。
 また叶わない。
 絶対に届かない。
 永遠の、拒絶。
 カミラを犯して手に入れた悦楽は一瞬自分たちを幸せにしても、本当の意味で幸福にはしない。それは所詮仮初めの幸福に過ぎないのだ。
 そして後にはただ虚ろな胸の暗黒を広げていく。
「シェリダン……。シェリダン=ヴラド=エヴェルシード」
 ロゼウスは彼の隣ではなく、一歩後ろに下がって立ちその背中を眺めていた。ロゼウスより頭半分分背の高い喪服の後姿はいつものように凛としているのに、いつもより寂しげでどこか儚げだ。
 この男は仇、この男は敵、この男は憎むべき相手。ロゼウスは自らに言い聞かせる。
 ローゼンティアを侵略し、国土を奪い取った。復活できる可能性があったとはいえ、家族をことごとく殺して苦痛を味わわせた。ロゼウスを攫い、恥辱を与えて踏み躙った。
 けれど。
「あなたに聞きたいことがある。どうして俺を選んだ。数多いローゼンティアの王家の中から、どうして俺を妃にした」
 ロゼウスは十三人兄妹のほぼ真ん中にあたる。もっと美しい姉や妹、理知的で有能な兄や弟が多くいて、特に取り柄もない第四王子。
 何故、自分でなければならなかったのか。
 愛されていたわけではない、当然の如く。痛めつけて素直に泣く生娘でもあるまいし、相手をして楽しかっただろうと思われる場面は一つもない。彼が愛した妹姫とも似ていない。
「お前は、我が墓標」
 そしてロゼウスに背を向けて立つ少年王が零したのは不思議な言葉だった。
「私は、お前と共に生きたいわけではない。カミラにも、未来を共に過ごすことを心から望んだわけではなかった……私が求めたのは死出の道連れ」
 生きて熱を持つ肌と鼓動を打つ心臓、すらりと伸びた四肢と美しいかんばせ、青嵐が草を撫ぜるような清かな声と吐息を漏らす唇、燃え盛る朱金の瞳から不穏な単語を聞く。
 ああやはり。
「……あなたの、望みは」
 彼は自分と同じ瞳をしている。
「この世の絶望」
 我が身の破滅。
「認められるわけがないだろう、この自分も。この国も。私は私を成した父を認めてはいないのだから。蝮のように母の腹を食い破る代わりに心を食い破って生まれてきた私が、どうして明日を望める? 私は……」
 生まれてきてはいけなかったのに。
「……父上は、私を見ていたわけではない。私の中の母の面影を追い求めていた、だけだ」
 シェリダン=ヴラド=エヴェルシードを誰も必要とはしない。
 父を呪い、顔も知らぬ母を慕い、それ故にまた父を憎む。踏み躙られるたびに募る怒りと憎しみと殺意。
「母は父を呪っていた。私が生まれる前からずっと。父もこの国の王位も、この国も。全てを憎む女の腹から生まれた私の辿る道もやはり憎しみだけだ」
 全てが憎くて仕方がない。今では動機と感情のどちらが先立ったのかもわからぬほどに。
「そして全てを滅ぼすんだな」
 この国も、この国の王族も――自分自身さえも。全てを焼き尽くしやがては灰の墓所を作る。そのためだけに彼はある。
「だから私は、女を抱かない」
 唯一愛した妹姫が、最初で最後。
「私が欲したのは、子を成し、日々を紡ぎ、未来を望むための妻ではない。孤独に慣れ憎悪に親しみ、絶望を孕んで破滅を望む――だから、お前がいい」
 堕ちていく。どこまでも、どこまでも、どこまでも。この世の果て、憎悪の焔の最果てまで。
 ロゼウスは自分の目元が潤むのがわかった。止める間もなく涙は流れ、頬を伝って顎を濡らす。半分ほど滲みぼやけた視界の向こうに見える背中に手を伸ばし、腕を回して抱きしめた。
「あんたたち人間の方が、俺たちヴァンピルよりよっぽど吸血鬼みたいだ」
 間違いなく自分よりも暖かいはずの体を抱きしめながら、そんなことを言った。

 人は人を、貶め、傷つけ、苛んで喰らい合う。
 血を啜り肉を剥いで臓物を食みながら歓喜に歪むその表情はまるで魔物。
 ロゼウスたちとまるで変わらない。吸血の――

 シェリダンの背中越しにロゼウスは彼の眼差しの先にあるものを見ていた。
 それはロゼウスがこれまで望んでいたものと、寸分違わず同じものだったのだろう。
 毒に浸され狂った思考の産物、そして無我夢中で伸ばした指先が手繰り寄せるのは。
 
 蜜よりも甘い破滅。

 誰よりもそれを望んでいたのは自分だった。
 だから。

「俺はあんたを愛したりしない。一生、好きにはならない」
 それでも、同じ罪を分け合った共犯者だ。
「堕ちていこう、一緒に」
 どこまでも、どこまでも、どこまでも。

 ◆◆◆◆◆

 私は、死ぬはずだった。

 シェリダンの寝室から追い出されまろぶように自室に戻ってしばらくは、カミラは放心状態だった。どろどろに汚れた体を洗い流す気力もなく、ソファに身を投げ出してきしきしと痛む自分の体を抱きしめた。
 痛かった。どこもかしこも。
 ばらばらに砕けそうな心、も……。
「ロゼ様……ロゼウス様……」
 荒れてかさかさに乾いた唇から漏れる声は自分のものではないように掠れしゃがれていた。さんざんに喘がされ泣き叫んだ、結果。わかっているけれど切ない。自分の零す彼の名前さえ、罅割れていくようで。
 見たくもなかった光景が鮮やかに蘇る。目を逸らしたくなる幻影が浮かぶ。囁くのは悪魔じみた兄の声。彼女の体にはまだあの男の汚らわしい体液が残っている。
『お前の愛した男は、我が妻にして我が奴隷。これは私の言う事を何でも聞く玩具。その様を存分に眺めていればいい』
 一字一句違わず思い出してしまう自分が憎い。聴きたくない見たくない、感じたくない、何も。
 彼女に優しく触れたロゼウスの手はシェリダンによって引き剥がされ、カミラはよりにもよって、この世で最も憎んでいる男に犯された。処女を奪われた。けれどそれ以上に彼女が胸を痛めたのは。
 乱暴に髪を掴んで無理矢理ロゼウスの顔を自分の元へと近づけて奉仕させるシェリダン。それに、従うあの人の姿。伸ばされた舌、零れて頬を伝う白濁の……。
 新雪のような白い肌に、シェリダンの手で赤い痣が施されていく。カミラの目の前で、甚振られ快楽に溺れ、嬌声を上げるロゼウスの……。
「あ、あああ、あ……」
 思い返してまた涙が溢れる。自分が犯されたことより何より、カミラは、ロゼウスを弄ぶシェリダンが許せない。
 まさか相手がシェリダンだとは予想もしていなかったが、犯されることぐらい、覚悟していた。いつかは、と。エヴェルシードだって無敵の安閑の大国ではないのだから、戦に負ければ他国に蹂躙される。敗国の王族の立場などあってなきもので、何をされるかわからないのだから。王女としてそのくらいの覚悟はついていた。まったく予想外の形で来たから驚きはしたし、片親だけとはいえ実の兄妹で交わる日が来ようなど夢にも思わなかったけれど。
 それよりも、ロゼウスを抱くシェリダンの姿に怒りを覚えた。無理矢理足を開かせて貫く、無体な好意に吐き気がするほどの嫌悪を感じた。
 でも、だからと言って自分に何ができるのか。
 自分の無力さはこれで証明された。ロゼウスは十人からの刺客を相手に大立ち回りを苦もなくこなすのに、カミラはシェリダン一人にさえ敵わなかった。この腕の弱さ。どうして私は女として生まれたの? お母さま、お父さま、ごめんなさい。私が殺した父上。
 何もかもが嫌になる。唯一見出した救いすらシェリダンに奪われて。
「もう……私には何もない」
 だから毒を呷った。
 王族、特に女性の部屋には毒が常備されている。
 いざ危険に晒された時、屈辱を味わう前に死ねるようにと。その場所は代々の部屋の持ち主しか知らず、もしもあの時、シェリダンの部屋ではなくこの部屋であったなら、彼女は迷いなくそれを呷っただろう。
 今では何もかも手遅れだけれど。
 手遅れだと、そう思ったのに。
「な、ぜ……」
 焼け付くように熱い喉から大量の血を吐いたカミラは、自らの顎から胸にかけてを濡らしたその液体を凝視する。血の中心には濁った黒い染みがあって、それこそが今しがた含んだ毒だとわかる。
 なのに、何故死なない。
 それどころか、一度痛んだ喉ですらすぐに癒えようとでもしているように、だんだん痛みが消えて楽になってくる。
 問題があるとすればただ一つ。酷く、喉が渇くことだけ。血を吐いたから口を漱ぎたい、貼り付いた舌をはがしすっきりしたい、というのではない。何か飲み物で喉を潤したいという欲求。それも、求めるのは透き通ったお茶や水、甘い果実水ではなく。
 今しがた吐き出したような、生き物の血。これではまるで、吸血鬼にでもなったような――。
 そこまで考えてようやくカミラは気づく。
 ここのところばたばたしていて、つい先程まで大変な目にあって、半ば忘れかけていた事実。
 ほんの数日前、自分は一度死んだのだ。そして甦らせられたのだ。ロゼウスに。
 ヴァンピルの力でもって。
「ま、さか……」
 もしやこの身は、もはや人間ではないというの――?
 カミラは呆然とし、視線を落として胸元を染める血の染みを見る。相変わらず喉は渇いているけれど、致死量の毒を飲み干してなんともないこの身体。これが何よりの証ではないのか。
 ――古のヴァンピルの血よ、ロゼウス=ローゼンティアの言葉に従い、目を覚ませ。この者に、新たな命を――。
 血の味の口づけ。
 彼が自分に何をしたのかは、わからない。今もよくわかってはいない。
 彼女はただ現実を知るだけ。
「あ、は。あはははははははは」
 心の中で、何かがふれてしまったらしい。
 壊れたように嗤うカミラの声に気づいたのか、遠慮がちな声がして、部屋に一人の侍女が入ってきた。ちょうどよい、とカミラはその娘に声をかける。彼女のあられもなく乱れた姿と大量の血を見て息を飲んだその娘は、カミラの言う事を難なく受け入れて――。

 ◆◆◆◆◆

 そうして、カミラは今、城の外にいる。
 侍女を言いくるめて死んだことにし、シアンスレイト城を抜け出した。信頼できる数人の部下だけを使って王都の片隅まで案内させた。そこからはさらに部下を減らして、身の回りの警護は常に一人だけにする。
「いいのですか、殿下?」
 夜の中、カミラの先に立って道を歩く侍従は不安そうな顔を隠しもせず、何度も何度も繰り返し彼女に確かめた。
「いいのよ」
 そしてカミラは、何度も何度もそう答を返す。最後まで見送りに来たその侍従と別れるまでそれは続いた。
 考えてみなさい、カミラ=エヴェルシード。
 これはチャンスだと思わない?
 理由はどうであれ、自分はまだ生きている。不死の魔物であるヴァンピルほどとは言わないが、限りなくそれに近い体をもって。
 王城では安心できない。あのまま留まればシェリダンに何をされるかわからない。あの男の取引を飲むのは言語道断であり、父王殺しの容疑で処刑されるのも御免だ。
 だから今は逃げる。そして必ずまたこの城へと帰ってくる。その時はもっと強力な手駒を伴い、確実にシェリダンを打ち負かせるだけの実力を持って。
 込み上げる怒りは凝って憎悪となる。それはふつふつと簡単に滾っては冷める湯ではなく、なにものをも焼き尽くす死のマグマのような強い感情。殺意よりも強い存在否定。殺したくて殺さなければならなくて彼を殺す以外にもはや自分の道はない。苦痛を与える? 王位を奪う? そんなことは二の次だ。カミラはただシェリダンが憎くて仕方がない。一分でも一秒でも長くその存在をこの世界に許してはおけない。今この場から去るのは、より確実にその息の根を止める実力をつけるためだ。不死の魔物でさえ甦ることのない永劫の地獄に彼を突き落とすためだ。
「見ていなさい、シェリダン」
 あの男をもう兄とは呼ばない。
「いつか、必ず殺してあげる」
 あれは悪魔だ、人間の姿をした悪魔。
 そしてその悪魔の隣には、この世の何よりも美しい魔物が佇み寄り添っている。
 彼女はその血の色の瞳に焦がれ。
「愛していますわ、ロゼウス様」
 立ち止まり唇を動かす。吐息だけでそう告げると、枯れ果てたと思った涙がまた一滴頬を滑った。
 けれどそれはすぐに顎から滴り落ちて、頬は引きつり笑みを形づくる。
 愛していますわ。ロゼウス様。お慕いしています。心から。
「けれど誰よりも、あなたが憎い――」
 私を抱いたくせに、その余韻も消え去らぬ内にシェリダンのものとなったあなたが。
 そしてそれでも、愛している。だから。
「今度は絶対に離さない。シェリダンからあなたを奪ってみせる――」
 月のない夜にカミラは宣言する。饐えた匂いのする路地裏、惨めな身なりをしていても。
 這い上がる。このまま終ってなるものか。
 毒ぐらいでは死ねなかった。心臓を貫いたらさすがに死ぬのだろうか。けれどそれは、ここから這い上がりよじ登り血を流して辿り着いた先のこと。
 シェリダン。
 そしてロゼウス。
「あなたたちを、道連れに」
 殺しても殺しても甦る悪魔なら、死ぬまで何度も殺すまで。自分は無限の命を手に入れたのだから。その命を、一生彼らへの復讐に費やすのだと決めたのだから。
 彼女を踏みにじった、かつて兄と呼んでいた憎い男と、彼女を裏切った、この世で最も愛しい人へと。

「私は、堕ちていく――」

 だからあなたたちもここへと来て……。
 この暗い闇の底へと。


 《続く》