26.開戦

 砂漠地域に多大なる影響を及ぼす帝国の皇帝に対し、ベラルーダ国王ラウルフィカは臣下の失態を贖わねばならなくなった。
「本当に、自ら戦場へ出向くおつもりですか」
 皇帝の望みは、ベラルーダを通じてその隣国プグナを帝国の支配下に置くこと。友好国のベラルーダとは違い反帝国の気炎を上げているプグナを、ベラルーダに「取ってこい」というのだ。
 ベラルーダ王国とプグナ王国の戦力は拮抗していてこれまで幾度も剣を交えて小競り合いをしたが、どちらかが勝つことはなかった。しかし皇帝の望みがプグナの敗北である以上、ベラルーダは何としてでも次の戦いでプグナ王国に勝たねばならない。
 これまで危うい均衡の上にあった砂漠の勢力図が、皇帝スワドの登場により描き換えられることとなる。
「もちろん」
 現状国内唯一の王族である国王ラウルフィカを今回の戦の指揮官として隣国との国境に出すことに、宰相であるゾルタは渋い顔をした。彼の権力が安定しているのは、このラウルフィカが玉座についているからである。隣国との戦争などで簡単に死なれては困るのだ。
 ラウルフィカはまだ十八歳の少年であり、王族の責務として後継者を作るどころか、その手段となるべき妃もいない。王子であれば十代の前半で良家の令嬢と婚約、結婚していてもおかしくはないのだが、何せラウルフィカの場合は十三歳で父王を事故で亡くし、性急に玉座につく必要があったために結婚などしている暇がなかったのだ。
「戦場に出るのは初めてであるあなたが司令官となったところで、やすやすとプグナに勝利できるとは思えませんが?」
 部下としては非常に辛辣なことをゾルタはあっさりと言う。苦々しげで忌々しげなその様子は、彼がラウルフィカに「忠誠を誓う」などと間違ってもないからだ。ゾルタにとっては幼くして玉座につき、こちらの言うことを簡単に聞かせられるラウルフィカは傀儡として都合の良い王だ。いや、――だった。
「やすやすとはできぬことを見事実現でもしない限り、この国の王と名乗る資格はないだろう。皇帝陛下もそんなものは求めていない」
 これまでゾルタとその共犯者たちの手ごろな玩具であり、この王国にとっては傀儡でしかなかったはずの少年はついに真の王として玉座に昇りつめようとしている。ゾルタにもそれはわかっていたが、彼の立場上止められるはずもない。
 宰相は憎らしげに国王を睨み、ぎりりと奥歯を噛みしめる。

 ◆◆◆◆◆

「陛下、本当にいいんですか?」
 国王が戦場に乗り出すという話はベラルーダを混乱に叩きこんだ。その原因となった公爵ナブラ卿には、「王を皇帝の暴挙から守った」という、宰相が美談風に仕立て上げた話から同情と、「プグナとの戦いの原因を作った」という話から怒りが寄せられている。王宮の牢から解放こそされたが、今回の戦闘にも領地から兵を出すこと許されず自らの屋敷に蟄居を命じられている。破滅も時間の問題だろう。
「もちろんだ。もともと、このために皇帝陛下と共にナブラの前で馬鹿な芝居までしてみせたんだ。今更何を言う」
 国王のための旅支度はすでに侍女たちが終えていた。明日から戦場へ赴くという晩、ラウルフィカの私室にはザッハールがいた。護衛のはずのカシムは彼自身も戦場へ行く準備が必要なことを理由に遠ざけられている。
「しかし、陛下の考えた作戦はあまりにも危険すぎる。単身でプグナに乗り込むなど」
 銀髪の青年は立ち上がると、長椅子に優雅に腰掛けた少年王へと詰め寄った。長椅子の背もたれに片手を置いて、単に話し合うだけなら不要な程近付く。
これまで一度も自ら戦場に立ったことのないラウルフィカのことをザッハールは案じていた。ゾルタとはまた別の意味でラウルフィカの戦場行きを阻止したいが、ラウルフィカが聞くはずもない。
「私の身一つだから簡単なんだ。兵士の命は兵士のもの。いくら国軍元帥である国王に預けたと言っても、簡単に消費するわけにはいかない。ましてや私は皆の言う通り、これまで戦場で指揮をとったことなどない」
 国王として軍事演習なら何度か行っているが、実戦に参加したことはない。その実戦というのがそもそもプグナとの小競り合いなのだ。いずれあの国とぶつかると予想していたなら参加しておくべきだったと、今悔やんでも後の祭りだ。争いを激化するような火種を投じたのはラウルフィカ自身とはいえ、ザッハールからは無謀にしか見えない。
「だがそれが私の命となれば話は別だ。私の命は私のもの。私の好きにする」
「陛下、あなたは王です」
「そうだな。だがただ王という冠を乗せていくだけなら誰でもできる。その時人が玉座に見るのは私の姿ではなく、私の頭の上の冠だ。そんな称号に何の意味がある?」
 戴く玉座と、戴かされた玉座の座り心地は違う。
 至近距離で僅かに色の違う青い瞳が不満げに覗きこんでくる。ラウルフィカはザッハールの頬に手を添えて妖しく微笑んだ。
「私は王になる前に、まず“ラウルフィカ”にならなければならない。ゾルタたちに無理矢理王冠を乗せられたことで奪われたこの五年間を取り戻し、改めて“ラウルフィカ王”とならねばならない」
「陛下はもう十分立派な王ではありませんか」
「本当にそう思っているなら、お前の目も節穴だな」
 頬の横に落ちる黒髪を長い指で弄ぶザッハールの言葉に、ラウルフィカは軽い嘲笑を返す。もっともそうでなければ困るわけだが、という本音は包み隠しておく。
「そんなことを言うために来たわけじゃないんだろう?」
 これからしばらくは戦場だ。以前ミレアスに無能と言われた通り、攻撃型の魔術師ではないザッハールは普段は小競り合いに関わることはなかった。だが今回は国王までもが出陣するということで、万が一のための同行が決められている。
 しかし王宮と違って人の目のあるところで魔術師長と肌を重ねるわけには行かず、ザッハールは作戦に関しての話以外ではラウルフィカに近寄れない。そのために今晩を空けたのだ。
「お前がしなくていいというなら、私はさっさと寝るが?」
「いえ、待って下さい!」
 欲望に正直な男は、性急に唇を重ね合わせた。ラウルフィカの服の胸元を肌蹴させると、まさぐる。
「ん……」
 慣れ親しんだ快楽を与えてくる男に、ラウルフィカはすぐに身を任せた。いつの間にか長椅子にそのまま押し倒されている。
「陛下……」
 白い胸元に唇を落としながらザッハールが熱を込めた調子で囁いた。
「戦場でも俺をちゃんと重用してくださいね」
「ん……どうだかな」
「こういう時ぐらい雰囲気に流されてくださいよ」
「他を当たれ他を……ん、あ、んん」
 乳首を吸われてラウルフィカは甘い声を上げる。拗ねたザッハールは唇を尖らせるよりも、舌で小さな赤い突起を弄る方を選んだ。
「ちぇ」
「ああっ」
 胸を弄られて下半身に血が集まっていくのをラウルフィカは感じた。ザッハールの手が衣を割って下肢をまさぐる。
「この肌に他の男が触れる場面を無理矢理見せつけられるとしたら、俺だって逆上して相手を刺し殺してしまいますよ」
 ナブラのことを引き合いに出してザッハールは言うが、ラウルフィカの返答は素っ気ない。
「そんなことをするなら、お前を戦場には連れていけないぞ。作戦に関しては話しただろう? お前の力が必要だ」
「本当に些細な力ですけどね……あ、ちょっ」
 労うようにラウルフィカの白い指に自身を慰められると、ザッハールの方も余裕を失くしていく。
「頼りにしているぞ、ザッハール」
「……仰せのままに」
 様々な思惑を秘めて、夜が更けていく。

 ベラルーダとプグナとの決定的な戦いの火蓋が切って落とされたのは、この翌日のことだった。


27.敗退

 ベラルーダとプグナの小競り合いが長引く原因は国境と首都との距離にもあった。
 ベラルーダの首都から国境まではそれなりの距離だが、プグナの首都から問題となる土地までは近い。馬で一日も走れば着く距離だ。それが争いを何年も続ける要因の一つになっている。
 プグナ側は土地を諦めきれず、ベラルーダ側はそのままプグナに奪われるのも癪だということで、応戦を続ける。だがどちらの国も、この戦いに早く決着をつけたいと思っていることだけは間違いがなかった。
 プグナ王国の方でも今回のベラルーダの宣戦布告は契機だと考えていた。
「やっとあの忌々しい国と決着をつけられる」
 十年以上に渡り小競り合いを続けて来た相手国を憎み、鬱陶しく感じるのにもはや大層な理由などいらなかった。プグナ側も何年も続ける割にはかばかしい成果のあがらないこの戦いにうんざりしていた。それほど大きな戦乱になるわけではないので一度の被害も少ないが、それでも皆無ではない。だが長年続けた戦いだけあって簡単にやめるとも言えない。
 何より途中で先王から代替わりしたベラルーダと違い、プグナの国王ファラエナはもともとこの戦いを始めたうちの一人だ。王として、自らが始めた戦いをやすやすと諦めるわけにはいかない。劇的な勝利か完膚なきまでの大敗のどちらかを結果として手に入れでもしない限り、自らが引くことは相手に弱味を見せることになる。まだ小競り合いを続けられる国力があるというのがベラルーダとプグナの不幸だったのかもしれない。
 この件は契機になる。帝国との関係に罅を入れる危険、皇帝の不審を払拭するためという口実でベラルーダの方から仕掛けて来たのだ。重臣たちを説き伏せる苦労に比べれば、皇帝の不興をかう失態を犯した若造一人潰すことなど容易い。
 プグナがベラルーダを併呑すれば、単純な国力だけで言えば南東帝国の三分の一程。しかし砂漠にそれだけの規模の国家が誕生すれば勢力図はそれだけではなく激変するだろう。砂漠の民の文化を理解せぬ帝国に睨みをきかせられるくらいなら、砂漠の小国同士で手を組もうとする国家も出る事だろう。
 プグナとベラルーダは土地だけならばそれなりに持っているが、大部分は砂漠だ。国力に関しては両国を足してようやく大陸中部のラトスピアやヘルメディア、ネモシュナ、テュスヴァと渡り合える程度。そして砂漠の他の国々は、僅かながらベラルーダとプグナには及ばない。この砂漠地域の勢力の鍵は、間違いなくプグナとベラルーダが握っていた。
「陛下、いかがなさいますか?」
 王宮の会議室で重臣たちと戦場の地図を眺めながら王は議論する。話題はもちろん今回のベラルーダとの戦いのことだ。
「向こうは国王自ら戦場にやって来るようですが」
「余はここを動かん」
「陛下」
「将軍よ、次の交戦の司令官が向こうの国王ならその方がいいだろう? 余の臣下として何十年も功績を上げた百戦錬磨の騎士であるそなたが、二十歳にも満たぬ子どもに負けることなどありえん」
 プグナの将軍、ディルゼンは王の前に頭を垂れた。プグナ王国では、会議の間も国王は玉座に着いたままだ。公務につく間の王は滅多なことでこの座を空けることはない。
「余はお前を信頼する。必ず我が元に、いいや、このプグナ王国に勝利をもたらしてくれるだろう」
「陛下のため、そしてこの国のために尽力して参ります」
 将軍は戦場に向かう前の正式な辞令とは違い、この場では国王の信頼に対し感謝を示すために軽い礼をとった。そして気にかかっていたことを王に尋ねた。
「ベラルーダの国王はいかがいたしましょう? 見つけたらその場で首を刎ねますか? 間諜の報告では武人ではないとのことで、戦場にも本人が剣を提げてやってくることはないと思うのですが」
 将軍が気にかけているのは、敵国の王のことであった。彼は自分がよもや十八歳の少年に負けるとは考えていない。傲慢な態度を見せるわけではないが、すでに勝つことが当然のものとして自らの主に意見を求めている。
「ああ、そうだな。……うむ、もともと余と馬が合わぬのは先代の王だった。正直、今の国王には何の興味もないが」
 国王は意見を言うなら今だぞ、とでも言うように意味ありげに言葉を切った。重臣のうちの一人が声を上げる。
「……いっそ、生かして捕らえるのはどうでしょう」
 長い争いを嫌い、和睦を訴え続けたうちの一人だ。
「ベラルーダ王は今年で十八でしたか、見目麗しい少年と聞いています。年頃で言えば、王女殿下の夫として迎えるのにちょうどいい」
「姫の夫か。確かに同い年だが。もちろん今更和睦などとは言いださぬよな。大臣」
「もちろんです、陛下。和睦ではなく、むしろここまで来たら完璧に飲みこむ方が確実でしょう。政略結婚とはいえ、王女殿下をベラルーダ王の妃として輿入れさせるのと、向こうの国で現在唯一の王族と言われている王を、我が国の王女殿下の婿として迎え入れるのでは違います」
「なるほど、空いたベラルーダの玉座には我が国の者を座らせればいいというわけか」
「陛下御自身が両方の国を治めるのでも良いでしょう。いっそ二国を統合して一つの玉座にしてしまえば良いのです。その時にベラルーダ国民の我が国への反感を押さえるのに、陛下の次の玉座はいずれ生まれるであろう王女殿下と向こうの王の子という話にすれば」
「帝国に反旗を翻すには、ベラルーダの戦力をそのまま取り込む必要があるからな」
 国王は交戦派であり、大臣は和睦派である。しかしここでの和睦派の大臣の意見は、交戦を望む王ファラエナ自身の意見と一致していた。
 これまで砂漠地域の争いが押さえられていたのは、南東帝国の存在が大きい。ベラルーダもプグナもお互いを滅ぼせば次は帝国と一戦交える可能性が高い。しかし両国が手を結ぶことも難しい。
 今回ベラルーダとプグナの争いに決着がつくのはまたとない機会だ。それは次に続く。こちらの戦力を削らずベラルーダの戦力までもプグナのものにできれば、帝国と渡り合うのに最低限必要な戦力を確保する目処が立つ。
 ベラルーダの少年王を懐柔するのも容易いだろう。ベラルーダの今回の交戦理由は帝国に首を押さえつけられているという事情が大きい。ベラルーダ側からすれば、死力を尽くしてプグナに勝っても残された道は帝国に屈従するだけ。それならばいっそ砂漠同士で手を組む方が良いと説き伏せれば、向こうで宰相の傀儡と呼ばれている程度の未熟で頼りない王などすぐに取り込むことができるだろう。
 そう、悪くはない状況だ。
 王たちの話がそこまで進んだ頃だった。
 会議場である玉座の備えられた部屋に、プグナの王妃であるアラーネアがやってきた。
「国王陛下、急用が――何奴!」
 彼女は室内に足を踏み入れた途端、顔色を変えて窓辺を睨んだ。しかし諸侯と国王が彼女の険しい眼差しの先を眺めると、そこには一羽の黄色い小鳥が止まっているだけであった。
「王妃よ、これが何か――」
 王妃は胸元から小刀を取り出すと、小鳥に向けて投げ付ける。武人並の早技に、小鳥は避ける間もなく餌食となった。
「いきなりなんだ。乱暴な」
「あの鳥から強い魔力の気配を感じましたもので。この部屋は観察されていたのです、陛下」
 アラーネア妃の言葉に、ファラエナ王は舌打ちでもしそうな顔で強い嫌悪を見せた。
「また薄気味悪い魔術の技か」
「!」
 魔術師の地位には国ごとに差がある。プグナでは魔術師の地位を貶める文化こそはないが、逆に彼らを取り立てることもありはしない。住民たちの中には魔術師への嫌悪というよりは、畏怖に似た恐れがあり腫れ物のように扱う。
 そしてファラエナ王は自分の妃であるアラーネアが魔力を持っている事に関し良い顔をしない男であった。魔力を正常に取り扱うためと他国で学んできて見識の広い、血筋確かな王妃の存在は彼にとっては邪魔なのだ。
「用が済んだならさっさと出ていけ」
「いいえ。用はまだこれからです」
 王と王妃は睨み合う。
 いつもの光景に、臣下たちは胸の内で密かに溜息をついた。

 ◆◆◆◆◆

「いっでぇ!!」
 いきなり額を押さえて叫んだザッハールの姿に、砦の同じ室内にいた者たちはぎょっとした。これは戦いを始めた数日前の会議のことだ。
「どうした、ザッハール」
 代表してラウルフィカが問いかける。
「……ぐっ、術を破られました。遠視の術で向こうさんの軍事会議の様子を探ってたんですが」
「頼んでいたあれか」
 ザッハールの力は戦場の敵を炎で吹っ飛ばすというような方向ではなく、こういった小賢しい使い方にこそ向いている。しかし今回はそれが完璧には通用しなかったようだ。
「破られたというのは?」
「向こうの王宮に魔術師がいました。一目で俺の術を見破ったんですから、少なくとも俺より高位の魔術師です」
 もたらされたその情報に集まった人々がざわめいた。プグナ王宮にいる人物でザッハールより高位の魔術師と目される人間は限られている。
「プグナ王妃は魔術師だったのか」
「ええ」
「だが、戦場に出て来たことはないのだな?」
「そんな凄い相手がいれば、我らとの戦いなどすぐに決着がついたはずです」
 ラウルフィカの問いにこれまでも国境で攻防を重ねたことのある大将の一人が答えた。
「王妃か……」
 ラウルフィカの脳裏には、この時点である計画が組み立てられていた。
 すでにプグナでも、ベラルーダ側はついに国王自らが戦場に乗り込むと知り、相応の準備を整えているとザッハールは知らせた。
 プグナの方が首都から戦場まで近いために、ベラルーダ側が先に動いた場合、移動に兵士たちの体力が削られる分不利となる。ましてやラウルフィカはいまだ若く、不利な状況で戦いを初めても勝てる見込みは少ないということは、今までベラルーダ側がプグナとの全面戦争を躊躇う一因にはなっていた。
「具体的には、どのように攻め入りましょう」
 戦場に至るまで、夜毎諸侯を集めての作戦会議がある。ラウルフィカは、目的地に到着するまでに開かれたそれでは、作戦を取り仕切る隊長一人一人に細かい指示を出していた。彼らはラウルフィカの指示を聞いてはいたが、その作戦の全体図が何を示すものかまでは知らされていなかった。
 ついに国境に到着、明日は交戦という頃合いになって国王が各部隊にどういう指令を出したのか全員が総体を知って愕然とした。
 集まった者たちを見回し、ラウルフィカははっきりと声を張り上げてこう言った。
「負けてこい」


28.不穏

 国王陛下が何をお考えなのかさっぱりわからない。
 それが現在のベラルーダ兵全員の気持ちだった。ひとくくりに兵とは言っても、一兵士である二等兵、三等兵から上級大将などの階級まで、ほぼすべての人間である。末端の兵士たちに作戦の全容が伝わってこないなどよくあることだが、今回はいつもとは状況が違っていた。
 ラウルフィカの指示は、「負けること」。この戦争を放棄しろというわけではなく何かの作戦の一環らしいのだが、その作戦の全貌らしきものがまったく見えない。そのことが兵の間に不満と不安を溜めていた。ラウルフィカの指示自体は細かく、どの将の部隊がどの場所で敵をどう誘いこむかなど決められていた。結果としてベラルーダ軍は実質的な被害は少ないが、傍から見れば戦闘初日にプグナ軍に大きく敗退したような形になっている。そのことは戦いに慣れた将たちの間に不審の影を落としている。
 プグナ兵はいい気になり、ベラルーダ兵の間には不満が燻っている。
「陛下、どういうことです。いきなり“負けろ”などと」
 戦闘初日の指令に納得がいかなかったらしい上級大将の一人が、砦内の国王の部屋を訪れて意見を申し立てに来た。しかし、ラウルフィカは彼の顔も見ずに今日の被害状況報告の書類に見入っていた。
「うむ、やはり無理があったか」
「そうですよ、負けろなどという命令で、兵士たちの士気が」
 まくしたてようとした部下の報告を、ラウルフィカは聞いてはいなかった。自分の脳内の計算と今日の戦況を分析し、整理する。
「こちらが負けることはこれから重要となる作戦のうちだ。勝つのではなく負けるだけならうまくいくかと思っていたが、なかなかそれも難しいようだ。まぁ、もともとこれまで十年以上渡り合って譲らなかった我らがプグナにそうあっさりと負けるようにしろというのも……ん、どうした?」
 部屋に入ってきていた大将の一人にようやく気付き、ラウルフィカは顔を上げて声をかけた。扉を開けたカシムが困った顔をしている。どうやら無意識に入室の許可を出していたらしい。
「陛下……今日の敗退はあくまでも作戦のうちと仰るのですか?」
「そうだ。まともにやりあえば我らのベラルーダ兵がプグナ兵ごときに無様を晒したりはしない。そうだろう?」
「もちろんですとも! このたびの事が全て陛下のお考え通りというのであれば、別によいのですが……そろそろ我らに陛下の作戦の全貌をお教えいただけませんか?」
「それに関してはすまないが、まだ無理なんだ。もうしばらくは“例え何があっても”私の指示を聞いていてほしい」
「……」
 その大将は眉間にしわを寄せて不満を全面に押し出していたが、結局ラウルフィカの言葉に頷いて大仰な礼を返すと、それ以上何も言わずに部屋を出ていった。
「陛下……」
 たまりかねた様子でカシムが声をかけてくる。
「兵士たちの間に不満が広がっています。陛下は何をお考えなのかと。今日の作戦はこれまで歴戦の将と呼ばれた将軍たちのどなたが考えたものでもないのでしょう? 陛下は初陣なのですから、せめて参謀として、ジュドー将軍のような方にご指示を仰いではいかがでしょうか?」
 主君に逆らうことが苦手なカシムにとっては、それは精一杯の忠言だったに違いない。しかしラウルフィカはそれを聞く訳にはいかなかった。
「お前の言いたいことはわかる、カシム。だが、私はお前の言う通りにするわけにはいかない」
「ですが……」
「確かにお前の言う通り、ジュドーを参謀としてつけ、彼の考えた作戦を尤もらしく読みあげれば、私はそれだけで歴戦の将たちがそれなりに命を預けるに足る王となれるだろう。兵士たちも人望厚いジュドー将軍の命令ならば安心して聞けるだろうし、勝てるか負けるか、今ほど不安にはならないに違いない」
 ラウルフィカが初陣だというのも兵たちの不安を煽っていた。初めて戦場に出るまだ十八歳の少年王が、参謀もつけずに兵士たちを動かしているのだ。それも誰が見ても安心できるような正攻法で攻め入るのではなく、何処を目的としているかもわからない奇策で。
 命を預けるにたる信頼とは安いものではない。そしてそれがなければ兵士と国王の関係など築けるものではない。
「だがそれでは駄目なんだよ、カシム。これまで自分自身の力も努力も誰かに見せる機会のなかった私が、初めから誰かに頼る。それでは今までと何も変わらない」
「陛下……」
「私は王だ。しかしその器を、今まで誰にも見せてこなかった。それではいずれゾルタを退けることが叶っても、結局誰かの傀儡のままだろう」
 ラウルフィカが王になるには、自分の力でその位を手に入れなければならない。そのためには、誰かの力を借りてはならないのだ。
 ラウルフィカ側の事情を知っているカシムは、彼の覚悟を知り頭を下げた。彼にとって主君であるラウルフィカを案じるのは簡単だが、その身をただ案じるだけで彼を玉座に据え付けておけるわけではない。
「御用の際にはいつでもお呼び下さい。私も陛下のお役に立ってみせます」
「ああ、期待している」
 ラウルフィカは彼に、一つ頼みごとをしていた。

 ◆◆◆◆◆

 二日目の戦場は更にベラルーダの旗色が悪かった。初日の戦況を見て、ラウルフィカは更に計算を下方修正した。陣形が薄くなることも気にせず後方に撤退するベラルーダ兵の姿を見れば、プグナ兵でなくとも彼らの勝ちだと思うことだろう。
 国境の砦で一度一つにまとめられた軍隊は、二日目の戦いですでに散り散りになっていた。両国の国境を境に北にプグナ国があり南にベラルーダがあるが、プグナの兵たちは国境をすでに南下し侵入してきていた。ベラルーダの兵士たちは陣地である砦の存在する南方向以外に、東と西と三手に分かれる形となっていた。
 国王が何を考えて二日目の作戦を授けたのか、兵士たちにはまだ知らされていない。
 知らされてはいないが、一部の人間に不満を与えるには十分な時間だった。
「……もう、我慢がならねぇ」
 赤毛の上級大将が一人、負け戦の戦場を眺めて憎々しげに呟いた。彼らを追い詰めたと思いこみ、意気揚々と引きあげていくプグナ兵が憎たらしい。視線で彼らが殺せるものならば、馬上の背中にはとっくに穴が開いていることだろう。
「将軍、陛下の御命令で」
「そんなことはわかっている。ただ気分が悪いだけだ」
 ただでさえ近頃ぴりぴりしているミレアスに話しかけるのは、彼の直属の部下と言えども勇気がいった。あらゆる感覚の麻痺しがちな戦場で、それでも不機嫌なミレアスに声をかける者はほとんどいない。
 ミレアスが不機嫌なのは、単純にこれが負け戦だからというだけでもなかった。彼にとっては、ああしろこうしろとラウルフィカが命令を下している、その状況だけですでに我慢がならないところまで来ていた。
 カシムとの決闘騒ぎの後、軍部でのミレアスの評判は地に落ちた。中にはあれはカシムに国王付きの騎士として相応しいだけの栄誉を求めた八百長試合だろうと看破しミレアスの機嫌をとろうとする者もいたが、その相手にしたって真実は知りようがないのだからミレアスにとっては何を言われても不愉快なだけである。ラウルフィカがカシムをけしかけてミレアスを貶めたことに関しては、みだりに人に話してはならないとゾルタに厳命されている。
 ミレアスにとっては、ラウルフィカなどこの国で最も信用ならない人物だ。ある意味で彼だけが、ラウルフィカの頭にあるのは彼ら五人への復讐のことだけだと最も正確に把握していたと言えるのかもしれない。
 そんな男が国の頭として戦場に立つのは危険すぎる。それに、ミレアスは自分を鞭打ったラウルフィカへの恨みつらみを忘れたわけではなかった。この戦場でのことだってラウルフィカの復讐への足がかりとなるためだけに仕組まれたのかもしれない。
 そう考えればミレアスにとって、ラウルフィカはその言葉を信用するしない以前に、ベラルーダから排除せねばならない存在だ。
 そういった考えから引き起こされた行動はあまりに短絡的だった。
 彼はまだ、ラウルフィカへの、そしてゾルタやナブラの態度に象徴されるベラルーダという国そのものに憎悪を抱いていた。
「ミレアス?」
 砦内の国王の執務室へ訪れた男の姿に、ラウルフィカはまず不審と警戒を抱いた。だが武芸に関して精々護身術程度の技しか身につけていないラウルフィカの警戒など、ミレアスにとってはあってないようなものだった。
 隙を衝き、黒髪と衣装の襟元から覗く白いうなじに手刀を軽く叩きこむ。
「な――」
 ミレアスにとってはそれだけで十分だった。たったそれだけの動作で、ラウルフィカは気を失い、たいした傷も作らないまま、簡単にミレアスの腕の中へと倒れ込む。
 簡単なのだ。こんなすぐにでも捻り殺せそうな若造から全てを奪うことなど。ラウルフィカが二日続けて戦場で失策をとろうとまだ命があるのは、彼が大勢の兵士に守られているからであり、ラウルフィカ自身の力ではない。
 ミレアスがカシムに負かされたこととて、カシム自身の実力とザッハールの手助けがあってこそであって、それらは何一つラウルフィカの実力ではない。そんなことも理解せず自分に大層な実力があると勘違いした小僧に踊らされるなど、武人としてミレアスは我慢がならなかった。
 そして彼は武人としてはともかく、軍人としては最も「ありえない」行動に出る。ラウルフィカが復讐に囚われているというなら、今のミレアスもまた同じだった。どれだけ相手に屈辱を与えるかだけを考えて、その行動が示す後先のことなど考えもしていなかった。
 彼が向かったのは、プグナ兵の見張り小屋だった。プグナの砦から離れた場所で、ベラルーダ軍の動きを見張るための場所だ。出て来た見張りの兵士を何とか言いくるめて、ミレアスは彼らと取引する。
 ――こうして一人の男の裏切りにより、ベラルーダ王ラウルフィカはプグナの捕虜となった。


29.捕虜

「あんたは何を考えているんだ?」
「いろいろと事情があんだよ。乗るのか、乗らないのか?」
 プグナの男たちの不審と警戒の眼差しに、赤毛のベラルーダ軍人ミレアスは答えた。彼の腕の中には、ベラルーダ人である彼が本来守るべき存在、国王ラウルフィカがいる。
 首筋に手刀を叩きこまれて気絶したラウルフィカは、ミレアスに運ばれている最中に目を覚ました。手首足首を縄で縛られ、身動きがとれないまま粗末な木の小屋の中で跪かされている。口には猿轡を噛まされていて、声も出せない。
 気がついた時にはすでに抵抗を封じられていて、見知らぬ場所まで運ばれてきていた。目の前に三人ほどいる兵士たちは、プグナの兵士に見える。ラウルフィカは彼らとミレアスとの会話から、この状況を悟った。
 ミレアスはどうやら、自国の王であるラウルフィカをプグナに売り渡すつもりらしい。
 恨みをかっていることは知っていたがまさかここまで大胆な行動に出るなど予想外で、今のラウルフィカとしては成す術もない。
「だいたい、これがベラルーダ国王だという証拠がどこにある」
 プグナの男の一人が言った。ラウルフィカに視線を向けるものの、国王本人だとは判断つかないと言ってミレアスに詰め寄る。
 普通に考えて、敵国に自国の王を売り渡す兵士などいない。それは相手に刃を突きつけられて自分の命か忠誠かと秤に乗せられた場合などに行う苦渋の決断、あるいは権力者の勢力争いの一環として時には国王すら売り物にすることがあるのであって、まだ戦争の勝敗が決する段階ではないこんな時に自国の王を敵国に売りに来る将など基本的にはありえない。
 だがその非常識も、ミレアスにとっては理由ある行動らしい。その辺りが噛みあわなくて、ミレアスとプグナ兵のやりとりにはなかなか決着がつかない。
「別に証拠なんていらねぇだろ? こいつがお前らの国の者でないのは確かだ。国王だったらそっちで好きに使えばいいし。お前らにとって王だと信じられないならそのまま斬り殺せばいい。俺はどっちでも構わねぇからよ」
 ミレアスはラウルフィカを連れて来たものの、金や地位目当ての売り込みではないので言葉に熱はない。襟を掴んで無理矢理ラウルフィカの身体を中腰で立たせるようにする。
「それともいっそ、慰み者にでもするか? 女の代わりにくらいはなるぜ」
 下卑た欲望を口にしてミレアスが笑えば、そこまでする彼の行動自体が薄気味悪そうに警戒しながら、プグナ兵は話の先を続けた。
「それで、あんたはどうするんだ? 国王を売ったなんてなれば、ベラルーダにとっては裏切り者だろう? プグナに寝返りたいってか?」
「いいや。俺は陣地に戻る。今なら誰も気づいてないだろうしな」
 ラウルフィカの気になったことはプグナの男が聞いていた。ミレアスらしい思考回路にラウルフィカは納得したが、プグナの兵士たちはますます唖然としていた。ミレアスの言動は普段の彼を知っている者からすればそういう人間なのだで済むが、普通の人間からしてみれば非常に共感しづらい。
「信じられねぇ。一体何が目的なんだ?」
「強いて言えば、俺はその小僧に恨みがある。そいつが死んで別の奴が王として収まってくれりゃあ万々歳だ」
 また、ミレアスにはラウルフィカよりどうせなら自分の協力相手であるゾルタの方を王に仕立てあげたいという欲もあるようだった。ゾルタにその気はない上ラウルフィカという後ろ盾を失えば彼の方も話がややこしくなるのだが、ミレアスはそこまで思いいたっていない。
 第一、ゾルタは自分が王として権力の全てを握るのならば、ミレアスのようにいざという時どういう行動に出るかわからない相手は切り捨てるだろうとラウルフィカは思った。
「俺たちとしては、そんなことを言われたらこの坊やはあんたたちの間諜か何かじゃないかと疑いたくもなるもんなんだがな」
「間諜だったらもっと上手く売り込むぜ。こんなあからさまなことしねぇよ。それで、受け取るのか受け取らねぇのか?」
 プグナの男たちは迷った末にラウルフィカを捕虜として受け取ることを決めたようだった。もしも王でなかったり不審な動きをしたら殺せばいいということだろう。本来なら不審な人物としてミレアスの方も留めておきたいところだろうが、彼の強さはプグナの兵士たちも知っているし、置いていった少年が本物のラウルフィカ王ならば、この戦もさっさと終わるので放っておいて問題はないだろう。
 ミレアスはラウルフィカを置いて、本当に陣地に帰ったようだ。彼の後のことは、カシムとザッハールに任せればいい。
 ラウルフィカは、猿轡を外した男と向かい合った。足首の縄までは外されるが、手首の縄は念のためにと結ばれたままだ。
「よぉ、お坊ちゃん。あんな荷物のような運ばれ方してきたが、あんたは本当にベラルーダの王様なのかい?」
「触れるな。下賤」
 いきなりの言葉に、男たちはにやにやとした笑みを崩さないまでも瞳を動かして反応した。見定めるような目でラウルフィカを見下ろす。
「あの屑が何を考えてこのようなことをしたのかは知らんが、私はベラルーダの王。貴様ら如き平民が触れていいような身分ではない」
「へぇ……今まさに自分の民に裏切られたってのに、随分自信たっぷりだなぁ、王様よ」
 ラウルフィカは男の一人に床へと崩れるように突き飛ばされた。肩に地面がぶつかり痛い。それでも首を捻るようにして相手を睨みつけたままでいる。
「とりあえず俺たちとしては、あんたがまず国王だってことから確認したいんだがね」
「私はそう名乗った」
「口で王様ですと言って王様になれるなら、誰だって苦労しねぇなぁ。それに、いくらベラルーダで王様だったからって、プグナでそれが通じるとは思うなよ」
 髭面の男がラウルフィカに迫りながら言った。ゾルタのような手入れされた髯ではなく、伸び放題の武骨な髭だ。
「あんたが本当にベラルーダの王様だってんなら、俺たちにとっちゃ宿敵中の宿敵だな。この国にはあんたを殺したくてたまらないって奴らがうじゃうじゃいるんだぜ?」
「……私をどうするつもりだ」
 ラウルフィカが動揺を見せるように少し先程より弱気な表情で尋ねて見せれば、髭面の男は多少満足したように頷いた。
「まずは確認だな。あんたが本当に国王かどうか」
 おい、と髭面の男が声をかけると、後の二人ともラウルフィカの方へ近寄ってきた。
「黒髪に青い瞳。年齢は十七、八。白い肌。特徴としてはあってるが、そんな奴だけならごまんといるしな」
「しかし……いくら若いってもすげー滑らかな肌してんぜ。どこもかしこも身綺麗にしてるし、仮に国王じゃなくても貴族以上の立場であることは確実なんじゃないか?」
 男たちはラウルフィカの黒髪を引っ張ったり、服の布地をまくってみたりと忙しない。日に焼けたその肌と比べれば、いっそうラウルフィカの肌の白さが目に映える。
「おい、こいつ本当に男かよ」
「信じらんねぇ。どこもかしこも芸術品みたいじゃねぇか。これがベラルーダの王様だと?」
 プグナ兵士たちの武骨な指が、無遠慮に少年王の肌をまさぐった。
「綺麗な男なんてその辺の男娼窟にでもいるだろ?」
「そんなのと比べ物にならねぇよ」
 男たちの一人は特に男色の気が強いのか、ラウルフィカの頬や服の裾から覗く鎖骨や首筋に触れてはうっとりとしている。砦内にいたところを無理矢理ミレアスに攫われてきたため、服は簡単な部屋着で、靴は途中で落としてしまったらしく裸足。足首を撫でられて咄嗟に身を引きたくなるが、小屋の壁にぶつかりそれ以上は動けなかった。
「たまんねぇ……」
「いっそやっちまえばいいんじゃねぇか? 本物の国王だったらあんま派手な拷問とかできねぇし、見た目に怪我を負わせずに苦しめるならそれしかねぇだろ」
「そうだな」
 立場があるからこそ簡単には殺されないのだが、逆に言えばそれは簡単には死ねないということ。
「や、やめろ……!」
 ラウルフィカは引きつった顔を作る。彼の容姿は、例え男色家でなくとも僅かなりとその気があれば手をだしてみたいと男たちに思わせるような中性的な美貌だ。青ざめて怯える様は、むしろ嗜虐心を煽る結果となった。
 男たちの手が伸びてくる。
 今のラウルフィカの立場は彼らの捕虜だ。まだ両手首も縛られたままで、自分より体格のいい男三人相手に抵抗などできそうもない。
 中途半端に剥ぎ取られた服の内側に手が滑り込み、口には滾る男の欲望をそのまま突き入れられた。
 武骨な男たちの指が肌をまさぐり、穴という穴をさぐり、彼自身のものを玩具に興味をしめす子どものように嬉々として弄りだす。
 敵国の王であり捕虜。そんな言葉をただの言い訳にする、異様な興奮が小屋の中を包んでいた。


30.凌辱

 本当の素性を吐かせるために拷問として、などという考えはすぐにプグナの男たちの頭から吹き飛んだ。
 一度その身体を知ってしまえば、男たちはあっという間にラウルフィカに溺れた。夜を徹して、未成熟な少年の肌を堪能する。
 初めは、万が一本物の国王だった時のために見分けのつきそうな人間を呼んで……とプグナ兵は考えたらしい。更に二人の人間を呼んできた。だが後から誘われてやってきたその二人も、すぐにラウルフィカに手を出さずにはいられなくなった。
 もともと軍人などこうして僻地の戦に駆り出されてしまえば相手に飢えているものだ。何もなくとも男が男相手に誘いをかけただのかけてないだの、無理強いしたのしていないだの話が湧き上がるのだ。それを、捕虜として並の女以上に美しいと思える少年を渡された男たちが我慢できるものではない。
 プグナにはラウルフィカ王の顔を知っている者もいる。当のプグナ王ファラエナ本人だ。彼はその昔先代ベラルーダ王との会談の際に世継ぎの王子であったラウルフィカのことも見ているだろうから、顔を見れば思い出すだろう。
 しかし末端の兵士たちまでラウルフィカの顔は知れ渡っているわけではない。どうせ確認のためですら国王を呼ばねばならないのなら、一応王の前に引き立てようということで兵士たちの話は決着がついた。
 彼らはラウルフィカを首都に連れていって王に差し出すことをさっさと決めると、後は堅苦しい話は無用とばかりに襲いかかってきた。
 もともと「名前は?」「本当に王なのか?」など尋ねられながら、ラウルフィカを追い詰めるために太腿を撫でたり、乳首を抓ったりして悪戯していたのだ。段々と過激になる行為にラウルフィカが顔を赤らめて熱い息を吐けば、色っぽいその姿に男色家以外の男たちも美しい少年王にじわじわと肉欲を感じるようになっていった。
 いつしか質問も尋問も消え、ただただラウルフィカに奉仕を強制する言葉、卑猥なからかいだけが小屋の中に飛び交うようになった。

 ◆◆◆◆◆

 一人の男が胡坐をかいて足の上にラウルフィカを座らせる。少年の奥には男のものが深々と埋まり、彼を絶え間なく貫いていた。
 更にラウルフィカは口を無理矢理こじ開けさせられ、別の男のモノを咥えさせられていた。それだけでは終わらず、両手にも、彼の上の口も下の口も味わえなかったと不満を訴える男たちの大きく硬くなったものを握らされて擦っている。縛られていたはずの手首は、それをするのに邪魔だからという理由だけで解かれた。
「ん、んんっ、ん」
 最後の一人は完全に手持ち無沙汰だと、ラウルフィカの身体を弄りまわしていた。与えられた刺激に芯を持ち始めたモノに手を触れられて扱かれる。
「くっ、たまんねぇぜ。この締めつけ」
「早く交替しろよ」
 後ろの穴を占領している男に、自分のモノをラウルフィカの手で擦らせるしかできない男が早く替われと催促する。
「口の中も最高だ。案外慣れてんじゃねーか、ベラルーダの王様よ。あんた国でもこんなことされてたのか?」
 噛みつくこともせず、大人しく肉棒を舐めていたラウルフィカに男の一人が言う。ラウルフィカは男たちに対し、下手な抵抗はしなかった。五人、と頭の中で男たちの数を数える。
 思えば人生を悪い方向に変えたあの日。いきなり寝室に押し入ってきてラウルフィカを犯したのもゾルタをはじめとする五人の男たちだった。自分はどうやらよほど五人という数に縁があるようだと思う。
 口淫に耽っていた男が、男根を急に引き抜いたと思えば白濁液をラウルフィカの顔にぶちまけた。ラウルフィカは泣きそうな顔で言う。
「お……大人しくしていれば、酷いことはしないというから」
「そうだな。俺たちもまさか王様を殺すわけにはいかねぇからさ。あんたが自分で抵抗する力もないお飾りの王様なら、うちの国王様にも安心して引き渡せるってわけさ」
 周りの男たちが囃したてる。一方、顔にかけた男は「せっかくの綺麗なツラをてめーの汚ぇモンで汚すな」などの非難も寄越されていた。
 このまま犯されていればどうやらプグナの王のもとに行けそうだという話から、ラウルフィカは無駄な抵抗はせず、従順と言ってもいい態度で代わる代わる抱かれることにした。目の縁に涙の一つも浮かべて見せれば、彼らはラウルフィカの容貌から勝手に気の弱い少年だと思ってくれる。王に献上するまで傷付けてはいけないという意識があれば、男たちのラウルフィカの扱いはそう酷いものではなかった。
 ただ犯されるだけ。延々と無理矢理抱かれ続けるだけ。
 そんな程度のことなら慣れている。
 今のラウルフィカは、五人の男たちに犯されて成す術のなかった五年前とは違うのだから。
「交替だ」
 直腸の中にどろりとした感覚が広がり、男のものが引き抜かれる。
 顔をその辺にあった布で拭かれたラウルフィカは、今度は獣のように四つん這いにされた。また後ろから別の男に貫かれ、口にも順番待ちをしていた男の張り詰めた肉塊が突っ込まれる。
「信じらんねーよ。こんなかわいい兄ちゃんが仮にも“国王陛下”なんだってな」
「うちの王様はムサいおっさんだからな」
 ガツガツと容赦なく中を突かれ、口の中のものを必死に舐めながらラウルフィカは男たちの何気ない話に聞き耳を立てた。
「ムサいって、お前よりゃマシだろ」
「どうだかな。あんな美人の王妃様がいるのに俺らでも買えそうな下品な売女を何人も愛人にしてるんだぜ? 趣味がわかんねーよ」
「王妃様は魔女だって言うぜ。しかも女だから継承権の順位を下げられただけで実は国王様より血筋的には上なんだろ? 今の王様は王妃様の血筋に縋って即位したけど、それで王妃様に余計な対抗心持ってるんだってさ」
「へぇ」
 五人もいれば、手持ち無沙汰になる男の二人や三人出てくる。後ろと口を犯す二人以外が主に雑談に興じていた。その情報をラウルフィカはひっそりと頭に叩き込む。プグナ王家のことは内情を知っているようで意外と知らないのだ。
「でもさぁ、この坊やはたぶんうちの王様の好みだよな」
「……ああ」
 話が微妙な方向に転がっていった。
 プグナ王は男色家でもあるらしい。自分よりも高貴な血統の王妃に劣等感を抱いている分、春女から侍女、美少年まで手当たり次第に手をつけているという。
「んっ――」
 後ろを犯す男が先に達した。それを知って口を使っている男が舌打ちした。ラウルフィカの前髪を乱暴に掴むと、喉を突いてその刺激で射精する――。
「げほっ、ごほっ!」
「おい、あんま無理させんな! 王様への献上物だぞ!」
 ラウルフィカは最後の意地で嘔吐だけは堪えたが、口の中に出された白濁液は全て零してしまう。暴れる胃液をなんとか落ち着かせようと身体の震えを堪えるが、口の中に苦いものが広がった。
「あちゃあ……大丈夫かよ」
 敵国の少年王を自国の王に愛人として差し出せそうと知った男の一人が、床に体勢を崩して座り込むラウルフィカを腕で支えた。
「献上って何の話だよ」
「捕虜ってだけでなく、王様の愛人として売れそうってこと。もっと丁寧に扱えよ」
「じゃ、そろそろ一人ずつじっくり相手してもらおうか」
 別の男がラウルフィカを今度は仰向けで押し倒し、中を抉りながら乳首に噛みついた。
「ヒァ!」
 これまで男たちのモノで塞がれていた可憐な唇から高い悲鳴があがると、彼らの興味は再び少年の身体に戻った。にやにやと下卑た笑みを浮かべ、涙目で犯される様子を観察する。
 夜明けは、まだ遠かった。


31.潜入

「陛下、本当に大丈夫なんですか?」
 ザッハールの言葉は真にラウルフィカ自身の身を案じる言葉だ。だからこそこれより無謀な行動をとろうとするラウルフィカに対してよい顔はしない。
 戦場に着く前の話だ。隣国に潜入するならば自分を護衛につけろと言ったザッハールの言葉を、ラウルフィカはやんわりと跳ねのけた。
「かまわない。どうせこれが失敗して立場を失うなら、それは死んだも同じこと。たかが死ぬ程度の危険など、もはや危険などとは感じない」
「陛下」
 ラウルフィカの言葉はザッハールの心配を和らげるものではなく、むしろ彼を案じる気持ちを高めるようなものであった。まるで死ににでも行くような言葉だとザッハールに思わせた。けれどラウルフィカはもう一度、護衛は必要ないと繰り返した。
「何もかもが上手くいくなんて思っていない。私の考えたことが全てに通用するなんて思っていない。けれど、だからこそ、そんな時にお前が傍にいれば、頼りたくなる」
 ザッハールは悲痛な顔をした。
「だから、お前は連れていかない」
 彼が傍にいなくても、ラウルフィカは戦い続けなければいけないのだから。

 ◆◆◆◆◆

 ミレアスが陣地に戻った時、ラウルフィカの不在はすでにベラルーダ軍の上層部に知れ渡っていた。末端の兵士たちにまでは知らされていないが、ラウルフィカから直接指示を与えられてきた隊長たちまでは全てそのことを知らされた。
 自分が尋問されることとなっても、ミレアスはまったく動じていなかった。ここでしまったと後悔するような男ではない。
 というよりも、ミレアスが己の行動を後悔するような暇がなかったと言った方が正しいか。戻ってきたミレアスの体に貼り付けられていた手紙を、ザッハールが見つけて読みあげる。
 肌や服に触れればすぐ気づかれるだろうと、わざわざ鎧の部分にそんなものを貼り付けたのはラウルフィカだ。ミレアスに拉致され敵国に売られたこと自体は、ザッハールが把握していた。
 ミレアスによるラウルフィカ拉致は、ラウルフィカの意向ということにされていた。ミレアスは愕然とするが、何故か周囲は納得している。この状況には、ミレアスも違うとは言い出しにくい。悪事が露見したのに悪事と受け取られないのは、それはそれで苦痛だった。何故そんなことをしたのかという問いをこそ予想していたのに。気づけばラウルフィカの手の中で踊らされていたのだ。
「してやられたな、ミレアス」
 他でもない裏でラウルフィカの意向と周囲の役割を微調整した立役者であるザッハールがそう言う。ザッハールとしてもまさかミレアスがあんな暴挙に出るとは思わなかったため、彼の行動に怒りを抱いている。愕然とするミレアスの顔を見て初めて溜飲が下がった気分だ。
 戦の途中で突然姿を消した国王の行動に、歴戦の将たちからは不信感が寄せられている。ラウルフィカは隣国に潜入したのだとザッハールから告げられてはいるが、むしろ国王の行動は自分だけ戦場から逃げたのではないかと思う者が大多数だった。
 そんな周囲を説得する立場の者こそがカシムだった。上司の信頼も厚い真面目な騎士は、今回の戦に関するラウルフィカの考えをここで初めて明らかにする。
「そもそも国王陛下は、プグナと正面からやりあおうとは考えていませんでした」
 簡単に勝てるのならば、これまでの小競り合いの時点で決着がついていただろう。国力に影響しない程度に相手国をあっさりと併呑できるならば、帝国の目も気にする必要はなかった。
 集まった将、諸侯の様々な思惑や意見を含んだ眼差しを受けながら、カシムは説明を続ける。
「今回の事、皇帝陛下は“プグナを取ってこい”とは仰いましたが、それは戦争でかの国を打ち負かせという意味ではないとラウルフィカ陛下はお考えです。むしろ、我が国の兵力を削らずにプグナを手中に納められれば、それこそが皇帝陛下のお望みだと。そのためにラウルフィカ陛下は、自らプグナへと潜入されました」
 ほぼ単身で敵国の中枢に乗り込むなど無茶な話だが、実際にラウルフィカがやってしまったのだから仕方ない。
「何故そんな無謀なことを。我らに一言の相談もなく!」
「“相談すれば、許可したとでも言うのか? マロード卿”とのことです」
 カシムはラウルフィカに渡された指示をそのまま読みあげる。先日ラウルフィカに作戦を教えろと直談判に来た将の名まで手紙には書いてあった。ちなみにこの指示書はミレアスの体につけてあった走り書きとは別の手紙だ。
「陛下は戦場に出た実績のない国王です。いきなり何をどうしたいのだと言われても閣下方が頷かれないのは予想されていたようです。しかし陛下は初陣となるこの戦いで皆様に己の実力を示しつつ、皇帝陛下に対する失態も贖いベラルーダ国王としての威勢を見せつけねばならなかった。そのための行動です」
 皇帝の時と今回、二度に渡り主を守れないという失態を演じたカシムへの非難の眼差しも大きい。だがカシムはラウルフィカに命じられた通りに、諸侯の説得を努めた。
「陛下はプグナ王国を内部から切り崩す奇策をお考えです。これ以降も、陛下の指示に従っていただきます」
 カシムがラウルフィカから渡された、事こまかな指示を明らかにするその時だった。
「こんにちはー」
 戦場に不釣り合いな明るい声がベラルーダの陣に響く。困った顔の取次の兵士が、どうしてもこの部屋に連れていけと命じられて逆らえなかったと言いながら、その人物を重大な会議の場に招き入れた。
「御注文の品をお届けに参りました。憎いあいつを斬り殺す長剣、うるさい相手を黙らせる拘束具、忌々しい敵兵を吹っ飛ばすための爆弾、戦場を血の海に変える罠の数々。そう、あなたの“ささやかな欲望”を満たす死の商人こと、ヴェティエル商会でーす」
 殺伐とした国王不在の砦に朗らかな声で怖い売り文句を口にしながら現れたのは、少女と見紛う美少年だ。ラウルフィカのように少年と青年の境にあるわけではなく、本当にまだ「子ども」と言った年頃の少年である。諸侯たちは呆気にとられた。
「レネシャ殿!」
 カシムが名を呼んだ。彼はもちろん、このヴェティエル商会の御曹司を知っている。しかしレネシャのことを知らない者も多く、会議室にまたもや困惑のざわめきが広がり始めた。今回の戦は経緯も、帝国に見張られている圧力も、並々ならぬものがある。それを知らないのではなく、気づいていながらこの場に爽やかな笑顔を浮かべて入って来れるレネシャの態度に、得体の知れない威容を感じた者もいた。
「商人? そんな話は聞いてないぞ」
 近くの軍人が問いかけるが、レネシャはやはり笑顔で返す。
「注文されたのはラウルフィカ陛下ですよ。外の馬車に積んであるのがお届けの商品です」
「その、陛下が注文した商品とはなんだ?」
「火薬です。ちなみに量は……」
 そしてさらりとレネシャが口にした量に、貴族騎士の諸侯も歴戦の将も例外なく仰天した。
「何をお考えなのか陛下は! プグナを丸ごと燃やす気なのか!」
 上手くやれば一国の半分を吹き飛ばせるほどの量の火薬を国王が注文したと聞いて、集まった軍上層部の者たちは激しく動揺した。
 ラウルフィカ王は本気なのだ。皇帝の手前大軍を挙兵して戦ったという実績だけを作ればいいと考えているわけではなく、本気でプグナを潰そうとしているのだ。
「……陛下の作戦をお耳に入れていただけるでしょうか」
 カシムは声を張り上げ、諸侯に問いかけた。
 会議室に沈黙が訪れた後、代表してジュドー将軍が「聞こう」と了承の言葉を返した。

 ◆◆◆◆◆

 会議が無事に終わり。カシムはほっと一息ついた。彼の仕事はまるで耐えることだと言わんばかりに、最近のカシムに任せられることはどれも一筋縄ではいかない、表だって活躍もできない内容ばかりである。
 国王の騎士であるカシムの本来の責務は「ラウルフィカ王を守ること」。だが、肝心のラウルフィカ王はカシムに自分を守らせてはくれない。
「よぉ、カシム殿」
「ザッハール殿」
 国王の執務室でカシムはザッハールと顔を合わせた。銀髪の謎めいた魔術師は、その腕に白い翼を持つ小鳥を止まらせて窓枠に腰掛けている。
「何をされているのですか?」
「ちょっとプグナの様子を探ってた。我らの陛下は一応無事だ」
 一応、という言葉が気にかかったものの、ザッハールが無事だというのであればラウルフィカは無事なのだろう。カシムはひとまず安心した。そして、ちょうどこの魔術師長と二人きりになったのだからと、彼に聞いてみたかったことを思い出した。
「ザッハール殿は……気になさらないのですか?」
「……何を」
「陛下が護衛もつけずにプグナへ一人で向かってしまったことを」
 実際にはミレアスに攫われて売りつけられたといった方が正しいのだが、ザッハールはカシムにあれはラウルフィカの作戦だと伝えていた。ただでさえ負担の激しい位置にいるカシムに、これ以上余計な気苦労をさせるのは得策ではない。ザッハールは魔術でラウルフィカと連絡をとることができるので、国王から直接そう指示を受けていた。
 と言ってもラウルフィカのその考えは、真にカシムを案じての行動というわけでもなかった。これからも充分利用できそうな手ごろな駒であるカシムに、ラウルフィカ自身が裏切られては困るという判断からである。
 だがそれもどうやら十分な効果にはならなかったようだ、とザッハールは思った。
「陛下にとって、私は……本当に私たちは必要なのでしょうか。あの方は何でも、一人でやってしまわれるから」
 カシムはラウルフィカに自分が求められないことに不満を感じているのだ。ラウルフィカは深窓の令嬢にも引けを取らない気品と美しさを持っているが、中身はやはり世継ぎの王子として育てられただけあって行動的で攻撃的だ。黙って守られるという行為が苦手である。
 その妙なる不均衡こそがラウルフィカの魅力だとザッハールなどは考えるが、カシムにとってはそうではない。カシムはラウルフィカを騎士として守りたいのだ。もうすぐ青年とも呼べそうな年頃の少年に対し、何もしない何もできないお姫様のように思っている節がある。その考えと現実のラウルフィカの行動との差にいつも戸惑っている。
「いえ、陛下にあなたという存在は必要なのかもしれません。けれど私のことは、どうも必要とされてない気がするのです」
 ミレアス避けとしては役に立ったが、カシムが最も活躍したのはその時だけだ。皇帝の時も今回隣国に侵入する特も、カシムはラウルフィカを守れてはいない。
 それが騎士にとっては不満だった。
「俺だって必要となんかされてないさ。便利だから使われてるだけだ」
 ザッハールはとりあえず真実を言った。確かにカシムよりはザッハールの方が重用されているだろう。だがそれは彼が魔術師だからだ。
「陛下は王様であってお姫様じゃないからな。ただ守られてるだけじゃなく、自分で動かないと納得できないんだろうよ。何もしない王様よりはいいだろ?」
「それはまぁ、確かに」
 一度は納得した様子を見せたカシムだったが、その顔つきを見ると心情的に落ち着いていないのは確かだった。
 だが続く台詞は彼がここにいない主君の身を案じるものだったので、ザッハールはこれ以上余計な口を挟む必要はないと考える。
「国王陛下……どうぞご無事で」
 しかしこの頃から確かに、カシムの中でラウルフィカに対する小さな不審が芽生え始めたのかもしれなかった。

 ◆◆◆◆◆

 戦場のザッハールからもたらされた、ミレアスによる国王拉致の話は宰相ゾルタをもってしても一瞬心臓を止めるにおかしくない衝撃だった。
「それは面白いことになったな」
 ゾルタの顔色が憤怒で赤く染まる。療養という名目でベラルーダに居座る皇帝スワドは、それを見て愉快そうに笑った。
 不幸なことに、ラウルフィカにプグナ侵略を命じた皇帝がその時同じ部屋にいた。ゾルタ側の事情を汲むという注意を怠ったザッハールのせいで、ベラルーダの重要事があっさりと帝国皇帝にまで筒抜けだ。馬鹿二人の失態に加えこの不利により、ゾルタはいよいよ頭の血管がぶちきれそうになった。
 だが素直に自分の血管をぶちきっている場合ではない。ミレアスとザッハールが馬鹿なのは今に始まったことではない。彼らより数段賢いはずのナブラでさえあんな失態を犯したのだ。
「どうしてくれるのですか! 皇帝陛下!」
 防御よりは攻撃だと、ゾルタはその憤怒を皇帝への叱責に転じることにした。国同士の付き合いの場合、例え自分の側が悪くても謝らないのが普通である。むしろ下手に出れば弱味につけこまれる。こんな事態になったのはそもそも皇帝が無茶な命令を出したことが原因だと彼は糾弾した。
「わかっておられるのですか、皇帝陛下。これでラウルフィカ陛下が戻らなかった場合、ベラルーダは唯一の直系王族を失うこととなるのですよ」
「そうだな。だがお前にはその方が都合がいいんじゃないか?」
 スワドは笑う。だが周囲はその言葉に息を飲んだ。ゾルタとスワド、それから召使が数人程度しかいなかったが、それでもこの場の全ての人間の呼吸を奪うには十分な一言だった。
 その言葉は、簡単に口にしていいようなものではない。
「……いったい何を仰るのです」
 ゾルタは平静を取り繕ったが、皇帝には通じなかった。スワドが高笑いしながら、自分より十五も年上の他国の宰相の闇を覗き込む。
「ラウルフィカが戻らなければ、名実ともに宰相たるお前がこの国の実権を握れるものなぁ! 取り繕った言葉で私を動かそうなど生温い。さぁ、ぶちまけろ、お前の欲にまみれた本心を!」
 挑発にゾルタは乗らなかった。ひたすら奥歯を噛みしめ、指の関節が白くなるまで拳を握りこんで耐える。しかしスワドの言葉はこの部屋にいる誰もが真実だと思えた。ゾルタの権力欲に関して近くにいる者は誰でも知っている。
「誘いに乗らないか。やれやれ随分大人でいらっしゃって、結構なことだな。ゾルタ宰相」
 不自然な言葉遣いで嫌味を言った皇帝は、それきりゾルタに興味を失ったように、両側に美女を侍らせた怠惰な時間に戻った。
 この時ゾルタは知らなかった。今の挑発に、ラウルフィカだったらなんと答えるだろうという想像に皇帝が耽っていることを。