19.疑惑

 ミレアスが去り、パルシャが去ると執務室には二人の男が残された。
「どう思う? ナブラ」
 宰相ゾルタの執務室、先程まで国王ラウルフィカにはめられたと、上級大将ミレアスが喚いていたところだった。その時は冷淡に相手を追い返したゾルタだったが、あとになってからナブラに意見を求めた。
「パルシャの様子もいささか普通ではなかったようだ」
「つまり、王子は何か企んでいるということだな」
 ゾルタはすでに国王となったラウルフィカに対し、自らにとって呼びなれた王子という呼称を時折使う。
「かもしれん。もっとも、暴力男と肉だるまを遠ざけたくらいでは、判断がつかんが」
 生まれたその時より高等な教育を受け、純粋な貴族として育てられたゾルタやナブラにとっては、ミレアスの無駄な暴力やパルシャのいやらしさは忌避に値するものだった。同じように生まれながら王子であったラウルフィカがあの二人を遠ざけた理由が、単に嫌だったからなのか、五人全員を貶める復讐の足掛かりなのかはわからない。
「ミレアスは明らかにやりすぎだったからな。あれでは王子の方で我慢の限界が来て、どんな手を使ってでも遠ざけられたところでおかしくはない」
 実際ゾルタたちにとってミレアスの身に起きたことなどは大したことではなかった。しかし、ミレアスが遠ざけられたようにいずれは自分たちもラウルフィカの罠にはめられるのではたまらない。
「怪我の報告はザッハールだけでなく、御殿医からも時折入っていた……陛下にパルシャの息子がなついたというのが、実質的にパルシャにとってどれほどの打撃なのかは置いておくにしても、ささやかな嫌がらせには間違いない」
 ゾルタは先程のミレアスの言葉、パルシャの態度などなどから、要点を抜き出して推論を進めていく。そこにナブラが口を挟んだ。
「しかし、ラウルフィカ王とて五年前のような右も左もわからぬ子どもではないのだ。ある程度の抵抗は仕方がないのでは?」
「そうだな」
 ゾルタは頷いた。パルシャがミレアスに指摘した通り、彼らはラウルフィカの弱みを握って脅迫しているとはいえ、手足を拘束して監禁しているわけではない。国の実権はほぼゾルタが握っているような状態であっても、ミレアス程度の男なら国王としてのラウルフィカの力で遠ざけるのは容易い。ゾルタたちに彼を助ける気は一切ないのだから尚更だ。
 もっとも、ミレアスを遠ざけることができたからと言って、ゾルタやナブラまで同じように排除できると思ったら間違いだが。
「ザッハールの奴もすっかり王子の言いなりのようだ」
 それこそ騎士と紛うような頻度で、いつもラウルフィカのもとにぴったりと張り付いている魔術師の姿を思い返してゾルタは溜息をつく。あの銀髪の魔術師は、よほどラウルフィカ王がお気に入りらしい。表向きにはラウルフィカがザッハールを重用しているそぶりなど見せることはないが、ゾルタにはお見通しだ。
「まぁ、どちらにしろ我らには関係のないことだな」
 腕を組み、興味の欠片もなさそうに言いきったナブラにゾルタは目を向ける。
 確かにミレアスやザッハールがどうなろうと、ナブラにもゾルタにも関係はない。だが、もしもこれがラウルフィカ王の五人全員への復讐だとしたら、次に狙われるのはナブラであろう。
 平静を装ってはいるが、ゾルタはナブラにも疑惑の目を向ける。この男は、下手をすればザッハールに匹敵するほどラウルフィカに入れ込んでいるのだ。
「ナブラよ、貴殿はどうだ」
「? ……何がだ」
「ミレアスのように、切り捨てられたとしたら」
「それはないだろう」
 根拠のない自信でもって、ナブラはゾルタの言葉をあっさりと否定する。そして逆に問いかけた。
「ラウルフィカが私を貶めようとするならば、その時は間違いなく貴公も切り捨てられるだろうな。宰相閣下こそどうなのだ」
 ミレアスやザッハールのように、その分野の人間として個人の能力は高いが、多くの人間の生活を預かり影響を与える存在ではない相手はラウルフィカも貶めやすいだろう。しかしナブラとゾルタのような大貴族二人をもしもその役職から引きずりおろすようなことがあれば、その時はベラルーダ国中に影響が出てしまう。国王として、国を荒らすことはラウルフィカの本意ではないだろう。
 だが、ゾルタもナブラもミレアスと同じく、ラウルフィカにとって遠ざけたい男には変わりない。ゾルタはそう考える。しかしナブラはそうは思わないようだ。
「ミレアスの馬鹿がお払い箱にされたのは当然だ。あいつは私の――」
「ナブラ」
 宰相は椅子から立ち上がり、部屋の中にいたもう一人の男のもとへと歩み寄った。そして不意打ちでその唇を奪う。
「! 何をするっ!」
 ナブラが驚いて椅子を蹴倒し立ち上がった。その瞳が嫌悪と怒りに燃えている。
「男に口づけられるなど気持ち悪い……! 悪ふざけが過ぎるぞ、宰相殿!」
「ラウルフィカ王も男だが?」
 中性的な容姿を持つとはいえ、ラウルフィカも男だ。その男と関係を持っている男が、今更男同士は気持ち悪いも何もないだろう。
 ナブラはその気になれば男も抱くことができるとはいえ、基本的には女の方が好きだ。
「あれは……あれは、いいのだ」
「貴殿は陛下に女装させて楽しんでいるようだな」
「……間諜でも放っているのか、宰相殿」
「当然だ。貴殿もそうであろう」
 ゾルタは知っている。
 ナブラはラウルフィカに女物の衣装を着させ、まるで妻を扱うかのように丁寧に接しているそうだ。この男は、本物の妻と不仲であるがために、美しい少年の女装姿に自らの理想を重ねて楽しんでいるらしい。
 先程も、「私の」なんだと言おうとしたのだろうか。ラウルフィカ王はナブラのものでも、彼の妻でもない。ザッハールのことを笑えない入れ込みようだ。
「入れ込み過ぎて、自分を見失うなよ、ナブラ閣下。いくら美しくともあれは男。貴殿のそれもただの遊び。ただの男色。相手が自分の言いなりだからと油断していると、足元をすくわれるぞ」
「……わかっている」
 ちっともわかっていなさそうな不満げな顔でナブラは頷いた。
「では、今日は私に替わってもらおうか」
「何?」
「寝所へ行く順番だ。今日は私が行く」
「な! 私の番だぞ!」
 ラウルフィカを抱く機会を替われと告げると、ナブラは反発を露わにした。しかしゾルタは、その反論さえも封じ込める。
「ミレアスのことで探りと、揺さぶりをかけにいくだけだ。それとも貴殿がやってくれるのか? 第一、我らの真の目的はあんな小僧の身体ではなく、この国そのものだろう。何を怒ることがある?」
 ゾルタの言葉に、ナブラはついに異を唱える機会を見つけられなかった。
 仕事を終えて部屋を出る際、悔し紛れのようにナブラは宰相に尋ねた。
「宰相殿、貴公の言う通り、私は男よりも女が好きだ。だから女性的な容姿の美しい少年も愛することができる。あなたもそうだと思っていた。手を出したのは、彼があまりに美しいからだと。しかし違うのだな。ではあなたが愛するのは彼の“何”だ?」
 その問いにゾルタは唇を歪めて笑う。
「私は男も女も愛しはしない。私が愛するのは、心身ともに無垢な少年王が踏みにじられて絶望する様だ」
 抱きたいのではなく、ただ苦しめたいだけだと。王たるラウルフィカという存在を。
 ゾルタの笑いにうすら寒いものを感じながら、ナブラはひそかに積る不満を胸に部屋を出た。

 ◆◆◆◆◆

 寝室で今日も気鬱な行為をするための相手を待っていたラウルフィカは、予定と違う姿を見て目を瞠った。
「ゾルタ? 今日はナブラが来る予定ではなかったのか?」
「私では不服ですかな? 陛下。それほどナブラをお気に召しているとは存じませんでした」
 本日、ラウルフィカを抱く順番は貴族のナブラだったはずだ。しかし、部屋に現れたのは宰相ゾルタ。蓄えた美髯の下で薄く笑い、彼の息のかかった侍女を遠ざけて寝台の上、ラウルフィカの横に座る。
「……どういうつもりだ?」
「ナブラに順番を変えてもらったのですよ。少し陛下に聞きたいことがありましてね」
 ゾルタはラウルフィカの手首に目を落とし、冷たい笑みを浮かべた。少年王の手首には、五年前彼の手によって無理矢理つけられた、外れない金の腕環がはめられている。それはラウルフィカにとって、自身が逃れることのできない家畜だという忌々しい証。
 敵意のこもった眼差しで睨まれ、ゾルタは笑みを絶やさずにラウルフィカに命じた。
「どうしたのです? 早くお召物をお脱ぎください」
 丁寧な口調ながら紛れもない命令の言葉に、ラウルフィカはいつまで経っても慣れることのない悔しさとともに寝台を降りて服を脱ぐ。
 ゾルタは間違いなく有能であり、ラウルフィカの政権において必要な人材だ。今はともかく、昔は間違いなくそうであった。彼の才能を失うわけにはいかなかったラウルフィカは、寝所の中でゾルタに命じられれば抗うこともできず屈辱的な命令を聞くしかない。
 薄手の布地を何枚も重ねた艶やかな衣装を袖から落とし、宰相の前に裸身を晒す。染み一つない白い肌、細い腰。薄笑いを浮かべた宰相の視線は、瑞々しい少年の裸身を、その視線で犯すようにねっとりと観察する。
「こちらへおいでなさい」
 招き寄せたラウルフィカの腰を抱き寄せ、ゾルタは少年の薄い腹を撫ぜた。ぴくりと震える身体の僅かな動きさえも楽しみ、へその下に唇を寄せる。そのまま囁いた。吐息が下腹部を撫で、ラウルフィカの背が不快に粟立つ。
「ミレアスを追い詰めたそうですね」
「……だからなんだ」
 この話題に関しては当然聞かれると身構えていたのだろう。ラウルフィカは素っ気ない声を出す。
「奴があなたに鞭で打たれたと報告に来ましたよ。とはいえ……カシム・レガインを上手く使ってミレアスを遠ざけたその手腕自体は褒めて差し上げましょう」
 やわらかな腹のすぐ下、ラウルフィカの髪と同じ黒い茂みを指に絡めるようにして撫でながらゾルタは言う。
「もともと我らの最大の強みは、あなたにはない力でこの国を支えると言うこと。あなたが我らの力を上回るのであれば、退けられ報復されるのも当然のことだ。しかし」
「――ッ!!」
 ラウルフィカは悲鳴を堪えた。ゾルタが彼の茂みを握っていた指に力を入れたのだ。
 ぶち、と嫌な音がして、無理矢理下の毛が数十本まとめて引き抜かれる。普通に生活をしていれば味わうこともないその痛みに、ラウルフィカは下腹を抱えるようにして蹲った。
 危害を加えられた内容が内容だと、悲鳴も上げられないラウルフィカを見下ろしてゾルタは愉悦の笑みを浮かべる。蹲る少年王の肩を足で踏みつけ、宣告した。
「この私をも、ミレアスと同じような手段で遠ざけられるとは思わぬことだ。ああ、あなたがザッハールを引きこんだことも、息子を引きこんでパルシャを動揺させていることも知っておりますよ。いずれは私にも牙を剥く気でしょう」
 顔を上げて涙目で睨みつけてくるラウルフィカの憎悪を心地よさそうに受け止めて、ゾルタは常に浮かべているその笑みを深くする。
「だがあなたは、まだ力不足だ。あなたの能力や手駒程度では、まだ私をこの地位から追い落とすには至らない。そうでしょう?」
 答えようとしないラウルフィカの頬を、ゾルタは少年の肩に置いたその足で蹴り飛ばした。ラウルフィカの身体が床に横倒しになる。
「う……!」
「人の質問には答えるものですよ、陛下」
 決して声を荒げることなく、あくまでも涼しげな態度でゾルタは言った。ラウルフィカの腕を無理矢理掴んで、その身体を再び寝台の上へと投げるように上げさせる。疲れた身体を優しく受け止めるはずの寝台は、ここにあっては柔らかな檻のようだった。
「こちらに尻を向けて、四つん這いになれ。獣のようにな」
 それまでの形ばかりの丁寧さをかなぐり捨て、ゾルタは傲然とラウルフィカに命じた。
 ラウルフィカは大人しく言うことを聞き、四つん這いの姿勢を取る。ゾルタの方に尻を向けた恥ずかしい姿勢で、触れられる瞬間を待った。先程蹴られた頬が腫れて痛みと熱を持ち始める。
 ミレアスのように、暴力そのものにそれほどの力があるわけではない。しかしゾルタはラウルフィカにとって最も逆らいがたい相手であるのをいいことに、少年王が確実に羞恥と屈辱を感じる命令をくだす。
「では……後ろを自分でほぐすんだ」
「な……」
「やりたくないと言うのであれば、私がこのまま突っ込むだけだな。ふふ、この五年で男に慣れ切った陛下であれば、前戯もなしにいきなり突っ込まれても大丈夫かもしれませんね。――さぁ、どうします?」
 迷いがラウルフィカの瞳に走る。ゾルタの言うことを素直に聞くのも癪だが、翌日動けなくなるような無茶をするのも御免だった。
「それとも、この私にイかせてくださいと頼んでみますか? あなたが私を“ご主人様”と呼んで、“この淫らな家畜に慈悲をお与えください”と哀願するのであれば、その頼みを聞かないこともありませんよ?」
「っ……! 誰が!」
 ゾルタの台詞が挑発とわかっていても、ラウルフィカにもはや選択肢はなかった。指先を口に含み唾液で濡らすと、今度はそれを後ろへと持っていく。小さな穴を押し広げるように、人差し指を侵入させた。
「ん……」
 押し殺した声が、艶めく赤い唇から漏れる。ラウルフィカは首だけを後ろに向け、自らの蕾を自らの指で弄り始めた。生温かく、唾液で濡れて難なく指を飲みこむ体内は、我が物ながら気持ちが悪い。しかし指先のそんな感覚とは裏腹に、身体は刺激に反応し始める。
「ん……う……」
 中のどの部分がいいか、自分の身体のことは自分でわかりきっている。快感に流されまいとしながら赤い顔で自らの受け入れる場所を慣らす姿を、ゾルタが侮蔑の表情で見下ろしていた。
「いい顔ですよ、陛下……。とても無様で、いやらしい。自分で自分の尻の穴を弄って感じるなんて」
「……ゾルタっ!」
「その姿勢で睨まれても滑稽なだけですよ」
 言うとゾルタは、ラウルフィカの指を彼自身の身体から引き抜いた。代わりに自分のものをその場所にあてがい、一気に貫く。
「……!」
 押し殺した悲鳴が微かにゾルタの耳に届いた。白い背中が震え、浮きあがった肩甲骨が得も言われぬ色香で誘う。
「う……あ、は……う、ん、んっ……ふぅ、うっ」
 ゾルタが突くごとに、ラウルフィカは短い喘ぎを零した。中を抉るように容赦のない力で抜き差しすると、少年の喉がのけ反り、震え続ける指先が爪が立つほど強く敷布を握りしめる。
「あ……、も、もうっ」
 白い臀部に赤い手形がつくほど肉を掴む指に力を込めながら、ゾルタはラウルフィカの中で射精する。
 浮いた噂の一つもない宰相は、表向きは女遊びの一つもしない潔癖な男として知られる。しかしこの部屋の中にいるゾルタはそんな市井の噂とはかけ離れ、この後もラウルフィカの身体を貪欲に求めた。
 自らの欲望を満たした男は、部屋を去り際、寝台に埋もれるようにして横たわった少年に告げる。
「抗えるものなら抗えばいい。そう、あなたに、それができるものならば」
 睨みつける青い眼差しを心地良さそうに受け止め、宰相は笑いながら国王の寝室を後にした。


20.女装

 ゾルタと順番を変わったというナブラは、その翌日に苦々しい顔をしながらやってきた。
「まったく、宰相閣下の我儘にも困ったものだ」
 出迎えたラウルフィカにそう愚痴る。ラウルフィカは何も言わず、いつものようにナブラのためにと手ずから茶を淹れてやった。普通にしていても中性的な美貌と言われるラウルフィカだが、本日は更に性別がわかりづらくなるような服を着ている。これも、ナブラが来る日においては「いつものこと」だった。
「ふぅ……」
 他国から取り寄せた良い香りのするハーブティーを飲んで、ナブラはようやく人心地ついたという顔をした。彼の仕事は確かに激務であり、愚痴や不満が人より多少多くてもおかしくはない。更に彼は五年前に結婚した妻と結婚生活が上手くいかず、本来憩いであるはずの家庭に戻ってからの時間が最も抑圧を感じるらしい。
 気分が落ち着いたところで、ナブラは本日持参したものを袋から取り出してラウルフィカに見せた。
「本日の“お土産”ですよ」
 手渡された絹の衣装をラウルフィカは手に取る。
「これを私に……?」
 その衣装は、明らかに女物だった。色は純白で、神殿の聖女など清楚な女性に似合いそうだ。露出は少ないが腕や胸元の一部など、ほんのりと控えめに透ける薄布が使われている。装飾に使われているのは銀糸の刺繍と、更にナブラは衣装に合わせた銀と真珠の首飾りや耳飾り、腕輪に指輪、足首の飾りまで用意していた。
 髪に飾るのは装飾品ではなくまだ瑞々しい生花だ。緑色のがくを綺麗に取り除かれ、真っ白い花の部分だけになった純白の花の髪飾り。すぐに枯れてしまう切り花を傷めない高度な細工だ。もちろん、絹の衣装によく似合う。
「こんな高価なものを……?」
「ええ、もちろん」
 ナブラの訪問にいちいち彼を喜ばせるような過剰な演技はしていないラウルフィカだが、彼が無表情で大人しく与えられたものを受け取るだけでナブラは満足のようだった。なんでも彼の妻は結婚前の評判とは違い大層な我儘だというから、妻のように与えられた品に安物だのセンスが悪いだの失礼なことを言わねばそれで十分らしい。
 実際、ナブラが持ってくる品はどれも高級素材で一流の職人が精魂込めて作り上げた名品ばかりだ。金額的にいつもただ高価なものを持ってくるのではなく、その時々のモチーフに一番似合う組み合わせを選ぶ。
 良い物とは単に高価な物だけを指すのではなく、素材やそれを作り上げる職人の腕、用途に合わせた品や格式、耐久性など全てを合わせて判断するのである。
 ナブラは代々続く大貴族の当主らしく、良い素材を商売上の工夫の末に安値で仕入れ、信頼できる良心的な職人に作らせた衣装や装飾品などに目をつける。色やモチーフの組み合わせも全体的に上品で、身につける者に品格があればあるほどますますその魅力が引き立つような品と組み合わせを好んだ。
 もちろんラウルフィカはそれら一流の品を着こなせないような王ではない。
 もっとも、それら全てが女物だということを考えれば、それらを真剣に選んでくる方もそれらの衣装が似合ってしまう方もどうかと思われるが。ある意味では、大貴族当主が真剣に選んだ、人を選ぶような上質な衣装を持ち前の美貌と気品で見事に着こなしてしまうラウルフィカが最も罪深いのかもしれない。
 本日ナブラが持ってきた品は絹と銀、そして真珠、花の髪飾り。この中で最も高価なのは真珠だろう。黄の大陸の砂漠地域に存在し海に面していないベラルーダでは、基本的に真珠は手に入らない。オアシスが多いので水に困ることはほとんどないが真珠の養殖ができるほど河に恵まれているわけではなく、真珠は基本的に他国からの輸入に頼っているため、莫大な値がつく。
 ナブラが持ってきた真珠はその財力をただ誇示したいような大粒の真珠ではなく、小粒の真珠を幾つか連ねて銀細工との組み合わせで魅せる職人技の一品物だった。この細工であれば小指の爪の先ほどの真珠であろうとも、それこそ考えられないような値がつくに違いない。
 そんなものをこんな夜の遊びのために贈ってしまうのだから、ナブラがゾルタからラウルフィカに入れ込みすぎだと忠告されるのも、事情を知る者からすれば当然だろう。幸いこの真珠と銀の装飾品は男女兼用できるデザインで、大貴族が国王に献上したという名目がつけばそれほどおかしくはない。
 典型的な女衣装――ドレスの方はもちろん誰にも見せるわけにはいかないが。
 ナブラにせがまれて、ラウルフィカはその場で贈られた衣装に着替えた。見る者を惑わすような中性的な美貌の国王は、女物の衣装に花の髪飾りをつければ、とてつもなく美しい女性にしか見えなくなる。
「ああ、思った通り、よくお似合いですよ」
 律儀に顔を背けていたナブラは、着替え終わったラウルフィカを見つめ感嘆の声をあげた。黒髪に青い瞳と白い肌のラウルフィカに、ナブラの用意した純白の衣装は確かによく似合う。しかし、全体的に白と銀でまとめ、青い瞳だけをアクセントとするはずだったその格好に一点だけ余計な輝きがある。
「む」
 自分の選んだ服装が完璧には思ったような効果を発揮しなかったのを見て、ナブラは不機嫌に眉根を寄せた。原因はわかっている。彼はラウルフィカの腕をとった。
「宰相殿め、どこまでも忌々しい」
 思わずゾルタへの明らかな敵意を口にしながらナブラが睨んだのは、ラウルフィカの細い手首にはまった金の腕環だった。白い肌に白い服の中で一点だけ自己主張強く輝きを放つ黄金の腕環は、ゾルタによるラウルフィカ所有の証だった。
 ラウルフィカに自分の贈った衣装を着せてまさしく自分色に染め上げたいと考えていた男にとって、その腕環は二重の意味で忌々しいものでしかなかった。
「いえ、愚痴はよしましょうか。そんなことで一日遅れたあなたとの貴重な時間を浪費するのは馬鹿らしい」
 そうしている間にも時は刻一刻と過ぎているのだと、ナブラは頭を切り替えたようだ。ドレス姿のラウルフィカを抱きかかえ、寝台の脇に座らせて自分はその足元から彼を見上げる。
「ああ……あなたは本当にお美しい」
「ん……」
 ナブラはラウルフィカの、銀の足飾りがはまった足をそっと両手でおし抱いた。夜毎召使の手で隅から隅まで磨かれるラウルフィカの肌はどこをとっても肌理細やかで滑らかだ。足首からふくらはぎまで、ゆっくりと唇でなぞっていく。
 不自然に足を広げられて下衣がめくられるのが恥ずかしいと、ラウルフィカが足の間の布地を手で押さえこむ。恐らく女性がその格好で感じる恥じらいとは違い慣れない女物でそのような格好をすることに抵抗があるという意味なのだが、ナブラはそうはとらなかった。ラウルフィカの反応を見て、本物の女性を見ているかのように興奮を覚えた。
「私のラウルフィカ……」
 手を取り、その甲にゆっくりと唇を押しつける。ナブラは寝台脇に屈んでいた姿勢から立ち上がると、正面からラウルフィカと唇を合わせた。決して性急にも乱暴にもせず、ねっとりと舌と舌を絡め合う。
ラウルフィカも自分が下手に抵抗しなければこの男の場合は妙な気は起こさないと知っているので、大人しく口付けを受けた。どうせ自分は彼に幻想を抱く男たちが思っているほど清純ではないのだから。痛くせず気持ちよくしてくれるなら、誰でもいいのだ。
 しかしラウルフィカの容姿がそう思わせるのか、どこまでも清純に見られる彼を相手にする男たちはそうは思わない。
「あ……」
 寝台に押し倒されて、ラウルフィカは小さな声を上げた。ナブラは薄らと笑み、敷布に散らばる黒髪や、乱れた衣装の裾から覗く白い足を見ている。熱っぽい視線を感じ、ラウルフィカは思わず顔を背けた。その髪の間から覗くうなじがまた、男の視線を引き付けるのだとは知らず。
「綺麗だ……本当に、あんな女とは大違いだ」
 あんな女というのは、ナブラの妻のことだ。そこそこの家柄の貴族であり美姫として名高かったが、実際に結婚した後のナブラからすればあんな最悪な女はいないとのことだった。
 ラウルフィカが本当にただの子どもだった頃には、ナブラは国王の身分にある少年を弄ぶ快感は得ていても、それ以上の価値をラウルフィカに見出していたわけではなかった。
 彼がラウルフィカに入れ込むようになったのは、結婚して二年も経った頃か、妻との生活にほとほと嫌気がさして彼が心身ともに弱っていた頃だ。離婚しようにも妻は外面だけは完璧で、下手な理由を出せばナブラの方が悪く言われかねない。そもそも、貴族や王族は庶民と違ってそう簡単に離婚できるものではないのだ。
 庶民も世間体や利害などを考えればそう簡単に離婚できるものではないが、それでも貴族ほどのしがらみはない。
 妻の方としてもナブラが世間の評判から想像した性格に比べ期待外れだったらしく、二人の結婚生活は顔を合わせるだけで不愉快になるぐらいの話だった。美女と評判で周囲からちやほやされて育った彼女は、自分を一番に、姫君のように扱ってくれない夫に不満を抱いていたらしい。言葉にすればそうでも実際のところ不満を抱くなどと言う可愛らしいものではなく、何かにつけナブラに文句をつけてくるとの話だった。
 ラウルフィカのもとを訪れても彼を抱く気になれないほど消耗していたナブラがその頃頻繁に漏らしていた愚痴に、ある日ぽろりとラウルフィカが同意したことがある。
 ――まぁ、それはそうだな。
 程度のさして気の利いた台詞でもない本当にただの同意だったのだが、ナブラはその頃からラウルフィカへの態度を徐々に変えるようになった。理由のあることもないことも、訳の分からない因縁をつけられてまで妻に否定され続ける毎日だったナブラにとって、ラウルフィカの称賛でも感謝でもなんでもないただの同意が心に響いたらしい。
 そこに関してはラウルフィカが特に意図したわけではなく、考えてみればただの必然で当然だった。ナブラの仕事は自領地の管理以外に、未熟な王であったラウルフィカの仕事の一部を引き受ける形になっているのだ。あるいはナブラの仕事の行きつく先がラウルフィカであったり、またその逆もある。まったくの部外者である妻と違って仕事に関しては事情が同じラウルフィカは、それに関して妻に責められるという愚痴には例えナブラ自身を嫌っていても同意せざるを得ない立場だったのである。
 ついでに言えば聞いていて同じ男なら誰もが不憫に思うような夜の生活をも強いられているらしいナブラの話自体には、ラウルフィカも同情せざるを得ない愚痴というのも多々あった。
 しかしそこから、ナブラのラウルフィカへの態度に決定的な変化が訪れるようになったのだ。妻には何度言って聞かせても理解しない事情を、ラウルフィカは自然と理解している。当たり前のこととはいえ、それがナブラには酷く気楽で心地よかったのだ。そしてナブラはラウルフィカに、まるで恋人のように接し始めた。
 妻に睨まれているナブラは、下手に名を汚すような娼館通いなどできない。使用人に手を出すのもご法度であり、貴族の恋愛は結婚してからが本番などという言葉を信じて迂闊に行動すれば莫大な慰謝料を奪われて即離婚か、結婚したまま不名誉を被る二重苦だ。
 その点、ラウルフィカのもとに赴くのは国王陛下のもとに馳せ参じるという名目で誰にも文句は言われないし邪魔はされない。おまけにラウルフィカは、下手な貴族令嬢や高級娼婦など太刀打ちできないほどには美しい。
 そして何より、口数多く豪奢な衣装に派手な化粧と贅沢を好み、性格は明るいが言い換えれば八方美人で、夫の浮気には目くじらを立てるくせに自分は愛人を多数持ち、容姿は美しいが限りなく女性的で何処にいても女臭いほどの色気を放つ妻とは対照的だった。
 無口ではないがどちらかと言えば口数のそう多い方ではないラウルフィカ。物の良しあしを見る目は確かだがあまり派手に飾り立てることは好まず、化粧などしなくとも十分に美しい。立場と彼らの関係が関係であるために常にどこか憂いを湛えた表情をしていて、あまり性別を感じさせない。そして何度も彼を抱いたナブラ自身こそがよく知っているはずなのに、どれほど心無い手に犯されようともその姿にはどこか清らかなものを感じる。
 男だから当然だとしばらくは自分に言い聞かせていたはずのナブラも、戯れにラウルフィカに女装をさせてみてからはもう駄目だった。それはあまりにも彼の理想すぎた。段々とラウルフィカに贈る物は本格的に、そして豪華になっていく。
 関係を持ち始めた十三歳の頃はいつも抵抗と侮蔑の眼差しで睨んできた少年も、諦めが支配した頃からはミレアスのように目に見えて暴力を振るわない限り素直で従順だった。
 ナブラにとってラウルフィカは、恋人ごっこをさせるにはあまりにも都合が良すぎたのだ。
「あ……ナブラ……」
「ラウルフィカ……」
 寝台の上に押し倒したラウルフィカの身体をナブラは撫でまわす。
「こちらもはいてくださったのですね」
「み、見るな。見ないで」
 ナブラが用意したのは衣装だけではなく繊細な刺繍で飾られた薄い布地の下着もだった。こちらももちろん白に銀糸の刺繍の女物だ。中でラウルフィカのものが窮屈そうにしている。不自然に膨らんだ部分を、じらすようにナブラが指でなぞった。
「んっ」
 次第に布地の中に手を突っ込み、遠慮なくまさぐるようになる。手にしたものの感触よりも顔を赤くして快感を耐えるようなラウルフィカの表情にこそ欲情するのだと、ナブラはひっきりなしに吐息を零すラウルフィカの唇を見ながら考えた。平素は淡い桃色の唇が噛みしめられて赤くなる。その様があまりに色っぽくて、ナブラは下を弄る手は止めずに再びラウルフィカへと口付けた。
「ん、んんっ、ん――! ああっ、あっ」
 口付けの途中で射精まで導かれたラウルフィカは、途中でナブラの胸板を押して彼の口付けを振り払った。その瞬間に一際高い声が漏れて、ナブラの気分を逆に良くする。
「一人でイくなんてひどいですね。それでは、どうかこちらも……」
 すでにはちきれんばかりに膨らんで硬くなったものを取り出し、ラウルフィカの可憐な唇の前に差し出す。先程は舌で蹂躙した場所を、今度は彼自身で犯すのだと思うと異様な興奮がナブラを包んだ。
 何度もそれを目にしているはずのラウルフィカは、しかし初めの一瞬ばかりは何度やっても慣れぬとばかりに躊躇いを見せた。それも一瞬で、濡れた唇が男の欲望を咥えこむと、今度はこの五年であらゆる男たちから仕組まれた熟練の娼婦並の手管を見せる。
「くっ……、ああ、いいっ」
 女衣装を身につけたラウルフィカに口で奉仕させるのは、本物の少女に口淫させる以上の快感だった。あまりにも美しい理想と、これは少女の格好をした少年なのだという背徳の落差が、ナブラに酩酊させるほどの快楽をもたらす。
 ラウルフィカは眉尻を下げて困ったような顔で上目遣いにナブラの様子を伺っていた。慣れた舌使いとまるでもの慣れぬ少女のようなその差が見る者を惑わせる。
 舌で、頬肉で、あるいは喉まで使ってさんざんに刺激されたものが達する直前にナブラは自身をラウルフィカの口から引き抜いた。咄嗟に目を瞑ったラウルフィカの顔に、白濁の液がかかる。
「……!」
 しどけなく乱れた姿で敷布に手を突き、いささか放心したような様子で見上げてくるラウルフィカを見て、ナブラは完璧だと思った。白い肌、白い衣装の清らかなる乙女を自分の白で穢す。完璧だ。
「……ラウルフィカ!」
 恋人の名を呼ぶように熱っぽくその名を呼んで、ゾルタはラウルフィカの両手首をまとめて掴むと再び寝台に押し倒した。男同士だと腰を随分と高く上げなければならない分手間だというのに、わざわざ正常位へと体勢を持ち込む。
「あ、まだ慣らしが……んむぅ!」
 ラウルフィカの口に指を二本まとめて突っ込み、唾液を絡ませる。その指を後ろの蕾にあてがうと、丁寧に入口をほぐした。例の下着はつけたままで、その隙間から指を差し込む形だ。
「そろそろいいですか? ラウルフィカ。――いきますよ」
「ああっ、あん、んっ、ん、んんっ」
 ナブラが自らのものを押し込み、夢中で動く。熱心な腰の使い方にはラウルフィカもたまらず声をあげた。下着に押し込められた前が苦しいが、そんなことを考えられないほど後ろで感じてしまう。
「な、ナブラ、もう……!」
「ああ、ラウルフィカ、私のラウルフィカ」
 ラウルフィカの中にも精を放つと、ナブラは先程の自分の考えが間違っていたことを実感しながらこれ以上ない恍惚の笑みを浮かべた。
 乱れた白い衣装から覗く華奢な白い手足、引きちぎられた銀刺繍の下着。そこからさらけ出された尻穴から零れて太腿を伝う白い液。
 これで本当に完璧だ。


21.火種

 国内の重臣たちをほぼ全員集めるというベラルーダ最大級の会議が開かれていた。
「今まで通り、小競り合いを続けるしかないでしょう」
 問題は十年ほど前からこれまでずっと続いていた隣国との領土争いに関して、だ。ベラルーダと南の国境を接するプグナ王国。かの国とベラルーダは、その境界をお互いどれだけ自領地を広くとれるかで争っている。
 小競り合いの現場となっている土地は特に資源が豊富というわけでもないただの荒れ野だ。しかし砂漠が多いベラルーダとその近隣国にとっては「野」と呼べるだけの大地がある場所はそれだけで十分に重要である。できればその土地を本格的に開拓し、砦を建て、ベラルーダ、プグナ間の争いを現在は静観している諸外国からの防波堤にしたいのだ。
 小競り合いとすら呼べぬ争いを含めれば、実質十年以上両国はその問題で争っていると言っていいだろう。ラウルフィカの父王の代からだ。ベラルーダとプグナには国交がなく、和睦の気配もない。
「だが大臣よ、それでは現状と何も変わらない」
 更にベラルーダは地理的な要因でかろうじて帝国の直轄領からは外れているもの、この砂漠地域を完全に支配下に置こうと目論む南東帝国にいつ征服されるかもわからない。東地方南部砂漠地域は、現在実に緊密な均衡の上で成り立っている。
 ベラルーダが独立国としての立場を守り続けるためには、帝国に屈従させられるような隙を見せぬまま、その機嫌を取り続ける必要がある。プグナとの争い自体はいっそ膠着状態と言ってもよいものだが、この戦いを裏で見ている帝国の存在を考えた場合、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
「無理に変える必要などありますか」
「我らが変わってくれるなと望もうと、状況が動けば我らも動かずにはいられない。実際、我らも変わった。すでに父上の代ではなく、私の代に」
 ベラルーダとプグナはもう長く争い続けすぎた。これ以上決着がつかないようであれば、そのうちに皇帝が出てくる。帝国はベラルーダ寄りだが、もしもベラルーダとプグナが全面戦争になり、ベラルーダがプグナに敗北するようなことになれば容易く切り捨てられるだろう。
「プグナと和睦するのはどうだろうか」
「ミスカーシャ卿」
「我が国の国王がラウルフィカ陛下に代替わりされて以来、大きな争いは起きておらぬ。小競り合いも先王陛下の時よりも大人しい。今なら、和睦を持ちかけても無理な話ではないと思われる」
 温和そうな顔つきの老人が言った。大臣の地位にあるうちの一人だ。会議場の何人かがその言葉に賛同の色を見せるが、決定的な意見は出ない。
「いや、むしろプグナとは徹底的に争うことを提案する!」
「ミレアス卿」
 軍部の上級大将の一人、ミレアスが言った。代表者として声を張り上げているのはミレアスだが、その隣のジュドー老将軍も頷いていることから、これがミレアスの独断ではなく軍部の総意であることが伺える。
「ベラルーダとプグナの争いはそもそも帝国の目を意識したことに端を発する。今ここで砂漠地域で中堅どころの軍事力を持つ二国家が手を結ぶことは、結託して帝国に叛意を示すことと受け取られかねない」
「陛下」
 まったく対立する意見を出され、調停役、司会を任された貴族が判断に迷い国王ラウルフィカへと視線を向ける。
「私もミレアスの意見に同感だ。現皇帝は苛烈な性格と聞いている。迂闊なことをして刺激しない方がいい」
 砂漠地域を虎視眈眈と狙う南東帝国の現皇帝スワドは、それまで穏健派だった前皇帝のやり方を完全に塗り替えた。即位して三年だが、歳はラウルフィカよりも上だ。事故であまりにも早く王位を継ぐことになったラウルフィカの方が在位歴は長いが、これまでに示された手腕を考えれば実力はあちらが上ととってよいだろうと、ラウルフィカ自身がそう思っている。
「だが、“徹底的に争う”とはそもそもどちらを意味するのだ」
 腕を組んで耳を傾けていたナブラがミレアスやジュドーら軍部の人間を見ながら尋ねた。
「これまで通り小競り合いの上で勝利を狙うか、それとも――」
「いっそプグナを潰しちゃどうでしょうな」
「ミレアス! 不穏当な事を軽々しく口にするでない!」
 常は穏やかなジュドー将軍がミレアスを嗜めた。
「陛下。軍部の現状を申し上げる限り、今の戦力でまともにプグナとやりあえば双方の打撃が大きくなるのは必至。どうか、慎重な判断を」
「ふむ。そうだな」
 確かにジュドー将軍の言う通り、ベラルーダとプグナは国土も資源もほぼ同じくらいで戦力が拮抗している。両国がこれまで小競り合いを続けたのはだからだ。戦力を全て出しつくしても勝てるかどうかわからない、勝てても国が限界まで疲弊するとわかっていて、大軍隊を動かしたくはないものである。
「その戦力に関する話ですが、増強はできないのですか?」
 まだ若い貴族の一人が言った。
「このまま小競り合いを続けても、いつかは決定的な争いが訪れるでしょう。その時を待つよりも、少しでも自分たちの優位になるように我が国が今から準備することは無駄なのですか?」
「アルザ卿、具体的にはもっと違うことが聞きたいのではないか? そう――例えば、戦力を帝国から借りれないのか、と言ったところか」
 年若い貴族アルザは、自分よりも更に若いラウルフィカに言い当てられて赤面した。当人は婉曲に表現していたが、この国で揃えるには限りある戦力を更に増強というには、実際それしか方法がないのだ。
「しかし陛下、そんなことをすれば我が国は帝国の傘下として併合されてしまうやもしれませぬ」
「問題はそこだな……」
 帝国と友好関係を保ってはいるが、それに対し何か契機があったというわけではなく、心許ない口約束。よほど明確な理由もなく戦力を貸してくれるよう頭を下げれば、それはベラルーダが帝国のお情けに縋らねば国を維持できないと宣言したも同じ。とはいえプグナと全面戦争の上で勝利したとしても、国家が疲弊した隙を突かれて他国から攻め入られてはたまらない。
「ところで、これまでの意見はどうやら開戦に傾いているようだが、和睦を提案した者たちはどうだ? 正面からの和睦ではなく何か別の意見はないか?」
 ラウルフィカが話題を振ると、ミスカーシャ卿とその周囲がざわめいた。先程和睦を提案した大臣の辺りに彼の一派である穏健派が集まっているのである。
「軍部のジュドー将軍も仰った通り、我が国の戦力ではプグナと正面からぶつかるのは厳しいと思います。そこで考えられるのは――」
「なるほど、指揮官の暗殺か」
 暗殺、と後ろ暗い単語を口にするのを躊躇った貴族たちのあとを引き継いでラウルフィカが言うと、会議場が一気にざわめいた。
「陛下……」
「とはいえ、それを論ずるにも帝国の目が気になるな。迂闊に向こうの王を暗殺してでも勢力を欲しがる国だと思われたら、今後帝国からのあたりが厳しくなるだろう」
 ラウルフィカが早くも流したその話題は、しかし皆の心に黒い影を落とした。正攻法が駄目なら暗殺してしまえばいい。
「ですがそれならば、むしろ陛下の方が危険ではないでしょうか。お世継ぎもなく他の王族もいらっしゃらない状態で開戦などすれば……」
 穏健派の別の貴族が言った言葉に、全員がまた思い出していた。そうだ、今ラウルフィカが死ねば、ベラルーダ王族の直系が途絶える。すでに妻子持ちのプグナ王よりもラウルフィカの方が余程危険な立場なのだ。開戦する場合はそのことも考えねばならない。
「ならば開戦はお世継ぎの誕生まで早くとも一、二年は避けた方が良いのでは?」
 また別の誰かが言った。その言葉はさっさと結婚し子を作れとラウルフィカに強いるも同然の言葉だったが、とりあえず室内の皆の心は、幾人かを除いて安堵した。開戦までの猶予期間に、一、二年という具体的な数字が現れたからだ。
「確かに世継ぎの問題をたてにすれば、帝国からの追求もいくつかはかわせるな」
「いっそ陛下に妹君などおられれば皇帝陛下の御側室として婚姻を結ぶこともできたのですが……」
 古参の大臣のうちの一人が思わずといった様子でぽろりと漏らした一言が視線を集めた。
「ないものねだりをしても仕方はないが……そういえば大臣、お前のところには娘が二人ほどいなかったか?」
「へ、陛下!」
 ささやかな意趣返しにラウルフィカがそう言うと、大臣がさっと顔色を変えた。百を越える美女を納めた後宮を持つと言う南東帝国皇帝。しかもその性質は残忍で冷酷だと言う。いくら大陸最高レベルの権力者と言えど、その皇帝に娘を献上したいと思う親はなかなかいない。しかもよくて側室止まりなのだ。
「二人いるならば、一人は帝国に、一人はプグナ王にでも差し出せば問題はほとんど解決しますね」
「ファーゼ卿! 悪趣味にも程があるぞ!」
 ラウルフィカに追従して笑みを浮かべる貴族に対し、大臣は顔を真っ赤にして反論した。
「まぁ、冗談だ。そう怒るな。私に姉も妹もいないことは仕方がないが、どちらにしろ帝国の皇帝は向こうから求めでもしない限りベラルーダ貴族の娘を受け入れはしないだろう。それに暗殺の問題に関しては、私には優秀な騎士がついている――宰相」
 ラウルフィカはそれまで黙ってやりとりを聞いていたゾルタへと話を振る。
「お前はどう考える?」
 ラウルフィカの治世を実質的に支えていると言われる宰相の発言のために、ざわめいていた室内がいきなりシンと沈黙した。ラウルフィカがゾルタに尋ねたのは、娘を差し出すだのどうのといった程度のことではない、今までの内容すべてを吟味した決定的な意見だ。誰もが宰相が何か画期的な意見を持ち、それによってこの実りのない会議に決着をつけてくれるものだと信じ切っている。ベラルーダにおいてゾルタの影響は大きい。
「保留ですな」
 しかし、ゾルタの答は意外なものだった。一度は静まったざわめきが復活し、困惑の波紋を広げていく。
「やはりそう来たか」
「へ、陛下?」
「もとより慎重派のお前がこの時期にこの議題を持ちだして安易な決着などつけるはずもないと思っていた」
「よくおわかりで。それならばこの場は不要でしたか」
「いや」
 余人にわからぬやり取りを交わす国王と宰相を、周囲が不安げに見守る。
 やがてラウルフィカが会議室に集まった面々の顔を見遣り宣告した。
「これより十日後、南東帝国皇帝陛下がこの国を訪れる」
「皇帝陛下が?!」
「一部の者たちにはすでに通達が行っているだろう。この時期に皇帝陛下が我が国を訪れる理由は定かではないが、十中八九プグナとの境界に関することだろう」
 先程までとは一転して、今度は集まった人々にも理由の確かな不安が広まった。これまで一度もベラルーダに来訪したことのない、この砂漠地域の影の支配者がこの国にやってくる――。
「戦いを望む者、和睦を望む者、各々の意見はあるだろうが、帝国の意向によってはそれが叶えられるとは限らないこと、各自胸に留め置くように」
「陛下」
 貴族の一人が声をあげた。
「陛下のご意志は……その……」
 気弱そうに語尾が掠れたが、彼の言いたいことはラウルフィカにも伝わり、また、ここにいる他の貴族たちもそれを知りたがっていた。
 帝国の思惑はともかく、このベラルーダの意志はどうなのか。それを、国王であるラウルフィカに問いかける。
「私は、戦おうと思う。小競り合いではない、プグナを倒す」
「陛下」
 ゾルタが咎めるような声をあげた。しかしラウルフィカは聞かなかった。
「だが、帝国に叛意を向けたと受け取られるような事態をもたらすのは本意ではない。また。プグナと戦うとはいっても、双方の被害を大きくするのは好ましくない、とだけ今は言っておこう」
 大事なのは、どう帝国に弱味を握られずに、プグナを落とす大義名分を作るかと、実際にプグナをベラルーダの戦力で落とせるかどうかだ。
「宰相の意見通り、今回の議論の決は保留とする。各自、今後の事態の進展に備えよ」
 その問題の結末は、皇帝の訪問まで持ちこされた。

 ◆◆◆◆◆

「ちっ」
 会議室に残った四人と新たに招かれた一人。赤毛のミレアスは忌々しげに舌打ちする。
「まだるっこしい。帝国なんざ気にせずにさっさとプグナをやっちまえばいいんだ」
 戦い好き殺し好きのその乱暴な意見に、後からこの部屋に招かれたパルシャが青い顔になって反論した。
「滅多なことを言うでない。戦争なぞ起こらねば起こらぬ方がいいに決まっている」
「あんだよ肉だるま。戦争になったら儲かるんじゃなかったのか?」
「確かに儲かるが、同じくらい危険に晒されるものだ。わしの売りは戦争一歩手前の状態で膠着した二国の間でどちらにもいい顔しながら商売することよ」
 パルシャは王宮に出入りする商人だが、役人ではない。そのため会議には参加していなかった。しかし彼ら五人は盟約を結んでいるために重大な情報はこうして交わし合っている。どうせ戦争が始まれば武器の補充をするのはパルシャのヴェティエル商会だ。
「とは言うものの、本当に戦争になるのかねぇ」
「可能性は高いな。王が明言したことにより周囲の士気も上がったようだし」
「王が明言? どういうことじゃ?」
 会議でのラウルフィカの発言を聞いて、パルシャが目を丸くした。彼の知る限り、この五年でラウルフィカがそんな大胆な発言をしたのは初めてである。
「あれもカシム辺りの入れ知恵か?」
「あれも?」
 どれを指しての「も」なのかと、カシムを目の敵にして上記の発言をしたミレアスをゾルタが嘲笑う。
「あの発言はどちらかと言えば、ラウルフィカ自身の考えだろう」
「それでなんで呑気にしてられるんだよ、宰相閣下」
「籠の中の小鳥がどう囀ろうと、私には関係ないからな」
 暗にラウルフィカの相手など必要ないと言いきる宰相にはミレアスも逆らえず、苛立ちの矛先を変える。
「ザッハール、てめえの魔術で何とかならねーのかよ」
「は? 何が?」
「魔術とやらで簡単にプグナを一掃できないのか? あの国を簡単に滅ぼすだけの戦力がこっちにありゃ戦争が始まるだろ。こう、がーっと炎でも出す魔術を使って国を焼き払うとかよぉ」
「無茶言うなって……国どころか小隊一つ吹き飛ばすのだって、律名を戴いた魔術師でもなけりゃ無理だっての」
「なんだよ役に立たねーな。宮廷魔術師長なんて御大層な呼び名をもらっても、所詮は孤児あがりの三流魔術師か」
「ああ?」
 ミレアスの暴言に対し、ザッハールも普段より柄悪く侮蔑の言葉を返す。
「お前なんぞに魔術の深淵の何がわかるんだ。脳みそまで筋肉でできた体力馬鹿が。だいたいそんな人間兵器がどこの国にもいたらてめーら一般兵の出番なんざなくなるわ」
「なんだと?」
「まぁまぁ待て待て。喧嘩はやめよう」
「落ち着け、二人とも。――我らから見れば、お前たち二人とも下品で馬鹿だ」
 パルシャの仲裁とナブラの呆れた台詞に、ミレアスとザッハールは渋々ながらもこの場では敵意を収める。だが、お互いの方を見ようとはしない。
 また子ども並の口論が始まってはたまらない、とパルシャがゾルタに話を振る。
「それで、もし万が一戦争になったら勝ち目はあるのか?」
「ある」
 あっさりとゾルタは言った。
「あるのか? そんな簡単に断言できるものか?」
「やりようなどいくらでもあるさ。正面から戦おうとするから被害が大きくなるんだ。それこそ、穏健派が口にしたように向こうの王族を軒並み暗殺してもいい。ザッハールの力も戦場で兵を蹴散らすというよりは、そちら向きだ」
「まぁね」
「それより、今は他に面白い話題があるだろう」
「面白い話?」
 ナブラの不思議そうな視線を受けて、ゾルタが冷たく笑う。
「会議で問題にされていただろう? ラウルフィカの結婚だ」
「なっ!」
 その言葉に過剰に反応したのはナブラだった。
「一体何の話だ!」
「先程の会議でも問題になっていただろう、後継者がいない国王に何かがあったらどうする、と」
「それと俺らが何の関係があるんだ?」
「国王陛下の結婚相手は、国の一大事。慎重に選んでやらないとなぁ、私たちが。そうでないとそこ伴侶選びに失敗した公爵のようになるからな」
 ミレアスの問いに、ゾルタはナブラへの嫌味を含んだ視線を向けながら答えた。人口密度の低い室内に、嘲笑が巻き起こる。
「それともナブラ、何か問題でもあるのか? 国王の結婚に」
「そ、それは……」
「ラウルフィカの相手である以上、私たちにも都合のよい相手であることが必要だ」
「共犯者、ということか?」
「あるいはその逆かもな」
 パルシャの問いに、ゾルタはくすくすと笑いながら言う。
 あれがいい、いやこれは面倒だ、などと言い合う男たちを眺めながら、ナブラは一人話の輪に入らず拳をきつく握りしめていた。


22.皇帝

 皇帝来訪の知らせを受け、ベラルーダでは慌ただしく最高級の賓客を迎え入れる準備が整えられた。王宮の人々はもちろん、登城できる身分の貴族たちまでもが皆、上から下まで対応に追われていた。
 実際に歓迎の準備をしたのは召使たちだが、上に立つ国王ラウルフィカ、宰相ゾルタたちも彼らとは違った意味で忙しさに追われていた。あらゆる部署に指示を出しつつ皇帝に対しどのような対応をするのか会議を開いて意見を統一し、更には皇帝を出迎えるのにベラルーダが財のない田舎国だと侮られぬよう衣装や装飾品を新調した。仕事の合間に採寸を済ませ、食事をしながら同時に皇帝に出す食材の吟味までしている。
 しかしこの十日は万が一にもラウルフィカの気力を削ぐわけにはいかないとゾルタ以下五名の男たちはラウルフィカに仕事以外では近寄って来なかったので、ラウルフィカとしては幸せな日々でもあった。商人としての仕事のついでに寂しそうな顔を見せるレネシャをほんの少し慰めれば、それだけで良かったのだ。
 そしてどこまで準備してもまだあちらこちら準備し足りないような慌ただしさがどうにも収まりきらないまま、ベラルーダは南東帝国シャルカント皇帝が来訪する日を迎えた。
 現在の皇帝スワドは三年前に皇帝に即位したばかり。しかしその功績は歴代の皇帝の中でも群を抜いていて、保守派の父帝が築いた約定を無視しいくつもの国を侵略している。ベラルーダも一つ対応を間違えばこの強大なる帝国に飲みこまれるに違いない。
 そして現在迎えの馬車から降りてベラルーダの宮殿前に立つ、スワド帝の姿と言えば。
(若い)
 スワドと初めて顔を合わせたラウルフィカは、表には出さず内心でそう考えた。三年前に即位したばかりの青年だと聞いていたが、見た目はラウルフィカと幾つも変わらない年頃に見える。二十歳かその少し上ぐらいだろう。
 いまだ少年と呼ばれることのあるラウルフィカと違い、スワドが青年と呼ばれるのはその身にまとう雰囲気と体格が大きい。背が高く、肩幅がしっかりしていてすでに子どもの名残などまるでない。厳つさはないが、一挙手一動に気品の溢れる君主は完全に武人の動きであり、何気ない仕草でもその衣装の下には隙なく鍛えられた筋肉が隠されているのだろうと思わせる。
 髪の色は華やかな金。レネシャのようなごく淡い木漏れ日の金ではなく、砂の大地を貫く真夏の太陽のような黄金。
 両の目は翡翠。砂漠の民にとって、焦がれても届くこと叶わぬ深き森のような、暗くも力強い翠。
 美丈夫、とまさにそう呼ばれるのに相応しい青年だ。すでに出迎えのベラルーダ人女性たちは、皇帝の美しさにそれまでの緊張も忘れてうっとりと見惚れている。帝国からの付き人たちも、単純な身分や権力だけでなく主を誇らしく思う気配が伝わって来る。
 ベラルーダにも美青年と呼ばれる者は多い。貴族の中ではナブラやゾルタは三十をゆうに過ぎてなお貴婦人たちの熱い視線の的となり、軍部では美形とはまた違うが、精悍な顔立ちのカシムが貴族から庶民にまで人気を集めている。単純な造作の整い具合で言えば、ザッハールも皇帝に負けはしないだろう。
 しかしこの皇帝は、それらの単なる美形たちとは違う。ただ造作が美しいだけではなく、己という存在の魅せ方を熟知しているとでも言うのか、彼の動作一つで、その空間の色彩が塗り替えられるような迫力と存在感を持っているのだ。
 これは手強い相手だとラウルフィカは感じた。ラウルフィカ自身とさして変わらぬ年齢でありながら、皇帝は人心の掴み方を熟知している。自分がどのように振る舞えば相手が自分に魅了されるのかを理解し、いついかなる時もそのように振る舞う。
 驚いてばかりもいられないだろうと、ラウルフィカは一歩前へ出た。
 それはそれで帝国側の人々から男女問わず溜息を誘う光景だった。
 黒髪を引き立たせる白い肌。瞳と同じ青色の生地に金糸の装飾がされた衣装を着こんでいる。優美でありながらどこまでも男性的な気配を主張する皇帝とは対照的に、男と知っているはずの人間でさえその容貌を目にすればハッと性別に迷う。真昼の太陽の下であればこそその存在を疑うことはないが、真夜中に月明かりの中で顔を合わせれば何かの精霊かはたまた幽鬼かと疑わせるような神秘性を湛えている。
 皇帝はマントを翻すその様まで生き生きとしていたが、ラウルフィカ王の動作はどこまでも静かだった。礼儀正しい淑女でもここまで華麗に動くことはできないだろうというほど、滑らかで音を感じさせない動き。まるで別世界のものを見ているかのような、誰にも手の届かない美しさ。
 いざ並び立ってみれば、王と皇帝はどこまでも対照的であった。皇帝は人々と同じ次元にありながら他の者よりも確実に一段上に立つ風格を持つが、ベラルーダ王は、そもそもこの人と自分が同じ地面に立っているのかどうかと人々を惑わせる。
 ラウルフィカがまずはその場に立ったまま皇帝に頭を下げる。
 口を開くのは、皇帝が許可の言葉を発してからだ。しかしいつまで経っても、皇帝はラウルフィカに顔を上げるようにとも、挨拶を許すとも言葉を発しない。
 そのまま何故か足音が近付いて来る。怪訝に思ったその時だった。
「あ――」
「美しいな」
 少し離れて立っていたはずの場所からいつの間にかすぐ目の前に来ていた皇帝スワドが、半ばその身を抱きしめるようにしてラウルフィカの顔を無理矢理上げさせる。
 ベラルーダ側は王に何をするのかとすぐさま殺気だったが、帝国側にも一気に緊張が走った。いくら帝国の皇帝と言えど、友好国の王にあまり傍若無人な真似は許されない。しかし皇帝の成すことがとんでもない暴挙だと認めて皇帝の行動を止めることも、帝国の人間としてはできない。
「へ、陛下!」
 どちらの陛下だと紛らわしいこの状況で帝国側の臣下が叫ぶも、スワドは意に介さずラウルフィカの顔を真正面から見つめていた。彼より背の高いスワドによく見えるようにと、ラウルフィカの顎を指ですくい上げる。もう片方の腕は、驚いて体勢を崩すラウルフィカの体を支えるようにその腰に回されていた。
「本当に美しい。ベラルーダの王は美貌の少年だと聞いていたが、これほどとは――」
 くすりと耳元で笑う低い声さえ魅惑的だ。ゾルタやナブラに嫌味を言われたり美貌を称賛されたりと免疫をつけていなければ、腰が砕けそうなほどだ。
「帝国に連れ帰りたいくらいだな。いっそ私の妻とならぬか?」
「陛下!」
 侮辱というにはあまりにあけすけに、スワドはラウルフィカを女性のように扱いそのように尋ねた。召使たちは面白そうに成り行きを見守っているが、居並ぶ貴族たちは帝国側もベラルーダ側も青ざめて息を飲んだ。特に帝国側で大臣級の地位にあるらしき老人が、主君の最大級の暴挙に今にも泡を吹いて倒れそうだ。
 帝国とベラルーダの友好と安寧は、この瞬間のラウルフィカの態度にかかっているのだ。ラウルフィカが侮辱されたと怒りだしても、予想外の言葉に動揺して不安の表情を見せても両国の関係にはどんな形であれ亀裂が入る。前者は帝国との決裂を、後者は帝国への無意識の屈従を示す。
 衆人環視の息詰まるような興味と期待、恐れの視線の中、ラウルフィカはゆっくりと唇を吊り上げて優美ながら遊び心のある笑みを形作る。踊るようにさりげない仕草で顎にかけられた皇帝の指を外し、その手に自らの手を重ねる形で動きを封じると、瞬く睫毛の動きまで艶やかな仕草で言葉を紡いだ。
「大陸各地で美女を見定めているという皇帝陛下にお褒めいただくとは、私の容姿もなかなか捨てたものではないようだ」
 更に周囲の者たちにも不自然と映らないごくさりげない動作で皇帝の手を取ったまま一歩下がり距離をとると、そのままダンスの誘いとも貴人に対しての忠誠の証ともとれる優雅な仕草で皇帝の手の甲に口付けを落とした。
「この顔がお好みであるとすれば残念ながらわが国の美女は陛下のお目に適わぬかもしれませぬが、その代わりに国中の美酒美食を揃えさせました。宴席に添える華の代わりは、陛下御自らお褒めくださったこの私が侍ることを御許し下さい。この通り中身はまったくもって面白味のない男ではありますが、陛下に誠心誠意お仕えいたしましょう」
 神秘的と言われることのある容貌を親しみに変え、にっこりと友好的な笑顔を最後に浮かべてラウルフィカは言った。
「我がベラルーダは皇帝陛下の御来訪を臣民一同心より歓迎いたします」
 そこでようやく二国間の権力者たちの間に走った緊張が消えた。
 合図と共に歓迎の花吹雪が降り注ぎ、一気に場が賑々しくなる。歓声に紛れてお互いの声しか聞こえなくなるような状態で、皇帝が周囲に気づかれないように声をかけてきた。
「ふふふ、なかなかやるなベラルーダ王」
 ラウルフィカは口元に笑みを浮かべた。何も知らぬ者から見れば笑顔の一種と解釈されようが、見る者が見ればそれは自分のはかりごとが成功した者の会心の笑み。
 皇帝の言動を受けてあえて道化じみて振る舞うことで、ラウルフィカは両国の関係に亀裂を入れることなく恙無く歓迎という名の「儀式」を遂行したのだ。
 無礼を先に働いたのは皇帝だからと、その気さくさに乗る振りをして、身分の高い者からの許しがなければ喋ってはいけないという原則を無視した。美貌を褒められて満更でもない振りをしながら、皇帝の美女漁りをあてこする。ベラルーダに美女がいないかもしれないという台詞は一見自国に対し失礼な謙遜に見えて、男であるラウルフィカが好みならばどんな美女も気にはいらないだろうという痛烈な皮肉。望むなら宴席に侍ろうと皇帝の失礼な要望に応えた振りでちゃっかりと同じ席に着くという対等の立場であることを宣言し、これだけの言葉遊びをしておきながらあえて自分は面白味のない男などと言って、誰にもこれらの台詞が深い意味を持っていることや、本心からの謙遜などでないことを「見抜かれるように」演出する。
 ベラルーダの立場としては、帝国に歯向かってはならないが、だからといって追従しすぎて自ら帝国の支配国家のようにおもねってはいけないのだ。あくまでも謙りながら堂々と舌を出していることを、相手側にわからせねばならない。
 そのためにラウルフィカは、皇帝の言葉を道化じみた振る舞いで交わすことにした。受け取る側が悪意ではなく戯言と真剣に受け取らなければ、それは冗談になる。皇帝はあくまでもベラルーダ王の容姿をからかいじみた言葉で褒めただけであってこんなものは侮辱ではない、としたのだ。
 ベラルーダ王が侮辱発言に抵抗しなかったとしてベラルーダ側の従属を示したのではなく、皇帝の発言こそを侮辱ではなく親愛のあるからかいだということに無理矢理すり変えたのだ。
 そしてベラルーダが帝国と友好的関係であることを表向き強調しながら、さりげない言葉の端々にはそちらの言いなりにはならないと宣言するための毒を含ませる。
「本気で、あなたを私のものとして連れて帰れないことが残念だ」
「まだベラルーダに着いたばかりですよ、皇帝陛下。こんなものが欲しければ、いつでもお相手いたしましょう。ぜひ“遊んで”くださいな」
「こんなに“美味そう”なのに“食えない”とは残念だ」
 食えない皇帝は食えない王に婀娜っぽい笑みを見せると、案内された通りに歩きだした。

 ◆◆◆◆◆

 皇帝歓迎の宴は盛大に行われた。
 美女はいないなどとラウルフィカは言ったが、宴席にはやはり美しく着飾った女たちが何百人と駆り出された。宴に参加する貴族の娘から、料理を運ぶ給仕の侍女まで。
 皇帝は終始機嫌のよい様子で女の美しさを褒め、砂漠地域独特の芸術を含んだ城を褒め、料理に舌鼓を打ち、ラウルフィカとも周囲の者たちとも和やかに会話した。
「砂漠の女は帝国の美姫とはまた違った美しさだな。ラウルフィカ王が意地悪を仰るものだから、何より怯えつつ期待したよ」
「まぁ、王陛下ったら、何を皇帝陛下に仰ったのかしら」
「王陛下はこの国の姫君があまりにも麗しいものだから、私に攫われないかと警戒したらしい」
「いえ、皇帝陛下に攫われるのでしたら、皆も本望でしょう。きっと美しい花嫁衣装と馬車を仕立てて堂々と攫ってしまうのでしょうから」
 時折のからかいじみた会話もラウルフィカが全て交わし、ベラルーダと南東帝国の者たちはそれぞれ後ろ暗い思惑を胸に秘めながらも、表面上はただ平和に皇帝来訪初日を終えようとしていた。難しい政治の話は明日以降の話となる。
 優美な外見と不釣り合いにならない程度に気さくさを見せる皇帝は、ベラルーダの者たちにも寛大な態度を見せた。帝国と砂漠地域の国々は文化が違うので、お互いの領域不可侵を守れば少なくとも全面対決になることはない。
 しかしベラルーダ側にとっては、皇帝という存在そのものが国に波乱を巻き起こす嵐であった。


23.貴族

「ここは美しい国だな」
 帝国の衣装では暑すぎると、早々にコートを脱いでベラルーダの民族衣装を着こんだ皇帝スワドは言う。
「砂漠にある国など何処を見ても砂だらけのつまらない外観かと思ったが、そうではないのだな」
「ええ。特にこの王都はどこも創意工夫を凝らして飾り立てていますから」
 スワドの相手をするラウルフィカは、普段より豪奢な衣装を着こんでいた。布地が一見全面生地と同色の刺繍で飾り立てられたもので、動くたびに模様がきらきらと光を反射する。あまりに派手すぎる服はかえってラウルフィカの容姿が持つ美を薄っぺらいものにしてしまうからと、針子たちが工夫を凝らして作り上げた衣装だ。紺のダルマティカの上に白いパルダメントゥムを羽織り、青玉のはまったフィブラで止めている。
 対するスワドは彼の瞳よりも深い緑に、金で優美な鳥の姿を刺繍したダルマティカを着ていた。パルダメントゥムも縁を金で飾ったタイプのもので、とにかく派手だ。精緻な模様の縫い取られた帯と宝石を連ねた飾りを腰につけている。
 二人並べばどちらがこの国の王かわからない有様になりそうな装いの差だったが、幸か不幸かそれはラウルフィカの持つ性質によって避けられた。黒髪の少年王はもとより人々と同じ次元に立つ生き物の生臭さとは無縁のような隔絶された雰囲気を放っているため、誰もが羨む美貌と気迫を更に派手な衣装で飾り立てた皇帝と並んでも引けを取らなかった。
 これが帝国の貴族の衣装を着せられてだったらまた違っただろうが、幸いにもここはラウルフィカの国だ。むしろ完全な異国の人間でありながら、ベラルーダの衣装を颯爽と着こなすスワド帝こそが異質なのである。
「我らの方でもおもてなしの用意を整えてはおりますが、皇帝陛下の方でご希望はございませんか?」
「ありがたい申し出だが、まずはこの王宮を堪能したいところだな。ラウルフィカ王、貴殿が直々に案内してくれるのか?」
「陛下にお許しいただけるなら、喜んで」
 スワド帝は皇帝とベラルーダ王としてというよりは、どうやら個人的にラウルフィカを気にいったらしい。もともとその予定だとはいえ、国内の案内を他でもないラウルフィカがするようにと命じた上、隙を見てはどう聞いても口説き文句としか思えない言葉をかけてくる。そのたびにベラルーダと帝国双方の重臣たちがはらはらと会話の行き先を見守り、ラウルフィカはその場その場で言葉遊びを返す。非常に心臓に悪い。
 今日の午前中などは諸侯の招いた楽団が曲を奏で踊り子たちが舞う中で、肩を引き寄せて胸元に抱きしめられた。あの踊り子たちよりも美しいなどと言われ話の矛先をそらすために、ラウルフィカは王でありながら皇帝の前で舞いを披露することとなった。
 西大陸や東でも帝国などにはない習慣だが、砂漠地域のベラルーダでは貴族が「ダンス」ではなく芸としての「踊り」を嗜むこともままあることだ。結果的には自国の文化をさりげない流れで披露した形となるが、このようなやりとりが何度も交わされるたびにラウルフィカは消耗する。
 これまでのゾルタとの言い争いや、ザッハールやナブラに美しい美しいと無駄に褒められ続けて来た経験が初めてまともに役に立ったのかもしれない。彼らのような不遜な男たちのせいで自分が対外的にどう見えるかを十二分に理解していたおかげで、今のラウルフィカは皇帝のからかいにいちいち目くじら立てることもなく、うまくかわすことができている。これが蝶よ花よと箱入りで育てられた王子様ではそうはいかない。
 その日の昼食は、前日の宴と違って多くの貴族たちを招かず、スワド帝とラウルフィカ王ほぼ二人のみで摂ることとなった。名目上二人きりとは言え、皇帝と王である以上もちろんそばに人がついている。帝国側では皇帝の従者と騎士が、ベラルーダでは従者たちに加えカシムと、宰相のゾルタも同席していた。同席とは言うが同じ室内にいるだけで、皇帝と王二人きりの昼餐には参加していない。
 砂漠地域の文化は帝国とは大きく異なる。その日の昼食に出たものは、軽食のように手でつまんで食べられるものばかりだった。手づかみで食事をするという文化は、他の地域にはなかなかない。
「ほう、面白いな」
「お望みでしたら、召使に食事を口元まで運ばせることもできますよ」
 貴族の中にはそれを一種のステータスにしている者もいる。とはいっても貴族は普通毒殺を警戒して食事に関しては用心するものだから、それよりもパルシャのような成り金が多いか。高価な絨毯の上で寝そべって奴隷たちに団扇で仰がせながら、左右に侍らせた美女に食べ物を口元まで運ばせるのが「贅沢」とされるのだ。
 ラウルフィカの口からそれを聞いた皇帝は、楽しそうな笑みを浮かべながら言った。
「それならばラウルフィカ王、私は美女よりも、あなたにその手で食事を運んでもらいたいのだが」
 またもや波紋を呼ぶ皇帝の発言に、この部屋に入ることを許されていた数少ない臣下たちが凍りつく。
「おや、私を御指名ですか」
「ああ」
「生憎、美女ではありませんが」
「私はあなたがいいと言ったのだ。それとも、あなたの手では私の口に直接食事を運べぬ事情でもあるのかな?」
 暗に毒殺でも企んでいるのかと言われ、ラウルフィカもここで引くわけにはいかなくなった。皇帝に一応忠誠を誓っているはずの国の王が毒殺を目論んだなどという妄言を広められるわけにはいかないからだ。
「……それでは僭越ながら、高貴なるお方の隣に侍る権利をいただきましょう」
 ラウルフィカは指示を出し、自らはスワドの隣へと移ると給仕の使用人たちに料理を運ばせた。皇帝が選んだものを、丁寧な仕草でそっとその口元に運ぶ。
 最初の一つは皮を剥いた小さな果物の実だった。デザートにと用意されたそれを真っ先に指定したことを不思議に思いながらも、ラウルフィカは言いつけどおりに果実をスワドの口元に添えた。
「!」
 ラウルフィカの手によって果実を食べさせられたスワドは、唇に触れたラウルフィカの指をそのまま口に含んだ。果実の汁を舐めとるという名目で、行き場のないラウルフィカの指を舌を伸ばしてねぶる。
 あからさまに性的な仕草で舐められた指を解放された瞬間思わず胸元まで引っ込めたラウルフィカに、スワドはくすくすと笑いながら声をかけた。
「どうしたベラルーダ王陛下」
「いえ……お次は何にいたしましょう?」
「私ばかりでなく、あなたも少しは口にするがいい。ほら」
 目を輝かせた皇帝は、あえてとろりとした蜂蜜を指で掬う。器用に零さずラウルフィカの口元まで持っていき、薄く開いた唇に指先を押し込んだ。
「ん……」
 甘い蜜の味と共に舌の上を、口内を蹂躙する指にラウルフィカは耐える。この流れではまさか断るわけにもいかない。それこそ皇帝の差し出したものを口にできないのかと言われて終わりだ。
「どうだ」
「……美味しゅうございます」
「そうか。では次はあれだな」
 スワドの一言で、ラウルフィカはまた彼のために料理を取り始める。その食事風景は、皇帝が満足するまで続けられた。

 ◆◆◆◆◆

「あ〜の〜や〜ろ〜う〜」
「……曲がりなりにも皇帝陛下に対し、そのような言い方はやめろザッハール」
 遠視の魔術でスワドとラウルフィカの昼餐の状況を恨めしげに覗いていたザッハールを、パルシャが嗜める。
 同じ室内に他にナブラがいた。そろそろ昼餐が終わり、宰相ゾルタもこちらに向かっているとのことだ。ナブラはザッハールほど露骨ではないものの不機嫌な顔をしている。ミレアスはこの先戦争になるかどうかは気になるが皇帝の来訪自体に興味はないとして、この場には来ていない。
「やれやれ。それにしても皇帝陛下は王をいたくお気に召したようだのう」
「お気に召しすぎだろうが。一国の王様になに飯運ばせてんだよ」
 ザッハールはラウルフィカを気にいっていることを他の四人に特には隠していない。彼がゾルタたちに黙っているのは、ラウルフィカの復讐の協力をしていることだ。なので、この場では十分に愚痴を吐く。
「俺もあの細い指をちゅうちゅうしたいのにー」
 ザッハールがその欲望を本人の前で口にした日には、冷笑と共に指どころか拳ごと口に突っ込まれて窒息させられること確実だ。
 しかしその発言と先程魔術で映し出された映像を見て心穏やかでないのは、黙って腕を組み壁にもたれて立つナブラだった。共犯の四人の前では間違っても口にはできないが、彼の欲望も言ってしまえばザッハールと似たようなものだ。
 この食事時だけでなく、金髪の美青年がラウルフィカを口説くようになれなれしくその肌に触れるたびナブラの心には黒い波がさざめく。彼に対する時とは違い、スワドに肩や腰を抱かれたり、頬や腕に触れられてもラウルフィカは終始笑顔を保っている。
 権力と言う名の力でラウルフィカをある程度好きにできる皇帝が、ナブラにとっては羨ましくて仕方がないのだ。彼ら五人に対しては当然のことだが、ラウルフィカはあんなふうに柔らかく応対などしない。ナブラに対してもいつもどこか憂いを含んだ表情を向けるだけで、笑顔など間違っても見せてくれたことはない。
 逆らうことも不機嫌な顔を見せることも許さない皇帝は、ベラルーダをというより明らかにラウルフィカ自身を気にいっている。奴隷扱いと言うよりはむしろ恋人のように食べ物を口に運ばせ合う姿は、ナブラの胸中を嫉妬でかきむしる。
 若く美しい、しかも強大な権力を持ち自信に溢れた独身皇帝。これまで自国内ではナブラは人から称賛を受ける男の頂点に立っていた。その自信があの皇帝を見た瞬間簡単に覆されてしまった。しょせんこちらはどんなにえらぶろうとも一介の小国の公爵、向こうはこの大陸の五分の一を支配する皇帝。劣等感に加え、彼のここ数年の癒したる相手まで皇帝は何の抵抗もされずに好きにしているのだ。これで嫉妬しないはずがない。
 実際にスワドのラウルフィカに対する態度は度を越している。伽をしろと迫るのも時間の問題かもしれない。当面のプグナという敵を持つベラルーダは、ここで皇帝の機嫌を損ねるわけにも行かず、それにつけこまれる可能性は十分にある。
 ナブラが自分の想像に自分で腹を立てる頃、ようやく昼餐が終わったらしいゾルタがやってきた。昼餐とは言っても宰相自身はまだ昼食を食べていないので、彼への食事がすでにこの部屋には用意されている。
「見ていたか」
「見たともさ」
 不機嫌なザッハールの様子に聞くともなく答は知れている。ゾルタは飲み物で唇を湿らせながら言葉を発した。
「皇帝は我らが王を“御所望”だ」
「さすがにあれは止めたほうがよかったんじゃないか? 宰相」
「皇帝のからかいなら、何度か口を挟んださ。しかし“このような御遊びも許さないとは、ベラルーダの宰相閣下は随分な堅物らしい”と言われてはどうしようもあるまい」
 ゾルタは全てを黙って見ていたわけではない。あまりにもラウルフィカがはいはいとスワドの言うことを聞くのでは、ベラルーダの威信に関わる。そう考えて何度か口を挟むが、皇帝は口が上手くいつもかわされてしまうのだ。長年の「調教」の成果か、ラウルフィカが皇帝のからかいに素直に従うか無難にかわして弱味を見せないことだけが救いだが、それもいつまで通用するかわからない。
 そういったゾルタの思惑と、先程までナブラの考えていた心配は違った。
「やれやれ。今度ほど、あの王子が姫であったらと思ったことはないな。女であれば遠慮なく皇帝に差し出せるというものを」
「……何?」
 ラウルフィカをスワドに渡すことに関しては何も思っていなさそうな宰相の言葉に、ナブラは半分ほど眉をあげる。
「……宰相閣下、まさか貴公は陛下を皇帝に差し出すつもりではなかろうな」
「そこまで要求されるかは皇帝次第だが、そう言われれば差し出すしかないだろうな。しかし王女ならばともかく男の王が皇帝に身売りして便宜を図ってもらうなどと言われるのは外聞が良くないだろう。王女であれば理由を考える手間が省けるのに、男王の場合はこの表向きの理由を考えるのが面倒だ」
「……!」
「いや、まぁちょうどよい理由さえ思いつけば逆に好都合とも言えるか。わざわざ皇帝の機嫌を取る手間が省け、小僧の身体一つで問題が片付くのだから。持つべきものは、美しいだけで中身のない、御しやすく無能な主君だな」
 あっさりとそう言って食事を始めたゾルタに、ナブラは背後から怒りのこもった眼差しを向ける。ワイングラスを持つ手を止めて、ゾルタが不意に思いついたように言った。
「そうだな……今回皇帝が来訪された返礼として若い国王を留学させるという名目ならば、二、三年は王子を帝国に預けても良いか。即位して五年、成人直後のこの時期であれば今更我らが簒奪の機会を伺っているという噂も立たぬであろうし。むしろそろそろ一人立ちのための修行だとでも言えば諸国には通じるだろう」
「え……ちょっと待った宰相。まさか本当に陛下を帝国に差し出す気なのか?」
 ザッハールが心底驚いたように言うのに、ゾルタは笑いながら返す。
「何か不都合でもあるのか?」
「だってせっかくここまで……」
「何ならお前も帝国に行けばいいだろう、宮廷魔術師長。孤児あがりの魔術師であるお前はこの王宮に縛られているわけでもあるまいし。それにどうせラウルフィカが皇帝と手を結んだり完全に我らの手を逃れようとしないように監視は必要だ」
「あ、そか」
 ザッハールは無責任にもそれで納得したらしく、ゾルタの意見に反対はしなかった。だがナブラは二人のこの会話に内心で冗談ではないと叫んでいた。
「……だが宰相、やはり成人を迎えた国王を何年も留学させるなど不自然ではないか?」
 魔術師長という役職以外に身分を持たないザッハールとは違い、世襲貴族の公爵であるナブラはおいそれと自国の領地を離れるわけにはいかない。つまり、ラウルフィカが帝国に行ったら離れ離れだ。
「それはそれで、プグナへの宣戦布告程度にはなる。この時期に国王が帝国と親密さを強調するのだ、そう不利益でもなかろう。帝国とのつながりを強くすれば、自然とプグナへの牽制になる」
 まだ皇帝がラウルフィカをどうするか肝心の答を得てはいないわけだが、ゾルタの頭の中ではすでに幾通りもの計算が巡らされていた。こう言う時のゾルタを止める手立てがないことは、長い付き合いのナブラたちにもわかっている。
 ナブラの中に、言葉にならない焦燥が芽生え始めた。


24.伽

「愛していると言ってくれ」
 いきなりの懇願に、ラウルフィカは目を丸くした。突然現れて人をいつものように女装させたかと思えばこの台詞。
「な……ナブラ?」
「私を愛していると……」
 着替えさせられたラウルフィカは、今ナブラに両手首を掴まれ壁際に追い詰められていた。顔の横に持ちあげられた手首で、ゾルタにつけられた金の腕輪が揺れる。
「いきなり何を……ん、んんっ」
 ラウルフィカの口からすんなりと望む言葉が得られそうにないと知ったナブラは、腕の檻で閉じ込めた少年に無理矢理口付けた。紅を刷かずとも艶めく唇の僅かに空いた隙間から舌を差し込む。ラウルフィカのはかない抵抗をものともせず、閉じられない唇の端から唾液が零れるまで長く長く口内を蹂躙する。
「あ……ナ、ナブラ! 何をするっ!」
 いつもはほとんど抵抗を見せないラウルフィカも、今宵ばかりは違った。そもそも今日はナブラが部屋に来る番ではないはずだ。
 口元を袖で拭うラウルフィカの姿に、ナブラはまるで裏切られたような衝撃を覚えた。これがいつもの「少年王」姿であればまだマシだったろうが、少女の顔をした彼に拒絶されるのは自分でその格好を強制したくせに、酷く堪えるのだ。カッとなって彼は叫んだ。
「お前は私のものだ!」
「おっと、そうなのか?」
 その時、場違いに穏やかな美声が部屋の入口の方から届いた。はっと二人して振り返れば、鮮やかに人目を引く金髪の美青年の姿がある。
「へ、陛下。申し訳ありません。皇帝陛下が……」
 非常にすまなそうな顔をして、スワドの背後につき従ったカシムがラウルフィカに頭を下げた。権力や身分に弱すぎる彼には、皇帝を押しとどめることなどできるはずがない。
 侍女たちも下がりあとは眠るだけ。このような時間帯にも関わらず皇帝は案内役のカシムの他は、共の一人も連れていなかった。
 部屋に焚かれた香りを心地よさげに嗅ぐ仕草をして、皇帝はちらりと意味深な目を壁際で言い争うラウルフィカとナブラに向けた。
「ラウルフィカ殿に用があってやってきたのだがな。どうやらお邪魔だったようだ」
「いいえ。そのようなことはありません、皇帝陛下。どうぞこちらへ。私は隣で着替えて参りますから。カシム、侍女を起こして御茶を用意するようにと。ナブラ、お前は出ていけ」
「その必要はない」
 接客されるべき皇帝自身がラウルフィカの出した指示を無視し、咄嗟にナブラを振り払った彼のもとへと歩み寄る。
「あなたはいつも美しいが、今日は格別だな。この衣装は、彼が?」
 ラウルフィカの頭を飾る深紅のヴェールを手に取りながら、スワドはナブラへと視線を向けた。何の抵抗もなくラウルフィカの肌に触れた皇帝に、ナブラは瞬間的に殺意を抱く。
「ええ……っあ、皇帝陛下!」
「スワドと呼んでくれて構わないぞ。私はもっとあなたと親しくなりたいのだ。ふうん、こんな格好をしているから実は女という愉快な話も考えたのだが、身体は間違いなく男だな」
 無遠慮にも堂々とラウルフィカの服の胸元に手を入れて素肌をまさぐった皇帝は、楽しそうに笑う。彼はその手を今度は下衣の隙間から差し入れた。
「こちらの方はどうかな」
「ああっ!」
 びくんと大きく体を震わせたラウルフィカの様子に、衣装で大事な部分は見えないながらも同じ室内にいたカシムとナブラはぎょっとした。
「カシム、ナブラ! 二人ともさっさと出ていけ!」
「し、失礼いたします!」
 紅く染まった目元でラウルフィカが睨みつけると、カシムはこの場にいることが耐えられないとばかりにさっさと部屋を出ていった。しかし、ナブラの歩みはどうにも鈍い。ようやく振り返ろうとしたところで、皇帝が彼を引きとめた。
「待て」
「皇帝陛下、一体何を――」
「余興だよ、ラウルフィカ。この方が楽しいだろう? 人目がある方が興奮できる」
「な……」
「さぁ、遊びを始めようじゃないか。それとも、逆らうか? それでもいいぞ。あなたが私に従わない分は、この国から別のもので返していただくことにしよう。さぞや莫大な額になることだろうな」
「わ……たしの、からだ、など、そんな大層なものでは……ぁ……」
 いまだ衣装の隙間から入り込んだ手に下半身を蹂躙されているラウルフィカは、切れ切れにそう答えた。
「そうかな。この美貌、この真珠のような肌。誰もが惑わされずにはいられない」
 言いながらラウルフィカの襟ぐりから覗く鎖骨に舌を這わせたスワドは、そのまま視線を壁際に所在なく立ちつくすナブラへと向けた。
「男を惑わす魔性の美貌。あなたの存在自体が罪深い」
 自分の見ている前で、ラウルフィカが男の手に好き勝手に弄ばれながら頬を赤く染めて喘ぐ姿はナブラの自尊心に傷をつけた。スワド帝はそうしたナブラの心の動きを熟知し、嫉妬に表情を歪めるナブラの様子まで含めてこの状況を楽しんでいる。
「ラウルフィカ」
「は……い」
 決して皇帝には逆らうことなかれ。砂漠地域の小国の王としては、それは絶対の不文律だった。名誉の問題として行為自体を拒否するならまだしも、一度了承してしまえば後は何をしてもいいと承諾したも同じ。他の男たちの前では耐えて見せる快感への反応も、こらえずにそのまま表に出す。
「あなたの方から私に口付けてはくれないか? 我らの友好の証にな」
「はい……」
 ラウルフィカはスワドの背に腕を回すと、自分より頭一つ分背の高い皇帝のために背伸びするようにして口付けた。
 応えるスワドはねっとりと舌を絡ませ、時折零れる吐息も艶めかしい濃厚な接吻を交わす。壁際でその様を見ていたナブラがぎりぎりと歯噛みする。
「……いい子だ」
 自分から仕掛けたはいいが最終的にはスワドの舌技に負ける形で腰砕けになったラウルフィカが、皇帝の着衣に縋りながらずるずると床にへたりこむ。
 スワドは底知れない笑みを浮かべたまま、ラウルフィカを軽々と抱き上げて寝台へと運んだ。華奢な身体をたくましい腕で組み敷くと、ラウルフィカの胸元を肌蹴させ、傷一つない白い胸に吸いついた。
「あ、んくぅっ」
 貴人の繊細さと軍人の武骨さの両方を兼ね備えた大きな掌が、ラウルフィカの下腹部を弄ぶ。下を攻めながら、同時に乳首をかり、と甘く噛む。
「ふっ、んん、ん、ひぁ、あっ」
「ふふ、もうこんなに濡らして、清純な見た目とは裏腹の、随分いやらしい身体だな」
 とろとろと蜜を零すラウルフィカ自身を指してのスワドの台詞に、ラウルフィカが白い肌をカッと紅く染める。
「こちらの具合はどうかな」
「あぅっ……、」
 スワドが衣装のひだをかきわけ、白い尻の奥まった部分にいきなり指を入れようとする。これまで五人の男に何度も抱かれてきたとはいえ、自然に濡れない部分は急な挿入に苦痛を訴えた。
「……ああ、すまない。やはり女と違っていきなりは無理だな。さて、恐れ多くもベラルーダの国王陛下に無理をさせるわけにはいかぬし」
 どうしたものか、と言いながらスワドはラウルフィカの腰を大きく抱え上げた。足を折り曲げさせ、局部を彼の眼前に露わにさせる。
「な、何をなさいまっ、ひぁ!」
 ラウルフィカの裏返った悲鳴に、それまで心持ち視線をそらすようにしていたナブラが思わず寝台の上を振り向いた。
「あ、だ、駄目、です! 陛下、皇帝陛下が、そ、そんなことっ! やっ、ん、んん……!」
 露わにされたラウルフィカの尻に、スワドが顔を埋めている。ひとりでに濡れることのない場所を濡らそうと、紅い舌が小さな穴を舐めていた。大きな手のひらは肉付きの薄い尻を強引にかきわけて穴を広げている。軟体動物のような舌がちゅぷちゅぷと音を立てて出し入れされる感覚は、ラウルフィカにも慣れぬものだった。
「やっ……ぁあ、あん、んっ」
 抵抗をしてもいけないのだがこの状態で無抵抗というわけにはいかずラウルフィカは口では拒絶の言葉を吐く。しかしスワドの舌で犯される事に対して、言葉よりも雄弁に彼の分身が快感を主張していた。そそり立ったものは腰を高く上げられた不自然な体勢のせいで、ラウルフィカ自身の腹の辺りにぽたぽたと先走りの滴を零す。
「あ、駄目……や、やめっ、おやめくださいませっ」
 懇願を聞き入れてか、スワドはようやくラウルフィカの尻から舌を離した。しかし彼は流れるような動作で、これまで自分が舐めていた場所に指を埋め込む。十分な潤いを与えられた場所は、長い指を難なく呑みこんだ。
「うぁっ」
「先程より随分と楽そうだな。これならば私のものを受け入れても大丈夫か?」
 奥を探られ、内壁を擦られてラウルフィカがびくびくと胸を震わせる。
「いいか、ラウルフィカ」
「……は、い。ください。陛下のもの……」
 ナブラが見ている前で、ラウルフィカは頬を上気させ瞳を潤ませて、皇帝のモノが欲しいとねだる。
「ふふふ。いい子だ」
 スワドはラウルフィカを四つん這いにさせて後ろから貫いた。抱くと言うよりも犯すというのが相応しい体勢で、
 たくましい体躯に見合った立派なモノが、優雅でありながら暴力的な匂いを漂わせ、翻弄するように強引に中へと侵入する。良い部分を探り当てると、もったいぶらずにガツガツとその場所を攻め立ててラウルフィカに嬌声を上げさせた。
「あん、ん、んっ、陛下……!」
「はは、素晴らしい締めつけだな。見た目だけでなく、中身まで極上の身体だ。とろとろに熱くて、ぎゅうぎゅうと吸いついて来る」
 細い腰を乱暴に抱いて、肉のぶつかる音がするほど激しく中を突く。壁際でその様子を目を逸らすこともできず見ていたナブラは、悔しげに唇を噛んだ。
「ああ……!」
 二人分の白濁で、ナブラがラウルフィカに着せた衣装も見事に汚れてしまっている。
 欲望を吐きだして力の抜け切った様子のラウルフィカを腕に抱いたまま、スワドは更に彼にあることを言うように強要した。
「なぁ、ラウルフィカ。私を愛していると言ってみて御覧」
 その言葉に反応したのは、ラウルフィカ自身よりも壁際で痛い程に拳を握りしめていたナブラだった。
「私が好きだと、誰よりも愛していると」
 額がつくほどの至近距離で見つめ合いながら囁くスワドの求めるままに、熱の名残で赤い顔をしたラウルフィカはその言葉を口にした。
「愛しております、皇帝陛下……いえ、スワド様。誰よりも、お慕いしております」
 潤んだ瞳で告げたラウルフィカを腕に抱き、スワドはその唇に口付けを落とす。しかし彼は完全にラウルフィカと二人きりの世界に入っているわけではなく、口付けを終えて離れる寸前、瞳だけをナブラに向けて勝ち誇った顔をした。
 カッと、ナブラの頭に血が昇る。何も考えられず、その手は懐に触れたものを手にしていた。部屋に焚かれたきつい香のかおりに頭がくらくらする。
 彼が望んでも望んでも得られなかった言葉を、その権力であっさりと手にした皇帝。美しい容姿に恵まれた環境、他者が羨む能力、人を従わせる気品、何もかもを持って、誰かの前で跪いて苦労したことなどない。その男が、今ラウルフィカまで自由にしている。――それはナブラにとって許しがたいことだ。
「ふざけるな……勝手にこの国をかきまわし、何もかもを奪おうなどと」
 ぶるぶると怒りで震える、その手が握りしめているのは短剣だ。
「私のものを貴様などに奪わせてなるものか!」
 憎悪と怒りが理性に勝ち、その切っ先が皇帝へと振りおろされる。
「――!!」
 室内に鮮血が飛び散った。


25.始末

「この馬鹿者が!」
 宰相ゾルタが公衆の面前でナブラを殴り飛ばした。
 集まった貴族たちがそこかしこでざわつく。声を潜めようと努力はしているが、この人数で、事が事だ。どうしてもざわめきは収まらなかった。
「貴様はベラルーダ貴族として何をしたのかわかっているのか?! 皇帝に刃を向け、自国の君主に怪我をさせるなど……!」
 武官としての鍛錬を積んでいたこともあるゾルタに思い切り殴られては、文官のナブラなどひとたまりもない。盛大に頬を腫らして床に倒れ込んだナブラは、俯いたまま顔を上げることはなかった。――放心状態だ。
 これまでナブラを拘束していた衛兵二人も、宰相の登場に後ろへと下がっていた。誰もナブラに手を貸す様子はなく、謁見の間は痛い程の沈黙に満ちている。
「もういい! この男を牢へと連れていけ!」
 ゾルタの合図で、兵士二人がナブラの腕を掴みあげひっ立てる。いまやベラルーダ最高位の貴族の立場は地に落ちた。この騒動に呆然とする者、ナブラの失脚を喜ぶ者、帝国との関係に罅が入ることを案じる者、それぞれの思惑を胸に秘める中、罪人となったナブラが兵士たちに護送されていく。
「宰相閣下、陛下の御容態は……」
 貴族の一人が尋ねた。この場にいる者たちの関心事はそれだ。ナブラに受けた傷が元でラウルフィカが亡くなり、スワド帝の機嫌をも損ねることになればベラルーダは間違いなく帝国に潰される。いくらゾルタが有能であると言っても、そんなことになればベラルーダの独立を保つことは難しい。
 しかし貴族たちの心配ごとのうち一つは杞憂に終わった。ラウルフィカは軽傷だ。
「陛下のお怪我に関しては問題ない。医師と魔術師長が手を尽くした。意識もしっかりしているし、すぐに話もできる」
 おお、と安堵のざわめきが貴族たちの間に広がる。国王が有力貴族の手で死亡すれば普通の国ならば自らが権力を握る機会だと喜べるかもしれないが、今のベラルーダではそれは悪夢以外の何ものでもない。だが、少なくともラウルフィカ王は無事だ。
 ゾルタは一度完全に場を鎮めると、謁見の間に皇帝と国王を通した。皇帝スワドの様子はいつも通りに見えるが、国王ラウルフィカの方は顔色が紙のように白い。包帯は見えるようなところには巻いていないが、怪我をした分血が足りないのだ。
 ナブラがスワドを刺そうとした瞬間、ラウルフィカは皇帝と臣下の間にその身を割り込ませた。刃はラウルフィカの背中から腕を斬り裂いたが、皇帝は一筋の傷もなく無事だ。
 しかし一連の出来事を皇帝がどう受け取るかはわからない。刃を向けられたことを不快としてベラルーダと敵対するのか、実質被害はなかったとして寛大な処置をとるのか。
 そもそも、皇帝が何故ナブラに刺されるようなことになったのか。これまでのスワドのラウルフィカへの態度から、ここに集まった人々には大体の予想がついていた。それに対してどう申し開きがあるのか。
 普段は自らが座っている玉座にスワドを通し、ラウルフィカはその目の前で跪き頭を垂れた。
「こたびは我が臣下の不敬、皇帝陛下にはお詫びのしようもなく」
「ああ、いい、いい。あの男が暴走したのは自分の王を守ろうとしてのことだろう。たいした忠誠心ではないか」
 意外にもあっさりした様子でラウルフィカの謝罪を遮った皇帝の様子に、ベラルーダの貴族たちはほっと胸を撫で下ろした。ただでさえプグナとの小競り合いに頭を悩ませているのに、帝国を敵に回すなど冗談ではない。
「しかし、そうだな。私に刃を向ける者がいる国をそう簡単に許してやっては、こちらも南東帝国の皇帝として示しがつかないんだ」
 寛大な言葉の後に付けたされたそんな台詞に、貴族たちの顔色が変わった。国土も財も労働力も全てが帝国に劣るどころか、比べることもおこがましい程小国であるベラルーダに、皇帝に差し出せるようなものなど彼らには思いつかなかった。それこそ国ごと帝国の植民地となるくらいしか。ここで皇帝にそう言われても、皇帝の機嫌を損ねて戦争を仕掛けられてもこの国が辿る末路は同じ。
 ラウルフィカは貴族たちの緊張には素知らぬ顔で、表情を変えずに尋ねた。
「何をもって、忠誠の証だてといたしましょう?」
「そうだな」
 形良い唇を楽しそうに歪め、皇帝は玲瓏な声で告げた。
「砂漠地域プグナ王国領、というのはどうだ?」
 謁見の間に緊張が走る。
「何もプグナの上がりを全て寄越せというわけではない。ただ、あの国は我が帝国にとっては目障りなんだ。こちらの言うことには従わず、ベラルーダのように親帝国派というわけでもない。だからできれば、あの地域の実権をベラルーダに握ってもらいたい。これでどうだ?」
「帝国への忠誠と同時に、この砂漠地域の覇者となるだけの実力を示せ、ということですね?」
「そういうことになるな。ラウルフィカ王。やりがいがあるだろう?」
 やりがいも何も、それができないからこれまでどうするか何年も会議で無益な議論を繰り返して来たのである。しかも皇帝は、和睦による戦争回避の道は認めないとまで告げた。ベラルーダは何が何でもプグナを降伏させ自国の支配下に置かねばならない。
 皇帝の来訪までは帝国に兵を借りるという案もあったが、今回の出来事で目論見の全ては水泡に帰した。ベラルーダ側はあくまでも、全て自分たちの力でプグナに勝利せねばならない。その負担は大きい。
 ラウルフィカが顔を上げた。しっかりと皇帝の顔を見据え、挑戦的な笑みを浮かべる。
「――ええ、とても」
 ベラルーダ国王としての彼の実力を試しているとでもいう皇帝の眼差しにラウルフィカは真っ直ぐに応えた。これまで息を殺していたベラルーダの貴族たちも、皇帝がこうして幾つもの国を追い詰めるところを見て来た帝国の臣下たちも、皆が大なり小なりの動揺を見せた。
「我が臣下の不手際に対し、寛大なる御処置を感謝いたします。我がベラルーダは皇帝陛下への忠誠の証だてに、必ずやプグナ王国を手に入れてみせましょう」
 宰相に意見を伺うこともせず、ラウルフィカは堂々と言いきった。愕然とするゾルタの顔を見て、ベラルーダの貴族たちは、どういう顔をするべきかもわからない。彼らの知らないところで、歯車が動き出している。
 あまり長く時間をとらせるとラウルフィカ王の怪我に障るという理由で、その場は早々に収められた。しかし国王が、皇帝が、宰相が退出してもベラルーダ側の人々の動揺は収まらなかった。

 ◆◆◆◆◆

 宰相ゾルタは国王ラウルフィカの部屋へと戻る前に、まず地下牢のナブラのもとへと足を運んだ。見張りの兵士を威圧して下がらせる。彼の他にミレアスがついてきている。
「さ、宰相」
 人の気配に鉄格子の中で顔を上げたナブラが憔悴した様子でゾルタを呼ぶ。
「無様だ。なんという愚かなことをしたのだ、ナブラ」
「わ、私も自分が何故あのようなことをしたのか……! ただ、頭に血が昇って何も考えられなくなって……」
 ラウルフィカを刺した後、我に帰ったナブラの精神はぼろぼろだった。自分が皇帝に刃を向けたことも、ラウルフィカに怪我をさせたことも信じられない。だが斬り裂いた肌の感触が確かに手に残っている。
 ラウルフィカの傷は幸いにも深くなかった。普通の剣で斬るように刃の短い短剣で薙いだため、傷の範囲は広くとも傷自体はそれほど深くならなかったのだ。
 だが、あの白い肌が斬り裂かれ血が吹き出る感触。堪えてはいたが、苦痛に歪んだ表情。思い出すたびに大の男の体ががくがくと震える。
「これだから戦場を知らないお貴族様は……」
 ミレアスが心底呆れたように侮蔑の眼差しを送った。普段彼を野蛮人だと罵るナブラの軟弱な精神に、ミレアスは蔑み以外の視線を向けることができない。
「ナブラ、皇帝陛下の寛大な御処置により、お前への処罰は自領地への謹慎と決まった」
「え……」
「今後お前は、死ぬまで自らの領地に蟄居だ。財産を没収されるでもなし、一族郎党処刑されるでもなし、爵位を剥奪されるわけでもなし、実に寛大な処置だろう」
「そ、そんな……では、私は、もうこの王宮に来ることは……」
「できぬな。この牢を出たら最後、お前は領地に戻りそこから出ることはなくなる」
「ラウルフィカは?! ラウルフィカに会わせてくれ! 話を……ッ!」
「……誰のせいで、今この国がこんな目に遭っていると思っている? 多忙な国王を貴様ごとき罪人に会わせる暇などあるわけがないだろう。そもそも、王子がお前に会いたいと思うのか?」
 鉄格子に縋りつくナブラに、ゾルタは氷の眼差しを向けた。一言だけ吐き捨ててミレアスを伴い踵を返す。
「貴様には失望した。いや、貴様ごときを買い被った私の失態か」
「宰相! 待ってくれ! ラウルフィカを呼んでくれ! こんな状況嘘だ! 待て、待ってくれ……!!」
 地下牢で絶望する囚人の叫び声がいつまでも反響していた。

 ◆◆◆◆◆

「うまくやりましたね、陛下」
「ゾルタか、何のことだ?」
「いつの間に皇帝陛下を手懐けたのです? ここまでの筋書きは、あまりにもあなたに都合が良すぎる。皇帝と共謀して、ナブラを嵌めましたね?」
「さぁ、何のことかな? 私は皇帝陛下を手懐けたりしていないぞ。いろいろお願いくらいはしたが」
 自室にてザッハールの治療を受けるラウルフィカは、まだ顔色こそ悪いがその目には闘志とも呼べる生気が宿っている。ゾルタとその背後のミレアスに、嫣然とした笑みを向けた。
 室内で微かに薫る植物の香のような匂いにゾルタは気づいた。そして胸中で舌打ちする。今はかなり薄まって効果が消えているが、これらの香りには確か人の興奮を促進する作用があったはずだ。すなわちいつもより人を大胆に、暴力的にする効果がある。ナブラはもともとの感情に加えこの香りを吸い込んでいたから衝動を抑えることができなかったのだろう。
 そしてこういった怪しい植物や薬品はザッハールの専門だ。材料を揃えるのが大変だが、それらはパルシャのヴェティエル商会を使えばどうにでもなる。宰相は宮廷魔術師長を睨んだが、彼は素知らぬ顔でラウルフィカの肩の包帯を替えている。
「あまり大胆すぎるのもどうかと思いますよ。御身大切になさいますよう」
「お前の口からそんな言葉を聞けるとは意外だったな、ゾルタ。私はお前たち五人には、自分を大切にする方法は教わらなかった気がするが」
 そう、ここまでのことは、全てラウルフィカの筋書き。
 まさかナブラがスワド帝を刺そうとするまでは考えなかったが、元からのラウルフィカへの執着と優れた権力者への劣等感と香の効果により、何らかの暴走を引き起こして失態を演じるとは思っていた。ラウルフィカはスワド帝と共謀してそれを殊更吊るしあげ、ナブラを追い詰めることにした。それまでも散々ラウルフィカにちょっかいをかけていたスワドは、ラウルフィカが自分を抱いて欲しいとせがめば簡単に話に乗ってくれた。
「プグナとの戦争もあなたが望んだことですか。大見栄を切ったは良いが、あなたごときにプグナを潰すことができると御思いか?」
「宰相こそ、私にそれができぬと思うのか?」
 ラウルフィカとゾルタは、お互い表面上はにこやかな笑みを浮かべたまま睨み合う。ゾルタの背後では、ミレアスが彼らを裏切ったザッハールを睨みつけていた。
「――いいでしょう、陛下。世間知らずで無駄に矜持だけ高い、見た目しか取り柄のないお子様のお手並み拝見といきますよ」
「ああ。忠誠深い宰相閣下、私が今更貴様の手など借りずとも良い事を、立派に証明して見せようとも」
 隣国との戦争と帝国の主までをも巻き込み、復讐劇が佳境を迎える。

 ◆◆◆◆◆

 皇帝は共もつけずに楽しげにベラルーダ王宮の回廊を歩いていた。
 この国に来て一番の収穫は他でもない国王だ。美しい黒髪の少年王は、彼自身さえも利用して面白い余興を見せてくれた。
 時間のある限りラウルフィカを傍に置いていたスワドだ。公的な時間だけでなく私生活でも彼に接触できないかと目論んでいた。ゾルタやベラルーダ側の人間が場を空けることも多く、この国に来ても退屈なだけで別段やることもないスワドは、自ら暇を見つけてはラウルフィカを探していた。そして麗しの王を探して廊下を歩きながら、たまたま銀髪の魔術師との会話を立ち聞きした。
 妬心を煽るだの、誰を貶めるだの、彼らは実に楽しい会話をしていた。
 何もなくてもあの美しさだ。ぜひに抱いてみたいとは思っていたが、まさかラウルフィカの方から彼にそれを乞うとは予想外だった。しかも、とある男の嫉妬心を煽り、暴走させるためにいっそ手酷くしろというのだ。いくらスワドが皇帝と言う立場である以上無茶な頼みごとをされることも多いとは言え、そんな頼みをしてきたのはラウルフィカが初めてだ。
 そうして皇帝と国王は上手く宰相たちの目を盗み、手を組んで貴族の一人を貶めることに成功した。予想外に流血沙汰にもなったが、ラウルフィカは己の怪我にさえ無頓着であった。それがスワドの興味を引いた。
 あの国王は面白い。もっともっとあれで遊びたい。関わってなおスワドのラウルフィカへの興味は尽きない。己の力で支配しつくせる地域は全て支配した男にとって、齢二十にして人生は退屈以外の何でもなかった。だがこの砂漠の小さな国は、そこに住む住人たちが興味深く、もう少しくらい楽しめそうだ。ラウルフィカを抱くのだとて、あれで満足したわけではない。
 飽くなき欲望に一時の充足とそこから派生する更なる欲望。次の渇きをどう癒すのか、皇帝は思索を巡らせる。
 ――と、背後に誰かの気配を感じた。
「誰だ」
「商人でございます」
 柱の影からそう名乗り出たのは、その名乗りに不釣り合いな少年だった。神秘的で中性的なラウルフィカとはまた少し違うが、これも随分美しい。スワド自身より大分淡い色の金髪をした、まだ十五にも満たぬ幼い少年だ。見た目はかよわい少女にすら見えるが、彼は帝国の支配者を臆すことなく見つめ、微笑んだ。
「商人か。このような場所で、売り物を持っているようでもないが何を売る気だ」
「そうですね。貴方様の心の渇きを癒す、愉快な話などどうでしょう? そう、例えばこの国の、麗しきラウルフィカ陛下に関することなど」
「ほう……」
 底知れない笑みを浮かべる幼い商人の姿に、皇帝はまたぞろ腹の中で欲望の蛇が蠢くのを感じる。背筋にぞくぞくと期待の波が寄せて、彼は少年の前に歩み寄っていた。高みから見下ろそうとも、少年はまったく動じる様子を見せない。
 いい目だ、と皇帝は思った。そして知った。
 これは私と同類だ。
「その話、ぜひ聞かせてもらおうか」