13.蝋燭

 薄暗く月明かりだけが差しこむ室内に悩ましげな声が響く。
「ああッ……!」
 否、悩ましげと評するにはいささか苦痛がその声音には勝ち過ぎている。苦鳴の後にはこれ以上の無様を厭うかのように、きつく歯を食いしばる仕草がなされた。
 その細い顎を、鍛えられた軍人の武骨な腕が掴む。掴まれた方の相手とは肌の色からして差があり、凌辱される者の儚げな美を引きたてていた。
「相変わらず良い声で鳴くな。王様」
 組み敷かれている美貌の少年はラウルフィカ。組み敷いている男はミレアス。
 前者はこの国の国王であり、後者は軍の上級大将の一人だ。立場が上なのは少年の方、けれど男はそんなこと意にも介さずに、少年の腕を荒縄できつく縛りあげる。
「う……」
 ぎりぎりと食い込み、ちくちくと肌を差す縄の痛みにラウルフィカはただ耐える。彼がここで声をあげたところで、助けに来てくれる者などいないのだから。
 ラウルフィカを蹂躙する五人の男たちの中でも、このミレアスは特に厄介な相手だった。普通の行為では満足せず、必ず暴力を振るうからだ。王を守るべき軍人の一人でありながら、契約により逆らえないラウルフィカを加虐趣味のミレアスはちょうど良い玩具として甚振るのだった。
 縄で手足を縛られたラウルフィカは、ミレアスの手により寝台から放り出された。敷物一枚敷いただけの素っ気ない床の上で、とうに衣服を剥かれた裸身を晒す。
 気候の問題から言って、ベラルーダでは王といえそれほどの厚着をしてはいない。ダルマティカの上にパルダメントゥムというマント状の上着をはおり、飾りピンのフィブラで留めているだけのものだから、脱ぎやすいと言えば脱ぎやすい。
 しかしそれにしてもミレアスのやり方は乱暴で、いつも衣服を脱がせるというより剥ぐと言う方が正しい。それを見越して本来王が着るような物ではない安物生地まで使っていたが、それでも何枚服を破いたか知れない。
 本日も早々に服を剥かれたラウルフィカは、いまや隠すものもない裸身を荒縄の拘束に彩られて晒すのみ。乱れ散る黒髪の優美さが、それでなくとも男の劣情をかきたてる。
 後手に縛られているため、腕が邪魔で完全に倒れることもできない。体を斜めにした中途半端な体勢から、ラウルフィカはミレアスを睨みあげる。
 そんな微かな抵抗さえ、ミレアスにとっては楽しみにしかならなかった。強気な眼差しを寄越しても本当は次に何をされるかわからずに微かな恐怖を浮かべる瞳というのが、彼の大好物だったからだ。
「綺麗なカラダだな、王様」
 にやつきながらミレアスは言う。他の者ならばそれは美に対する純粋な賛美の言葉だろうが、この男の場合は違う。
「昔はあまりにちっこくて、うっかり間違って死んじまわないように手加減しろと宰相殿に言われていたが、もうそんなこともねぇよな?」
 案の定ミレアスの唇から吐き出されたのは、ラウルフィカにとって不吉な言葉だった。彼は最後の仕上げだと、ラウルフィカの口元に布――猿轡を噛ませて言葉を封じた。
 声を封じられる時は、大抵悲鳴を上げるような酷いことをされる時なのだ。ラウルフィカは険しい眼差しを変えないまま、背中に冷汗をかく。ラウルフィカが成長して多少は苦痛を堪える術を学ぶと、最初の頃のようにミレアスに無理矢理口を塞がれることも少なくなったのだが……。
「今日はこんなものを用意してな」
 楽しげなミレアスの手にあるのは、赤い蝋燭だ。それがどのように使われるのかは、ラウルフィカも知っていた。だが、これまで自分に対し使用されたことはない。
「綺麗な白い肌だな。ここに赤を垂らしたら、さぞや映えるだろうな」
 裸の胸を撫でながら言うミレアスに、ラウルフィカは殺しきれなかった動揺を小さく見せてしまう。獰猛な捕食者の瞳が、歪むように笑った。
「さすがに未知の感覚は怖いか? 最近じゃそんな顔をすることも少なくなってたってのになぁ?」
 ミレアスの手がラウルフィカの髪を掴んで頭を少し持ち上げると、ラウルフィカの顔が苦痛に歪んだ。くぐもった悲鳴が猿轡に呑み込まれていく。
 ひとしきりその様を眺めて満足したミレアスはラウルフィカの髪を離すと、早速蝋燭に火をつけた。
「俺を楽しませてくれよ」
 熱で溶けた蝋が、ラウルフィカの白い胸に落ちる。画布に赤い花が咲くような光景も、された当人にとっては思わず叫びたいほどの痛みと衝撃でしかなかった。
「んうッ――!?」
 蝋の滴が触れた瞬間、ラウルフィカはびくんと胸を跳ねさせた。衝撃に青い瞳が見開かれ、思わず口に出た叫びが猿轡に吸い込まれる。
 そのうちに冷えるとはいえ、こんな至近距離では落ちた瞬間の蝋はまだ熱を持っている。しかもそれがすぐに離れずにその場にしっかりと貼りつくのだ。
 熱さというよりも一点を射されるような鋭い痛み。すぐに遠のくとはいえ、その数秒間が実際の何倍もに感じられるほどに痛い。
「んんんっ、んッ!!」
 予想以上の反応だったのか、体を震わせて痛みを堪えるラウルフィカの様子にミレアスはごくりと喉を鳴らした。体に貼りついて剥がれない蝋の与える痛みにもがくラウルフィカの姿は、まさにミレアスの求めていたものだったのだ。
「いいな。その顔」
「――ッ!!」
 また一滴、二滴と蝋が胸に垂らされていく。そのたびにラウルフィカは首をのけぞらせ、全身を突っ張らせるようにして苦悶した。
 血とは似ても似つかぬ明るく透明感のある蝋の花が白い胸に次々に咲く。花が増えるたびにラウルフィカは猿轡を噛みしめて苦痛を堪える。
 ミレアスはその様を眺めながら、すでに自分の欲望が膨れ上がるのを感じていた。嗜虐的なこの男にとっては、それだけで十分に刺激を与えられたも同然だったのだ。
 獣じみた息づかいで、苦しがる少年の肌の上に蝋を垂らす。気分はまるで画家だ。白く滑らかで瑞々しい、この最高の画布に赤い絵を描く。
 胸の上はもうあちこちいたるところに赤い花が咲き乱れ、場所を失くしていた。ミレアスはまだ残っている肌の、どの部分に蝋を垂らせばもっと美しいかを考える。
 まずはそう、まだ手をつけていない腹部、脇腹。
「ッ、んっ、う!」
 それにじっとりと汗をかいた白い太腿。腕にも少し。それから……。
「ここにも、いいな」
「――――ッ!!」

 ◆◆◆◆◆

 描いた赤い蝋の花畑を見ながらミレアスはラウルフィカの中で射精を終えた。
 ずるりと男の一物が自分の中から引き出されても、ラウルフィカはぐったりとしたまま動かなかった。猿轡こそあとで外されたが、体力も気力も使い果たしている。蝋の花を壊さないためか、ミレアス自身の屹立の挿入に関しては普段よりいくらか丁寧だったが、そこに至るまでに十分苦痛と恐怖で疲労していた。
「じゃーな、王様。治療にはザッハールの奴を呼んでおいてやるよ。その綺麗な肌に火傷の痕が残ったら困るだろうからな」
 普段国民の前では恭しく国王陛下と敬称を呼んで頭を垂れる男は、今は恩着せがましくそう言って、さっさと部屋を出て行った。ここは城の中の、誰のものでもない一角だ。ラウルフィカの寝室でもない。呼ばなければ医師もザッハールも来ようがないと思っている。
 前者に関しては正解だが、後者は違う。ミレアスが出て行ってすぐにザッハールがやってきた。
「陛下」
 偶然通りがかった風でも装って、怪しまれずに素早く駆けつけて来たザッハールがラウルフィカを抱き起こす。
「大丈夫ですか?」
 最後まで解かれることのなかった腕の縄を外しながら、ザッハールが問う。他者から見れば何故そんなことをわざわざ問うのだと言うくらい、今のラウルフィカの状態は大丈夫という言葉とは程遠い。
 胸に、脇腹にへその回りに、太腿に、腕に、臀部に、そして性器に。ラウルフィカの身体中が赤い蝋で彩られている。後ろからはミレアスの放った白濁がとろとろと漏れだしていて、これもあとでかきださなければならない。
 ラウルフィカはザッハールの問いには答えず、別の言葉を口にした。
「あのクソ野郎……必ずぶっ殺す」
「へ、陛下」
 国王らしからぬ口汚い言葉でひとしきりミレアスを罵ると、ようやくラウルフィカは顔をあげた。
「ザッハール……治療よりこっちが先だ。かきだしてくれ」
 足を広げて自らの穴を自らで広げてみせるラウルフィカの痴態に、ザッハールはごくりと唾を飲み込んだ。
「ですが……やはり、治療を先に」
「蝋の熱さなんて一瞬だ。もう冷えて固まっているし、いつやっても同じだ。それよりも、私は明日腹を下すのは御免こうむる」
「……御意」
 大人しくザッハールが従うのを見て、ラウルフィカは満足の笑みを浮かべた。
 苦もなく滑り込んだ美しい男の長い指で、先程は結局得られることのなかった快感を拾い集める。ザッハールもそれがわかっているため、ことさら中を刺激する優しくも淫らな手つきで、邪魔だと言わんばかりにミレアスの出したものをかきだした。
 ほう、と熱い吐息を零しながら、ラウルフィカは復讐者の陰鬱な笑みを浮かべて言った。
「どうやらそろそろ、ミレアスにも舞台から退場してもらう時期が来たようだ」


14.軍人

 薄着の兵士たちが訓練用の木剣を振りまわす。野外の空気は常に吹き込む清涼な風に散らされるが、それでも僅かに汗のにおいが漂っていた。
「ここが練兵場だよ、レネシャ」
「お連れいただきありがとうございます、陛下」
 ラウルフィカとザッハールは、レネシャに練兵場での兵士たちの訓練の様子を見せるという名目で、練兵場を訪れていた。
 もちろんラウルフィカの権力であれば、自国の兵の訓練などいつでも見物することができる。しかしそれでは、今最も警戒するべき人物、ミレアスの目にも留まらぬはずがない。
 軍人としては上級大将、更に国内を二分する派閥の頂点に立つ男、それが現在のミレアスの立場だ。国王が訓練を視察に来るとなれば当然彼に報告が行かぬわけもなく、何を企んでいるのかと警戒させることとなる。
 レネシャの存在は、そういったミレアスの警戒を解くには最適だった。対外的にはパルシャの息子として名前を知られているレネシャが一緒にいれば、ラウルフィカがレネシャを操っているのではなく、パルシャが何かを考えていると思われるだろう。
 ゾルタをはじめとする残りの三人は、まだパルシャが息子の存在を盾に取られラウルフィカに屈したことに気づいていない。
 軍人としては仕事熱心にも今日も練兵場で汗を流しているミレアスを見ながら、ラウルフィカはそう考える。
 今ラウルフィカたちがいる場所は、練兵場を円状に囲む座席だ。むしろ座席があることを前提に練兵場は作られている。普段は兵士たちの訓練に使われているが、御前試合や剣術大会など何か大きな武舞台を必要とする催し物が開かれる時は、全てここで行うのだ。闘技場と呼んでもいいだろう。
 御前試合を見物する際にはもう少し地面から離れた高みに広く作られた座席に王として座るラウルフィカだが、本日は兵士たちの様子をよく見るために、最前列の席にいた。
「レネシャ、お前は何か気になる人物はいるか?」
 一通りあたりを見回したレネシャに声をかける。
 金髪の少年はラウルフィカに呼ばれると子犬が尻尾を振るように喜びをあらわにして振り返った。そして少し考える素振りを見せると、ここはやはりと言うべきか、ミレアスの方を指差した。
「あの方です。ミレアス上級大将。たしかバドレ家の出身でしたよね?」
「そうだ。現在この国を背負って立つ二大軍人のうちの一人」
 二大とはいっても、そのうちの一人はもはや老齢だ。彼が退役するようなことになれば、軍部はミレアスの独壇場になるだろう。ラウルフィカとしては、それだけは避けたい。
 他にまったくミレアスに匹敵する人物がいないわけではない。だがラウルフィカの敵である宰相ゾルタは彼とは逆に、自分と同盟関係にあるミレアスが軍の権力を掌握していた方が都合が良いために、ミレアスと対立しそうな候補が持ち上がるたびに潰しているのだ。
 自らの権力を維持しようと汚い事は何でもやる彼らの浅ましさが、ラウルフィカのみならず、本来ならば国で相応に実力を評価されるべき未来ある若者たちの将来まで台無しにしている。それは国王として許せることではない。
 だがなまじ、ミレアスが無能ではないからこそ生半な理由をつけて彼を排することは難しい。ゾルタやナブラはミレアスの対立候補を潰すのには一役買ったが、ミレアスが出世するのにはなんら手を貸していないという。その辺りはラウルフィカも探りを入れて聞いたことがある。
 実際、ミレアスは強い。ここでこうして見ていても、彼一人がまるで化け物じみて突出している。
 兵士たちのほとんどは一対一どころか、二対一でも彼に膝すらつかせることができない有様だ。
「噂通り、恐ろしく強い方ですね。ミレアス殿」
「……そうだな」
「父がよく褒めていました。若いうちからあれだけ強いのは珍しいと」
 パルシャはミレアスと同盟関係にあったから自然とそういった発言も口を突いて出るのだろう。だがそれに続く息子レネシャの言葉は違った。
「でも僕は、あの方がそんなに優れた人間には見えません。確かに恐ろしく強いのですが……でも、彼はそれだけの人間のような気がします」
「レネシャ?」
「周囲の人々とのやりとりを見ていればわかります。動きの悪い人を気遣うだとか、周りの意図を汲み取って動くだとか、そういう気配が一切ありません。向こうのジュドー将軍は、事あるごとに部下に声かけしていますよね?」
 レネシャの発言はまさしくミレアスという人物の本質を指摘していた。個人としての戦闘力では群を抜いているが、集団の指導者としての才覚はそれほどではない。それがミレアス。
「個人で強い兵士は褒章を与えるなどしてそれ相応に遇するとして、軍の指導者としてはもっと適役がいるのでは……あっ、す、すみません!! 勝手なことを言ってしまって!」
 レネシャは出過ぎた真似をした自分を恥じるように赤くなったが、ラウルフィカはむしろレネシャの観察力に驚いていた。今レネシャが指摘したことは、常々ラウルフィカも思っていたことだからだ。
「よく見ているな……レネシャ。いや、かしこまる必要はない。お前の忌憚ない意見が聞けて嬉しいよ」
「ほ、本当ですか? 陛下」
 泣きだす前のように目元を薄らと赤く染めて、上目づかいでラウルフィカを見つめてくる。レネシャはいつだって反則的に愛らしい。
「ああ」
 ラウルフィカは思わず口元を緩め、自然と手を伸ばしてその金髪を撫でていた。
 しかし背後で、わざとらしい咳払いが邪魔をする。
「あー、ごほんごほん。陛下、レネシャ殿と仲がおよろしいのは結構ですが、練兵場に来て訓練を視察しないのでは、国王陛下がお出でになるからとはりきっている兵士たちががっかりしますよ」
「……そうだな」
 ラウルフィカはレネシャと共に再び兵士たちの訓練へと視線を戻した。というのは見せかけで、レネシャが訓練の様子に意識を戻したのを見計らい、背後の護衛に視線を向けた。
(何のつもりだ? ザッハール)
(いいえ。別に。俺にはなんのことだかさっぱりわかりません)
 見え透いた嘘をつく魔術師を半眼で睨み、ラウルフィカもまた視線を兵士たちが居並ぶ地面へと向ける。
 名目上はレネシャへ練兵場での訓練の様子を詳しく見せるため。だが、ラウルフィカ個人としてはもう一つ目的があった。むしろそちらが本題だと言っていい。
「レネシャ、あちらの男はどう思う」
「あちら……というと、カシム・レガイン卿ですか?」
「そうだ。ジュドー将軍の一の部下だ」
 淡い茶髪に深い緑の瞳をした、ザッハールより幾つか若い青年へと指を向ける。
「生真面目そうな方ですね。人付き合いが悪いわけではなさそうですが、一人で黙々と訓練していますね」
「そうだな」
「僕は商人ですから、ああいう裏表のなさそうな方は家業では使えなさそうと思うんですが」
 レネシャの評価は結構辛辣だ。商売に偏りすぎだとも言える。しかしその人物像自体は間違ってはなさそうだ。
「でも軍人としてはむしろそういう方のほうが好まれるんでしたよね」
「ああ。上官に虚偽報告をしたり、できないことをできると言うような奴は信用ならんからな」
 カシムという名の兵士は、目立つ容姿と実力の割に品行方正で知られていた。ジュドー将軍自身が高潔な人物で、その一の部下である彼も清廉潔白だとか。王宮に出入りする者の間では面白味がないと言われることも、いつも凛としていて素敵と言われることもある。前者は主に男性からの評価、後者は女性だ。
「陛下は彼を推すつもりなのですか?」
「その通りだ」
「最近の軍部はミレアス将軍の話で持ち切りですからね。ジュドー将軍はすでに老齢ですし、まだ若いカシム卿を盛りたてて二つの勢力を平衡に保つには有効だと僕も思います」
「お前は話が早いな」
 まだ十三歳だというのにここ五年ほどの話を差して「最近」と言ってのけるレネシャにラウルフィカは苦笑する。自分が十三の時、こんなに利口で自国のあらゆる物事に目を向けていただろうか。
 過去は遠ざかるほどに懐かしくなる。それでも思い出さなければ何を感じることもないというのに。最近はレネシャと話すせいか、昔のことを強く思い出すことが多くなった。
 だが、今のラウルフィカにはやらねばならぬことがあるのだ。過ぎ去った時間などに目を向けている暇などない。
 その後もレネシャと意見を交わし、兵士たちの訓練の様子をしっかりと視察した後でラウルフィカは宮殿に戻った。

 ◆◆◆◆◆

 ふいに視線を感じ、彼は振り返った。
 普段は御前試合でもなければ人のいない観客席、今は数百を超す兵が訓練をしているのだから当然閑散としているべきそこに、今日は三つの人影がある。
 一人は銀髪の魔法使い、一人は金髪の少女のような面差しの少年、そして最後の一人は、この国の国王。
 国王ラウルフィカ陛下が視察に来るという話は聞いていた。遠目に眺めれば、隣に佇む金髪の少年と何事か言葉を交わしている様子だ。恐らくあの少年に訓練の様子を見せに来たというところだろう。
 訓練は時間を決めて行われる。かなりの広さの練兵場とはいえ兵士全員が一度に入れる訳もなく、交替で鍛錬するのだ。
 折しも休憩時間に入ると、若い兵士たちが皆して今日の見学者たちの話で持ちきりだった。
「おい、見たか! 陛下のお姿!」
「ああ。見た見た。それに隣にいた金髪の子も可愛かったよなぁ」
 十代から二十代の若い兵士にとって、貴人の護衛は憧れの職の一つだ。特に王宮勤めの兵士ともなれば、誰もが一度くらいは王族の護衛という夢を見るもの。
 王の騎士という言葉はそれだけで庶民の心を踊らすものだが、更にこのベラルーダの現在唯一の王族、ラウルフィカ王の美貌が兵士たちの憧れを倍増させていた。
 艶やかな黒髪をうなじが見えるほど短くしているラウルフィカ王は女性に間違われるということこそないが、その容姿に関しては間違いなく女性的な美しさを持つ美少年だと言わざるをえない。女っぽいというのではなく、男とは思えないほどにただ美しいのだ。中性的とも、あるいは性別を超越した美しさとも言われる。涼やかでしなやか、清らかでどこか儚げな空気はその年代の少年にしか持ちえない硬質さを持っているものの、洗練された物腰から漂う気品が彼をどことなく色香の漂う存在と見せている。
「一度でいいからあの白い御手に触れてみたいよなぁ」
「ああ。こんな視察なんかじゃなく、もっと近くでお目にかかりたいよ」
「――こら、お前たち」
 若い兵士の憧れが一歩間違えれば無礼な方向にまで暴走する前にと、カシムは彼らに声をかけた。聞き耳を立てていた者や、今まさに国王の姿を眺めていた者たちが皆一様にどきりとする。
「か、カシム大将!」
「王族への憧れを抱くのは良いが、あまりに過ぎた会話をするなよ。不敬罪で宰相閣下に首を斬られるぞ」
 カシムもまだ二十四と若いが、ここにいる兵士たちはそれこそまだ十代。上官に叱られて、首を竦めた。
「し、失礼いたしました!」
「へ、陛下のあまりのお美しさについ!」
「馬鹿! 何言ってんだよ!」
 若い兵士たちは、またうっかりと口を滑らせる。カシムは苦笑し、ここに彼らよりももっと年上の熟練兵などがいないのをいいことに、少年たちの憧れに理解を示した。
「確かに陛下は美しい方だ。昔から整った顔立ちの御子だったが、最近ますます美貌に磨きがかかってきたな」
「そうですよね!」
「ばっ、だから何言ってんだよ!」
 調子のよい一人を、もう一人の兵士が宥める。カシムは半分笑いながら言った。
「だがお前たちも男ならわかるだろう? 同性に綺麗だの可愛いだのと言われて嬉しいかどうか。それに陛下はお美しいだけではなく、五年前より立派にこの国をその才気で治めておられるお方だ。そのことを忘れないように」
 美しいだけの王族なら、まぁそれなりに存在する。権力者の元に美姫が送られて来るのはありふれたことで、正妻の子ではなくとも貴族の地位を与えられて可愛がられる王族などいくらでもいるからだ。
 しかし、ラウルフィカ王はそれらの見かけ倒しとは違う。あまりに美貌だけを湛えるのは、それしか彼の取り柄がないようで失礼だとカシムは若い兵たちを諭した。
 カシムの言葉に、二人の兵は納得した。確かにただ美しいだけの王族ならば、こんなにも多くの民の憧れとなることはないだろう。ラウルフィカ王は十三歳で玉座についたということ以外は特に目立つことをしたわけではないが、五年の治世の間、荒事の一つもなく国が穏やかであったために評判はそれなりに良い。
 叱られた二人も、カシムとのやりとりを傍で聞いていた他の者たちも、観客席のラウルフィカに思わず視線をやって思いを馳せた。
 ラウルフィカ王という存在には、大成した少年と美しき貴人という二種類の憧れを向けるに相応しい器量がある。美しくも有能で決して人当たりも悪くない王の存在は、ますます少年兵たちの憧れを強めたようだった。
 カシムは内心でこっそりと溜息をつく。嗜めたはいいが、王の美貌に魅せられた者たちの根本は変わってはいない。
 無理からぬことだと、カシム自身も思う。ラウルフィカ王は美しい。昔は整った顔立ちとはいってもまだ普通の子どもだった気がするのだが、年頃になってからの彼は生半な令嬢など相手にもならぬような涼やかな美しさを誇っていた。
 王族に近付きたいという願望があるのはカシムも同じだ。彼は、貴人の護衛という役目につきたくて兵士になったと言っても過言ではない。
 この人だと心定めた相手に、自分の全てを捧げたい。否、自分が全てを捧げたいと思うような相手に出会いたい。その相手を自分が守るという栄誉が与えられたら、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。カシムが願うのはそれである。
 カシムは何も貴族に取り入って騎士という肩書を得たいわけではない。相手が王侯貴族と言った貴人ならば誰でもいいわけではない。否、もしかしたら誰でもいいのかもしれない。しかしそれは、守るべき相手が自らの理想に適う相手であれば、貴族でなくても構わないという意味でだ。
 美しく有能な国王と言う存在は、そのような相手を欲するカシムにとっても憧れではある。だがカシムは立場上ラウルフィカ王と二言三言言葉を交わすことはあっても、親しく腹の内を割って話したことなどない。国王が人当たり良く気品に溢れ能力的に優れていることは知っているが、それだけとも言えた。憧れはあるが、それはあくまでも憧れであり、全てをかけて守りたいと言えるほどの熱情ではない。
 自身がそういった気持ちであることをわかっているからこそ、カシムは若い兵士たちのはしゃぎように複雑な思いを抱いていた。憧れとは逆にいえば、手に届かない物の名だ。身近に感じるものではなく、自分と遠い存在のことなのだ。だが人が真に守りたいものというのは、行き着くところは結局身近なものなのではないか。
 とはいってもカシム自身、ラウルフィカを彼らと同じく遠い存在だと認識しているのだからあまり偉そうなことを言える筋合いではない。王国のために、王のために命を懸けろと命が下れば躊躇うことなく従う自信はあるが、それはやはり自分が兵士としての理想を貫くだけであって、理想に手が届くこととは違うだろう。
 この人でなければ、と思わせるものがほしい。この人だからこそ命をかけ、自身の全てで守りたいのだと思えるような……そんな存在に出会いたい。
 カシムの願いはそれだけだ。剣の道を極め、それを自分が信頼できる人のために振るいたい。
 彼と並び称される、否、栄達の早さから言えば彼の方がその相手と並び称されるというべきだろう存在に、ミレアスと言う軍人がいる。
 しかしカシムは自分より先を行くその男を嫌悪していた。彼の振るう剣は全てを破壊するだけだ。何を守ることもない。あんな男のようにだけはなりたくない。
 そのためにも、自分は守るべき人が欲しい。
 それだけならば恋人を作れと言われて終わりそうなのだが、カシムは自分が求めるものは、それとはなんとなく違うような気がしていた。それ――恋ではなく、自身が求める熱情は、むしろ……。
 一度だけこの理想を上官であるジュドー将軍に話したことがある。その時ジュドーは、自分にとってその相手とは前王だと言った。ラウルフィカ王の父王こそが将軍にとって守るべき存在だったのだと。誰よりも敬愛する主君に出会えたことこそが、自分の人生の最大の幸福だと。
 カシムも叶うならば、そのような相手に――生涯の全てを懸けてもいいと思える主君に出会いたい。
 それがラウルフィカ王なのかどうかは、彼にはまだわからない。

 しかし転機は、すぐそこに訪れていた。


15.屋外

 ――人間は、身分というものに夢を見る。
 それはどんなに優れた人間でも、愚劣で低俗な輩でも関係ない。
 子どもたちが「お姫様」や「騎士」に憧れること、大人たちが「王」や「貴族」といった身分にひれふすこと。更には、その身分の中にいる者たちでさえ夢を見る。
 それには心が純粋であるかどうかなど関係がない。野心があり自惚れの強い傲慢な貴族や有能な庶民が、愚図な王侯貴族を見下して「自分ならもっと上手くやれる」と思うことだって、結局は子どもたちの憧れと変わらない。どちらも「国王様」「貴族様」と言った「身分」が素晴らしいと思っていることには変わらないからだ。例えその身分を持っている人間がどれほど下らない人物でも、悪いのは身分ではなくその人間だと考える。
 国王という、一つの国家の中で頂点に立つ身分に昇ることによってラウルフィカはそれを知った。
 身分はこの国一偉い人間でも、実際のラウルフィカの権力はそうではない。そして、だからこそ、ラウルフィカは身分のくだらなさを思う。どうせ国一番優れた人間でもないと見下すくらいならば、国王という身分ごと自分から奪っていけばいいのだ。国王としての彼の立場からすれば、身の丈に似合わぬ権力で他者と区別されるよりも、いっそ貴族制度など排して国民全員が平等になればいいと思うくらいだ。
 中には身分と言う言葉に左右されない者もいる。彼らの一部は、身分によるしがらみや義務などという煩わしいものを嫌い、かといって既得権益を全て捨てるのでもなく、何かあった場合自分だけは守られる一番安全で美味しい立ち位置を保持しようとする。
 ラウルフィカを支配して傀儡の国王に仕立てあげた宰相ゾルタがこの手合いだった。彼は自らが国王となり簒奪者と呼ばれる危険を冒すのではなく、何かあれば全てをラウルフィカに押し付けられる位置で自分の立場以上の利益を得た狡猾な男だ。
 だから人が身分にこだわり見る夢には二通りの意味がある。人が身分にこだわらないと言う時にもよい意味と悪い意味があるように。
 身分にこだわらないという言葉も、その立場と状況によっては酷く図々しい言葉であり、身分に夢を見過ぎている人間は、ある意味純真で御しやすい。
 ラウルフィカが考えるところの前者は現在の上級大将ミレアスのことであり、後者は大将カシムのことである。
 ミレアスはラウルフィカを陰で貶め弄ぶ五人の中で、最も性質の悪い男と言えた。表向きは有能な軍人として職務に熱心に勤め、仕事にも手を抜くような男ではない。国王であるラウルフィカと言葉を交わすこともそうはなく、余人が彼らの関係を知る由もない。
 しかし、その一方で、ミレアスはラウルフィカを売春婦以下の存在と扱うのだった。暴力的な行為の中でしか性欲処理できないというミレアスにとって、ラウルフィカの存在は奴隷以外の何者でもない。金を払って穏やかに抱いている分だけ、まだ娼婦相手の方が優しいだろう。
 レネシャのことがなければ、ラウルフィカはパルシャよりも先に、真っ先にミレアスを屈服させるつもりだった。ミレアスの乱暴さには、五年間付き合わされても決して慣れるものではない。むしろあの男をこのまま放置しておいたら、こちらがそのうち殺されてしまう。
 そして彼を崩落させる鍵を握るのは、貴人の護衛という立場に夢を見る青年・カシムの存在だった。

 ◆◆◆◆◆

「……こんなところに呼び出して何の用だ」
 ミレアスは常に気まぐれだ。ラウルフィカのことを欠片も気遣うことのない男だった。
 ゾルタもナブラもパルシャも、そして本来敵でありながらラウルフィカに寝返ったザッハールも少なからず、ラウルフィカの国王という立場に夢を見ている。ゾルタはラウルフィカに対し、王族らしい誇りと気高さを持った純粋な少年像を、ナブラはただ美しく自分に逆らわない理想の恋人像を、パルシャはこの国の権力の象徴でありながら見た目はいたいけな少年という落差を、それぞれ求めている。
 しかしミレアスには、そういった欲望がない。彼はただ自分の肉欲と肉体的な征服欲を満たしたいだけで、その過程で相手が何を思うのかなど考えもしないのだ。だから彼はラウルフィカの身分などどうでもいい。
 ミレアスが重視するのはそこに自分が好き勝手に犯してよい身体の持ち主がいることだけで、相手の美貌も立場も身分もどうでもいいのだ。そこが彼と、ラウルフィカを身体的にはさほど傷つかないようにしながら、数々の淫靡な手管で精神的に屈服させようとする他の男たちとの違いだった。
 ミレアスとの行為はいつもどこか危険や痛みや苦しみを伴った。ラウルフィカは彼の相手をするたびに、いつか加減を間違って自分が死ぬのではないかと戦々恐々となる。
 今日は屋外という気分らしく、ミレアスはラウルフィカを、深夜の練兵場に呼び出していた。こんな場所、夜中に誰か訓練をするわけでもなし、当たり前のように人気はない。護衛の兵士だってこんな場所にいるはずはないのだ。彼らが守るのは宮殿の本館や神殿であって、すぐ近くに主に貧しい兵士たちが寝泊まりするための兵舎がある練兵場など、物盗りだって暗殺者だって好き好んで忍び込むはずもない。
 逆に言えばそこが警護としては盲点なのかもしれない。こんな場所に国王がいるはずはないという思いが心理的な穴となる。近くの兵舎にこそ人はおれど誰もやってきたりする様子がなく、確かにここは深夜に密会するにはよい場所だ。
 だが、人気のない場所というのは恐怖を煽る。ここでならどんな酷いことをされても、誰にも気づいてもらえないのだ。
 ラウルフィカからそう遅れることもなく、ミレアスが練兵場に姿を現した。兵士として行動する気はないからか、一見して武器になりそうなものは持っていない。そのことに少しだけラウルフィカは安心する。否、ミレアスがその気になれば彼の重たい拳はそれだけで十分な凶器となるのだが……。
「今日はこっちって気分だったんだよ」
 ラウルフィカのもとへ近寄ると、ミレアスは有無を言わさずさっさとラウルフィカを地面へ押し倒した。念のため小石や肌を痛めそうなものの極力少ない場所を選んで立っていたのは正解だ。
 更にラウルフィカは、厚手の布を一枚羽織っていて、それが背の下に敷かれるようにした。こういったものがあるのとないのとでは全然違う。この五年でそんなろくでもない知識ばかり溜まっていったのが虚しい。
 ミレアスはいつものごとく、ラウルフィカの服を破くような勢いで脱がせる。運よく布が破れずとも飾りピンのフィブラは針がひしゃげて使い物にならなくなった。
 愛撫とも言えない乱暴な手つきで、内股を撫であげラウルフィカのものを握る。顔を胸に落とし、赤い尖りを口に含んだ。
「ん……」
 ぴちゃぴちゃと獣が水を舐め飲むような音がし、刺激を受けた身体はやがて反応しはじめる。抗っても苦痛が長引くだけだとこの五年で学んだラウルフィカの身体は、多少乱暴な扱いにもすぐに反応するようになっていた。
「は、ぁ……ああ、あっ」
 頭をもたげかけた欲望を擦られれば、すぐに先走りが滲む。その滴を掬い取って、ミレアスのごつごつとした荒い指先が後ろの蕾へと押し込まれた。
「――んくぅ!」
 いくら滑りの助けを借りているとはいえ、ミレアスの指づかいは荒い。潤滑油となるには先走りの量も少なく、ラウルフィカは苦痛の声をあげた。
「チッ! 我儘な王様だぜ」
 ミレアスが忌々しげに舌打ちし、一度指を抜いた。淫らな液で中途半端に濡れた指先を、ラウルフィカの口へと突っ込む。
「ふぐっ」
「舐めろよ。お前のためなんだぜ?」
 武骨な指先が、口腔を蹂躙する。閉じられない口からたらりと唾液が零れた。
 ラウルフィカが呼吸を間違えてむせるのと同時に、ミレアスは歯で指が傷つかないようにと口から手を引き抜いた。抜いた指をそのまままた後ろへと滑り込ませる。
「ああっ」
 今度はするりと入り込んだ指が、ラウルフィカに嬌声を上げさせた。
 ミレアスの身体中、指先まで例外なく鍛えこまれている。硬い皮膚が内壁をがつがつと擦る感覚に、ラウルフィカはたまらず吐息をもらす。
「ん、んぅ、んん……!」
「そろそろだな」
 ラウルフィカの媚態に舌舐めずりしたミレアスが、指を引き抜いた。そそり立った己のものを解れた入口にあてがうと、一気に押し込む。
「うあああ!」
 狭い内部をかきわけるように強引にミレアスは腰を押し進める。突きあたりで一度止まるが、それだけでは物足りないとすぐに腰を動かし始めた。
「んっ、ん、んん、んぅ、んっ」
 ラウルフィカは喘ぎ声をあげる。ミレアス相手に声を我慢しても意味はないし、ここには人も来ない。
 敷布の下で砂がじゃりじゃりと音を立てる。散々舐め尽されて放り出された胸元が夜気に触れて中途半端に乾いていく。
 結合部はぐちゅぐちゅと音を立て、肉同士がぶつかる乾いた音も止まらない。ミレアスは飽くこともせず獣のようにラウルフィカを犯し続ける。
「は……ッ」
 白い喉をさらしてラウルフィカがのけぞる。開いた瞳に、世界が逆さまに映った。
 その先で、たまたま――そう、途中でたまたま宮廷魔術師長ザッハールに用を言いつけられてたまたまこの場を訪れたカシムの、驚愕に満ちた顔が目に入る。
 カシムはあまりの驚きに声も出ないようだ。衣装こそ普段より地味なものだが、ラウルフィカの容貌自体がこの国では珍しい。ミレアスの赤毛も目立つ。今宵は月が明るく、さほどの距離でもなければ相手の顔がわかるくらいだ。
 目論見通りにこの場に鉢合わせたカシムに気を取られていたラウルフィカは、突然喉を塞がれて目を白黒させた。
「ぐ!」
「聞いたことがあるか? ヤってる最中にここを締めるといいんだってさ」
 ラウルフィカの中に自身を突き立てたまま、ミレアスは腕を伸ばしてラウルフィカの首を絞めてくる。片腕だし力もそれほど入っていないようだが、苦しいことには変わりない。
 ミレアス程の男が本気でやれば、ラウルフィカの首などすぐ折れるだろう。だから本気ではないことはわかるのだ。しかし気道は確実に塞がれて、窒息の危険が襲う。
 目の前が紅く青く点滅する。小刻みに動くのすら苦しい状況で、それでも酸素を求めないわけにはいかずパクパクと水際の魚のように口を開けた。
「……、……!」
「……くっ」
 声を出せないまま喘ぐラウルフィカの中で、ミレアスが達した。
「――何をしている?!」
 さすがに目の前で自国の王らしき人物が首を絞められている状況に呆けてはいられなかったらしく、カシムが練兵場入口の庇の下から飛び出してきた。
「ああっ?」
「げほっ、ごほっ!」
 彼の登場に気づいていなかったらしいミレアスが驚きで手を離すと共に、ラウルフィカは盛大に咳き込んだ。また危害を加えられないように遠くへ逃げたかったのだが、そうするにはまだ中に突きいれられているミレアスのものが邪魔だ。
「何を……、何なんだこの状況は?! そちらは、まさか本当に陛下なのかッ?!」
 生真面目なカシムが声を震わせる。顔色も蒼白なのだが薄闇の中では見えないし、ラウルフィカにそれを確認する余裕もなかった。とにかく身体を横に向け、呼吸を整える。
 舌打ちと共に、ミレアスがラウルフィカの中から己のものを引き抜く。もともと下衣しか脱いでいなかった彼は、さっさと服を着直した。
「面倒な奴に見られちまったぜ」
 そうして自分だけ体勢を整えると、ミレアスは一人、さっさと出口へ向けて歩きだす。
「ま、待て! ミレアス将軍! この状況を説明しろ!」
「どう説明するんだよ。俺と国王陛下がヤってました。それでいいのか?」
「貴様という者は、騎士でありながら自らの仕えるべき主君になんていうことを……!」
 戦闘さえこなせばそれでいいと考えるミレアスは、カシムのように生真面目で規律にうるさい軍人の鑑のような男が苦手だった。
「ぐちゃぐちゃと煩い男だ。言っとくが、今の行為は完全に合意の上だぞ。それともお前は、国王の寝所の中にまで口を出すのか?」
 せせら笑うと、ミレアスはこれ以上カシムの説教を聞く気はないと、さっさと踵を返した。後には、衣服を剥ぎ取られ下半身を白濁液で汚し、首を手形に赤く染めた惨憺たる状況のラウルフィカと、その国王にどう声をかけていいのかわからない様子のカシムが残される。
 ――しかしこの状況こそ、ラウルフィカの目論見通りだった。
 本来ならここはカシムに脅迫でも懐柔でもなんでも試みて口止めをしなければならない場面なのだが、ミレアスは面倒だとばかりにそれを放置した。ラウルフィカが適当な説明をするとでも思ったのだろう。国王であるラウルフィカにとっても、一兵士に強姦されているなど醜聞以外の何でもないのだから。
 そう考えるところが、ミレアスの単純さだというのだ。それをわかっていたからこそ、ラウルフィカも仕掛けた。
 こほ、と小さく咳き込んで見せると、彼が首を絞められていたのだと思いだしたカシムが我に帰った。ラウルフィカの傍へと寄ってきて、心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか?」
「……、ああ……っ、こほっ」
 演技ではなくもう一つ咳をすると、ラウルフィカはカシムに話しかけた。
「上着か……できればマントを貸してくれないか……とりあえず、部屋に戻りたいんだ……」
 弱弱しく微笑んだラウルフィカに、カシムが息を飲んだ。


16.騎士

 ラウルフィカはカシムからマントを借りるとそれで身体を隠すように羽織り、宮殿内の私室へと戻った。
 この状態の国王を一人放置するわけにもいかず、カシムもその共をする。これまでそのような場面がなく近付いたこともなかった王の寝室には、ちゃんと警護の兵士がいた。
 だが、様子がおかしい。彼らは主のいない寝室を守り、ラウルフィカが外から戻っても取り乱す様子を見せるどころか、声一つかけない。
 確か国王の身辺を警護する役目の兵士をまとめているのは、軍部ではなく宰相のゾルタだった。同じ兵士としての衣装を身にまとってはいるが、見慣れない顔の彼らを不審に思いながら通り過ぎ、カシムは招かれるままラウルフィカの寝室へと入る。
「ここまでありがとう」
 傅かれるのが当然の貴人としては珍しく、ラウルフィカはカシムにそう声をかける。
「マントを返すのは今度でいいか? なんなら代わりができあがるまで仕事を休んでもらっても構わないが」
「いえ……代わりはありますから」
 大将クラスになるとマントの布地一つとっても高価なものだ。しかしカシムにもそのくらいの財力はある。
「もう……充分だ。帰って休んでいいぞ」
「は。……あ、いえ。そのっ」
 ラウルフィカの言葉に反射的に頷いてしまったカシムだったが、次の瞬間にはそれを取り消した。ここで何事もなかったように宿舎に戻るには、彼は今宵余計なことを知り過ぎた。
「あー……医師を呼んでもよろしいでしょうか」
「いや、それには及ばない。――ザッハール」
 いつの間にか、軍人のカシムにも気配を気づかせることなく、銀髪の男が部屋の隅に現れていた。
 それは彼に、練兵場へ行くようにと事付けた宮廷魔術師長だ。
「治療ならこれに任せる。だが……お前はまだすんなりと戻れそうにはない顔だな」
 ラウルフィカが困ったように苦笑した。その首元に痛々しい赤い手形が見えている。
「その顔は、事情を聞きたいという顔だ。少し待たせるが、それでも良いのなら話そう。とりあえず、治療をして身体を洗いたいんだ」

 ◆◆◆◆◆

 誘導は功を奏し、大将カシムは真夜中の練兵場でミレアスに抱かれているラウルフィカを目撃することとなった。そしてその後も素知らぬ顔で立ち去ることができず、王の寝室にまでついてきて、話を聞こうとしている。
 浴室で身体を洗いながら、ラウルフィカは口元を緩めた。あの軍人の素直なこと。危機感がないと言うべきか、それとも根が純粋で真面目だと評してやるべきか。
 恐らく危険を察知する能力に優れた者ならば、厄介な事情には関わりたくないと踵を返したことだろう。もしくは腹黒い狸ならば、この秘密を握って自分も甘い汁を吸おうと脅迫してきたか。
 カシムはそのどれでもなく、ラウルフィカの事情を自分の知れる範囲で知って、真剣に王の力になるためにこの部屋に残った。ここまではラウルフィカの目論見通り。
 ああいう状況を見てしまった以上、ラウルフィカに対して何も感じずともカシムの性格上国王を救わんと勝手に奔走してくれるだろう。だが彼を効果的に動かそうと思えば、それ以上を求める必要がある。
 カシムがラウルフィカを唯一無二の主君と認めれば、主の境遇を改善するために、こちらが口に出さずとも必要以上に努力してくれるだろう。
「待たせたな」
 汚れを洗い流し、首の手形も魔術治療で跡形もなく消したラウルフィカは、身支度を整えてカシムの待つ室内へと戻った。
「あの……魔術師長殿は……」
「ザッハールなら部屋に戻った。今日はもう休むそうだ」
 都合よくザッハールは退場する。人を本格的に口説く時には、余人の目がない方がいい。レネシャの時と同じだ。
「さて、何から話そうか……」
 隠す必要もないが乗り気ではない、そんな調子を装ってラウルフィカは言葉を口にした。普通、貴族は身分の高い者が先に名乗り言葉を発するのだ。カシムの性格であれば、ラウルフィカが良いと言うまで言いたいことも口にしないであろう。
「楽にしてよいぞ。私もきっかけがなければ話す順序に困るところだ。聞きたいことはそちらから聞けばいい」
「で、では失礼して……」
 ラウルフィカの促しに、ようやくカシムは口を開いた。
「先程のあれは……ミレアス上級大将は合意だと仰いましたが、本当に……」
「……合意、と言えば合意だろうがな。例え始まりがどうであれ、この状況に持ちこませてしまったのは私だ」
 眉を下げて半ば哀しむように、けれど深刻すぎずあくまでも自嘲するように笑って見せる。
「……少し考えればわかることだ。本当は私は世間で言うような、有能な王などではないことを。五年前十三歳だった子どもが、父王の後を継いですぐに結果など出せるわけはない」
「……まさか、それと引き換えに?」
 具体的な名前こそ出さないが、身体を差し出すのと引き換えに有力者に国の舵取りをこなしてもらったのだと暗に告げる。
 本当は取引も何も、相手に無理矢理身体を奪われてからそのことで脅迫されたのだが、そこまで事実を語って悲観的に、自分を哀れむような素振りは見せてはならない。
「私のような面白味もない男を、それも子どもを欲しがる物好きがいて助かったと言うべきかな。……私は王だ。例え名目に実力が伴わなかったとしても、それで国を転覆させるわけにはいかないからな」
 少し顔を横に向け、視線を逸らしながら告げる。
「ああいった関係にあるのは、ミレアスだけではない」
 そこでラウルフィカは視線をカシムの方へと戻した。小さく笑いながら――自嘲の笑いを浮かべながら問いかける。
「軽蔑したか? こんな人間がこの国の王で」
「いいえ!」
 カシムは思わず真夜中だということも忘れたように声をあげた。はっとして自らの口元を手で覆う。だが言葉自体は止めることはなく、かといって上手い言葉も見つからない様子で、もごもごと呟き続ける。
「いいえ……そんな、そんなことは……」
 カシムの戸惑いを、ラウルフィカはあえて違う方向に解釈したように見せる。カシムに縋ったり頼ったりするような態度の一切を見せず、ただ行きがかり上話しただけで彼には何も求めてはいないというように。
 そういう態度をされる方が、カシムのような真面目な人間はなんとか自分にできることはないかと探してしまうものだ。しかも国王であるラウルフィカに力を貸すことは、最終的に有利になっても無駄ということはない。
「気を使ってくれなくてもかまわない。幻滅させてすまなかった。ミレアスはあの通りの性格だから、お前が今後何かされるということもないだろう。だから、お前も今夜のことは忘れてしまうといい」
「なんっ……あ、あなた様は、それでよろしいと言うのですか?!」
 そこでラウルフィカは、一際綺麗に、儚げに笑う。
「良いも何もないさ。それしか方法がないのであれば仕方がない。私の体一つで国を動かす有能な臣下、というものを買えるなら安いものだ。――なに、気にするな。生娘ではあるまいし、私が穢れようとどうということないだろう」
「あなたは、穢れてなどいない!」
 感極まったようにカシムが立ち上がった。椅子が倒れて音を立てるが、部屋の外の見張りは反応しない。
「し、失礼いたしました! 国王陛下……ですがあなたは、貴方様は決して、穢れてなどおられない。身体の交わり如き、真の心の高潔さの前にはなんだと言うのでしょう」
 カシムは自らラウルフィカの足元に跪き平伏した。
 彼は上気した頬を上げ、まるで神聖なものでも見るような目でラウルフィカを一心に見つめる。
「わたくしに、何かできることはございませんか……?」
 カシムの申し出に内心歓声をあげながら、ラウルフィカは表面上は予想外だと言わんばかりの驚きを浮かべて見せた。
「……ありがたいが……」
 その上で、ラウルフィカはカシムの言葉をそっと引き取らせる。
 ここで申し出を断ることが大切なのだ。だが最初から宛てにしていないという態度をとってはならない。ラウルフィカはカシムの申し出に喜びながら、それでもその喜びを必死に押さえて助力の手を拒むような態度で断りの言葉を口にする。
「お前の気持ちはとても嬉しい。この国に対する、その親愛と忠誠も。けれどそのために、この宮殿の奥深くの闇に足を踏み入れる必要はない。もう今は騎士が主君のために、などという時代ではないのだ。お前の愛する者を守って息災に暮らせ」
「は……」
 形式上、カシムはそれ以上ラウルフィカに何かを請うようなことはなかった。しかしその奥では、自分の忠誠を受け取ってほしいと目で物語っている。
 渋るカシムに対し、ラウルフィカはあくまでも彼を巻きこめないという態度を崩さずに、彼を部屋に返す。
 これでいい。
 これでいいのだ。後はラウルフィカが何もせずとも、カシムが勝手に行動を起こしてくれるだろう。今はそういう時期だ。この時期だからこそ、彼に目をつけたのだ。ミレアスを越える可能性のあるあの男に。
 ラウルフィカに恋情めいた憧憬を抱いていた年下のレネシャが相手の時は、相手に自分が特別扱いをされているのだとわからせるように、とにかく優しく優しく接して甘やかしてやればよかった。
 カシム相手にはそうもいかない。二十四歳のこれまで実力で大将にまで登り詰めた男が、六歳も年下の少年王に上から目線で褒めそやされて良い気になるものでもないだろう。
 ラウルフィカが利用したのは、カシムの貴人に対する憧憬だ。家柄と本人の資質が相まって、彼は貴人の警護を希望していた。しかし根はもっと深いものだとラウルフィカは考えている。
 あの真面目な男が望んでいるのは、命を懸けて守るに値する主だ。しかも、身分に憧れを抱きながら、よく知りもしない相手を身分だけで尊敬することはできないという贅沢ぶりだ。
 カシムが欲したのは、身分を持ちその身分にたがわぬ性質を持つ者、そして彼自身が尊敬できる人物、主君。
 だからラウルフィカはあえて、自らの最も無様で醜い一面を赤裸々に見せた。自らを無能と認め、国を維持するために男に身体を売る男だと知らしめた。
 カシムは思惑通り、そんなラウルフィカを軽蔑するのではなく神聖なものを見つめるような眼差しを向けて来た。
 中身のない正義も人格のそぐわない実力も意味がない。自分が何の犠牲も出さずに押し通した綺麗事に意味はないし、強ければただそれいいと言うのであればミレアスと変わらない。
 男でありながら男に抱かれる屈辱と、ミレアスに受けていたあからさまな暴力の痕。それを堪える様子を見せたことで、カシムはラウルフィカを身分に溺れず自分の実力を認め、そして国を守るために自らの身をも差し出すことを厭わない高潔な人物だと思ってくれた。
 そう、カシムが欲したのはそういう高潔さだ。ラウルフィカに求める像の系統的にはゾルタに近い気もするが、厳密に言うと違う。ゾルタは自分と正反対の純粋さを少年王に求め、カシムは自分と同じ高潔さをラウルフィカに求めた。
「さて、これからどうなるかな」
「この後、騎士選抜の御前試合がありますからね」
 音も立てずに背後から忍び寄ってきたザッハールが、ラウルフィカを抱きしめるように腕を回してくる。彼の胸に頭をもたせかけながら、ラウルフィカは口を開く。
「私が可憐な淑女であったなら、こんなまだるっこしいことをせずとも、涙を浮かべて助けてとでも縋りつけばそれで済んだのにな」
 美しい乙女と騎士の恋物語は数多い。人々はそういう話に憧れるものだ。女性が主な読者だが、男とて一度くらいは自分が誰からも尊敬される英雄になることに憧れる。騎士にもいろいろあるが、特に貴人の警護をする騎士は、自分の守りたいものに命を懸けることと、人々からの称賛を受ける英雄物語と、その両方の願望を満たしてくれる立場だ。
「いやー、それはどうでしょ。苦労知らずで自分可愛がりのただのお姫様よりは、あの生真面目坊やは陛下のような方の方が好きだと思いますね」
「男が好きな男、お前のように性的対象が男というのとは別の意味で、男は男を愛するという男の美学という奴か」
 恋愛としては女性に愛を捧げていても、一方で自分より何かで優れた男に恋情以上の言葉にならないような熱い思いを抱く男というのは案外多い。
 自分にないものを持っている男への強い憧れを持つ男。同性の主君への忠誠が家族への愛情より強くて当然と考えるような男。兵士のような男性社会で生きる男は、仮に女性と恋愛していても、心のどこかで所詮は女にその心境は理解できないと思っているのだ。女好きで女の敵と呼ばれる男よりも、ある意味ではそちらの方が余程女性を軽んじているように思えるが。
「何せ陛下はそのお美しさだ。姫君を守る聖騎士のような優越感を与えてくださる一方で、自らが頭を垂れるに相応しい最高の主君として額ずかせて下さる」
 そう、ラウルフィカもそれを狙った。男性的というよりは女性的であり、正しく言うならば中性的であるラウルフィカが強い男の振りなどしても滑稽なだけだ。それよりは肉体的な弱さをさらけ出し、その上で精神的な強さや、芯を持っているように見せかけた。
 女性よりも美しく儚げで可憐に振る舞い、大人しやかながらも男性として国主として、人々に守られながらも自分の領分を守る王の姿。精神的な真の高潔さを求める騎士が仕えるに相応しいと思えるだけの国王像。まるで人々が聖女か天使かと思うような、清らで高潔な人物。
 本当に心からそうあれればどんなにいいことだろう。けれどあれは所詮演技。本当のラウルフィカは、その本心はもっと醜い……。わかっているからこそ、ラウルフィカは素顔を見せずにいつも意図的に、彼らの求める王の顔を演じて見せる。
 ラウルフィカが素顔を見せるのは、この男の前だけだ。
「ザッハール」
「ん?」
「お前は、私にどんな顔を望む?」
 そのザッハールの前ですら、ラウルフィカは全てを口に出しているわけではない。他の人々の前ではよくできた仮面を付け替えるように表情を作っていることを思えばこの男の前での態度は素顔に近いが、それでも素顔の更に奥にある――もっと、一番醜いどろどろとしたものはこの男にすら見せていないのだ。
 ラウルフィカの気を知ってか知らずか、ザッハールは青い目を閉じて穏やかに笑う。
「何も。そのままのあなたで」


17.決闘

 翌日、カシムが訪れたのは宮廷魔術師長ザッハールの部屋だった。
「は? 試合の援護をしてほしい?」
 さすがに彼が自分の所に来ると予想していなかったザッハールは驚いた。確かに昨夜カシムがラウルフィカたちの姿を見つけるよう用事を言いつけたのはザッハールだが、表向きザッハールとラウルフィカの間にはただの国王と魔術師以外の関係はない。
 とはいえその後ザッハールはラウルフィカの傷の手当てにも行っていたのだ。カシムから見ればザッハールはラウルフィカの腹心ということになるのだろう。
 魔術関係の資料や怪しい薬、何かの生き物の骨、羽根。怪しい蝶の標本に怪しい魚の泳ぐ水槽。などなどが置かれた怪しすぎる自室でカシムを出迎え、ザッハールはその話の内容に声をあげる。
「なんでまたそんなことを……」
 カシムがザッハールに依頼してきたのは、この月の終わりに開かれる剣の大会で、自分がミレアスに勝てるよう援護をしてほしいということだった。
 王の前で試合を演ずるその大会は、御前試合とも呼ばれ一年に一度開かれる。優勝者にはそれなりの褒章が与えられ、兵士たちの士気を盛り上げる行事の一つとなっていた。
 しかし、この大会で実際に褒章が支払われたことは数少ない。
 何故ならここ五年ほどは一人の男が大会で優勝し続け、その褒章にいつも特に願うことがないと返し続けているからだ。軍人が王にねだるのだからあまりにも不道徳で非常識なものはありえないが、それでも一角の地位や領地程度ならば、何度も優勝したならば望んでおかしくはないと言われるこの大会。五年連続の優勝者こそミレアスだった。
 カシムは前回の大会でミレアスに破れていた。老齢のジュドー将軍はすでに若者と腕を張りあう必要はないと参加を辞退し続けているため、彼らの派閥の中ではカシムが最高の地位と能力を持つ者である。だが去年はカシムの実力は惜しくもミレアスに及ばなかった。
 今年もこの二人の一騎打ちが見ものとなるだろうと噂されているのだが、ここにきてカシムがミレアスにだけは負ける訳にはいかないと、ザッハールに不正を依頼する。
「規則違反どころの問題じゃなく……根本的に駄目なことだってことは……わかってるよな?」
 剣術の試合で魔術師による援護などもちろん認められるはずもない。そんな規則もない。カシムはもちろんそれを知っており、わかっていてバレないようにザッハールを頼ったのだ。
 普通ならば生半な魔術師による試合の妨害など禁じられているし、その対策もなされている。だが、この国最高の魔術師であるザッハールの手によれば、衆人環視の中でも余人に気づかれずカシムがミレアスを倒す援護をすることができる。不正は不正だが、そうと誰も気づかないのであればそれはカシムの実力として扱われる。
「私がとてつもない犯罪に貴公を巻きこもうとしていることはもちろんわかっております。そのことで貴公にご迷惑をおかけすることも。ですが、私はどうしても次の御前試合、あの男に負けるわけにはいかないのです」
 ザッハールの目を真っ直ぐに見つめ、カシムはそう言った。ザッハールは更に尋ねる。
「前回優勝寸前までいったあんたのことだ。あんたがミレアスに勝つ。それはあんたの優勝を意味することになるんだが」
「そうです。私はあの大会で優勝したい。そして国王陛下に褒章を願うのです」
 ラウルフィカの名が出たことで、ぴくりとザッハールの眉が上がる。
「……へぇ? 清廉潔白で知られる高潔な大将カシム様が、不正までしてミレアス卿に勝って、何を手に入れたいって言うんだ?」
「国王陛下の騎士の身分を」
 カシムは淀みなく言った。ザッハールが表情を引き締める。
「ザッハール卿、貴公も知っておられるのでしょう。国王陛下があのミレアスに、手酷い扱いを受けておられることを」
 ザッハールがスッと目を細めた。思案げな様子でカシムの話を聞く姿勢をとる。
「確かに俺はそのことを知ってはいるが……そんな重要な話を、そう簡単に口にしていいものかな?」
 カシムはカシムで真剣だが、ザッハールもここでカシムのことを見定める必要があった。ラウルフィカの騎士となれば、四六時中、それこそザッハールが傍にいない間も国王の傍らに控えることになる。
「あなたは陛下の味方だと判断します」
「何故?」
「昨日私をあの場所に向かわせたのは、偶然などではないでしょう」
「まぁ、確かにな」
「そしてあなたも、本心では陛下とあの男が関係するのを止めたがっているのだと感じました。私をあの場に差し向けたのは、こうなることを予期してではないですか?」
 カシムは馬鹿ではない。ザッハールの行動からそのように彼の意志を導き出した。ただ一つ違うのは、それがザッハールというよりも、ザッハールを従わせたラウルフィカの意志であることだ。
「他の者ではなく、ミレアスに対抗できるだけの力を持つ私ならば何か行動を起こすだろう――そうお考えになってのことでは?」
「……それがわかっているのならば、何故わざわざ俺のところに来た。不正などせず、実力でミレアスから勝利を奪えばいいじゃないか。その方が誰かにつけいられる隙もない」
 一度不正を行えば、何かの事情でそれが明るみに出た際、その他全ての功績が他者の目から見れば実力とは信じられなくなる。すでにミレアスと拮抗した実力を持つカシムがわざわざそんな危険を冒すことこそ、ザッハールにとっては意外だった。
「もちろん私も試合には死力を尽くします。けれど、それでもミレアスに勝てるかはわからない。そして、私はあの男に勝てずとも、負けることだけは許されないのです」
 許されない――誰が許さないというのか、あるいは誰が許すのか。
 勝てずとも、負けることだけは許されない。実力で勝てなくともいい。ただ、負けたという事実を残さなければ。
 カシムは言う。
「国王陛下は、その身を犠牲にしてまで国を守ろうとしておられるのです。陛下をお守りしようとする私が、ささやかな名誉に拘るわけにはいきますまい」
 要人の騎士となるのはカシムの長年の夢だが、現在カシムがラウルフィカの騎士を目指す理由は違う。今回不正を働いてまで騎士の座を欲する理由は、その方がラウルフィカを守れるからだ。
 カシムが一人でラウルフィカに忠誠を捧げ、その身をお守りすると誓ったところで、実質的には何の拘束力もない約束にしかならない。それは彼ら本人にとっても、対外的にも。カシムがどれほど強固にラウルフィカを守ろうとしても、例えば宰相ゾルタのように彼より上の身分の者がカシムを追い払おうとすれば、すぐにそうされてしまう。
 そうならないためには、カシムがラウルフィカの一番近くで彼を守ることが不自然でない地位が必要だ。それこそが国王の騎士の座。
「協力していただけますね?」
 頼みこむというよりももはや念を押すようにして言うカシムに、ザッハールは溜息で返した。この青年はあまりにも真っ直ぐ過ぎる。
 言いかえれば、ラウルフィカを神聖視しすぎている。使い方を間違えなければ心強い味方となるだろうが、もしも何かあれば面倒なことになるだろう。
 それでも今のところ、ザッハールにはこの申し出に頷くしかないようだ。
「だったら――作戦を詰めようぜ」

 ◆◆◆◆◆

 御前試合の日は眩しい程の晴天だった。太陽がじりじりと照りつけ、濃い影を落とす。
 国王であるラウルフィカの目前で開かれる剣術大会は、あらかじめ人々が予想していたように、ミレアスとカシムの決勝となった。
 場所はあの練兵場だ。市民の観戦者も訪れ、結構な人出となっている。この機に食べ物や飲み物を売り歩く者や露天も開かれ、国中の一大行事と化していた。
 何も知らない国民たちにとっては、ミレアスが今年も優勝するのか、それとも他の者が彼を打ち破るのか期待が高まるところ。そして国内の情勢を知る者たちにとっては、ミレアスが勝つか、ジュドー派のカシムが勝つのかで今後の対応が分かれるところであった。
ジュドー将軍はもはや老齢であり、数年のうちに引退することが決まっている。次にその座に上るのはカシムだと言われているが、彼は先年の大会でミレアスに負けた。
 いまだ表だった話にはなっていないが、実はベラルーダは近頃隣国との交友関係が怪しい。領土を接して小さな小競り合いをし続けた国の一つが、何か裏で工作している気配があるのだ。近いうち戦争になる可能性がある。その時にどの派閥の軍人を支援するかが、貴族たちにとっても大きな問題だった。その判断をするのに、今回の大会は有用なのだ。
 目の前で開かれる大会、兵士たちが純粋に体を鍛え技を競い合わせる。その裏では様々な醜い思惑が動いている。
 ラウルフィカは皮肉な気分になった。物事の裏側の醜さにも、それを冷静に見つめている自分自身にも。昔はこんなことばかり考えていたわけではないのに、と。
 ミレアスとカシムの試合が始まる。
 開始の合図に、人々は息を詰めてそれを見守った。これだけの人数がいると、小さく声を漏らしただけでも大きなどよめきとなって聞こえる。
 試合開始直後、優勢だったのはミレアスだ。相手のあらゆる反撃の手を塞ぐ剛の剣で、カシムに攻め込む。ミレアスの剣を打ち返すカシムの手つきに危なげなところはないが、やはり反撃は難しい。
 二人は力も体格も拮抗していて、あとは純粋な技術の問題だけだった。あとは、性格。いつ攻め込みどう守るのか。相手の隙を見つけられるか。
 ――と、それまで何も問題なく剣を振るっていたミレアスの手が一瞬止まった。そこから、今まで防戦一方だったカシムが反撃に転じた。
 何も知らぬ人々は、ミレアスの手が止まったのはカシムが攻撃の素振りを見せたからだと考えるだろう。だが違う。さりげないほんの一瞬だったが、ミレアスの動きが不自然に止まったからこそカシムが動き出したのだ。
 あらかじめザッハールからそれを教えられていなければ、ラウルフィカもそれに気づくことはなかっただろう。
 試合はカシムが勝った。あの一瞬の隙の後、ミレアスはついにカシムから優位を取り戻せなかった。
「お前の望みは何だ?」
 ラウルフィカは国王として、大会の優勝者であるカシムに尋ねる。カシムはかしこまった姿勢のまま、頭を上げて答えた。
「陛下の騎士の座をください。私を御身を守る剣であり盾としてお使いください」
 この五年、試合終了後はミレアスの淡泊な返事を聞き続けるばかりだった褒章のやりとり。この答に、周囲は湧き上がった。
 あらたな大会の優勝者と、その望みによって生まれた国王の騎士という存在に、国中が湧きあがったのだ。


18.鞭

 騎士の任命は玉座のある謁見の間で行われる。ラウルフィカはカシムをそこに招き、儀式を行った。
 「騎士」とは兵士そのもののことを言うことも多いが、この場合は違う。主君に一生仕えることを誓った武芸者のことを、特別に「騎士」と呼びあらわすのだ。
 これからカシムはラウルフィカの護衛の筆頭となる。常に彼の傍につき、ラウルフィカが国内外問わず出かける場合は彼が、彼の部隊を引きつれて護衛することになる。
「まさか、こんな方法をとるとは思わなかった」
 予想通りとはもちろん告げず、周囲から人を下がらせて二人きりとなったラウルフィカは口を開いた。大会用に正装したカシムが前に立っている。
 もともと彼は高位の軍人なのでどこに出しても見劣りしない大将の正装を持っているが、一週間もすれば新しく国王の騎士としての衣装が届けられるだろう。
「私はどうしても……陛下のお傍に近付きたかったのです。御身の苦しみを、少しでも軽減することができたら、と」
「カシム……」
「私は陛下の手足となることを近います。何なりとお命じください。もとよりこの身も、後ろ暗いことのある身。今更昔の自分に戻りたいとは思いません」
 カシムはラウルフィカに、ミレアスとの決勝で己が何をしたかを全て語っていた。ザッハールの力で、一瞬だけミレアスの動きを止める。それが彼らの取引内容。不正を行ったという事実を重石にして、カシムは自分のラウルフィカへの忠誠を示した。
 それは一つの共犯関係。ラウルフィカがカシムを騎士にと望むのであれば、このことを黙っていなければならない。そう、カシムというこの男は、潔癖だが無意識な部分で狡猾なのかもしれない。自分に相応しい主が欲しいという彼の願いは、お眼鏡に適わない主などいらないと同義なのだから。
「ラウルフィカ陛下」
 カシムは再びラウルフィカの前に跪いた。
 そしてそっと、ラウルフィカの白い手を両手でおし抱く。滑らかな手の甲に、静かに唇を落とした。
 それはありふれた敬意の示し方。ただの挨拶。しかしカシムのように、乙女の理想とするような騎士然とした男がすると絵物語に相応しいような光景となる。口付けを送られるラウルフィカが、生半な姫君など太刀打ちできないほどに美しければ尚更だ。
 カシムは熱っぽい眼差しを向ける。彼にとってラウルフィカは、神聖にして誰よりも守るべき至高の存在だ。
 カシムという男の性格を考えれば予想できた事態。だからこそ上手くいった、今回の作戦。だが少しばかり不安がないでもない。こうまで神聖視されてしまうと、逆にやりづらいものがある。ラウルフィカは今後も、カシムの前では完璧に美しい王を演じ続けなければいけないのだろう。
 それでも今ばかりは、思惑通りに動いて手に入れることの叶ったこの男の存在を喜ぶべきだろう。
「ありがとう、カシム。……お前が私の騎士となってくれて、とても心強い」
「陛下」
 主従は見つめ合った。

 ◆◆◆◆◆

 ミレアスは怒りを露わに廊下を歩いていた。
 向かう先はザッハールのいる、魔術師たちの宿舎だ。
 今日の試合、途中でミレアスの剣を持つ手が突然動かなくなった。あの感覚は魔術だった。ミレアスはそう確信している。
「どこの誰があんなふざけた真似を……!」
 試合、勝負、そういったものに勝つことだけを人生の楽しみとしているこの男にとって、あんな風に負けるのは何よりも許しがたいことだった。絶対に犯人を見つけなければ気が済まない。
 だが試合中に使われた魔術の気配は一瞬で、おかしなことがあったとの報告も受けていない。そもそも魔法防御の結界が張られた中で、あれだけさりげなく魔術を使える人間はそうはいない。
 自らが恨みを買っていることは知っている。わかっていてこれまで好き勝手やってきたのがミレアスだ。試合相手は以前から好敵手と目されていたカシムだったが、彼の差し金とは考えにくい。
 魔術を使われた自分だけが気づいた小さな違和感だ。不正があった根拠として訴えるには弱く、また決勝の対戦相手だったカシムは潔癖なほどに潔癖な男として有名だ。あの場で勝敗に口を挟んでもそれこそ勝ち目がないと悟ったミレアスは、裏で動くことにした。
 自分に敵意を向ける相手を探し出すのは数が多すぎて難渋するが、国が用意した結界をすりぬける高位魔術の使い手であれば人数は限られる。宮廷魔術師長ザッハールであれば、心当たりがあるかもしれない。そう考えて彼は、カシムの騎士就任祝いも終わった夜更けにザッハールの部屋を訪れた。
「おい、ザッハール! 貴様に頼みが――」
 乱暴に扉を開け放ったミレアスは、中に予想外の人物の姿を見つけて言葉を切った。
「なんだよ王様。なんであんたがここにいる。それとも今夜はザッハールの番だったか?」
 ミレアスが訪れたのはザッハールの部屋の一つだ。先日カシムが訪れた怪しげな実験室ではなく、普段使いの簡素な部屋の方。そこにいたのは、国王ラウルフィカだった。
「よく来たな、ミレアス」
 ラウルフィカはいつもの洗練された美々しい国王としての衣装ではなく。淡く肌を透かす布地を申し訳程度に身につけている。長椅子から立ち上がって露わになったその娼婦のような装いに、さすがのミレアスも一瞬呆気にとられた。
「どういうことだ。お前らそんなプレイしてるのかよ」
「いいや。これはお前のために用意した衣装だ」
 清らかと言われる美貌を妖艶に歪め、ラウルフィカは口を開く。
 ミレアスの背後では、ザッハールが部屋の扉を閉めた。そして当然のようにラウルフィカの傍へと戻る。彼も最初から部屋の中にいたのだ。ミレアスの場合、逆上すると何をしでかすかわからないために、護衛として。
 カシムを騎士として手に入れはしたものの、やはり彼には話せない部分が多すぎる。ラウルフィカの裏の共犯者は相変わらずザッハールだった。
「明日からはカシムが私の警護につく。お前とはこうして仕事以外で顔を合わせることも最後になるだろうな」
「それがどうした。俺があんな若造に遠慮することがあると思うか」
「遠慮するかどうかはともかく、実質私の警護として選ばれた“王の騎士”に言われたら、城の兵だってお前程度の男など通すわけにはいかないな」
「なんだと?!」
 あからさまな侮辱に、ミレアスの目が吊り上がる。
「てめぇら、何か企んでやがるな?」
 ラウルフィカと背後のザッハールを睨みつけ、ミレアスがそう口にした。次の瞬間、彼は衝撃を受けて床に這いつくばっていた。
「がっ……!」
「お前はこれが好きだろう。一度自分の身体で味わってみるといい」
 そう言ったラウルフィカの手元にあるのは、細長い鞭だった。これまで隠し持っていた革製のそれをピシリと鳴らし、ラウルフィカは這いつくばったミレアスを冷たい笑いで見くだす。
「お、まえ」
「国王陛下と呼んでもらおうか? ミレアス。今日の試合は残念だったな。途中で右手が動かなくなるなど」
 ミレアスは目を見開いた。何故そんなことを知っている? 動きが不自然だったと言うならともかく、誰もそのことに気づかないくらいさりげない動作だったのに、動かなくなった場所まで――。
 笑うラウルフィカと、その背後で肩を竦めるザッハールの姿に合点がいく。
「そうか、お前か。お前らの差し金か。今のも、さっきのも――」
 ラウルフィカのような素人の鞭攻撃など、いくら至近距離だとはいえミレアスほどの武人に止められないはずがない。それができなかったのは、彼の身体を打った鞭が透明だったからだ。正確に言えば、ザッハールの魔術でつい先程まで見えなくされていたのだ。
 そして試合中ミレアスの右腕の動きを止めたのもザッハールの魔術。
「こんなことして、ただで済むと思ってるのか?」
「思っているよ。私は王だ。無礼な部下に躾をしたくらいで誰に文句を言わせる筋合いもない」
 立ち上がろうとしたミレアスを、再びラウルフィカの鞭が襲った。
「う、うう……!」
 今度鞭で打たれたのは顔面だ。さすがに衝撃が大きく、すぐには立ち上がれない。
「さすがに顔に傷を残すのは面倒だ。あとでザッハールに淑女よろしく痕が残らないよう治療させてやろう……。だがその前に、お前にはもっと苦しんでもらわないとな。私が苦しんだこの五年分」
 火を押し付けられたように熱く痛む頬を抱え蹲るミレアスの頭を踏みつけ、ラウルフィカは武人の抵抗を封じる。そうして手にした鞭で、ミレアスの衣装の背中が破れるほど激しく鞭で打ち据えた。
「ぅぐ、ぅう……」
 ビシ、バシ、と、しばらく聞くに堪えない音が部屋に響く。軍人の最後の意地か、ミレアスは悲鳴だけは噛み殺していた。いっそ大声で叫べば誰か人が来たのかもしれないが、それには彼の矜持が許さないのであろう。
 ぽたぽたと赤い痕から血を垂らして這うミレアスに、ラウルフィカは頭上から告げる。
「お前が今後、私に逆らうことは許さない。ああ、このことをゾルタやナブラやパルシャに言いたいのならば好きにすればいい。どうせあの三人は、お前がどんな目に遭おうが気にしないだろうがな」
「な、ぜ」
「お前たちはもともと仲間意識などで集まったわけではないだろう。別にお前が失脚しても、宰相とナブラには何の痛手でもない。カシムとお前の勢力争いは、傍目には極自然に交替されたように映るからな。むしろお前が私に何をされたかと言ったところで、面倒事を起こすなと口を封じられる可能性が高いだろう」
 そう、ミレアスにはそういった立場の弱さがある。
 カシムが護衛についたところで、ゾルタやナブラの夜半の訪れを禁じることはできない。あの二人はカシムよりもずっと強い権力を持つ貴族だからだ。また、消えたのがパルシャならばゾルタたちも多少は動揺するだろう。経済の有力者がいなくなれば、国内の勢力図が大きく乱れる。
 だがミレアスとカシムでは、国内においてその価値は同等。部下に慕われ人気が高いという意味では、カシムの方が有能と言っても良いだろう。潔癖な性格故にゾルタたちの企みには間違っても参加しなかっただろうから声をかけられなかっただけで。
 今はラウルフィカも、もう五年前のような世間知らずの子どもではない。ある程度国内の舵取りをできるようになってきた今のラウルフィカなれば、軍の人材を入れ替えても多少の無茶はできる。
「今後二度と、貴様を私の寝台にあげることはない。私が貴様の呼び出しに応じることも。ではな」
 血のついた鞭を無造作に放り出すと、ラウルフィカは後の事をザッハールに任せ、部屋を出ていった。

 ◆◆◆◆◆

 クソッ、クソクソクソ、クソ!
 ミレアスは苛立ちも露わに廊下を歩いていた。仕事の時間だが、全て放り出している。傷の痛みに半日ほど寝込んだ後、彼はついさっきゾルタとナブラに会ってきたところだった。
 宰相の執務室にナブラもたまたま居合わせていた。日中からその報告を聞いたゾルタは、面倒そうな声を上げた。
「それがどうかしたか?」
「どうって、どうも何もないだろ! あのガキは俺たちに盾突く気なんだぞ!」
「私たちではなく、お前にだけだろう? 我々の知ったことではないな」
 ゾルタの言い様に、ミレアスは愕然とした。ラウルフィカの言った通り、二人は初めからミレアスを相手にする気はないのだ。
 ナブラが溜息をつきながら言う。
「お前のやり方は乱暴だからな。この間も練兵場で陛下の首を絞めたそうだな」
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
「ザッハールが報告してきた。あれが治療をしたそうだ。お前は国王を殺す気か? いくら加虐趣味だと言っても、限度があるだろうが。陛下がお前をどうにかして遠ざけようと考えてもおかしくはない。むしろ国内に混乱を招かないようにと理由があるおかげでその命がまだあることに感謝するがいい」
 そこに、もう一人客が訪れた。
「パルシャか」
「どうしたのだ? ここにミレアス殿がいるとは珍しい」
 取引のためにやってきた商人にも、宰相が事情を説明した。
「それはまぁ……仕方がないだろうなぁ」
「仕方がないだと?!」
「お前さんのやり方はあまりに乱暴すぎる。わしらは陛下を脅しているとは言っても、手足を縛って監禁してるわけじゃないんだ。あまりに酷いことをすれば報復されてもおかしくはないじゃろ」
「そう言えばパルシャ、お前の息子、最近陛下の傍をちょろちょろしているようだが」
 指摘を受け、パルシャがうぐっと声を詰まらせた。哀れっぽい声で告げる。
「そうじゃ……前々から少年王に憧れのあった息子じゃったが、この間たまたま顔を合わせたところを王に優しくされてころりといってしまった……そう考えれば、あれがわしへの復讐なのかもしれん……」
「息子大事のパルシャ相手でもなければ、随分ささやかな嫌がらせだな」
 ゾルタとナブラは鼻で笑った。鞭で打たれたというミレアスの話とは違い、パルシャの被害は息子が王になついてしまったというだけ。二人の大貴族からすれば、そんなもの嫌がらせにもならない。
 実際にはレネシャはラウルフィカの手で犯され、息子の身柄を盾にパルシャは脅迫されている状態だが、そこまではもちろんパルシャも口にしない。
「だが、それも問題はないだろう。パルシャは財産を奪われたわけではないし、ミレアス、お前も軍人としての立場を失ったわけではないだろう。レガインが出世したからといってお前が降格されたわけでもなし。国内の利権を寄越せという契約は生きたままだ」
「なんだと? この状況でもか?!」
「そうだ」
「ザッハールの奴が裏切っていてもか?」
「あいつはもともと国王を抱きたいという理由で参加した男だからな。お前を退けた分の時間を回してやるとでも言われれば、素直に従うだろうさ。予想済みだ」
 ミレアスの加虐趣味に危惧を抱いていた男たちの態度は、どこまでもミレアスに対して冷淡だった。
「ラウルフィカが捨て身の覚悟で私たちを告発するとでも言うのならば契約違反だがな。そうではなく自力で私たちを出しぬいたのであれば向こうの実力。もともと私たちは五年前の少年王より有能だという理由で優位を握ったんだ。そうでないと判断されれば、切り捨てられても仕方ないだろう」
 そしてミレアスは、仕事の邪魔だと宰相の執務室を追い出された。
(クソ……! どいつもこいつも!)
 彼は苛立ちのままに、国王の部屋へと向かう。昨日一日中御前試合を観戦した疲れをとるという名目で、本日のラウルフィカは一日中部屋にいるはずだ。
 だが、その部屋の前には、今は憎んでも憎み足りない忌々しい男の姿があった。
「カシムか」
「何の用だ、ミレアス卿」
「用があるのはてめぇじゃねぇよ。そこをどけ」
「国王陛下に用があると言うなら、尚更はいそうですかと引き下がるわけにはいかないな。見たところ急の伝令でもないようだが、仕事だと言うのなら国王陛下のお時間を頂く失礼を納得させられるだけの理由を述べよ」
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
 カシムの肩に手をかけ、彼をどかして無理に部屋の中に入ろうとしたミレアスの体が廊下に吹っ飛ぶ。
「きゃあ! ミレアス様?!」
「カシム様! 何をっ」
 通りがかった侍女たちが悲鳴を上げる中、頬を腫らしたミレアスを見おろしてカシムは言い放った。
「国王陛下に対する貴様の無礼な行為、陛下の騎士として許すわけにはいかん。去れ!」
 ミレアスがこれまでラウルフィカに暴力を振るっていたことを知っているカシムは容赦がなかった。
 ミレアスはここでも、撤退を余儀なくされた。今日は仕事をする気になどなれず、すれ違う人々がぎょっとする怪我と形相のまま、自室へと戻る。
(畜生! あいつら、今に見てやがれ!)
 喧嘩と暴力だけを趣味とし、これまで何にも執着というものを抱いたことのなかったミレアスは、初めて身の内を焦がす憎悪というものを知った。
 彼は死ぬまで、その感情から解放されることはなかった。